オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

最終日となり・・・

2018-12-28 | Weblog

12/28(金) 愈々勤め人としての最後の日を迎えた。かといって何の感慨も湧いてこないのは・・・生来のノー天気の所為か。

平成14年3月末、サラリーマン生活に別れを告げてこの年の9月1日から今日まで、人形町に事務所をおいた「ナチュラル」社に入った。そして一年経過後に、TUGAWAさんから社長業を継いだ。本業は広告制作で、創業時は映像制作がメインであったが、その後デザイン・編集からWEBサイト制作へとウイングが広がっていた会社である。

サラリーマンを辞める前年の12月、長い旅にでていたTUGAWAさんにメールをし「会社を辞める、ナチュラルに行くので帰ってください」と伝えた。スペインあたりに居たTUGAWAさんから電話が入ったのは正月のことだったと記憶する。

TUGAWAさんの長い旅立はNYの同時テロがあった翌週辺りでなかったか。彼は「もう戻って来ないつもりだ」、そんなような言葉を残して東南アジアからヨーロッパへの旅に出ていた。

津川さんと知り合ったのは27~28年前の、私が広告代理店業のグループ会社に在籍した時であった。知人の先輩から、同級生の会社があるのでと紹介されたのが始まりであった。それから、これほど長い付き合い、間からになるとは・・・・。

広告業で専門家になろうとしていた私は、敢え無く三年でその会社から本社に転勤となった。この時の無念、やるせなさを振り切るまで半年ほど要した。その間、有楽町の安酒場で空虚な思いを埋めていたが、それまで仕事を一緒にしたこともなかたTUGAWAさんが殆ど毎晩のように付き合ってくれた。

待ち合わせの合言葉は「銀座のクラブで」であった。が、「歌」と云う居酒屋、安酒場であった。

勤め人である以上、仕事はしなければならない。給料を頂いているのだから。そう考えると、やるべきことはたくさんあった。転勤先は社会貢献推進担当と云う新しいセクション、仕組みも制度も整ってなかった。故に、自分の裁量でやれることが、やりたいことが次々と出てきた。自分たちがやれないところを埋めてもらうために、TUGAWAさんを頼りにした。そして応えてくれた。

サラリーマン時代、TUGAWAさんから「仕事が欲しい」と言われたことは一度もない。私がやりたいことを相談し、手伝ってもらい、友人としての関係ができていった。若し、そう云う関係であったら、私はナチュラルに来ることはなかったし、きてはならなかった。

サラリーマンとして終わることをいさぎよしとしなかった私は、独立を考えていた。これからの時代、ITを活用するビジネス分野であろうと思っていた。新規でビジネスを立ち上げる、人材を育てる。資金力も経験もない中から始めるより、会社を離れるつもりのTUGAWAさんの会社を引き継ぐ方がベストかと勝手な判断で、ナチュラルに入った。

TUGAWAさんが不在となったナチュラルは、相当にガタがきていたようだ・・・・。私は五か月間の猶予をもらい、サラリーマン時代の垢を落すために、雇用保険事業の研修を三ヶ月ほど受講した。この時の講師だった、簿記と社労士の先生にはナチュラル入社後、規程や就業規則作りでお世話になることとなった。

零細会社の御多分にもれづ、ナチュラ社も厳しい時代があり、その山谷の繰り返しが実態。売り上げを伸ばし、人を育てるのが私の仕事であるが・・・。とはいえ、自分で育て、勝手に育て、と云うのが私流。それでも、売り上げが伸びれば人を採用する。人は人財、寶だからと。勝手に辞めていくのも零細の、この業界の宿命と割り切ってきた。

自分の足で立ち、自己研鑽して成長すべし。それが私の考えであり、会社はその手伝いをする。考えは今も変わらない。とはいえ、独りでできることは知れている。仲間がいて、チームがあればこそ沢山のことが、出来なかったこともやれる。そういいつづけてきた。チームナチュラルと・・・・。

十六年間、振り返ればどうってことのない日々であった。毎年、毎年資金の心配をし、スタッフの成長を願い、お客様への感謝とお返しが仕事で出来ているか。そんなことを問い続ける日々である。潰れもせずにここまでこれたのは、お客さんあればこそ。力量十分とは言えないながらも、真摯なスタッフのお蔭である。

これからの時代、会社の先行きを考えると、自分ではやりきれない。能力・気力、資金力、先見性、リーダーシップ、それらを備えた人材、或いは会社に委ねた方が、顧客の、スタッフの、会社のためになる。そう思い会社生活からリタイすることにした。

老兵は消え去るのみと云うが、去りはしても消えはしない。この命、つづく限り・・・・。自分らしく生きる、自分は何者であるか、未だ解が分らない。それをもう少し考えながら生きてみたい。そんな思いです。

四十八年間に渡る勤人生活、これまでの数多な隣人からの様々なご支援に深謝します。真にありがとうございました

 

 

 

コメント (3)
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