オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ホタテご飯

2018-12-14 | Weblog

12/14(金) 週末を迎えた金曜日、今夜は「料理教室メンバーの忘年会」を高松蕎麦店でやり、引き続き「セイジュ会」に突入することになった。JIN先生夫妻と写真家のハナちゃんも参加予定。となると、心配は「高松」の席がどれだけ確保できるかである・・・、団体予約があるところに割り込みだからネ。

セイジュ会はレトロなスナック「セイジュ」で行う会だが、本日はママさんが病院に行くとかで、お休みなのだ。自分たち(私)で店を開け、灯りを点け、飲み物を作ることになる。他の客が来ても入れないことにしよう

夜の心配を昼間からしても仕様がないが、コーヒータイムで先ほど高松に顔を出して何とか八席分を確保した。多分足りなくなりそうだが・・・・。その時は、ふたご座流星群でも眺めてもらうか?。

さて、今朝の弁当だが「ホタテご飯」を炊き、ホタテのフライとサツマイモを揚げた。冷凍焼売に土佐竹輪。ネギヌタを作ってみたが、ヌタの方が美味くない。甘味不足で大人(?)のネギヌタとなった。されど、ホタテご飯は上々であった。朝は炭水化物抜きながら、つい一膳、食してしまった。

                         

 

 -33年前ー

さて、昨夜の話をするとだ。33年前に同じ係りにいたM君とS嬢が人形町まで来てくれた。退任の挨拶状を出してから直ぐに、「お会いしたい」との連絡を貰っていた。諸般の事情でそのままにしておいたが、年内の空スケジュールをメールするとすぐさま返事が届き、昨夜、会うことになった。

33年前、M君は野球部所属の新入社員として配属された。S嬢は入社三年目だったか、番号案内職から総務のスタッフとして迎えた。右も左もわからぬと言う表現が的を得ている。そんな状況の二人だったが、久しぶりに顔をあわした二人は貫録十分のベテランに成長していた。

あの当時のことや、今の仕事のことなど笑い話をしながら、経てきた年月を振り返った次第。若くして通信局に呼ばれたS嬢はその時の経緯を「ARISAWAさんが職場を見に来たとき、会釈をした私の印象が良かったから採ったと、聞きました」と云うが。そんな記憶は全然ない、私の上司が決めたと思っていた。然し、そう言われれば、何人かの候補者を見たような気もするが・・・。

M君は、野球のスラッガーとして鳴らした。引退後は総務畑の仕事をメインにし、今の職場の前は、私も在籍した横須賀の研究所に勤務していた。その当時に訪ねたことがあるし、共通の話題が沢山ある。

何の屈託もなく、年月を経ながらもこうして話が出来ることは楽しく、また嬉しいものだ。「うまし」の料理を腹一杯食べて貰った。

                             

二人を見送り、独り夜の散歩に出掛けた。行先は勿論「ローカーボ」、そして「セイジュ」、最後の店は駅に近い「ちょっぷく」である。セイジュは稀に見る大盛況であった。今夜の為に、店のカギを預かって退散した。「ちょっぷく」では、酩酊寸前のヤマちゃんに「飲み過ぎてると死ぬぞ」と愛ある忠告を!、しても馬の耳に念仏か。

この夜の最寄駅着は23:45分と、前夜より15分早かった。

 

 

 

 

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