6/21(水) 朝から雨になった。午後には買い物に出たいのだが、相当強い雨になるとの予報が・・・。月末までに区民税の振り込みや、NPO団体・社会福祉団体の年会費の振り込み、更に田舎の実家の屋根の修理代と今月は支払いが目白押しだ。
五月は車検が有り、田舎の固定資産税、OB団体や加入団体の会費と振り込みをしたが、こう多いと漏れているのがあるのじゃないかと心配になる。そんな中で、昨晩は地球市民の会副理事長のOONO氏が上京。氏から、少額ながらも氏が経営する障がい者自立支援事業の配分金を貰った。
この事業の立ち上げの折に出資を依頼されたので、求めに応じた。まさか配分金が出るようになるとは期待してなかったが、毎年この時期になると前年度の収支報告と一緒に封筒入りの金員を持参する。まあ頂いた金が飲み代になると云うことだ。
昨夕、上野精養軒で今月でグループ会社の社長を退任する後輩の退職慰労会があった。丁度、精養軒に着いたタイミングでOONO氏からの電話が入った。それまで、氏が上京することを忘れていた。
十日ほど前か、上京する旨を聞かされていた。その折には、遅くなるが会えるとだろうと返事をし、当日に電話をするように伝えた。そのスケジュールを記してなかったのだ。電話に出て、そのことを思い出したと云う体たらくだ。退職慰労会の方は、お開き前に失礼をすることになった。
OONO氏とは、何度か案内をした「ローカーボ」で落ち合うことにした。上野から人形町に戻ったのは午後八時前。ハイボールを飲みながら氏が現れるのを待った。ホテルを取った浅草橋の中華屋で、店主との会話が長引いたと、遅れて来た氏と、飲みながら状況を聞く。そして、会の事業活動についての意見交換や、創立者、故・古賀武夫の物語の進捗について話した。
話の途中から、執筆中のHASHIMOTO氏に電話をいれたが繋がらなかった。ショートメールで、OONO氏と会っていることを知らせた。後でスマホをみると「早く佐賀へ行けるように頑張ります。飲み過ぎ注意の」のメールが届いていた。早く佐賀へというのは、原稿を早く仕上げてと云うことであろう。初稿、二稿を没にしたので、HASHIMOTO氏も呻吟苦闘つづきであろう・・・・・。体調が優れない氏の、健勝と健闘を祈る。
「ローカーボ」にHOYA兄い、マッチャンが連れ立って現れた。HOYA兄いの知人を交えて飲んでいたようだ。兄いは「四軒目だ」とか言ったが、まだ正体を無くしてはなかった。ローカーボから「ちょっぷく」に移動して白ワインを飲る。解散したのは23時頃じゃなかったか。
学芸大学に着いてから東急ストアで弁当食材を買った。ハンバーグ用の牛挽肉と生ラーメンである。零時に近い帰宅ながら、そのラーメンを喰ってしまった。最悪のパターンだが、これをやるということは酔いがまわった証拠だ。案の定、そのまま椅子で眠り込んだようだ・・・・。
ネコが足を掻き、舐めた。「ニイサン、ここで寝ちゃいけないよ!部屋に行きなさい」とでもいうような、優しい掻き方だった。時計の針は三時十五分を指していた。よたよたと部屋に行き蒲団を敷いた・・・。次の目覚めは六時過ぎだった。連夜の睡眠障害である。これって、病気?障害?自堕落!が適切な診断かな!
今日のメニューは「ハンバーグ」ですよ。その他大勢は「小松菜の胡麻和え」「胡瓜・大葉・茗荷の甘酢和え」「ギンダラ西京漬け焼」、スクランブル風エッグである。
お米を磨ぎ、電気釜へ。次いで、胡瓜をスライスして塩揉みし大葉・茗荷を加えてひと揉みし、砂糖・酢で味加減。そうだ、黑酢を買っとこう。椎茸をバターソテー、小松菜を湯がいて白出汁で胡麻和えにする。
タマネギを刻み、炒める。挽肉に塩胡椒・ナツメッグを振り、炒めたタマネギ・パン粉を黄身を加えて揉み混む。形を整えてフライパンへ。よく揉みこんだ成果か、旨くできたようだ。最後にケチャップ・ウスタ―ソースなどで特製のタレを。
最後にキャベツを千切にし、卵をスクランブル風に焼いてお仕舞にした。ハンバーグは四枚焼いたが、二枚は冷凍庫へ。