オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

炒飯&焼肉弁

2017-06-01 | Weblog

6/1(木) 今日は大安とのことで、なんとグリーンジャンボ宝くじを買っちまった。貧乏人の神頼みならぬ、運がよけりゃの運任せ。五百円玉をセッセッと貯めてもジャンボの一等賞まで行きつくにゃ、人生を百回ぐらいやらなきゃならいからねぇ~。宝くじよりは、競艇の方が圧倒的に確率がいいんだが・・・・。

その昔、宝くじで10万円(一等の組違い)が当ったことがあった。二度、だけだが。仲間うちにポロッと喋ったら、あっと云う間に飲み代に消えたが。ジャンボを買うのはお祭りに参加するようなものだが、組違い賞じゃ、しょうがないんで、どうせ当るなら少々飲み歩いても大丈夫なぐらい当てたいもんだネ

宝くじと云えば、「これが当ったらARIさんに2千万進呈し、スタッフをハワイ旅行に招待する」と公言していた、USUI老と云う人物が、以前、当社に在籍した。当らぬままに退社となったが・・・、その気持ちだけで明るくなるよ。幸か不幸か、私には分けてやる相手がない!(誰だ!私にって手を揚げたのは)。

昔の仲間と云えば、昨夕池袋にてKIYOTA大兄、KOSHIBA氏、TAKAHASHI君と会った。K大兄のご指定で、駅ちかのアイリッシュパブでギネスを飲む会となった。相変わらずの駄法螺大会で大笑いの連続。そんな中で、K氏の奥様が二年半前に逝去、そしてご当人は四年前から大腸癌で人工肛門になったという。

人生いろいろ、生きていればいろんなことが有るさ。それでも生きるしかない。そんな落としどころであったか。かく云うK大兄も、脳梗塞や頸椎損傷をやり、歩き方が通常じゃない。リハビリを相当やっているそうだが、体の衰えが早いようだ。T君は、何の悩み故か定かでないが、五円禿が凄かったことがある。オイラの方は、誰も覗けない心の闇を抱えたままさ・・・?。

平成と云う時代に代わった頃、我等はグループの同じ会社に勤めた。その後、K大兄とK氏は、一時、当社に籍を置いたことがある。そんな仲間が久々に顔を合わせて、昔話と法螺話で宵のひと時を楽しんだ次第。

人形町に戻れコールを振り切って帰宅の途についた。何故か知らぬが、気が付けば電車は自由ケ丘駅を発車していた。田園調布駅から学芸大学まで戻った。それほど飲んだ分けでもないに、面々の毒気にでも当てられたか?どうせ当たるなら・・・競艇かジャンボクジに当りたいものだ。

そんな訳で、昨夜は早くに蒲団に入った。目が覚めると2:55分だった。夢見が悪かったようだ。次に目覚めると3:40頃か。ラジオ深夜便から、ちあきなおみの「カモメの街」が流れていた。懐かしかぁ~、そこから悶々と眠れず・・・・。眠れなかったのは唄に関係なし!

台所に入ったのは六時。今日は二人分の弁当である。残りご飯があったので「炒飯」弁当に決める。

                            

昨日につづきメインは「焼き肉」、魚は「ギンダラの粕漬けとタラコ焼き」、オクラをオリーブオイルでソテー、最後の板カマを切る。卵焼きは、小ネギ入りの出汁巻。以上。

                    

 

六月に入ったので、今夜は「セイジュ」を応援する友の会、キックオフ会をやるのだ。主要メンバーが仕事や入院で欠けるが、切のいいとこで始めないとズルズルになるからネ。

一月、1万円はきついとか、メリットが少ないとか四の五の云うやつもいるが、要は「入るか、入らないか」だ。経済的にきつければ、救済方法はできるだろうが・・・・。この企画は」昭和レトロな街の灯を消すな」だ。皆で盛り上げるからこそ、意味があり、灯は燈りつづくのだ 。みんなで渡れば怖くない、って言うジャン!?。

 

 

 

 

 

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