安田町は、ハウス園芸と清流だけが売り物だが、四国88ヶ所の27番札所「神峯寺」(こうのみね)が一時間半ほど登った山の上にある。
余談だが、この寺に私が幼年の頃、結核性関節炎を患い、完治した御礼参りで納めたギブスが長い間軒先にぶら下がっていた。
私の生家は、海岸から安田川沿いに5~6km上流の山間の集落。夏は、セミ・蛙の声が響き、朝五時にはサイレンが鳴り、六時には目覚まし音楽が流れる。最近では、庭先の柿の木にまで猿が来ると云う、鄙びた地である。
安田川(河口より6km) 公園のような家の庭
更に上流に行くと、馬路村がある。
馬路は、安田川、奈半利川の水源の村。奈半利川の方は「魚梁瀬ダム」(やなせ)があり、日本三大美林と云われる魚梁瀬杉があり、近年に温泉施設を作った。村興しの取り組として「柚子」の加工品や杉細工が盛んである。特に柚子ジュースの「ごっくん馬路村」は大ヒットしている。
ごめん・なはり線は安田駅を発つと安田川を越えて次は田野駅、そして終着駅の奈半利となる。
田野は私が通った高校「中芸高校」が小高い丘の上にある、こじんまりと纏まった落ち着いた町。安田、田野、奈半利、馬路、北川の五ヶ町村を中芸地区と呼ぶが、この中心的な町だ。平成の大合併の話はあるが、一向に進んでないようだ。
田野と奈半利の間を流れる川があり奈半利川と云う。安田川に比べると相当な大河。鮎の魚体も大きいが、ダムの所為か大味で進められない。
幕末、中芸地区の郷士達が勤皇志士となり脱藩を企てたが、野根山を越えようとして捕らえられた。二十三人の志士は、田野側にある河原において打ち首。奈半利川を朱に染めた。子供の頃、其の様を見たという古老が居たようだ。
川辺に「二十三士の記念碑」ありて、往時を偲ばせる。
電車の終着駅、奈半利は古くは魚梁瀬杉の集散地として栄えた。奈半利川沿いの上流が北川村。
北川は「モネの庭」を再現し、観光客の誘致に努めてる。また最近は、柚子作りと加工に熱心に取組んでいる。何と云っても、北川村は坂本竜馬と並ぶ幕末の偉人「中岡慎太郎」生誕の地であり、生家も残されており記念館も建てられている。
これにて、駆け足の私流「ごめん・なはり線」の旅と紹介を終える。記憶違い、勘違いにはご容赦を。