3/1日、8時に石垣島離島港を出発、45分の船旅で西表島・大原港に着いた後、「朝得コース」に参加した七人は、仲間川のマングローブ観光を終え、大原港に戻った。そこからバスに乗って、西表ヤマネコの住むジャングルの山裾を走り由布島へと渡る岸辺に向かった。
大型の観光バスを運転するのは、なんと観光船を操船していた人だった。『なんでもやるんですね』と云うと、「こっちの方が本業ですと」応えた。島に二か所しかないという信号を左折して由不島へと向かう。島に渡る岸辺まで三十分程であったろうか。ヤマネコや冠ワシのこと、周辺の集落について案内を貰いながらゆっくりとバスは走る。
岸辺の駐車場に入り、すぐ目の前に待つ「水牛車」へと向かった。海辺は少し汐が引き始めたようだが、砂の色の所為か海底は見えない。牛車が十台ほど客待ちをしていた。目の前に浮かぶ由布島の浜辺に、同じような牛車が数台見える。海を渡って行く牛車が彼方に一台。
由布島は、西表島の東海岸から400m先に浮かぶ、周囲2.15kmの島だとか。戦後に入植者が住み、学校も出来ていたそうだが、昭和三十年代に台風被害で島は水浸しとなり、その後、島民は対岸へと村ごと移住。現在は観光の島で、常住するものはいないそうだ。
丁度こちらから島へ渡る観光客がバスから降りてきた。我等は小さな牛車に乗る。一番前に陣取った。十五歳とか云うメスの水牛とか、馭者は三十代とおぼしき若者(私達からすると)だった。水に入り十歩ほど歩むと、水牛が立ち止った。すると「水牛は水に入ると必ずオシッコをします」との説明があり、牛は長~い、そして大量の放尿をしたのである。一番前のオイラは堪ったもんじゃない。が、前の羽根板を揚げたので被害はなかった。
この後直ぐに、大放尿が!
然し、大量の放尿は見事だった。加えて、少し歩んで今度は脱糞をしやがった。「これもあれも、豊穣の海の源となります」と・・・・・。
そして、載せていた三線を手にし「下手ですが、島唄を三曲だけ唄えます。ご希望があれば言ってください」と、沖縄民謡を上げた。誰も声を発しない、ではと小生は「十九の春」を所望した。
馭者の若者は声を張り上げ、三線をつま弾いた。三番まで、きっちりと唄ってくれた。張りのある、よく通る声で、味わいがあった。目の前に浮かぶ小さな島、浅海を足下にゆったりと進み、南の国らしい雰囲気が漂う・・・・。凡そ、十分ほどで渡った。水牛はおとなしくて力持ち、水を恐れない。だから水牛か!
島内での滞在時間は40分、この短い時間内で島を巡るのだが・・・。亜熱帯植物が茂り、ブーゲンビリヤの植物園があるだけの島である。売店や土産物、水牛が休んでいる公園があるだけの島であった。植物園を覗き、小浜島を望む茶店でソフトクリームを口にして、砂浜にでて霞む小浜島を眺める。
そして、水牛車で戻るべく集合場所に戻った。また、水牛車で元の浜に戻る。今度の馭者は年配の爺さん風である。訊くと、島の観光に従事しているのは五十人ほどとか。水牛車は二十台とのこと。ハイシーズンにはアルバイトが来ると云う。ここで用済みになった水牛は、竹富島で牛車(これは集落を廻るだけ)を引くとか。水の中を歩むには、相応の力が要るようだ。
浜に待つ、観光バスに乗り込んで元の大原港に向かう。途中の電線に「冠ワシ」が羽根を休めていた。「皆さん運が良いですね」とは、ガイドの運転手の言葉。暫く、バスを止めてくれた。冠ワシは、ワシ類の中でも一番小形のワシだとか。どうりで、このワシをシンボルにする石垣島出身のプロボクサー具志堅も、軽量級だった。
西表ヤマネコを昼間に見ることはないそうだ。時々観光客が、路上のネコを見てヤマネコと騒ぎ、喜ぶことが間々あるそうだが「家ネコ」だと訂正してやると云う。山際の道路に、ところどころ滑り止めのような凹凸がある。これは、ヤマネコの横断に気を使わせるための仕掛けだとか。この島に住んで十五年なんると云う運転手でさえ、ヤマネコを見たのは数回しかないそうだ。
そして、大原港に着いた。予定通り、12:40分発の船で石垣港に戻った。出発前には、遅い船にして港周辺の見どころを廻りたいと思ったりしていたのだが…、廻りには何の見所もなかったのだ。
石垣に戻り、小浜島に渡りたかった。明日の朝は空港に向かうのだから。されど時間がない、船の連絡が上手くつかない。宿のある竹富島に戻ることにした。そして港のすぐ脇から出る、グラスボートにでも乗ってみることを思いたった。
竹富港に着くと、珊瑚礁や魚を見るボートの出航直前。連絡船と連携しているのだ。1200円を払って、グラスボートに乗った。船の真ん中が強化ガラスかプラスチック?両脇に客は並んで座り覘く仕組みだった。300m程先が珊瑚礁で、泳ぐ魚を亜熱帯の魚を上から覘く。天候の所為で海水は濁り気味、空は曇り空。この日の条件は良くない。
それでも、亜熱帯の彩をした小魚や、大きめの蒼黒い魚の泳ぐ姿が。珊瑚礁を見ることができた。一時、サンゴの絶滅が心配されたとのことだが、生えてきているとのことだ。帰り際、小さな海蛇が身をくねらせて泳ぎ去った。一瞬のことであったが。ここでも餌付けをしているとのことだが、ウミヘビの餌付けは無理だろう。
明けた三月二日、帰京の日である。九時発の連絡船に乗船するために、港へと送ってもらう。短い間であったが、世話になったホテルの前を、何もない風景撮る。
来た時と同じように、石垣港前からバスで空港へ。昼に発つ便に搭乗前の食事を摂る。何を血迷ったか「握り寿司」にした。そして、オリオンビールの生を流し込んだ。ANAの最後部の機窓から、さよなら、サヨナラと八重山諸島の島々に別れを告げた。
お仕舞!
明日から帰省します。お彼岸と第一回の草刈りがまってますので・・・。帰京は、21日の夕刻となります。それまで、さよならサヨナです。