オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

図らずも・・・ &西表島 1

2017-03-10 | Weblog

 2月末の28日、16時50分波照間港を発ち石垣港に向かう。船は来た時と同様にエンジン音を轟かせ、ガタピシ音をさせて疾駆した。時折、後方から飛沫が舞ってきた。予定どおり、18時前に石垣港に入った。これまでは上々の経過と云えた。

さて、石垣港からホテルを取っている竹富島へ戻ろう・・・と、チケット売り場へ。なっなんと、連絡の船は既に最終便が発っていたのだ。訊くと、17:30分が最終であった。時刻表は見ていたが、午後の7時30分まであると勘違いをしていた訳だ。

これじゃ島に帰りようがない。諦めてホテルに連絡をし、晩飯の不要と帰れない旨を伝えた。すると、港の近くに系列のホテルが在るとのこと。これからホテルを探すのも面倒と、其処へ予約を入れてもらった。これじゃ波照間島に泊まっても同じようなものと、思いがちだがそうは簡単にいかない。と云うのも、海が荒れれば船が止まる。よしんば動いたとしても、翌日に石垣港に戻れるのは10時頃となる。遅くなるので、その日の行動が立ちずらい。

波照間へは、一日三往復の便しかない。いや飛行機便が石垣との間にあるはずだが、状況を把握していない。費用の問題も?

兎も角この日は石垣島泊だ。明日の行動予定を立てるべく、西表島への便や観光コースを確認する。と、朝、8時発で西表・大原港に向い、マングローブの仲間川をクルーズ、そこから由布島へと水牛車に乗って渡る「朝得コース」と云うのがあった。これだと、午後の13:30には石垣港に戻れ、市内を廻る時間も取れる。このコースを申し込むことにした。

案内所でコースの空き状況を訊く。と、「確約はできないが申し込は受けます。明朝の7時40分までに来てください」と、これまた心もとない話だった。今更どうしょうもない、明日明日の風さと、ホテルへ向かった。渡された鍵の部屋は、竹富島のホテルとは大違いで、これまで泊まったビジネスホテルでも最下位のクラスだった。

文句は言えない、5500円で朝食付だ。それに港に近いので明日の朝が心配ない。狭いバスだが、汐っ気を取るためゆっくりと温まった。肌寒いくらいの気温になっていたのだ。風呂の後は飯だと、外へ出た。波照間では飯を食いそびれ、な~んもないとこだったからね。

この食事&一杯やれるそうな店を探すのにひと苦労する。一人だかねぇ~、大きな店だと肩身が狭い。手頃な店を見付けて入ると、満席。遠くまで足を延ばすほどの気もない。結局ホテルの前に在った「ワンコイン食堂」(ラーメン屋のようなとこだった)と云う二階にある店に入った。

八重山ソバのハーフに、摘みは餃子と三点セットの小鉢。オリオンビールと泡盛二種、〆て4100円也。黒真珠という泡盛、度数43°が美味かったよ

                             

以上で、石垣島の夜は更けていった。しずかに閑に、と言いたい処だが。通りを隔てた向こう側に飲み屋が何軒かあった。ここに出入りの客の声が響いてくる。五階の部屋まで・・・・。深夜まで・・・。沖縄人の夜は遅いと聞いてはいたが、なんと起床した六時前までつづいたのだ。六時前「それじゃ~またね」とか言ってるんだ。元気あるよなっ!

  ― 西表島 1―

7:30港のチケット売り場に行き、西表島「朝得コース」なるチケット購入した。昨夕の話では、チケッの残枚数が僅かなようなことを言っていた。が、何の心配もなくチケットを渡された。8時初~13:30前に石垣港に戻る「マングローブクルーズと由布島」朝得コースと云うやつで、8900円也。

混んでいるかと思いきや、西表島・大原港に着き案内人の処に集まったのはたった7人、これに現地からマングローブ船に乗った3人の10人で直ぐに出航、といっても連絡船のような観光船。皆との右手が仲間川の河口で、緩やな川は喫水域が相当奥までつづいている。その河口からマングローブの林が、種類ごとに群落をつくってつづく。

              

薄日がさし、乗り合った人数も少なく、満潮と重なった穏やかな河口をゆっくりと船は遡上した。船長兼ガイドがマングローブやこの地域の植生について説明をする。落ち着いた声で、判り易い。地元出身者でなく、この土地が気にいって長く住み着いた。そんな雰囲気が漂う中年の男である。   

               

一時間足らずの短い舟遊びと云えようか。それでものんびりとしたひと時を、十分に楽しむことができた。これはお奨めできます。我々の乗船した船は、乗客はたったの十人、前後左右と、景色を堪能できた。クルーズ船が引き返す辺りの水の色は、それまでのブルーとは異なり、土色をしていた。

                         

 

我らが港に戻る時にすれ違ったクルーズ船は、どれもこれも満員。多分、旅行会社の主催するツアー客であろう。我等の、船での自由さと比べると気の毒になるほどだった。

出航した時の満潮から、徐々に汐水が引いて行く時間へと変わっている。干潮になるとクルーズ船は途中までしか遡上できないとのことだ。それでか、午後出発の「午後得コース」が全て中止になっているのは。と、合点がいった。

 

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一生に一度・・・

2017-03-10 | Weblog

3/10(金) 昨晩、高知で松葉焼きのカツオタタキを製造販売している四万十川物産の若社長、AMENOMORI氏が上京。昨年、奈加野で知人から紹介され、販売しているタタキを頂戴したことがある。上京の折には一杯やりましょう、と伝えてあった。上京のメールを貰い、土佐料理の銀座・祢保希(ネボケ)で待ち合わせた。

一杯やりながら商売のことなど聞き、感心した。うちの子供建ちの年齢ながら、二代目社長として家業の発展に尽くしておられることがよく分かった。飲食店への販路も開拓したいと云う。扱い量や価格面での難しさはあろうが、リサーチとしてなら役立つかもしれない、そんな思いから人形町の安酒場を紹介することにした。

銀座なので、「祢保希」から直ぐの「順」に案内する予定であったが、商売の方が先決と、人形町に戻った次第だ。和食の「うまし」に電話をいれると、満席とのこと。先ずは「ちょっぷく」にてと、そこに向かった。パトロール隊のHOYA兄い、マッチャンと下部チーム(年齢でだ)にあたる、IMAEも加わって賑やかな宴になった。

先ずはYAMAちゃん店長に、タタキのことをぶつけるが・・・・。予想したように、価格と客の嗜好がどうか?となった。サンプル商品を送り、是非を検討してもらうように押し込んだが・・・。摘みとして並ぶと、俺たちが喰わされるのは必定だネ!

一時間ほどし、「うまし」から席が空いたとの連絡が入った。全員で「うまし」へ移動。移動距離は100mほどなのだ。「うまし」の一番奥のテーブルに陣取り、マッチャンのボトルを飲んで店が隙くのを待った。若いIMAE君がすっかり肴にされる・・・。オイラも余計なことを云う「若い時は銭と時間を使って男を磨け」そんなようなことを言ったか。

                            

頃あいに店主にテーブルまで足を運んでもらい、カツオタタキのことをお願いする。ここにもサンプルを送ることになった。すっかり出来上がって、お開きにしたのはいいが、勘定をしようとしたら「若い人が払いました」とのこと。店主にひと言、余計なことを伝えた『俺が客を連れてきたときは、支払いは俺なんだ』と。

どうやらIMAE君が支払ったようだ。今夜ばかりは申し訳ないことをした。いずれ、倍返しをしなくちゃなるまい・・・。

連れ立って駅の方へと向かう・・・、「ちょっぷく」も店仕舞いの時間だが・・・。店長が客送って出てきたところにでくわした。これが運の尽きさ。他のメンバーは帰ったが、オイラは腕を取られて店の中へと拉致されてしまったのだ。前夜はこっちが居座ったが、その意趣返しとばかりにカラオケが用意された。

YAMAちゃん店長と、助っ人ミムラッチの三人の宴が始まってしまった。近頃、店長の酒がすすみすぎる。脳梗塞や脳出血をやっているので、飲み過ぎるなと忠告しているのだが・・・、心配するよ。

                         

銀座に向かう前、店先に寄って『今夜は銀座だ、人形町には戻らないからな』と、「近いじゃないか、来いよ」『駄目だネ、戻れないよ』 そんなセリフ吐いて出掛けたのになぁ~。

結局、終電ギリギリまで店に。店長は、今夜も店で一人寝・・・・だろうな?。

メトロ、東横線と終電を乗り継ぎ、今夜も25時を過ぎての帰還となった。終電に深く座って浮かんだのは、「明日は孫のSORAの卒園式だったな、行ってみるか」だった。一週間ほど前に長女から聞いたが、行かないよ、と応えたのだが・・・・・。

 ― 一生に一度だから・・・ ―

朝、弁当を作りながら『SORAの卒園式に行ってみるよ』と、家人に伝えた。「そう、お願いね」につづいて「自分の子供の時は、そんなことは一度もなかってのにね。変わるもんだね!」ときた。

『卒園式は一生に一度。今という時間も一生に一度だ。先が短くなった分だけ、その一瞬の時を大事にしたい。そんな風になったのかもな』そんな応えをした。十時からの卒園式、園に着くと子供建ちが清冽して会場に入る前であった。親たちは、母親は椅子に座って式の始まりを、父親たちは全員が立ってカメラを構えていた。

                                   

 さて、弁当だ。今朝の起床は、目覚めは遅かった。目が覚めて時計を見た。六時十五分か?起きなきゃ。そう思い、改めて時計を見た。なんと、それは七時十五分だった。大急ぎで蒲団をで、台所に向かった。今日も野菜中心か、なににすればいいんだ?と。

鍋で米を炊く用意をし、野菜を冷蔵庫から取り出す。トマト・シメジ・スナップエンドウ・タマネギ・ホウレンソウ・人参・ジャガイモと。鍋で湯を沸かす。茹でる煮る、両面睨みの体制だ。其処でハタと気付く。今日は長女の弁当が要らないんだと。娘の卒園式だもんな・・・・。

とは云っても、準備したものは戻せない。野菜メインの弁当だ・・・。肉系はアグー豚の「ハンバーグ」、そしてウインナーを炒める。ホウレン草のお浸しj「ジャーマンポテト」「茹でインゲン・スナップとセロリのサラダ」「茹で卵」、以上となった。

                        

 

かくなる優雅な朝と午前を過ごし、暖かな日差しのなかを会社へと向かう。人形町駅から会社までの五分程の中間に、スターバックスが在る。十年程前の有る不愉快な出来事を境に、スタバは使わなくなっていた。が、先日、SHIMADAさんからの便りの中にスタバのカードが同封されていた。

届いたカードはカバンの中に仕舞っておいた。今日のおだやかな気持ちと、陽気。プリペィドカードを贈ってくれたSHIMADAさんへの感謝もあり、これまでの禁を解いて、スタバの店内に入った。『こんなカード貰ったけど、使えるかな』と、カード出してカフェラテをオーダーした。

そしてカードと伴に、残額はこれにとレシートが渡された。なんと大枚の額が印字されていたのだ。

                           

有難とうございますと深謝するばかりだが、年金暮らしの方にお気遣いを頂いて申し訳がない。その気持ちの方が強い。便りには、膝が痛くなって散歩もままならいとあったが、何時までも元気でいてほしい。サラリーマンの現役時代、ご苦労を掛け助けて貰った方である。

礼の葉書に『酒ばかり飲んでないで、コーヒーにしなさい。ということかな ? 』と記したが・・・・・。もうそんなには飲めなくなりましたよ。

 

 

 

 

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