オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

足早に・・・

2012-09-12 | Weblog

9/12(水) 朝方の曇り空が、出勤をする時刻には青空となっていた。今日も暑くなりそうな気配である。

昨日は午後の遅い時間に池袋の某社を訪問。ある案件について相談をした。その後、お定まりの懇談となった。渋谷「奈家野」にて一杯やる。

席を隣り合わせたSさんが、以前に20年程学芸大学に住んでいたと云う。数少ない知っている店の名を出すと「その店は多分行ったことがる」と云う。それじゃ久しぶり顔を出してみたらと誘い水を向けた。

                        

そんなことから、珍しくも地元・学芸大学の店を流離うこととなったのである。目的の店は「こんぺいとお」であったが、辿り着くと何と開いていなかった。様子をみようと、街をぶらついた。と、Sさんが昔行っていた店の看板を見つけた。

「夢保」という焼き鳥屋であった。此処にこんな店があることは承知していたが、入るのは初めて。どうと云うことのない焼き鳥店だが、駅のすぐそばにあり、以前は同名の蕎麦屋が碑文谷にあり人気店であった。暫くし、店の女将さんが「貴方は、もしかしてSさん?」と訊いた。「変わっているので分からなかった」と、懐かしそうに言った。

蕎麦屋の方は、ご主人がやっており、三年前に魚籃坂に移転したとのことであった。ビールとハイボールを飲んだ。その後、再度「こんぺいとお」を訪れるも閉まったままである。この店の前に「京町」と云うスナックがある。この店のことは、MASHIKOのオバサンから聞いていたので、この店に入った。ハイボールが無いという珍しい店であった。仕方なしと瓶ビールを飲む。

同行のSさんは、どうもこの店が気に入らない様子。サッカーの所為か、客は我々だけである。景気づけのカラオケを3曲ばかりがなり立て、店を後にした。

どうも気分が治まらないので、すっかりご無沙汰している店「愛鈴」(あいりーん)へと案内した。この店も地元で30数年となるスナック。鷹番JVC のOGのお父さんで友人の山田さんの紹介で知った店。ママさんとは、碑文谷ゴルフクラブでも、ちょくちょく顔を合わせた。ここでもサッカーとかで先客は二人、ハイボールを飲む。

かくして、お店三軒を足早に巡っただけの学芸大学探訪はお仕舞となった。

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散歩・・・

2012-09-11 | Weblog

9/11(火) 5時過ぎに目覚め、久々に散歩をすることとした。ルートは鷹番から清水池のコース、途中目黒通りに面した唐ヶ崎無線中継所の脇を抜けた。

                         

すっかり街に溶け込んだ感のある中継所の鉄塔を下から見上げると、青空に雄々しく起立している。ここに何人か知り合いが勤務していたことを思い出す。清水池に至ると、早や太公望たちが竿を出している。私が見ている間、釣り上げた姿を知らない

                     

一時間ほどの散歩、途中にある昔よく通ったゴルフ練習場「碑文谷ゴルフクラブ」跡がどうなっているかと覗いてみた。ネットは降ろされ、綺麗に刈られていた芝生には草が茫々、荒れた姿でゴルフ練習場の名残を残していた。未だ建設計画の看板は出ていなかった。ここで出会った人たちのことが浮かぶ・・・。

                         

娘の頃に列車に弾かれて片手が義手だった受付のおばあさん、胃潰瘍で半分しか胃がないと云いながら力強い球を打っていたオジサン、筋者あがりで教えたがりやだったオヤジ、この人は盲腸炎を拗らせて亡くなった、近所のスナックのママや飲み屋の店主・・・色んな方々と話をしたが、これも小さな練習場だからこそのこと。ここ何年か、ゴルフから遠ざかっているが、無くなったのは残念である。

                     

暑い日差しを受けながら、出勤した。朝夕は凌ぎやすくなったが、日向は暑い、汗を掻きながらの出勤である。煙草を吸いに会社の小さなベランダに出た。朝顔が小さな花を沢山付けていた、陽を浴びて元気がなくなりつつあったが・・・。ゴーヤの方は、上手くいかなかったのか、ゴーヤの姿をしたマッチ棒の先程の実しか付けていない。

                     

6階から4階へと席を移したばかり、Binが丹精したこのフロアーの朝顔を初めてゆっくりと眺めた。去年の種を播いて育てたものだが、小ぶりの花ではあるが大したものだ。

昨夜は引っ越し蕎麦の例えで、新参の私はスタッフを誘って隣の「高松」蕎麦店へ・・・一時間半ほど滞在。3時過ぎにラーメンを食していた私は、摘みは止してハイボールだけに留めた。軽めの酒であった。

 

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本が届く・・・

2012-09-09 | Weblog

9/9(日) 週末に続けて本が届いた。一冊は、写真集「山稜」(全日本山岳写真展作品集)、もう一冊は「農業の常識は、自然界の非常識 雑草で畑を生命育む森にする」で生命農法研究会 故高橋丈夫氏の遺稿本である。

                       

「山稜」は、山梨県北杜市在住のOBで、山岳家あるいは山岳写真家と呼んでもいい鈴木さんが贈って下さった。今年の早春、LA誌6号のOB対談(テーマ:登山)に登場頂いたご縁である。今、池袋芸術劇場で開催中の65回作品展に入選されたとのこと、またLA誌対談記事を各地の友人が読み、嬉しい連絡が届いたとのメッセージが添えられていた。

鈴木さんの作品は、「初夏の火口湖」と題された、6月残雪の鏡池のコントラストを捉えた写真。見事に美しい山岳写真集である。

                        

そう云えば、鈴木さんのこれからの夢は「日本百名山の写真展」と云うことであった。もう7~8割は撮り終えておられようが、楽しみにしたい。
取材でお会いした方から喜んで頂けることほど嬉しいことはない、その上に便りまで頂けると尚更である。仕事冥利に尽きるとはこのことか・・・。

 

高橋丈夫さんの遺稿本は、最後の弟子となった瀬井さんが贈って下さった。4月下旬、益子町の農園を訪ねたことが懐かしく思える。素人考えるほど農業はた易くない、いずれも創意工夫と弛まぬ努力を積み重ねることしかない。素人なれど、為になる一冊である。

                         

午後遅くに会社へと顔をだすことにした、若い社員が二人日曜出勤の予定である。それに頼まれごとが2件、この始末を今日中に付けておきたいのだ。昼に鮎の開きを10匹程作った。冷凍庫の中を軽くしておきたいこともあるが、鮎の開きで飲むビールは格別なのだ・・・。

                         

そんなことを済ませて、駅に向うすがら、東横線のガード下から唐ヶ崎無線中継所の鉄塔が綺麗に覗ける場所が一ヶ所ある。青い空、白雲をバックに起立する鉄塔が妙に馴染んでいるのだった。そこで1枚撮影となったが、車や人で上手く行かぬ・・・。

                         

地元、学芸大学のワンシーンを紹介した。(酒場ばかりではないのだ。が、そういや、昨夜も遅くにハイボールを重ね、引き揚げ時を逸してひどい目にあったが・・・バカだね)

 

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フロアー移転

2012-09-08 | Weblog

9/8(土) 昼に出社し、昨日からの席替えの続きをやる。ゴミのような資料や小物が雑多にあるので整理するのに一苦労。それに、自分好みに周りの環境をしたい。YOSHIO が出社していたので大いに手伝いを頼む、6時過ぎに一段落ついた。これで、週明けから落ち着いて席に着けると云うものだ。

明け方からパラついていた雨が夜が明けるととともに一時大雨となった。朝飯を食し、一風呂浴びる頃にはその雨も上がり暑くなっていた。荷物運びをすると大汗となった。漸く汗も引き落ち着いた処。

昨日は午前中が決算の諸手続き、昼前に関係者そろって打ち上げの昼食会であった。食事は寿司の「つの田」、ここで握りを食した。

                       

夕刻、渋谷の「奈加野」へと出向く。今宵は、昨年末までスタッフとして働いてくれたYURIKA嬢との食事会。彼女も休養十分なはず。そろそろ仕事に復帰する頃合いでないかと食事に誘った次第。奈加野では珍しく奥の座敷に席を取った、静かに話をしたかった。手作りの鮎開きを持参して味見をしてもらった。

                        

責任感旺盛でとても良く働いてくれた、それに陰ひなたのない明るい性格である。WEBの仕事に疲れたということで退社したが、同じ仕事に復帰する気があるなら戻って欲しかった。が、残念ながら他の仕事に就きたいとのことであった。致し方なし・・・。

                        

食事を終えて、一人mr.kansoへと向かった。この店にお願いしてある、ミャンマーの学校建設支援の募金箱が一杯になったので心配だと連絡を受けていた。その回収である。店は、渋谷・東急文化村の先の信号を越してすぐの左側。コンビニやラーメン店の上の3階に在る。

                    

この階段が滅茶急なのだ、酔っ払って足を踏み外すと・・・救急車ものだ。そんな急な階段を登る。酔って登るも一苦労だが、昨夜の酔いは軽かった。とは云え、募金箱の回収だけで済ませる訳にはいかぬ。ハイボールを二杯程飲み喉を湿した。

酒飲みオヤジの薀蓄ならぬ、戯言をひとくさり述べて引き上げとなった。勿論、募金箱を小脇にしっかりと抱えて・・・。

比較的静かな夜を過ごしたような気がするが、どうだか・・・。

                      

 

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母の句集

2012-09-06 | Weblog

9/6(木) 今朝の宅配便で印刷・製本所から母の句集見本が届いた。先月下旬に入稿し、出来上がりを待つばかりであった。内容は兎も角、本としては立派に仕上がったようだ。やっと一仕事終わったが、今度は10月の句碑・句集の記念催事が待っているのだ・・・ご苦労なこった。

                   

                          句集「かきつばた」

卒寿を迎えた婆さんの句だから、それに輪を掛けて初めて数年の素人、とは言いながらも、何句かはいいなと思うのがある。こっちもど素人だから何も分っちゃいないのだが。句集には、始めた平成18年から今年までの中から、244句が収められている。

お迎えが愈々近くなり、何かを形として残して置きたいという欲求が在るんだろう。こっちはそんなことには何の関心もないが、やりたいことはやらすしかない、と割り切るようにしている。やけくそで「白寿記念にも発刊したら」と後書きに添えた。制作にあたっては、オヤジ・デザイナーのYoshioに随分と手っだって貰った。感謝である。

そんなことで、句集関係の御礼や連絡で朝から時間を取られたのであった。明日の午後は席替えで4階へと降りる。溜まった書類の整理や廃棄と、やらなければならないことはテンコ盛り、それに明日の午前中は決算書類の押印、役員会・株主総会と、一応会社であることの儀式がある。これが済むと当社の28期にけりが付く。

昨夕から書類の整理始めた、遅くまでやるつもりでいたがスタッフのI女史が「隣で一杯やりましょう」と声を掛けて来た。スタッフから云われたら弱い、少し遅れて顔を出した。隣とは、蕎麦店の「高松」である。角のボトルがテーブルの上に置かれたので、勝手にたっぷりとジョッキに注いだ、多分三杯分ぐらい。飲み物は、ハイボール一辺倒で通した。

                          

                    AとI女史               高松の女将

相当に酔ってきた、今夜は久々に一ッ木通りの「禅」に顔をだそうかと思っていたのだが、酔いが廻りそんな元気もなくなった。今宵は楽しいミュージシャンが入っているからと、禅の葉子さんから案内メールを貰っていたが・・・断念した。

酔った序でに、二件目は前夜初めて入ったスタンディングの酒場に寄る。勿論、IとAも一緒だ。マスターに、弊社が運営している淋し~い、街応援サイト「江戸商い」への加入を勧めたが『私もその関係の仕事をしているので』と、袖にされた。紹介してもらうのはウェルカムとのことだが・・・。

            

この店の名は未だ覚えていない、店名が果たしてあるのかな~?ハイボールは滅茶美味い、尤も他のものは飲んでないが。ここのすっきりしたハイボールを仕上げに飲もうと入ったのだが、二杯で切り上げた。

 大人は酒を飲む、淋しい男も酒を飲む、ましてや元気な女はもっと飲む・・・・。

 

 

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漸く花が・・・

2012-09-05 | Weblog

9/5(水) 早朝に目覚める、陽の光の弱さに秋の訪れを実感する。日中の日向では焼けつくような暑さだが、朝晩の空気は秋のものである。外に出ると、グリーンカーテンに植えた西洋朝顔が漸く花を咲かせ始めた・

幾らなんでも時代遅れ、否時期遅れも甚だしい。葉っぱと蔓だけは元気よく伸び放題で、随分と芯止めをしたのだが、日本朝顔と違い勢いだけは良かった。蔓は延びれど花咲かずで、いい加減にしやがれと毒づいていたのだ。それが、秋の足音とともに「これやいかん、子孫を残さにゃ」と、今頃になって頑張り始めたか・・・。

                     

昨夜は、八時過ぎからスタッフのA と二人でスタンディングのカウンター酒場(早く云えば立ち飲みだが)に寄った。これからの仕事の進め方や課題etc・・・話があった。ハイボールを啜りながら小一時間の話、文字どおりの立ち話だが、大事な内容ながら何故かリラックスした気分であった。

会社に近いこの店、最近オープンしたばかり。工事中にオーナーと立ち話はしたが入るのは初めてであった。ビルオーナーのマスターが一人で切り盛りをしている。以前はラーメン店、その前は中々気の利いたショットBARだった。会社の界隈は、江戸時代からの問屋さんの街と云えよう。昔の商店が、今は5~8階のビルに変身してオーナ会社となっている。

そんな古いものと、新たに入居する会社勤めの人々に支えられた地域なのだろうが、店の移り変わりは激しい。最近増えてきたのがワイン酒場、100m四方の処に5~6軒ある。

昨夜入った店は、入口の壁が煉瓦でショットバー時代の雰囲気を残しており落ち着きがある。ハイボールが300円から、小皿の摘みは200円からと、食い物が要らない私の酒にはピッタリの店と云えよう。(写真は次回にでも)

ヘルシー志向のオーナーの好みで、摘みも野菜系や軽めのメニュー。角ハイの酒精と炭酸のバランスも絶妙で美味かった。客は、私たちが引き上げる頃に一人だけはいってきた。実に落ち着いた酒場であった・・・。

 

 

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草刈・・・

2012-09-03 | Weblog

9/3(月) 土曜日の午後、五日間に及ぶ郷里での日程を終えて帰京したが、東京は激しい雨が落ちていた。郷里でも到着した28日から29日と大雨であった。前回にも雨に祟られた所為か、従姉妹からは「また、Masanoriが雨を連れてきた」と、云われる始末であった。

雨の合間に畑の様子を見に行った。植えてあったスイカは、小玉の苗が一本だけ生きていた。何個かは狸かハクビシンに実を喰われ、無残な姿となっていた。それでも草むらの間を丹念に覗くと、四個ほど生き残っている。採るには早そうな気がしたが、試に二個だけ収穫。

                    

瓜はミカンの木や、囲いに何個かぶら下がって熟れるのを待っていた。スイカと同様に、獣に喰われた瓜の残骸が幾つか転がっていた。瓜も黄色くなって生き残ったやつを何個か収穫した。処が暫くすると激しい雨、シンボルの栗の木の下に避難したが、びしょ濡れとなった。

              

そんなことで、出だしから塩梅悪し。この休み中に河原でデイキャンプをやろうと云ってあったが、深夜の大雨で翌日から川は洪水となり計画はとん挫した。どうも今年は雨に憑かれているようだ・・・。

                                   

二日間は畑の作業は出来ず、雨の合間を縫って池の掃除だけで終わった。三日目の木曜日、漸く薄日が差してきた。陽が射すと暑くなるので、6時過ぎから畑に出た。早朝に二時間ほどの草刈。いったん家に戻って朝食、その後再度出動したが草刈機がストライキのか不調となった。これを治すに往生し時間を喰われた。

                    

50日余り草を刈っていないので膝まで伸びている、これだけ伸びると刈るのも手間が掛かるのだ。最後は疲れ果てて、早めに作業を切り上げた。散々な草刈となった。残りは明日でだ・・・。

スイカや瓜の悲惨な状況に比べ、南瓜は鈴なりとはいえぬが、随分と実を付けていた。5~6個を収穫する。大豆が大問題、葉は茂れど実を付けずである。いつぞやの阿蘇の”みその大豆”の失敗に懲りて、今年は信州と秋田の大豆を植えて生育し、収穫を待っていたのに惨憺たる有様である。何故?

金曜日、この日も早朝に畑に出た。昨日の刈り残しを始末すべく働いた。都合三時間ほど労働して引き上げた頃から、またしても激しい雨が落ちてきた。危機一髪でセーフ、ここは日頃の心がけの良さか?金曜日となり、川の水嵩も低くなった云うに・・・。これじゃ鮎が捕れんだろう、と心配する。

                        

鮎と云えば、妹の亭主のHirikatu(私の同級生)と従姉妹が届けてくれた。Hirok atuは勤めを退職しているので、農事を早々に切り上げて涼みがてらに川に通っているとか。土産にも沢山持たしてくれた。この鮎で一夜干しを少し作った。鮎の一夜干しは旨いのだ、酒の摘みとしては最高なのだ!

                             

この日、同級生のYOSHIMASA夫妻が顔を出した。安田川の上流に『馬路村』がある。この柚子で有名な村に姉が居り、其処を訪ねる途中とかであった。このお姉さんに世話を掛けた思い出がある。中学生の頃、Yoshimsaと家出を敢行したことがあった。私にとって二度目の家出、またしても挫折したが、その折に世話を掛けた。「姉さんに宜しく」と、云った。

私が帰省していることは伝えてない。Hirokatuの処に立ち寄り、私が戻っているのを聞いたそうだ。二年ほど前、奥さんと一緒に上京した折に会って以来。姉さんに持参する土産の一部だろうが、一つ置いて行った。

さて、スイカと瓜の味だが・・・程々であった。スイカの一つは熟れ過ぎ、一つは4~5日収穫が早い感じだが、置いておくとハクビシンの餌食だろう。致し方なし。

                        

帰京の朝、川は青い流れに戻りつつあった。束の間の草刈隊ならぬ、夏休みを終えて羽田に着くと、これまた大雨に遭うとは!。雨が憑いてこないで銭が憑いてくればいいものを・・・、そうは上手くいかんな・・・。

                         

 

 

コメント (3)
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