オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

チンジャオロース

2017-06-29 | Weblog

6/29(木) 今日の弁当は「チンジャオロース」がメイン。昨日の生協の配達にあったものだ。肉とタレがセットで、ピーマン&筍を細切りして肉と炒めて、タレを混ぜあわすだけのこと。面白くもないが、在庫豊富なピーマンの消費にはうってつけである。

                             

後は、茄子と胡瓜の塩麹和えで、口安めの品とする。冷凍秋刀魚の塩焼き、ジャーマンポテトと卵焼き、以上で今日の弁当が完成した。

                     

六時に台所に入り、ご飯を仕掛けて菜が出来上がったのは七時。弁当に詰めてから、残った菜とホッカホッカのご飯で一膳。朝から飯の喰い過ぎを心配するが、美味いものは旨い 処が、このごろは飯を喰った後に疲れを感じる。飯はエネルーギーの源ながら、飯を喰うという行為はエネルギーの消費が大きいのだ。されど、飯を喰って草臥れるようじゃ人生もお仕舞か?

                      

 

自分のことはさておき、廻りの連中が思いのほか高齢になっていることに驚く。彼の若者たちが、退職をする年齢になっているのだからネ。

昨日の午前、9:45分に東京駅八重洲改札で後輩のUEDA君と待ち合わせた。前日に上京していた彼が、大阪に帰る前に会おうということになったのだ。彼は、大阪が本社のNグループ会社のの監査役をしているが、今月末で退任することになったとのこと。

ついては、最後に顔を合わせて帰りたいとのことで、新幹線の時間を遅らせた旨の連絡を貰っていた。東京駅地下のフルーツパーラ千疋屋で(こんな店しか開いてなかった)、コ―ヒーを飲みながら来し方行く末を一時間ほど聞いてから別れた。「いいサラリーマン人生を送らせてもらった」と、しみじみと言ったが、そのとおりであろう。

彼とはN社の県人会で顔を合わせて以来、三十五年ぐらいの付き合いになるが、四国・大阪がベースの彼とは東京での単身赴任時代の付き合いが長い。その後、大阪・松山・高松・大阪と勤務した彼とは、その先々に立ち寄り、また東京出張では毎回のように飲んだ。妙に気が合ったのだ。

昨年会った折には、「来年で終わりそうだ」と言ってたが、その年齢になったということだ。サラリーマンの宿命である。退任後は家族が居る高知で暮らすというので、地元で一緒に飲むこともあろう。長い間、ご苦労様でした。

 

そんな午前があり、夕刻には銀座「エスカイヤクラブ」で友人のT物産社長OKAZAKI氏との食事があった。先週の始めに電話を貰って「偶には食事でもどうです」と誘われた。

改まって「食事」と言われるのも珍しい。取引先が日本橋界隈に多い氏とは、毎週のように会う。私が昼食をまともに摂らなくなってからは、専ら喫茶店での雑談が多いが。

今月は氏の会社の決算月である。数字の方は良かったようだし、月末を迎えて食事を摂りながら息抜きの雑談でもと思ったのか・・・・。彼がメンバーのこの店になった。

外の明るさと裏腹な薄暗い店内に入り、バニーちゃんに案内されて席に就いた。バニーガールの衣装は前と変わって、お洒落になったように思ったが、なにせ銀座のここに来たのは五六年ぶりだから、どうだか、記憶も怪しい。

                            

コースの料理を口に運びながら生ビールからハイボールへと。話は具体的な仕事のことと云うより、個と組織を活性化させる方法論。答えが出そうで出ないテーマになっていた。社長にとっての最大の仕事であろうが。

俺たちは結構こんな真面目な話をするんだが、解がでない。尤も解は、行動・実践の結果でしかなかろうが・・・・。そんな真面目な会話のところへ、「三陸産の生ウニは如何です?」と、バニーちゃんが、砕氷の上に載った殻つきのウニを勧めに来た。値段は一つ1500円とのこと。

 ―閑話休題― 『どうせ君の支払いだろうから、貰おうよ』と、バニーちゃんに協力した。大きな皿に乗ってやってきたウニは、美味しゅうございました・・・。

「金曜日に、期の打ち上げと来季に向けたキックオフを某宴会場でやるんだけど。何を話そうかと迷ってる。精神論を話そうかと思うんだが・・・」と云う。

『精神論ね・・・、それよりも具体的なことを伝える方が理解するんじゃないかな。人は自分が理解したいことしか理解しない、だからリアルなことを示し、それの補完としての精神論なら通じやすいんじゃないか。具体的なことが7~8割、リアルを達成するありようとしての精神論が2~3割。そんなとこじゃないかな・・・。』

OKAちゃんも社長になって十年近い。それでも個・組織の活性については悩みは尽きないようだ。何処も同じだろうが・・・・。

『俺なんか大企業育ちで、ヒエラルキーがはっきりしてるとこに長く勤めたろう。今の会社に居る連中の仕事のやり方、考え方、行動様式が未だにわかんねぇ!そんなことがいっぱいあるよ。口で何度言っても理解できないようだし、やらないねぇ~。目の前にあることは出来る、やる。それをより創造的なものしていく、付加価値というかプラスαを生み出すことがやれないんだ。出来ないっていうべきかな。』

「今の会社に入ったのは間違いじゃなかったの?そう思うね。企業体質が出来上がった処に入る、そこから自分のやり方に変えていくのは至難ですよ。だから、今のとこに行くと聞いた時はビックリ。むしろゼロから起業した方がいいと思ってましたよ」

『それはね、これからのビジネスはITだと思ってたからね。そのベースが有る方が仕事を創りだせるだろうとね。ゼロから始めたんじゃ時間と資金が掛かり過ぎるとね。だからベースがあるとこにいったんだが、上手く行かなかった。すべては自分の所為だけどな』

『サラリーマン時代の方が仕事はたくさんできたように思えるね。一人じゃないし、社内・外の知恵も力も使ったしね。』『ただ、生涯現役と云う思いがあったからサラリーマンは辞めたんだ。何があろうが、自己責任だもん』と云ったが、自分だけじゃないというのが重いわな!

「キックオフで話す内余は、もう一度考えてみます」彼はそう言った。

彼との付き合いも長くなった・・・・・三十年余か。彼は社長に就いた後、数年は苦労をした。バブル時代からつづく負の遺産の整理に大ナタを振るって、漸く一息つける時を迎えた。また、新規のビジネス開発に力を注いできたが、今は顧客視点で何が出来るか、すべきかを第一に考えているようだ。

 『毎期毎期、今年は安心だと思ってスタートしたことは一度もない。』そう云うと、「同じですよ。社長と云う立場はそういうものでしょうね。」と応じた。

 

人生いたるところに青山あり、とか云うが、至る所に友人と酒場仲間だけは在る。これ以上のことを、望むべくもなしか・・・・。

 

 

 

 

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