オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

あっちに近づいているなぁ~

2017-11-07 | Weblog

11/7(火) 人間て云うやつは、生まれた瞬間から向こう側に渡る時に向っている。とは判っちゃいたが、最近はとみにそれを実感するようになった。こうしている瞬間も、その時に近づいている分けだ・・・・。

これまで碌なことをしてこなかったし、これからもそうであろう。と思うと、今こうして生きていることすらが虚しくなるばかり。

こんなことを記すのも、今朝と云うより深夜に目覚めた。そして思うのは、来し方行く末のことであった。小なりと言えども、一応は会社の代表と云うことになっている。これをどう、誰にバトンタッチしていくか。どうなればスタッフが活き活きとした組織になるか・・・、今更ながらに考えるが、解がでない。私の頭では。

自分が居ない方がいいのか、いることの意味合いはあるのか?自問すればするほど、存在がぼやけてしまうのであった。

こんなボヤキを記しても面白うなかろうが、なるべく正直に記す。それが大事じゃなかろうかと、思った次第だ。どうあれ、この場所に居る時間は区切らなければならい。これ以上の老害を更さないためにも・・・・。

やり残していることは、二つある。一つは、故古賀武夫の物語を世に残すこと。これは今、HASHIMOTO君が必死で進めてくれている。もう一つは、TUGAWAさんの書いた記事を一冊の本にして残すことである。こっちの方は、これからになるが一年を目途に形にしたい。

この二つを実現するためには、今少し体調改善と脳味噌の腐敗進行を押さえる必要がある。酒場巡りもほどほどに、脳内トレーニングに励むしかなかろう。体調の方は、自転車か?。谷垣さんの二の舞にならぬよう気を配りつつ。

 

行きつ戻りつしながら、我が思考は定まらぬ。そして夜明けを迎えた。となれば弁当作りである。気分を変えて、台所へと向かった。

家人から「今日は忙しいのでオムスビにして」と、云われていた。鮭と梅干のオムスビを一つづつがリクエストだった。長女の方は弁当だ。家人は、菜は夜の食事で食すとか。ならば、普通にメニューを考えればいい。

                        

と云うことで、「牛小間と野菜の炒め物」「ジャガイモ・タマネギ・シメジ&ベーコンのソテー」「胡瓜と若布の酢の物」「鮭とギンダラの粕漬け焼」、以上を用意した。卵焼きの代わりに、ゆで卵を付けた。ご飯の上は、椎茸昆布の佃煮だ。

                        

家人の夕食用も考慮して、ちょっと多めに作った次第。それにしても、弁当を食す時間も惜しいとは、忙しいのにも程があるぜ!。変ってやれないのが残念か?幸いか?である。

 

 

 

 

コメント
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