6/6(火) 昨晩は昼間の快晴からうって変わり、雷雨となった。人形町を出た時は降ってなかったが、地下鉄の目黒駅を出て雅叙園に向おうとする頃に降りだしたのか、地下鉄へと向かうエスカレーターを降りてくる人はみな傘を提げていた。
表に出ると、未だポツポツの雨模様。西の空に少し青空が見えた。これで上がるのかと思い、傘もささずに行人坂を下って雅叙園へ向かうと、坂道はタップリの雨を流した後の気配が残っていた。
この夕、ホテルの宴会場で郷里にまつわるイベント「南国土佐まつりin東京」と云うイベント(懇親会)が開催された。このイベントに先輩が関わっており、義理で顔を出した。友人のT物産社長O氏、氏の取引先でもあり同郷のJR系の団体会長Y氏、渋谷・奈加野のオヤジとその友人、等々の顔見知りが十人程来ていた。
五百人は集めると聞いていたが、参加者はその半分以下。お粗末感は拭えなかった。地元から県会議長、県選出の代議士・N前防衛大臣の挨拶や、県内への移住PRなどの後、懇親会が始まった。挨拶をしたい人もない、食い物も手の込んだものはなし、ビールは本数制限と云われて足りない。日本酒だけは、地元の酒造メーカーの協賛で多々あったようだが・・・・。
宴会場が狭い、その狭い中に招待客用の大テーブル席を設えて三分の一も占めていた。演壇の前は大テーブルでガランとし、後ろの立食テーブルは狭くてしょうがない。最悪のパーティ設営と思った。誘った友人に申し訳ない、気の毒をした。
途中から招待席に座りこんだが、喫煙所が一階ということもあり、ほどほどで退席することにした。席を知り合いに明け渡し、O氏と下に降りて一服。外はいつの間にか本降りになっていた。
ホテルに入る前は上がるかと思っていた雨だが。ホテルに着いてすぐ、「順」のママから電話があった。「今、銀座は雷雨で酷いですよ」と。『目黒は雨が上りそうな気配だよ」なんて、応えたのに・・・・。宴席にいるあいだに土砂降りか?
ホテルの送迎バス乗り場も人の列、タクシーにも長い列が出来ていた。O氏と、ロービーの椅子に戻って暫しの雑談。週末は疲れたと云うので『ゴルフの出来が悪かったのかい』と訊くと、なんと、彼の次男が土曜日、札幌で結婚式を挙げたとのことだった。「言ってなかったかな?」と言う、『いや、覚えがないよ。尤も、かなりボケてるから忘れたかも』。
O氏は、家庭のこと会社のこと、大概のことは話す。次男が彼女を連れて来た、と云う話は聞いていた。次男の転職のことも、札幌勤務になったこと等も。大抵ののことは覚えているが・・・。先週、彼が人形町に来て一緒にコーヒーを飲んだのは金曜日、2日だったはず。その時、今日は誕生日だと言ったので『コーヒー、好きなだけ飲んでよ』なんて冗談をいったが、次男の婚礼は聞かなかったな?お祝いを、なんてことを心配して言わなかった可能性がある。
俺の方は、『このホテルのラウンジはよく来たんだ。以前、この棟続きのオフィス棟(アルコタワー)に友人が勤めるグループ会社あったんで。仕事の打ち合わせは、何時もラウンジでしてたんだ』そんなことを話した。
その友人、YAMAKI君と云うが、彼と一緒に企画を考えたり、彼の会社の仕事を幾つか貰い、こっちも情報を取ってきてマッチングさせた。貸し借りなしのつもりだが、彼が転職した会社でも少し仕事をさせて貰った。その彼も、退職して二年になるか・・・・。
ここであった結婚式は、三度でているはずだ。一番最初は、四十年も前の、剣道の女子部員MOCHIDUKI嬢だった。その時は、建て替え前の雅叙園で、階段を上がった広い座敷で披露宴があった。ズボンの皺が気になったこと、もっちゃんの文金高島田姿を思い出す。
と云うことで、昨夜は人形町パトロールは欠席。今夜も、東横線の日吉まで遠征となるので人形町を空ける。その代り、明日から三連投で穴埋めをしょうよう。
今朝の弁当は「鶏揚げ」「ポテトサラダ」「ギンダラ粕漬け焼き」「茄子・ピーマン・インゲンの素揚げポン酢和え」、以上である。
今日は二人分の弁当になった。