オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

鶏煮とフライ

2013-03-01 | Weblog

3/1(金) 今日から三月、三寒四温と云うが今日も暖かい、そして風強し。昨日の午後は陽気に誘われて某社の知人を訪ねた後、自宅で療養をしているAkimotoさんと会うこととした。共通の友人であるM氏を誘い、代官山蔦屋書店の広々としたカフェでお茶をしながら三人で雑談を交わす。M氏の専門分野である東アジアの政治・経済のことから病気のことなど一時間三十分に及んだ。

カフェを出て、M氏と宇田川町「奈加野」まで歩き一献交わす。Mとは同郷で高校時代からの付き合い、共通の友人や若かりし頃の郷里での思いで話。そしてお互いの仕事のことなど・・・。当社で最近始めた「ICT教育ニュース ict-enews.net」について、首都圏の或る県知事のアドバイザーを知っているので紹介するよなどの話が出た。

お互いニキビ面の少年の頃からの付き合い、話は尽きない。二軒目は、mr.Kansoにてハイボールをやりながらの続きとなった。AKIMOTOさんが体を慮って酒を止めたのが残念。Mもタバコを止めて久しいとのことだが、ピー缶を何時も持ち歩いていた姿が懐かしい。三軒目の呑兵衛横丁の店「えのき」への誘いを断って帰宅。酒を抜く日がないので、深酒を避けた次第。

酒と云えば、老人ホームに入所している伯父から手紙が届いていた。先月、九十三歳の誕生日を迎えた日、伯父を訪ねて小さな缶ビールをこっそりと渡した。その折の代金を渡してないと千円札が同封されていた。手紙に「高知の山気こもる墳墓の地を訪ね、神々に声をかけた喜びに涙した日のこと・・・、車椅子での暮らしがやっととなりその日が近い…』などとあった。既に覚悟定まり、迎えを待つ心境。

伯父は宮崎で生まれているが、その親は私の祖父の弟。由あって郷里を去り、宮崎に移り済んだ。伯父が高知・入河内の墳墓の地を初めて訪ねたのは、東京で私と出会ってからであった。その折の印象が殊のほか強かったと聞いている。伯父の乱れた文字を読みながら、人の生き死にを想った。

 

今朝は老犬MIXの鳴き声で起こされたが、ちょどいい頃合いの時刻であった。やおら弁当作りとなった。
昨日は午後から訪問続きであったので、Kの弁当箱を持ち帰れなかった。そんな所為でKの弁当は、オムスビとする。家人と長女はお弁当箱である。

菜は「ホタテとエビのフライ」と「鶏肉煮」となった。フライの部は茄子とサヤエンドウの素揚げも作る。鶏肉には大根・人参・タマネギが少々と茄子まで入ったが、途中からトマトを加えてトマト煮なった。目まぐるしいことこの上なし。

                   

フライ用の残ったパン粉・小麦粉と刻みネギに卵も加えてチジミを焼くが、チジミと云うよりはホットケーキ、更に見栄を張った云い方ならモンサンミッシェルの参道に並ぶ店の名物「オムレツ」のような塩梅であった。厚さとふんわりとした味わいは中々のものである。

                        

「紅鮭」二切れを焼き、ジャコに醤油をまぶしてオムスビの具とする。Kのオムスビは三個であった。

        

最後にスムージーを作るが「トマト・ミカン(ポンカン)二個・キャベツ」であった。色合い良く、美味しいが、ミカンの袋が残って想定内のことながらも舌触りがよくない。安もののミキサーを使っているので致し方なし。

                                    

 

明日土曜日の昼、渡邊一雄氏の「喜寿&出版記念」のお祝いが如水会館で行われる。氏の母校の会館であろが、七十七歳にして元気の塊のような方である。二十年前、社会貢献活動の仕事に就いて以来、ご厚誼を頂いてきた。当社とは、私が入社前からのご縁であり顧問の名刺を持ってもらっている。どんな会となるのか、楽しみである。

 

 

 

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