オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

河津桜

2016-02-01 | Weblog

2/1(月) 玄関先の大きめの木鉢に「河津桜」が一本植わっている。十余年前になるか、河津桜が満開の時期にHIROさんとHANAOKA女史の三人で、川沿いの並木を歩いた。その帰り、河津駅の手前に店を出していた植木屋で小さな一本を贖った。それを鉢に植え、二度ほど鉢を大きくしたが、樹の成長は2メートル足らずで止まった。この樹に花が咲いた。未だ一輪だけだが、これまでより一月ほど早い開花である。

                           

前夜、湯ヶ島のしけた民宿に漸う泊まることができた。翌朝、天城峠からループ橋を下るバスで湯ヶ野へ。湯ケ野温泉の七滝を巡ってから河津川の両岸に咲く桜並木へと向かった。河津に着くと、小雨が雪に変わった。それも情緒よく舞うような雪でなく、簾のような雪が一時つづいた。茶店で雪宿りをし、桜並木を河口へと歩いた。メジロが花の蜜を追って、枝枝を縫うように行き交う姿が目に残っている。

それは、サラリーマンを辞める直前の連休のことでなかったか。二月か三月のことであろう。とすれば、河津桜が玄関先の鉢に植えられてから十五年となる。十五回目の花を咲かしたと云いたい処だが、未だ小さかった数年は花を点けなかった。花をつけ始めてからも、花の咲きはじめるのは二月下旬だった。今年は半月も前から蕾が膨らみ、一月の末には一輪と云えども花を開いたのだ。樹の成長の所為なのか、気候の所為か…。

この小さな河津桜が咲くと、あの早春の日のことを。あの時代の一つひとつのシーンを思いださせる。作家であれば、そのシーンの一つひとつを描き出すであろうが、幸せなことに私は作家ではない。しかしながら、この花が咲くとあの時代のことに触れたいのだ。ほんの少しでも・・・・・。

 

今日は、長女は仕事が休みだとか。弁当は、家人用の一つで足りる。六時前に目覚め、台所に入ったのは六時三十分。今日のメニューは「鶏肉と根菜の煮物」、根菜は大根と人参である。これが、メインメニューと云えようか。

                              

サイドメニューは「茄子と豚肉の味噌炒め」、焼き物は「鯖文化干し・紅鮭のカマ・鯛刺しのオリーブ焼き」である。鯛は前夜の残り刺身である。焼き魚系は多すぎだね。小松菜のお浸しと、スクランブル風の卵焼きである。

                         

弁当の必要数は一つだからね。菜は余る、残る。それを食す、朝から飯を喰らうと云う次第で、三段論法ならぬ、三段腹手法となるのだ。

 

土曜日の午前は雨だった。その雨をものともせず、築地に参じたのはKISHIMOTO大兄である。築地場内市場への初お目文字。その介添え役と云えば大仰だが、案内役を務めることに相成ったのだ。

商売人の邪魔にならぬように遅め、場内の店仕舞い頃に入った。半回り程市場を案内し、何時もの「原秀」で鯛・イカ・柳カレイを、「北田」でイクラ・タラコに鮭の切り身を買った。店先で見切り売りをしていたマグロのブツもついでにゲット。貧乏人の性で、ついつい買ってしまうのだ。

そして「愛養」でコーヒーを飲み(いつもほど旨く感じなかった?)、十時過ぎに開く「緑明軒」でフライを肴にビール。波除神社側の裏門から出て、場外の卵焼き専門店「松露」にて卵焼きを買っての帰宅。これで、今夜は「手巻き寿司」の夕食となった。

鯛もイカも、柳カレイも全て美味かった。タイのウロコ取りと骨を切るのには一苦労したが、潮汁も上々の味に仕上がった。新鮮なものは美味いね!

                               

昼前、引き上げる頃には雨は上っていた。この日の夕食には、長女&次女一家まで勢揃いしてにぎやかな晩飯会となった。誰が連絡したんだ?

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする