6/18(月) 土曜日の午後から今日の昼まで高知に居た。土曜日、昼前に発つANA便は出発が40分も贈れが、高知空港に妹夫妻の迎えを受けて安芸市内の病院に直行した。前回と違い、母は病室を移っていたが、治療の方が一段落した所為であろうか?。
眠っている母の肩に、妹が何度か触れてボンヤリと眼を開けたが、暫くは焦点があわない。漸く私の姿が目に入った、そして私の名を小さな声で言った。
食事を摂るのが極端に少ないそうで、更に痩せていた。色もめっきり白くなっている。歩くことも全く出来ない、食事も自分では取れないうえに、口に運んでもらっても直ぐに嫌がる。水や茶も、好物だったメロンも食べようとしないとか。
耳元に口を寄せて「命は食にありだぜ、食べなきゃ駄目だよ」と声を大にして云うが、反応がない。日々、かくの如しとか・・・・。
食べれない、話せない、歩けないが、嫌と云う反応だけは出来る。只々、眠るだけの老婆になっている。今回の帰省は、病院からの転院先と、終末医療について相談することであった。食が摂れれば元気にもなろうが、こうも食べれないんじゃ行く末は明らかだ。
妹夫妻に我等夫妻、施設を併設する病院に勤務する妹の娘も加わっての話し合いであった。入院中の病院を出ることになれば、妹の娘が勤務する病院または施設で受け入れをしてくれるという。受け入れ先が決まったのでひと安心である。あの状態では施設での暮らしは難しそうだ・・・・。
日曜日、帰京する家人を空港に送ってから病院に寄る。今度は私の名を呼んだだけで、直ぐに目をつむった。水差しのお茶を飲ませるが、一口しか飲まない。
前夜、寝汗をかいて深夜に目覚めた。テラスに出て煙草に火を点けた。カエルの鳴き声が響く中、夜空を見上げると満点の星空が広がり、星々は見事に輝いていた。この季節、こんなに美しくそ輝く星々を、夜空を見るのは初めてか・・・・。
何時もであれば、私が隣の部屋に居るだけで安心して寝れると云う母はいない。ご飯だよ、早くきなよと呼ぶべき母もいない。同じ言葉を繰り返し、煩いな~何度同じこと言うんだと怒る母もいない。年寄りの繰り言並べる母もなし・・・。
母親の居ない実家は何故か、空気までも軽く他所の家に居るような落ち着かなさであった。これからず~っとそうなるであろう。
家が一番いいと、居間で座ったまま庭を眺めていた母であるが、それすらも叶わず病院のベットに眠るままである。もう、この家に戻れることはないであろう。あるとすればただ一度、黒い車に横たわってであるか。
こうなる日が早やすぎた。仕事を辞めたら戻って来ると言ったが、母はその日も待たずに家を出たままなってしまうか・・・・・。長男の役目を果たさぬままに、幕を下ろすことになりそうだ。そんなことを実感する、今回の帰省であった。
日曜日の午後遅く、畑を覗いた。ソルダムの実が大きくなり、色づく頃になっていた。この木が、こんなに実を付けて残っているのを見るのは初めてである。
畑の草刈は、KATUOに頼んできた。胡瓜も茄子も大きくなっていたが、トマトは二本、枯れていた。