オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

牛小間炒め

2017-06-13 | Weblog

6/13(火) 今朝の弁当は「牛小間炒め」がメイン。他には「焼きタラコ」「春雨のサラダ風」「オムレツ風卵焼き」と、全てフライパン一つで作った簡単料理ばかり。尤も、タラコはガスレンジの焼台を使ったが。

昨晩は「モナリザ会」と云う、月例の異業種交流会が銀座の喫茶店・モナリザであった。その会がお開きになってから人形町に戻った。HOYA兄が「ローカーボ」でSAYAKAちゃんと一緒との連絡を正直?不動産のマッチャンが受け、二人して銀座から戻った次第。

モナリザ会はいつもどおりの進行で、各人の自己=ビジネス紹介と最後に主催のTAKAHASHI前区議が時流を交えた話をしてお開きに。参加者は毎回30~40人弱と云うところだ。参加者の顔ぶれは三分の一から四分の一が入れ替わる。今回の私は『自然食品や無農薬野菜を扱っております・・・・』と、本当のような冗談話をした。少なくとも同業が二・三人いるが、競業も協しようと思っていない。我は我が道を、ただ世間の動向を嗅ぎに行っている。それと、、主催の、TAKAHASHIさんとのご縁を繋ぐためと云えようか。

                      

人形町に戻ってからは「ローカーボ」へ直行。久々に顔を見るSAYAKAちゃんは、子どもを産んだ所為か大人ぽっくみえた。今回はウガンダから帰ったばかりで、子どもは奈良の実家(旦那の)で旦那が面倒を見ていると言う。かく云う旦那は、某大手新聞社の記者であるが、大阪本社への転勤で自分の実家から通っている。一二度、ローカーボであったが閑な好男子なのだ。

SAYAKAちゃんからウガンダの国情など聞きながらハイボール飲む。彼女はウガンダでODAの教育支援プログラムの推進を担当しており、今週末にはまた向こうに発つと云う。ウガンダの他に、昨年から中米のニカアグラでも同様のプロジェクトを担当するようになっている。

頃合いに、マッチャンは隣のこま吉へ。私とHOYA兄いは「セイジュ」へと流れた。客の姿が無い店で、二人でカラオケ、持ち込んであるウイスキーで濃~いハイボールを作る。旨いが効くねぇ~。そんなことで、学芸大学に着いたのは零時半になっていた。それから三つ子の魂百までよと、改札前の東急ストアに入り、今朝の弁当用に「牛小間」を買ったのであります・・・・・。

                          

で、冒頭の弁当事に戻るわけだが、今朝の起床がなんと! なんと、7:28分と云う体たらく。前夜に寝たのは25時過ぎであろうが、前々夜に明け方まで本を読んで過ごした、睡眠不足が祟ったようだ。この時間でも家人用の弁当は十分間に合うが、長女は現れる時間なのだ。

諦めるか、それとも打つ手はないか?ご飯はこれから炊くので、とてもじゃない。食パンは有るか?と家人に問うと「冷蔵庫に」と応えた。急いで取り出し、トーストする。一方で、レタスと卵をだして、炒り卵を。半焼けのパンを手にした処に「お弁当あるの~」と、長女の姿が・・・・。

「じゃあいいわ・・・」と言うのを『暫しまて、二分で出来る』留めたのである。パンにバターとマヨを手早く塗り、レタスを敷いて炒り卵を載せる。もう一枚のパンをかぶせ、半裁してハイ出来上がり。さあ~持ってけ なんともお手軽なサンドイッチで間に合わせ(お茶を濁したか)たのである。

                       

家人用の弁当は、冒頭のとおりに作ったのであります。牛小間炒めには、タマネギ・エノキ・ピーマンをオリーブ油で炒めて添えた。

               

 

 

 

 

 

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胡瓜に花が・・・

2017-06-12 | Weblog

9/12(月) 朝、出社後の一服で灰皿を置いているベランダに出た。鉢にひと苗だけ植えた「胡瓜」に、なんと黄色い花が二つ咲いているのを発見!。苗の丈は50cm程に伸びただけでこんなに早く花を付けるとは・・・・。

この胡瓜は、6/3(土)にパトロール隊が潮来への日帰り旅行の折に、現地で環境保護の寄付をした際に貰った中の一つである。自宅にも一苗植えたが、これは一向に伸びてない。日曜日に会社に持ってきた苗を、近所の百均で買ったシャベルで古い鉢の土を掘り返し、同じく百均の油粕を敷いて植えた。陽当たりがいいので、水だけはタップリ与えているようだ。花は咲けども実はつけず、にならねばいいのだが。

                           

 

さて、今日の弁当は一つ。一つだと、どうも力が入らない・・・。菜の方は「茄子&挽肉の味噌炒め」「アスパラの豚薄肉巻炒め」「小松菜の胡麻和え」「鯖文化干し焼き」、最後に卵一つのオムレツを作ったが・・・・。肝心の弁当を撮ったつもりでいたが、スマホのデータに残ってなかった。一つ弁当と軽んじだ報いか?ボケの所為か?

                      

弁当の映ってない弁当BLOGじゃ塩梅がよくない。未掲載だった金曜日の弁当を、以下に載せる。

金曜日のメニューは、生鮭のバターソテーと味付き焼肉がメイン、出汁巻卵焼きにタラコ焼き、ズッキーニとアスパラを炒めて添えたか。そんなところであった。

                         

金曜日は、九段下のグランドパレスにてOB会の総会と会員懇親会。その後、お手伝いの支部役員&退任役員を交えた慰労会と続いたので、会社に出たのは夕方だけ。その夕方にUSUI老が遊びに来たので、社内に居たのは実質30分程度あった。昼酒につづき、夜は「ちょっぷく」「せいじゅ」と廻って草臥れた。

                    

OB会の方の役員定年は70歳である。私の任期も残り一年、何もしない役員だが、枯れ木も山の賑わいと云うではないか。枯れ木は枯れ木らしく、おとなしく座して満期を待とう。

 

 

 

 

 

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チンジャオロース

2017-06-08 | Weblog

6/8(木) 昨晩は「ローカーボ」から「セイジュ」と廻り、店仕舞いをしている「ちょっぷく」を覗いてからの帰宅。どうやら二日酔気味の朝を迎えた。爽やかな気分には程遠いが、昨日のランチ会の飯炊きの失敗を繰り返さぬようにと、鍋でご飯を炊いた。

                       

今日の弁当は二つ、メインの菜は半分出来合の「チンジャオロース」にした。牛のコマ切れとタレはセットになっているので、私が受け持つのはピーマンと筍を細切にして炒めるだけのことだ。筍も細切のパックになっているのを使用、なんとも手抜きなチンジャロースである。

                   

他には、冷凍の鯖文化干しを焼き、オムレツを作り、冷凍のシューマイを温めただけである。炊きあがったご飯の上に、昆布佃煮を載せてお仕舞。これでも、見た目は立派な弁当である?

                            

 

 ― 大木先輩 逝去 ー

昨日、OB会からの同報メールで剣道部の先輩、大木雄二さんが亡くなっていたことを知った。3月18日、ご逝去とのことだった。電電東京剣道部に所属し、現役で稽古に励んでいた時代にコンビを組んでチーム作りをした先輩である。

大木さんは、鈴木先生の忠心会の門下生で、足運びはすり足ではなく、歩み足を基本とされていた。中央大学出身ながら校風とは違った剣風であった。温厚な人柄で、私とは少々タイプが異なったが、良き先輩であった。

現役時代の思い出では、夏の合宿で河津の天心会道場を大木さんから勧められて其処に行ったこと。

伊豆急線の河津駅から、アユ釣り人が竿を出している河津川沿いに進み、山道を登った処に道場は建っていた。たしか、天心会道場といったか。山の中の一軒家、道場に蒲団を敷いて寝泊りする合宿であったが、妙に懐かしい。蚊には悩まされたが・・・。この合宿中に、忠心会のメンバーが三人、立ち寄ってくれたのでいい稽古ができた。

退職後は益子の方だったか、そこに別宅を構えて道場も造ったと聞かされた。奥様も剣道・長刀をされる方で、お二人で稽古をされたことであろう。悠々自適の暮らしであったろうに。

その後、脳梗塞だかの病で自宅療養と聞き、携帯に電話をすると出られた。声は心なしか弱かったが、昔のままの声で「リハビリに励んでるよ」と応えた。折を見て、お見舞いや激励をと思いながら果たせなかった。

お悔やみの手紙をと、昨夕認めたが、どうも奥様のお名前を間違ったようだ・・・。家人と同じ名だと記憶していたのでひら仮名で書いたが、読み方が違うようだと、帰宅してから家人に言われた。遅かりし、由良ノ助だ!

  大木先輩のご冥福を祈る。

 

 

 

 

 

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ランチ会

2017-06-07 | Weblog

6/7(水) 今日は六月の社内ミーティングの日。この日は、昼にランチ会と称して皆で飯を食べることになっている。その飯は、社内一の暇人である小生が作ると云う次第。

先月は「筍ご飯」だったが、今回は「雉ご飯」を作ることにした。雉は、熊本・菊池の山里で高麗雉とホロホロ鳥の飼育と料理屋を営むN社のOB、松田屋さんに注文した。そのことで、久々にMATUDAさんに電話。満身創痍?疲労困憊のはずだが元気な声を聴けた。氏は、雉の飼育を暗中模索のなかから始め、現在では千羽以上の飼育家になっている。

その奮闘ぶりは、氏のBLOG「まっちゃん日記」からうかがい知ることができる。抱腹絶倒、軽妙洒脱なBLOGで、日々の山里の暮らしや雉の飼育のご苦労等が愉しく書かれている。また、雉のネット販売もしているので「きじの松田屋」で検索すると入手できる。

と云うことで、雉鍋セットを送ってもらい、これで「雉飯」と「雉スープ」を作った。他には、野菜サラダと「イタドリ煮」、少々ながら破竹煮と破竹の筍すしなどを、早朝から作って持参した。

処が、ところがだ。電気釜は一升炊きと、正直不動産屋マッチャンから借用した五合炊きのふた釜を使ったが・・・・。一升炊きの方がブチ(芯)になっていたのだ。こんなことは初めてに近いが、どうやら米を入れ過ぎたのと水量不足、両方が原因だろう。何れにせよ、安い電気釜はイカンザキ!と、電気釜の所為にしよう・・・・。

早速「同じミスを繰り返すな」のイエローカード(これが社長からのカードと云う名称)をデスクの引き出しから取り出して、食事テーブルの上に置いて反省、恭順の姿勢を示した。流石に、心優しきスタッフからは責める声は出なかったが・・・、内心は如何なものであろうか。

早朝からの煮物等につづき、ミーティング後は刻み、磨ぎ、煮と立ちっ放し。すっかり草臥れてしまった。体力の衰え、気力の減退が著しいネ・・・・。飯作りで我が身の衰えを実感するとは・・・・、実に情けない。菊池のまっちゃんの爪の垢でも貰わなくちゃ。

 

今朝は五時半に台所入り。そこから飯を炊き、筍とイタドリを煮、筍寿しを作った。つづいて、家人用の手抜き弁当を準備した。

                          

弁当の菜は「肉じゃが」と平豆&ズッキーニ煮、アスパラ&ズッキーニのソテー、オムレツ、胡瓜の塩揉み、タラコ焼き、以上である。

                      

 

 

 

 

 

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鶏唐揚げ

2017-06-06 | Weblog

6/6(火) 昨晩は昼間の快晴からうって変わり、雷雨となった。人形町を出た時は降ってなかったが、地下鉄の目黒駅を出て雅叙園に向おうとする頃に降りだしたのか、地下鉄へと向かうエスカレーターを降りてくる人はみな傘を提げていた。

表に出ると、未だポツポツの雨模様。西の空に少し青空が見えた。これで上がるのかと思い、傘もささずに行人坂を下って雅叙園へ向かうと、坂道はタップリの雨を流した後の気配が残っていた。

この夕、ホテルの宴会場で郷里にまつわるイベント「南国土佐まつりin東京」と云うイベント(懇親会)が開催された。このイベントに先輩が関わっており、義理で顔を出した。友人のT物産社長O氏、氏の取引先でもあり同郷のJR系の団体会長Y氏、渋谷・奈加野のオヤジとその友人、等々の顔見知りが十人程来ていた。

五百人は集めると聞いていたが、参加者はその半分以下。お粗末感は拭えなかった。地元から県会議長、県選出の代議士・N前防衛大臣の挨拶や、県内への移住PRなどの後、懇親会が始まった。挨拶をしたい人もない、食い物も手の込んだものはなし、ビールは本数制限と云われて足りない。日本酒だけは、地元の酒造メーカーの協賛で多々あったようだが・・・・。

宴会場が狭い、その狭い中に招待客用の大テーブル席を設えて三分の一も占めていた。演壇の前は大テーブルでガランとし、後ろの立食テーブルは狭くてしょうがない。最悪のパーティ設営と思った。誘った友人に申し訳ない、気の毒をした。

途中から招待席に座りこんだが、喫煙所が一階ということもあり、ほどほどで退席することにした。席を知り合いに明け渡し、O氏と下に降りて一服。外はいつの間にか本降りになっていた。

ホテルに入る前は上がるかと思っていた雨だが。ホテルに着いてすぐ、「順」のママから電話があった。「今、銀座は雷雨で酷いですよ」と。『目黒は雨が上りそうな気配だよ」なんて、応えたのに・・・・。宴席にいるあいだに土砂降りか?

ホテルの送迎バス乗り場も人の列、タクシーにも長い列が出来ていた。O氏と、ロービーの椅子に戻って暫しの雑談。週末は疲れたと云うので『ゴルフの出来が悪かったのかい』と訊くと、なんと、彼の次男が土曜日、札幌で結婚式を挙げたとのことだった。「言ってなかったかな?」と言う、『いや、覚えがないよ。尤も、かなりボケてるから忘れたかも』。

O氏は、家庭のこと会社のこと、大概のことは話す。次男が彼女を連れて来た、と云う話は聞いていた。次男の転職のことも、札幌勤務になったこと等も。大抵ののことは覚えているが・・・。先週、彼が人形町に来て一緒にコーヒーを飲んだのは金曜日、2日だったはず。その時、今日は誕生日だと言ったので『コーヒー、好きなだけ飲んでよ』なんて冗談をいったが、次男の婚礼は聞かなかったな?お祝いを、なんてことを心配して言わなかった可能性がある。

俺の方は、『このホテルのラウンジはよく来たんだ。以前、この棟続きのオフィス棟(アルコタワー)に友人が勤めるグループ会社あったんで。仕事の打ち合わせは、何時もラウンジでしてたんだ』そんなことを話した。

その友人、YAMAKI君と云うが、彼と一緒に企画を考えたり、彼の会社の仕事を幾つか貰い、こっちも情報を取ってきてマッチングさせた。貸し借りなしのつもりだが、彼が転職した会社でも少し仕事をさせて貰った。その彼も、退職して二年になるか・・・・。

ここであった結婚式は、三度でているはずだ。一番最初は、四十年も前の、剣道の女子部員MOCHIDUKI嬢だった。その時は、建て替え前の雅叙園で、階段を上がった広い座敷で披露宴があった。ズボンの皺が気になったこと、もっちゃんの文金高島田姿を思い出す。

と云うことで、昨夜は人形町パトロールは欠席。今夜も、東横線の日吉まで遠征となるので人形町を空ける。その代り、明日から三連投で穴埋めをしょうよう。

 

今朝の弁当は「鶏揚げ」「ポテトサラダ」「ギンダラ粕漬け焼き」「茄子・ピーマン・インゲンの素揚げポン酢和え」、以上である。

             

今日は二人分の弁当になった。

 

 

 

 

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祭りへ・・・

2017-06-05 | Weblog

6/5(月) 昨日の日曜日、出掛け先が三か所あった。一つは、早稲田大学であった調査ジャーナリストのシンポジュウム。もう一つは、関東実業団剣道大会。最後に入って来たのは鶴見の祭り、である。

この中から、どれかに絞ることになるが「関東実業団大会」を久々に覘くつもりだった。後輩からメールを貰っていたし、先輩の顔をみて帰りに一杯。そんなことを考えていた。処が・・・・。

土曜日の昼前、ビールを飲んでTVを見ていた。そこへ、高松の女将さんから電話が入った。「お客さんがセイジュにカバンを忘れたかもしれない。ママさんに連絡が取れないかしら」との。他ならぬ高松の女将からの問い合わせだ。それに、酔っ払ってカバンを忘れたという客も顔見知りだった。

とはいえ、セイジュのママは携帯を持っていない。当然、自宅の電話を知る由もない。土・日と休みがつづき、店が開くのは月曜日の夜になる。仕事の資料でもカバンに在れば、サラリーマンは困るだろうね・・・・。唯一、セイジュのママと連絡を取れる者がいるとすれば、ママが怪我で休んだ折に店を開けた助っ人、フナッシー&マッチャンだ。

女将には『取り敢えず心当たりをあたってみるよ。あてにしないで』と返した。この週末、フナッシ―もマッチャンも、「ちょっぷく」の店長YAMAチャンの地元、鶴見の祭りに神輿担ぎに行っていることは承知していたのだ。とはいえ、二人の携帯番号は控えてなかったので、先ずYAMAちゃんの携帯へ連絡を。

処が繋がらない。病みあがりながら、神輿の周りをうろついて携帯の呼び出しが判らないかと、ショートメールと留守電を残した。返信もこないので、今度はフナッシ―の携帯番号を知っている正直不動産・マッチャンに電話を入れる。が、これも出ない。ショートメールを打つ。それやこれやの後、漸くフナッシ―の番号を入手して電話をする。出ない、ショートメールをする・・・・。

あれやこれや、YAMAちゃんからのメールが戻ってきたのは夕方である。「ママは携帯持ってないよ。家に電話したけど出ないそうだ」と。家の電話番号知ってたんだ! と、一安心し、『悪いが、夜にもう一度連絡を頼んでよ』とメールを返した。先ずは、店にカバンを忘れたかどうか(酔っ払って覚えてないとのことだ)、店に在ったのかの確認が先決だ。待ったが、その夜、連絡は来なかった。

祭りは日曜日まで。この日も「ちょっぷく」の面々は神輿担ぎに行く。昼前に連絡を入れると、店の鍵は預かったままで、フナッシ―が持っているとのこと。以前、家に電話をしても出ないと云う。?もしかして若しかして~ 店に電話してんじゃないか?勘違いで! 店には、若しかして掃除にでも出てるかもと、オイラも電話をしたが・・・。

こうなれば、鶴見に行くのが手っ取り早い。祭りだし、孫のSORAを連れていくことにした。祭りだ、屋台だ、買い食いだとSORAは喜んでいる。

昼過ぎに鶴見に着いた。鶴見駅か一号線を越え、鶴見川を渡った処が祭りの町だ。二年前に、やはりSORAを連れて遊びに行っている。行き着けるかどうか、不安もあったが無事に橋まで辿りついた。すると、橋の上には各町内の神輿が並び、総出を待っていた。

となれば、YAMAちゃんの町内の神輿も、面々も居るはずと、順繰りに神輿衆を探しながら歩いた。いたよ、居ましたよ!橋の中央辺りに屯して出発を待っていた。マッチャンが「家に電話してるけど、出ないのよ!」いう。『その番号って、もしかして店の番号じゃなかろうネ。0661だよ』と、訊いた。

案の定、思っていたように店の番号だった。来てよかったことになった。後は、神輿の巡航が終わり、着替え場所に戻れば店のカギを預かれる・・・・。それまで、SORAの相手をしながら待つばかり・・・・。

              

屋台がズラ~ッと並んだ通りを、町内毎に子ども神輿が先頭を行く。暫く時間を置いて大人たちが担いだ神輿が練り歩く。ちょっぷくの面々からお小遣い頂戴したSORAは、握った札を離さず、あれをこれをと屋台の売り物を物色して飽きない・・・・。ダメダメと、セーブするのに疲れちまった。途中で生ビールを、蕎麦を手繰って、神輿の帰りを待った次第。

                 

そんな訳で、日曜日の予定はあらぬ方に行ってしまった。夕方六時、人形町に行って店のカギを開けた。奥のBOX席に、パンパンに膨らんだ大きなバッグが置かれていた。在ったヨ!、これで来た甲斐があったと云うものだ。これだけ膨らんだカバンじゃ、仕事で使うものも入ってるに違いない。高松の大将に届けた。

そのまま帰るのもねぇ~、正直不動産に電話をすると事務所に居た。一時間ほど付き合って貰い、「肉すし」で軽くやってから帰宅した。八時に、末娘がを連れてくるとのことで、一緒に「焼き肉」を喰うことになっていたのだ。 。 割り勘だぜ 

 

てなことで、清々し風がそよぐ朝を迎えた。今日の弁当も一つきり。鍋で飯を炊き、菜は「アスパラの豚巻&タマネギ・ピーマン炒め」「小松菜の卵とじ炒め」「塩秋刀魚焼き」「シューマイ」「オムレツ」、以上であった。

                                         

 

 

 

 

 

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いくらなんでも・・・

2017-06-02 | Weblog

6/2(金) 昨晩は、19:30から「せいじゅ」の灯を燈しつづける会のキックオフであった。趣旨に賛同する(かなり強引な勧誘もあったか?)メンバーが、仕事もそこそこにして店に集った・・・。

勃起人ならぬ発起人の俺は、一週間前に買い込んでおいたサントリー角(4㍑)を小分けのボトルに入れて冷やした。更に、乾きもののツマミ、氷、ソーダ―を事務所一階に在る「まいばす」で買い込んでから出陣。勿論、これほどの重量物を持つのは、従者のYOSHIOとFUJIKURAの両名。重いものは持てぬが、厚い財布は自ら携えた?

六月初日なので、パトロール隊の面々に計らずにキックオフを決めた。HOYA兄いは数週間前から多忙を極めていた。マッチャンは、葛西村で上棟式があると言ってた。 近江の小僧IMAE君は、夕方の電話で「仕事が入って残業に・・・」とのこと。頼みの綱のNAKAMURA大将は、乱行が過ぎたか酔っ払って路上で転倒、頸椎損傷で 手術を待つ身だ。

それに、近隣の会社社長Y氏からは、大津で営業行脚中とのメールが・・・・。この会は六月からスタートと、趣意書をまわす時に伝えてあった。あてにした主要な面々が不在でも、始めなければ始まらない、と。六月初日の開催を決断したのである。

店に着くと、いないはずのマッチャンがちゃっかりと座っていた。どうしたんだ?「上棟式が延期になっちゃって」とのこと。ではではと、濃~いハイボールを作り五人で乾杯をした。一口含む、フムフム美味いねぇ~、実にいい塩梅。これじゃ幾らでも飲めそうな・・・そんな味わいであった。暫くすると、HOYA兄いが社の重鎮MAMIYA老を伴って姿を現した。

『仕事じゃないの?』「疲れたし、帰ろうよと。来たのさ」と云う。それなりに皆さん気に掛けていたようだ。更に近江のとっちゃん小僧IMAE君まで「仕事は明日にして、上司から怒られようがしょうありません」と、随分早く来たのだ。来たが最後、皆さん会費をとふんだくる。会費と引きかえに会員証を渡す。

この会員証なるものは、YOSHIOの作。暇でもないYOSHIOが「友の会なんだから会員証がなくちゃ」と、創ったのだが。これがまた昭和レトロ感たっぷりのデザインである。

                          

裏側に会費納入のシールを貼るようにしてある。この会員証を提示しないと、会員としての扱いをしない。と、製作者のYOSHIOが声高に説明する。だんだんとアルコールが廻り、話し声がでかくなる。俺はママさんに『これで、明日の米と味噌の心配をしなくていいな・・・』なんて嘯く。

いつまでつづくか分らんが、他の客もこのシステムに賛同して、二十人ぐらいになると経営もらくになるか?。昨晩の時点で、八人がメンバーとなった。

濃い~いハイボールがどんどん進む。二回分ぐらいの予定だった摘みもすぐになくなった。4㍑のウイスキーは、ひと月分と想定したが、四分の一も残ってなかろう。久々に大騒ぎの夜となった。 然し、幾らなんでも飲み過ぎじゃねえかい                 

                      

 このウイスキーは渋谷のドンキーで買った。6500円ぐらいだったが、なにしろ重い。自宅に持ち帰り、更に会社に持ってきと、いや~重かった

HOYA兄いとひと足先に店を後にし「ちょっぷく」に寄る。店仕舞い最中の店で白ワインを飲んでいると、YOSHIOとFUJIKURAが姿をみせた。「もうお仕舞」と云う店に、無理を云う。そんな酷い男の夜であった。

 零時過ぎに帰宅、朦朧としたままリビングの椅子で眠りこけたようだ。深夜、ネコが太ももをつついた、それで目を開けると3:30分。また目を閉じた、またネコがももを足さきでトントンした。ネコの目を見ると「ニイサン、こんなとこで寝ちゃダメよ」というような、優しい目で俺を見ていた。その目で、ようよう蒲団へと足を運ぶことができた。

 

今朝の目覚めは「もう七時よ!今日はお弁当は作らないの!」の声で起こされた。作るよ、作りますよと、蒲団から出た。電気釜では間に合わない、鍋で飯を炊く。

菜は「トンカツ」だ。豚の肩ロースを買っておいたのでそれを使う。ついでに、オクラと平豆もフライにしよう。紅鮭を一切れ焼く、小松菜と薄揚げの卵とじ、冷凍のハンバーグと出来合のシューマイを温める。

                     

フライの残りの小麦粉・パン粉で、チジミにする。以上であるが、長女の出勤時間に間に合わなかった。今日は日勤&夜勤だというので、晩飯用に菜だけを大きいタッパーに詰めておくことにした。娘の空と二人で食べるだろう・・・・・。

                         

 飲み過ぎはイカンザキ!反省である。

 

今夕、後輩のKAKINUMA君が「退職金を貰ったので奢ります」と、人形町に来る。二三軒廻ることになろうが、飲み過ぎはいかん。KAKINUMAの話を、会社に寄ったKAKIUCHI君にした ― 二人はアドで一緒だったし、KAKIUCHI君のカミさんとは支社広報で一緒 ― 。すると、「僕は退職はまだ先ですから」という。

 『いいんだよ、そんなこと気にしなくて。仕事、仕事でかえしてよ』と、言ってはみたが・・・・。彼には随分と仕事の世話になった。そんな時期もあった。こっちが、卒業祝いをしなくちゃなんねぇだ。

明日は土曜日、とは云え・・・・・。注意注意!飲み過ぎ注意予報だぜ 22時には切り上げる、そんな決意は何処ぞ

 

 

 

 

 

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炒飯&焼肉弁

2017-06-01 | Weblog

6/1(木) 今日は大安とのことで、なんとグリーンジャンボ宝くじを買っちまった。貧乏人の神頼みならぬ、運がよけりゃの運任せ。五百円玉をセッセッと貯めてもジャンボの一等賞まで行きつくにゃ、人生を百回ぐらいやらなきゃならいからねぇ~。宝くじよりは、競艇の方が圧倒的に確率がいいんだが・・・・。

その昔、宝くじで10万円(一等の組違い)が当ったことがあった。二度、だけだが。仲間うちにポロッと喋ったら、あっと云う間に飲み代に消えたが。ジャンボを買うのはお祭りに参加するようなものだが、組違い賞じゃ、しょうがないんで、どうせ当るなら少々飲み歩いても大丈夫なぐらい当てたいもんだネ

宝くじと云えば、「これが当ったらARIさんに2千万進呈し、スタッフをハワイ旅行に招待する」と公言していた、USUI老と云う人物が、以前、当社に在籍した。当らぬままに退社となったが・・・、その気持ちだけで明るくなるよ。幸か不幸か、私には分けてやる相手がない!(誰だ!私にって手を揚げたのは)。

昔の仲間と云えば、昨夕池袋にてKIYOTA大兄、KOSHIBA氏、TAKAHASHI君と会った。K大兄のご指定で、駅ちかのアイリッシュパブでギネスを飲む会となった。相変わらずの駄法螺大会で大笑いの連続。そんな中で、K氏の奥様が二年半前に逝去、そしてご当人は四年前から大腸癌で人工肛門になったという。

人生いろいろ、生きていればいろんなことが有るさ。それでも生きるしかない。そんな落としどころであったか。かく云うK大兄も、脳梗塞や頸椎損傷をやり、歩き方が通常じゃない。リハビリを相当やっているそうだが、体の衰えが早いようだ。T君は、何の悩み故か定かでないが、五円禿が凄かったことがある。オイラの方は、誰も覗けない心の闇を抱えたままさ・・・?。

平成と云う時代に代わった頃、我等はグループの同じ会社に勤めた。その後、K大兄とK氏は、一時、当社に籍を置いたことがある。そんな仲間が久々に顔を合わせて、昔話と法螺話で宵のひと時を楽しんだ次第。

人形町に戻れコールを振り切って帰宅の途についた。何故か知らぬが、気が付けば電車は自由ケ丘駅を発車していた。田園調布駅から学芸大学まで戻った。それほど飲んだ分けでもないに、面々の毒気にでも当てられたか?どうせ当たるなら・・・競艇かジャンボクジに当りたいものだ。

そんな訳で、昨夜は早くに蒲団に入った。目が覚めると2:55分だった。夢見が悪かったようだ。次に目覚めると3:40頃か。ラジオ深夜便から、ちあきなおみの「カモメの街」が流れていた。懐かしかぁ~、そこから悶々と眠れず・・・・。眠れなかったのは唄に関係なし!

台所に入ったのは六時。今日は二人分の弁当である。残りご飯があったので「炒飯」弁当に決める。

                            

昨日につづきメインは「焼き肉」、魚は「ギンダラの粕漬けとタラコ焼き」、オクラをオリーブオイルでソテー、最後の板カマを切る。卵焼きは、小ネギ入りの出汁巻。以上。

                    

 

六月に入ったので、今夜は「セイジュ」を応援する友の会、キックオフ会をやるのだ。主要メンバーが仕事や入院で欠けるが、切のいいとこで始めないとズルズルになるからネ。

一月、1万円はきついとか、メリットが少ないとか四の五の云うやつもいるが、要は「入るか、入らないか」だ。経済的にきつければ、救済方法はできるだろうが・・・・。この企画は」昭和レトロな街の灯を消すな」だ。皆で盛り上げるからこそ、意味があり、灯は燈りつづくのだ 。みんなで渡れば怖くない、って言うジャン!?。

 

 

 

 

 

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