オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

コロッケ&トマト煮

2018-06-15 | Weblog

6/15(金) 週末の金曜日は、雨となった。梅雨に入っている、雨は降ってあたりまえか・・・・。

昨夕、情報誌の発行でお世話になったきた某社を訪問。常務に面会し、御礼など延べた後、懇談であった。後輩のISHI君も同席して、三人で浜松町の酒場へ。尤も、常務との面会の手筈などは彼に依頼したが、店の手配は常務がしてくれたそうな。

この情報誌の案件は、今月で終わった。竜頭蛇尾の終わり方だったのが残念であり、WEBマガジンでの継続などについてジャブしたが・・・・。情報誌のメインコーナー「いまを生きる」の執筆を担当したのはTUGAWAさんである。これまでの掲載を纏め、一冊の本にして出版したい旨の話をし、「いいことですね」と、了解を頂いた。

懇談では、お互いのプロフィールや、実家の整理など多岐にわたった。常務は単身赴任十六年とのことで、酒・メシのことから弁当作りにまで及んだ。

終了した情報誌の発端はこの会社で副社長を務めていたWAKABAYASHIさんだった。彼と二人で企画を練り、スタートした。引退して久しい彼だが、井戸を掘った人のことを忘れることはない。

五時半から始まった懇談がお開きになったのは、午後八時過ぎ。直帰するには早すぎる時間だ。またしても人形町に舞い戻り「ローカーボ」に向かったのであった。

ローカーボの客はNAKAMURA王子が独りだった。王子の隣に腰を下ろし、雑談をしながらハイボールを飲む。三杯ほど飲り、切り上げようかとの頃合いに、マスターの客引きで若い客が二人現れた。訊くと、滋賀から来た薬品メーカーの営業マンであった。26歳と29歳の若者で、若い方は入社三週間目とのことだった。

『うちにも近江の出が二人いるよ。ここの客にも近江の煩い小僧が来るけど、滋賀はウルサイのが多いな』と、私の方が、煩くてうざいオヤジを演じていたのであった。人形町の歴史などをマスターと二人で披露しながら、好感のもてる若者に檄を飛ばしたのである。勿論、酒は奢りましたよ一杯づつだったが。

斯様な次第で、昨夜の帰宅は・・・・。学芸大学着が22時45分と、前夜よりも15分早い。計ったように15分づつ早くなっていた。この伝なら、今夜は22時30分かな?。そうなってほしいねぇ~、明日は母の様子と今後の対応のために午前便で帰省するのだから・・・・。

 

漸く弁当の話に辿りつけるが、今朝の弁当は、昨日ボロクソのように書いた冷凍の「コロッケ揚げ」が登場。メインは「鶏肉のトマト煮」であるが、他には卵焼きがちょろっとあるだけなので、コロッケとトマト煮が東西の綱を張ることになった次第。

              

そして、残りご飯で炒飯を作ったが、白飯党の家人の為に米を磨ぎ炊飯もしたのである。味噌汁の具は、揚げ・タマネギ・小松菜にソーメンを加えた代物にした。かくして今朝も、弁当は立派に?出来上がったのである。

                  

 

余談ながら、昨日の佐賀新聞に「地球を翔けた異風者 古賀武夫伝」の取材記事が掲載された。実行委員長のDAIJI氏と執筆のHASHIMOTO氏が並んだ写真、本の表紙もでている堂々たる取材記事であった。おまけのように、、電話取材を受けた不肖ARISAWAの名も記事中にでていたのだ。これじゃ事件、起こせないな・・・・・。

もう一つ余談だが、本日の午後、本をお送りしてあった税理士の先生の事務所にお邪魔した。冒頭に「とてもいい本をありがとうございました」と、丁重なお礼の言葉が・・・。書かれた方も、本当に丁寧に書かれて、敬服しましたと。そして素晴らしい方だったんですねと、古賀さんの感想を・・・・。

そう言って頂けると、関わった者として嬉しい限りである。

 

 

 

 

コメント
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