オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

炒飯弁当

2013-07-17 | Weblog

7/17(水) 昨夜の東郷好彦さんの七回忌は、満席の状況だった。「禅」も小さな店になったが、それでもあれだけの人の入りは初めてだった。少し遅れて到着したので、献花の後は隅で小さくなっていた。

集まった人達は皆年配の方々。そうだよね、東郷さんとの付き合いが長かった人たちだもの・・・。差し詰め私などは若手か?

                          

弘前にある東郷さんが眠る寺のこと、六本木に店があった時代のミユージシャンや店のスタッフ達のことなどを思い出しながら、手伝いに入っていたボーカルのダーナに『週に一度でいいから、これだけ客が来てくれるといいのにな』と、言葉を投げると「そうよね」と、返った。

ダーナも横浜に自分の店を構えて長い。六本木時代に出会った頃に比べると、体型も年齢も二回りの成長、貫録である。すっかり名前を聞かなくなった、和西さん・福家ちゃん・ジョージ、西前さんetc。ダーナだけは、この店「禅」との縁がつづく。

歌姫、葉子さんも「何時まで唄えるのかな?、ピアノが弾けるかな?」なんてことを時折口にする。『養老院に入るまでやんなよ!』と云っているが・・・。

しかし、客が来ないと辛い。客の年令が上がり、出歩かなくなる、飲む量が減る、若い人たちがつづく店でないと厳しくなるのは我らの世界も同じだ。私の酒場歩きも、距離・スピード共に衰えたからなあ~。

ゆっくりと飲める状況になかった、それに少々疲れてもいた、早々に失礼をした。

 

 チャーハン弁当

五日ぶりに我が家で寝る、本などを読むうちに眠っていた。深夜に目覚める、MIXが鳴いた所為か?雨音が聞こえていた。眠れぬままに悶々とするが、何時の間にか浅い眠りについていた。

次に目覚めた時、雨音の所為で散歩の気分は失せていた。弁当を作るか迷っていると、長女から電話が入った「今日はお弁当あるのかな?」だって。すっかり当てにしている様子だ。『チャーハン弁当でよければ作るよ』と、応えた。

昨夜の残りご飯でシンプル・チャーハンである。少しは菜も欲しいわなと、簡単な煮物「蒟蒻&オクラ・茄子煮」を準備、スパム炒め、「豚小間&茄子・茗荷・アスパラの味噌炒め」を作る。

              

長女が立ち寄る頃に、お手軽なチャーハン弁当の完成となった。

              

 

  墓を磨く・・・

一昨日の早朝、郷里にて五時のサイレン(私の田舎では、五時にサイレン・六時に音楽が流れるのだ)が鳴る前に起き出した。池の金魚や水量をチェックし、朝もやの中を墓所へと歩いた。墓前の「しきみ・花」の水を替えた。
 
まだ新しい墓なのだが、蜘蛛の巣が目についた。親父の居場所だと、思い切って掃除をすることにした。周りを掃き、墓石のてっぺんから柵石まで拭いた。一時間近くを要したが、綺麗になった墓所をみると気分がよかった・・・。
 
                        

何れ、私もここに入ることになるのか?死んだ後の居場所には関心はないのだが・・・。

 

 

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夏の日・・・

2013-07-16 | Weblog

7/16(火) 連休も明けた火曜日の昼、何時もの便より一便はやい飛行機で高知空港を発った。金曜日から五日目となる今朝、前日までの蒸し暑さが嘘のような涼しさとなったが、日向に出ると夏の日差しは容赦ない。早朝、帰京の為に墓参を済ませた。                  

池の水を昨日も半分ほど入れ替え、葭簀を張った。心なしか水面は涼しげで僅かに残った赤い金魚も気持ち良さ気に泳いでいた。百数十匹いた金魚の大方は死に、鯉金の小さな奴だけ残っている。それでも昨日も二匹が浮かんだ。せめてこいつ等だけでも生き延びてほしいが・・・。

                       

早朝、故郷の川に暫しの別れを告げる。と、橋の上流で従兄弟が鮎釣りを始めていた。まだ水量が多い、もう少し水が少ないと鮎釣りにはいいそうだ。まだまだ鮎の魚体が小さい。川が小さいのでそれほど大きくはならないが、獲れているのは稚鮎に近い大きさしかない。

                      

                        正弘橋からの、上流(左)と下流

一昨夜、妹の旦那で私の幼馴染でもあるhirokatuが獲った鮎と、畑の片隅に自生している「リュウキュウ」で酢の物を作った。小さな鮎を三枚に下したり、背越し(内臓を取って輪切りにしたもの)にしたり、この時期の鮎だからこそいい。塩で揉み・〆て生酢と少量の砂糖と柚子酢を使う。鮎を使ったリュウキュウと茗荷の酢物とは一興であった。

              

昼間暑くて敵わない、少し動くだけで汗びっしょりとなる。畑や池の掃除、夕方に家に戻り飯作りとなるが、喉が渇く。冷えた缶ビールを取り出して、グビリグビリと喉を潤しながら、天麩羅やフライなどを揚げたり、南瓜や茄子を煮たり。母が小食となったのだ、大半は自分が食す破目となるが・・・。量が多いので、妹の処へお裾分けをする。

                     

                    小さな自家製の鮎開き、茄子・トマトは定番

畑のスイカは三個が大きくなっていたが、一つの蔓が枯れていた。こいつを持ち帰ったところ、程々に熟れてはいたが甘み不足。それでも汗をかいた後に冷えたスイカは喉越しがいい。翌朝、畑に出たところ・・・、何ともう一つをハクビシンが喰っていた。気付かれてしまったのだ。

                 

イクリ(ソルダム)も樹に沢山残っていたのが一つも無くなっている、ハクビシンが来ると全滅なのだ。残ったスイカを獲ることとした。ついでにカボチャも一つ収穫した。小さいスイカと瓜の実が何個か付いているが・・・熟れはじめると、山から獣が下りて来そうだ。

                      

畑の方もすっかり綺麗になった。一休みしながら、残っていた甘夏と小夏で水分補給する。暑い最中、何時ものように焚火をして選定した枝を燃やす。充実のひと時である。

                      

               

朝晩をそんなゆったりとした時間を、昼間は体を動かす。アッと云うう間に日にちが経った。次は、お盆の週に帰省となる。初盆なのだ、概ね必要な手配は終えてきたつもりだが・・・。

 

  七回忌

 今夜、「禅」のオーナーだった東郷好彦さんの七回忌。お店で行う旨の案内を貰っている。亡くなってから六年となるか。彼が眠る弘前市の寺を訪ねてから三年近くなるか、私も東郷さんが亡くなった年齢を過ぎたようだ・・・。

ゴルフ、店がはねた後の二人だけのカラオケ合戦、店のスタッフにも客にも厳しかった彼。新しい店を始めると情熱を絶やすことはなかったのに、胃癌に見込まれてしまった。歌姫・葉子さんの縁で知り合ったのは、麻布警察裏にあった頃の店。今思い出しても善い店だった。

深夜、連れて行った六本木のクラブの姐さん達が酔っ払うと、露骨に嫌な顔をしたものだった。流石に帰ってよ!とは言わなかったが、云いたそうだった。端正な顔を黒子が和らげていた、唄とゴルフが下手だった、そして世渡りも同様に(あっち側で怒ってるだろうな)。そんな貴方が僕は好きだったよ。

永い眠りから何時か目覚め、また巡りあうこと願っている・・・。今夜は、飲ませてもらうよ。偲びつつ・・・。

 

 

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帰省

2013-07-12 | Weblog

7/12(金) 今日の午後便で高知に向かう。毎月のこと、我がことながらご苦労なこった。今回は、先々週に手が回らなかった草刈と親父の初盆の準備が中心となる。帰京は、16日の夕刻の予定。

昨夜は、資材局時代の皆様との懇談会。昔の仲間には助けられることばかりか、元気を頂く。ありがたいものである。

それでは、また来週に・・・。

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トマトかスイカか?

2013-07-11 | Weblog

7/11(木) 早や木曜日となった、明日の午後はまたしても高知なのだ。別に乳離れをしていないわけじゃないが、老母が子離れをできないのか?そうじゃない。先々週にやり残した仕事が待っているのだ。

さておき、今朝はマジに弁当を作った。食材が不十分だったので、焼き肉丼弁当をベースに、根菜とハムのマヨ和えサラダ。野菜炒め、時鮭に卵焼き、小松菜と油揚げ煮。以上であった。

                                  

今朝の食材は、タマネギ・ピーマン・パプリカ・シメジ、ジャガイモ・人参・ハム、タレ漬けの牛肉、時鮭であった。

かくして今朝も三人の弁当となった。

                            

 

タイトルのトマトかスイカだが、要はベランダのYOSHIOの鉢植えトマトと私が庭先に植えた一本のスイカが花を付けた。どっちが実を付けるかということ。何れも期待薄だが・・・。あと二週間もすれば判明するだろう。

                       

 

 

 

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手抜き弁当

2013-07-10 | Weblog

7/10(水) 今朝目覚めたのは、何と7時前であった。何時も早朝から目覚めるのに何ということか?蒲団の中で目覚めた時は5時ぐらいだろうと感じていたのだ・・・。

そんな遅い目覚めではあったが、散歩には時間が足りないので弁当を作ることとした。皆の出勤時間から、30分~40分以内が勝負であった。

ご飯を炊いては時間がオーバーする。冷凍の冷飯で炒飯弁当にすることとした。時間がないし、食材もない、大いなる手抜き弁当である。

菜の方は大根・人参・蒟蒻に豚バラ肉を少々の煮物。炒めものは、タマネギと豚バラにホーレンソウを仕上げに投入した。チャーハン用の卵で卵焼きとなり、ご飯はチャーハンから焼き飯になった。

              

時間がないと焦って作るので、醤油を入れ過ぎたりと散々であった。何とか、時間ぎりぎりに三人分の弁当が出来上がった。

                      

なんともはや、色の黒い弁当たちである。シラスを散らしたら『夏場はダメよ』と、家人からお叱りを受けた・・・。

 

 

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散歩

2013-07-09 | Weblog

7/9(火) 梅雨が明けて連日の猛暑、例年のこととはいえやだね~。シャワー浴びて、生ビールでもキュッと遣りたい気分である。勿論昼間にだが・・・。

この季節になると、やりたくなる商売が屋台か異動スタンドでの生ビール売りだ。冷え切った生ビールのグラス売りを、新橋の駅前広場辺りでやれば大人気を博しそうだが、如何なものだろうか。

与太話はさて置き、今朝は四時ごろに目覚めてしまった。深夜冷房で冷え切って目覚め、明け方には寝汗で目覚めるという最低のパターンであった。何故か、今朝の弁当作りは止そうと決めた。

早目に散歩に行こうかと玄関を出ると、老犬mixが糞まみれの中で死んだようになっていた。そのままとはいかず、始末に大わらわとなった。己の行く末を見るようで、切ないものがある。

そんなことから予定が大幅に狂い、散歩は碑文谷公園から下馬・野沢の近隣コースを一時間程となった。碑文谷公園のバラはまだ咲き残っていた。帰宅し、一本だけ遊びに植えたスイカの苗を見ると、花を付けていた。実を付けるのはYOSHIOのトマトと同じく奇跡だろうが。

                       

 

 古くからの友と・・・

昨夜は、学生時代から交友が続いているHosokawと会った。何を頼んでもはっきりしない(産が、富山だからな・・・)やつだが、交流が途切れない。先月、某TV番組の制作会社の役員任期が終わり常勤顧問となった。そんなことから、慰労会と称して久々に飲った次第。

銀座一丁目の沖縄アンテナショップで待ち合わせ、隣にある高知アンテナショップの二階レストラン「おきゃく」で、我が故郷の日本酒と高知産の肴で、慰労申し上げた。

「おきゃく」というのは、高知では宴会・飲み会を指す言葉である。お客さんを迎えて、一献交わすところから来ているだろうと推察するが?

まあやりや、と最初から冷酒でスタートした。Hの来し方のTVマン人生、役員を下りた後の納得がいかないこと・・・etc。Hがディレクターだった若い頃、頼まれて仕込みの手配で後輩たちを何度か動員したことがあった。私の東京での結婚披露の司会はHだった。

現場をやりたいと云うが、サラリーマンでは何時までもそうはいかない。ましてや役付取締役までなちまったのだから、自分の思いとは違う役割も果たさなくては・・・。常勤顧問・子会社の社長として一年は拘束されるとのこと・・・。

「結構なことじゃないか、一年じっくりと今後の計画が練れるぜ。それから事務所を立ち上げるのも由」と云った。「それにしてもお前、よく役員になり生き残ってきたよな・・・七不思議とか言われてないあか?」など、勝手なことを云った。『そうなんだよ、自分でも信じられないが、女房からも、よくなれたねと言われるよ』とのことだった。

二軒目は、六丁目のBar「順」へ。客は誰も居らず、暫くは二人だけだった。ここでも学生時代の仲間のことや、仕事の話。現場好きのHが最後に係っている番組が、BS放送だそうだが、確か「昭和の時代」とか言った。この番組名は新聞か雑誌で見た気がするが、好評だとか・・・。

「昭和の時代が分かるスタッフがいないんだよ、裕次郎・ひばり・アイビールックとかさ、俺たちの時代だったな」と、Hが感慨深げに語った。

十九歳の春、桜が満開の三島キャンパスに徳倉の下宿から一緒に通い、初めてBAR「リラ」のドアを開けた時も一緒だった。青春を共にし、社会人としての道は異なったが、何者かになろうと足掻いてきたのは同じであった。

「ご苦労さんでした、だけど君の人生はこれからだぜ。企業人から、職業人(プロの)として君の真価を発揮するのは」。似たようなことを昨晩も話したが、あらためて、我が友・Hosokawaに贈る言葉。

 

 

 

 

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弁当・梅雨明け・トマト

2013-07-08 | Weblog

7/8(月) 今日は月例の全体会を一週遅れで開く。散歩を済ませてからの弁当作りでは時間を押してしまうので、弁当作りに的を絞った。

土曜日の夕方から義妹が上京していたが、今朝・金沢に帰ると云う。金沢に行くと何時も世話を掛けるので、御礼の意味を込めて昼用にオムスビを持たすこととした。時鮭を焼き、鮭オムスビである。

弁当用には、「鶏の唐揚」「茹でウィンナー」「ホウレンソウの卵とじ」「トコブシとシメジ炒め」、出来合の「肉団子黒酢餡かけ」となった。唐揚げついでにポテトも素揚げする。

弁当三人分の予定が、末娘が不要とのこと。余りすぎるので、義妹にも菜を持たすことにした。それでも菜が残ってしまった。

                

 

 梅雨明け

東京は、土曜日から梅雨明けとか。道理で暑い、今朝は暑すぎる三日目を迎えた。空振りの梅雨入り宣言も早かったが、これだけ早い梅雨明けも珍しい。昨日の午前、車の運転練習で川崎までを往復したが汗びっしょりとなった。慣れぬ運転の所為ではなかろう・・・。

お蔭で、帰宅してから缶ビールを二本開けてしまった。折角、朝のビールを控えたのに意味がない・・・。そんな次第で、会社に顔を出したのは夕方となった。丁度電車に乗った頃合いに激しい夕立が来た、が人形町に着き外に出ると青空が覗いていた。

 YOSHIOのトマト&朝顔

29期最後となる月例会を済ませ、会社の小さなベランダで健気に伸びようとしている朝顔(昨年の種子を遅くに播いた)と、YOSHIOが買ってきたトマトの様子を観察する。

                          

トマトの背丈は延びてきたが下の枝が枯れてきた。それでも一本の苗には花が付いた。YOSHIOの望みどうりに実を結ぶか?

                              

朝顔の方は、蔓を延ばしているので手を付けてやらなければならない。100円ショップで添木を買ってくるか・・・。朝顔が花を付けるのはまだまだ先のようだ、月末には咲くだろうか?

                          

           

 

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桜桃と弁当

2013-07-05 | Weblog

7/5(金) 夜明け頃か、雨音で目覚める。「なんだ、雨か。散歩はダメだな・・・」と、蒲団の中。しょうがない、今朝も弁当作るか・・・と、なった。しかし、寝覚めがよくない。昨日の朝から左の踝の下が痛い、疼くような痛さなのだ。どうやら痛風かな?

6月の免許合宿で続いた節制の日々も、東京暮らしに戻ってからは元の木阿弥。夜毎の酒精の誘いに身を任せている。これじゃ、身を傷めるのも致し方なしか・・・。

昨夜はICT教育ニュースの新戦力、ボランティアスタッフのHayashiさんが見えたので、ニュース・スタッフと「ローカーボ」での懇談となった。三夜連続してローカーボへ顔見世となった。この店で供する酒が美味いこと、静かに飲めるのがいい。

昨夜はそれでも、スタッフより先に店を出て家路についた。痛む足を庇いながら、トボトボと歩いた。帰り着くと『サクランボ』が届いていた。山形・東根市在住の、家人の友人に毎年のように注文している代物である。

今年は随分と遅い、例年に比べると二週間近くは遅いように思う。二三粒食してみる、う~ん美味い。上々の味わいで、さらにつづけて食したのであった。

                             

今朝の行事を弁当作りに定めて台所に立った頃は、一時だが雨は上がっていたかもしれない。それでも弁当を作ると決めた後のこと、散歩はすっぱりと諦めた。

さて、メニューの方だが、「鶏肉と根菜の旨煮風」、「ジャガイモとセロリの千切り炒め&ウインナー添え」「豚バラの野菜炒め」「挽肉のオムレツ風」となった。冷凍の出来合品「ブリ竜田揚げ」も参入させた。

                      

食材は、鶏肉・大根・人参・油揚げ・ウインナー・セロリ・ジャガイモ・挽肉・ネギ・豚バラ肉・エノキ・タマネギ・卵、以上のはずである。

家人・長女・三女はレギュラー陣だが、二歳の孫娘が今夕に来ると云うので、その分用に小さな弁当も用意した。小さな子供用らしく、海苔でご飯を巻き、サクランボを入れた。なかなか芸が細かいのだ・・・。

              

 

そういや、一昨夜のAoki君は記憶喪失になっていたそうだ。東横線で手を振って私と別れた後、途中駅で降りるのが終点の元町中華街駅まで行ったそうだ。挙句に終電だったので歩いて帰ろうと、反対の方角に行っていたとか・・・。あれだけ酔ってりゃ、無理もないぜ・・・。

 

 

 

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鍵が・・・

2013-07-04 | Weblog

7/4(木) 昨夜は、一人静かに「ローカーボ」のカウンターでグラスを傾けた。ハイボールからギムレット、パパ・ヘミングウェイを偲びフローズンダイキリを飲む。

近頃カクテル作りに凝っているマスターが、手引きを片手にベースの酒を調合し慣れぬ手つきでシェーカーを振る姿が微笑ましい。研究熱心なマスターだけに、仕上がったカクテルはいける!

程々に切り上げて駅に向かう。と、seijuの看板が目に止まったのであった。暫くご無沙汰をしている、挨拶がてらに覗いて行くこととした。

カウンターに年配の客二人、懸命にカラオケの検索をしていた。なんと、サザンの歌などを唄っい始めたのであった。処がこれが聴いちゃいられない、リズム感悪すぎ。

「ジジイらしい歌を唄えよ」と、胸の内で罵倒したのであった。以心伝心とはこのことか、或いは下手さに気付いたのか古い演歌へと移った。

結構に聴かせる歌が唄えるじゃないか。「そんな歌がお似合いだよ」と、胸内で呟きながら拍手のサービスをした。

人の歌を聴きながら、味わい深いK大兄の唄う「国境の町」が聴きたくなったのであった・・・。

 

Seijuも早めに切り上げて駅に向かった、丁度メトロが入ってくるタイミングで携帯が鳴った。会社のスタッフAOKI君だった。彼は、Yuri嬢とRie嬢を伴って私より先に飲みに出ていたのだが・・・。

何と、seijuに来ているので戻ってこないかとのこと。「もう駅にいるのでやだよ」と、言ってはみたものの、Rieもyuriもいるので店に舞い戻った。

AOKIが絶好調でワンマンショーを繰り広げていた。彼も、一人で手掛けていた6月株主総会の案件が全て終わりホッとしていることだろう。ご苦労様、である。

                       

とうとうママさんから、電車の時間があるので後10分で閉めたいと言われてしまった。

帰りが同じ電車のAOKIと並んで座るが、彼はすっかりできあがっていた。隣の人にもたれ掛るは、乗り換えた東横線では周りから迷惑そうにされるはで、心配になってしまった。

ようよう家の玄関ドアまで辿り着いた、なんとドアの鍵がない。先日、帰省の折に使った旅行鞄のポケットに入れたままであった。チャイムを鳴らすが誰も出てこない、何度鳴らしても駄目。酔った勢いもあり、ドアを蹴りつけて家人を起した。

今朝になり家人曰く「酔って帰るのはいいけど、ごちゃごちょ言わないでよ」と、お冠であった。私は、黙って弁当を作ることにした。

今朝のメニューは、焼き鯖・団子の黒酢餡かけ(出来合品)・豚小間と野菜の炒め物・ゆで卵となった。

                     

弁当が完成する頃、家人のご機嫌はなおっていたようだ・・・。男は黙って弁当だ!これに限る。

 

 

 

 

 

 

 

 

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疲れている・・・

2013-07-03 | Weblog

7/3(水) 昨日は高知から帰京して会社に出たのは午後4時頃だった。7時半頃に退社し、近所の店「ローカーボ」にてハイボールを三杯だけやった。それ以上は飲めなくなり退散した。

疲れているようで体が重い、酒がすいすいと入らない。イベントとつづきで知らぬ間に体の方が参ってきたようだ。畑の草刈や草取りをしても直ぐに草臥れてしまう。早く筋トレを始めなくちゃ、と思う次第。

 

今月、7月は会社の決算月なのだ。今月で29期目が終わり、来月からは30期が始まる。節目の期を迎えるので、29期はいい結果を残して翌期になだれ込みたいものなのだが、そうは問屋が卸さない。今期の成績は厳しいものとなるは必定、来季に夢を託そう・・・。

以上のようなことが頭の中を過ぎりながら、草を刈り、藁を敷きと作業をしていた。天候が悪いので、何時もの焚火もできない。焚火を見つめながら煙草を吹かして一休み、この時間が一番休まるひと時なんだが・・・。

畑に植わっているミカンは何種類かあるのだが、来年辺りからは本格的に実を結びそうだ。今年の稔りはまだ少ないようだ。雨の中、有機肥料を撒きながら成長を願った。

紅いカンナの花が今年も咲いていた、柚子の木の下で毎年鮮やかな色を見せてくれる。

                         

 

 

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