2/2(火) 昨日の寒さとうってかわり、今日はおだやかな天候となった。それにも関らず、エヤコンの温度を27°に設定したまま眠り朝を迎えていた。これじゃ喉も傷めよう・・・。
昨夜は七時半に「ローカーボ」を覘き、ハイボールを二杯だけ。常連のマッチャン、NAKAMURAさん、KATOちゃんが仲良く並んで盛り上がっていた?。と云うのも、話題はNAKAMURAさんの階段落ち、尾骶骨骨折だった。NKAさんは、金曜日だかの深夜に酔っ払って階段から転がり落ちたそうだ。
二日も痛いのを我慢し、この日に病院に行くと「尾骶骨」が折れてますとの診断だったとか。それでも酒が飲める程度だから、不幸中の幸いと云えるかも。流石のNAKAさんも、この夜の引き上げは早かった。私も二杯で切り上げ、「ちょっぷく」に顔をだした。
暫くは飯も酒も控えめに、押さえて暮らそうと、朝の通勤電車の中で決意したのだ。所詮私の決意なんぞは、タンポポの種子よりもガチョウの和毛よりも軽いに決まっているが。それでも、決意の初日だ。夜は喰い物を口にしないように、アルコールも五杯以内に止めるのだ・・・・。
「ちょっぷく」は、すでにひと盛りが過ぎたとかで平穏。この寒さじゃ、遅くまで飲む客は少ないと云う。YAMAちゃん店長が「チーフのヨっちゃんがお休みするので、土曜日の人手が足りないんだよ。手伝いに来てよ」と言う。
『俺なんかがいても役に立たんぜ。ミムラッチが手伝うだろうから間に合うだろう? 』と言ったが、それだけでは手が足りないようだ。いろいろ手当はするだろうから、その結果次第だが。役立たずのOYAJIも助っ人に刈りだされるかもしれん。となれば、土曜日「ちょっぷく」にランチ食べに来いよ!
固い決意、誓いの初日は、切り上げが早かった。学芸大学駅に着いたのは22時25分。改札前の東急ストアで、弁当用の菜「トンカツ&牛ステーキ」を一枚づづ買ってから帰宅した。小雨がパラつき寒かった・・・。
で、今朝の弁当作りは6時30分からである。昨夜方針決定を下したとおり「牛カツ&トンカツ」と「牛ステーキ」がメインである。牛と言っても、アメリカンビーフの安物だから、旨いとは思えない。其処で、半分だけ牛カツにしたと云う訳だ。
ピーマンの肉詰めも作る気でいたが、どうも弁当に収まりきらん。と、断念する。代わりに「キャベツ&胡瓜の浅漬け」が急遽登場となった。この他の野菜と云えば、フライパンで焼いたズッキーニと、素揚げしたスナップエンドウだけだ。
焼き物は、シンプルに「塩秋刀魚の丸干し」「タラコ焼き」、以上。定番の「卵焼き」(これも畑の焼芋と同様に、上手になったようだ)。以上が今日のラインナップ。
弁当を見た長女が、「うわ~超美味そう!」と言いやがった。こいつはノー天気だけに、人をノセルのが妙に上手いときがある。善い性格、幸せな性格といえば言える。オイラの方は、褒めるのもノセルのも出来ない、真っ正直に歪んだ性格だからネ!(これって、どういう性格?)
年が明けて一月が経過した。年末に積み残した何人かに会うつもりだが、未だアポイントもとっていない。面倒なのか、腰が引けているのか・・・・。そんな中で、一つだけ予定が決まったものがある。「前島七郎先生」の、自伝出版祝いの日程である。スケジュール調整を頼んだ斉藤光顕君が手際よく動いてくれた結果である。
大正14年生まれの前島先生は、九十歳になられた。「我が剣道人生 ~90歳 感謝を込めて~」と云う自伝を、昨年出版された。その数年前に、この本のベースと思える自伝を、ワープロ書きで手作りされている。先生が郷里の岩手県・水沢を後にして上京されたのは小学六年生。長姉の嫁ぎ先へ養子として入るためだ。
それからの先生の人生が、電電公社時代の仕事、剣道とその思いが、九十年の軌跡が記された自伝。その中には私が伺い知れなかったこと、拝読して初めて『そうだったのか』と、得心することが多々であった。因みに、私が先生を知ったのは四十年余前である。勿論、剣道を通じてであったが。そのご縁で、仕事の上でも色んな局面でご指導を頂いた。
墨田体育館の道場で稽古を終えた後。当時、江東区千石に在った先生の自宅に押しかけて、奥様の手を煩わせたことも何度か。大手町の郵政局の道場で、昼休みのひと時に一緒に稽古をしたのも、四十年も前のこととなった。先生は一貫して、剣道を愛し、部員を気遣って下さった。古参のOBとなった今は、そのことを伝えていく義務が、私や斉藤君には課せられている。
ここ数年、剣道関係から足を遠ざけていたので、先生の自伝出版のことを知らなかった。昨年末に、某社の剣道部忘年会で斉藤君から自伝のことを聞き、本の入手と「出版祝い」のことを相談した。快諾を貰い、この度、日程が決まった次第だ。
斉藤君にお願いしたのは、ご高齢になられた先生のこと由、なるべくご自宅に近い会場と、早い時間のスタートである。
然し、未だ数件のアポ取りと訪問計画に向けて動こうとしない私がいる。腰の重さよ、頭の軽さ・・・・・。