知人のお通夜から帰り、テレビのスイッチを入れると時代劇。
久しぶりの「水戸黄門」だった。
30分以上経過していたが、新聞の番組案内覧をみれば大体のあらすじは見当がつくので何年ぶりか忘れたが観ることにする。
まもなく番組終了ということもあるが、実は昨日の米子の集会で、山梨学院大の江藤俊昭教授が、地方行政に水戸黄門主義が期待されているのか?と指摘していたからだ。
どういうことかというと、首長主導型民主主義は効率性(スリム化と速さ)を重視する。首長マニフェストを掲げて当選した首長は、それを実現することが民主主義であり責務だと感じる。その成否は次の選挙での審判となる。反対するものは議会・議員であれ住民であれ「敵」と映る。大阪府の橋本知事や名古屋の河村市長などその典型だが、地域民主主義にとってもっとも重要な討議を軽視することになる。
今日、そんな首長主導が絶賛されている。閉塞状況を解決する水戸黄門の印籠を期待する伝統の表れか、ということで首長主導型民主主義を「水戸黄門主義」と表現している。
江藤氏は、続けて指摘する。
水戸黄門はいつもいるのか?
水戸黄門の去ったあと、その町はどうなったか?
今日の水戸黄門は浜松でいつものように印籠を見せて悪代官を懲らしめて、母娘が営む小さな宿「松の屋」を救う。めでたし、めでたしだが、さあ、その後、別の悪代官がのさばることはなかったのか。
水戸黄門は全国を回るが、同じ宿場町にも何度か訪れているのではないか(長年続いた番組なので)。
ヒーロー待望論ではなく、「調整と統合」の政治、議会と執行機関が切磋琢磨する討議重視の地方政治の誕生を江藤氏は訴える。
泉谷市長は印籠を持っているとは思わないが、珠洲市政もややもすると市長主導との声が聞かれ、議会の存在意義が問われている。
首長の政策や個性も大切だ。時にはヒーローも出てほしい。しかし、誰が首長になってもしっかり討議し、民意を統合できる議会の存在も大切である。
久しぶりの「水戸黄門」だった。
30分以上経過していたが、新聞の番組案内覧をみれば大体のあらすじは見当がつくので何年ぶりか忘れたが観ることにする。
まもなく番組終了ということもあるが、実は昨日の米子の集会で、山梨学院大の江藤俊昭教授が、地方行政に水戸黄門主義が期待されているのか?と指摘していたからだ。
どういうことかというと、首長主導型民主主義は効率性(スリム化と速さ)を重視する。首長マニフェストを掲げて当選した首長は、それを実現することが民主主義であり責務だと感じる。その成否は次の選挙での審判となる。反対するものは議会・議員であれ住民であれ「敵」と映る。大阪府の橋本知事や名古屋の河村市長などその典型だが、地域民主主義にとってもっとも重要な討議を軽視することになる。
今日、そんな首長主導が絶賛されている。閉塞状況を解決する水戸黄門の印籠を期待する伝統の表れか、ということで首長主導型民主主義を「水戸黄門主義」と表現している。
江藤氏は、続けて指摘する。
水戸黄門はいつもいるのか?
水戸黄門の去ったあと、その町はどうなったか?
今日の水戸黄門は浜松でいつものように印籠を見せて悪代官を懲らしめて、母娘が営む小さな宿「松の屋」を救う。めでたし、めでたしだが、さあ、その後、別の悪代官がのさばることはなかったのか。
水戸黄門は全国を回るが、同じ宿場町にも何度か訪れているのではないか(長年続いた番組なので)。
ヒーロー待望論ではなく、「調整と統合」の政治、議会と執行機関が切磋琢磨する討議重視の地方政治の誕生を江藤氏は訴える。
泉谷市長は印籠を持っているとは思わないが、珠洲市政もややもすると市長主導との声が聞かれ、議会の存在意義が問われている。
首長の政策や個性も大切だ。時にはヒーローも出てほしい。しかし、誰が首長になってもしっかり討議し、民意を統合できる議会の存在も大切である。
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