オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

肉食系or魚食系?

2018-06-13 | Weblog

6/13(水) 今朝は五時前に目覚めていた。夢見でも悪かったのか、寝汗を搔いていた。昨夜の帰宅は23時30分前、駅前の東急ストアにて食材を仕入れてからの帰宅だった。買ったのはステーキ肉・鮭・ハマグリ・山東奈に薄揚げであった。〆て2880円だったか?。ハマグリは、遅い時間なので値引きになっていた。

そんなことで、今日も肉がメインの弁当になった。魚は鮭とタラコが一切れづつ、野菜は山東奈と薄揚げの煮物。そして定番の卵焼きだが、趣向を変えてホタテとネギの入った出汁巻卵にした。ハマグリは、味噌汁ばかりじゃ厭きるだろうと、義母の吸い物に。勿論、小生も味したが・・・・。

ちっとは気の利いたものをと思いはするが、器が小さな弁当箱じゃ如何ともし難い。肉&魚に青物、卵焼が基本の構成だが、肉の比重が高くなる傾向だ。今日の山東奈は、スーパーの店先で安かったし、水みずしく感じたので煮物にいいかと買った。処が、チョット煮過ぎてへたれになった。野菜の煮加減は、塩梅は難しい・・・・・。

                      

今朝も二人分の弁当に、義母の朝飯の完成である。今日も美味しく食べて、元気に働いてネ

                   

 

 ― 古賀武夫 伝 ―

古賀武夫さんの伝記本「地球を翔た異風者」を、知人・友人たちに差し上げている。すると、本にまつわることに限らず、いろんな様子が聴ける。中には意外なことも・・・・。

富山の友人MURAI君からは、本が届いたとの連絡につづき、思わぬことが・・・・。昨年の秋に胃ガンとの診断を受け、放射線治療でガンが小さくなった師走に手術をしたとのことであった。もともとやせ形だったが、更に痩せたとの報告であった。食事が摂れないだろうからね・・・・。

そんなことになっているとは露しらず、であった。しばらく音信が途絶えると、思わぬことになっていたが、当人は、なったものはしょうがないと、前向きであったのが救われる思いだった。

HASHIMOTO氏、KATUTA氏、そしてMURAI氏と、時期は異なれど親しい友人が同じ病に罹るとは・・・・。されど、完治の確率は圧倒的に高い、何れ元気な声が届くであろう。

同じく伝記本に因んでだが、その前に前振りがある。昨夕、下り引き先の社長他が来社され、そのご「うまし」にて懇談。それが終わり、同席したスタッフと「ローカーボ」でハイボール。ローカーボにはHOYA兄い、弊社のAOKIに、佐賀の大将NAKAMURAさんが居た。この三人がバラケテ先に帰った。

暫くして私達も引き揚げ。独り駅に向かうすがら「セイジュ」の灯りが目についた。ちょっくら覗いて行くかと、店の扉に近づくと元気な歌声が中から聴こえる。と云うよりは響いてきた・・・・、これやぁ煩そうだ。店に入るの躊躇ったが・・・が、そっと扉を引き覗くと、なんとHOYA兄いと眼が合ったのだ。

なんのことはない、ローカーボに居た三人がマイク合戦の最中であった。此処で会うたが百年目と、遅ればせながら小生も兄いの隣に陣を構えて参戦となった。暫くしてNAKMURA大将が「話があるから、こっちへ来てよ」と呼ぶ・・・。

「ARIサン、あの本とっても良かったよ。あの時代のことを思いだし、途中で何度も涙が出そうになったよ・・・。アリガトウ」と、感極まったかのように礼を言われた。NAKAさんが佐賀に帰る前に本を渡した。向こうに居る間に読んだとのことだった。

NAKAMURAさんと、古賀さんは同年で、同じ佐賀。地球市民の会の草創期、佐賀の青年会議所が応援してくれたことは承知しているし、本にも詳しくでている。NAKAさんはその当時、青年会議所のメンバーとして古賀武夫を支えた一人だったのだ。登場する一人一人、あの時代の熱気が甦ったのであろう。

早速NAKAさんは、FBにもアップしてくれていた。かくの如く、喜んで下さる人がいるのは嬉しい限りである。それも身近に・・・・。

皆さ~ん、読んでますか?。「地球を翔けた異風者 古賀武夫伝]版元は石風社で著者は橋本和喜さん。流通は地方小出版です。お値段は張りますが、それだけの読み応えのある本です。因みに、発行日は6月15日になってます。アマゾンでも書店でも取れます。

 

 

 

 

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