マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

五日市憲法の地を巡る…の続き

2013-06-11 | 山(その他)
え~と。。。
ナンダカンダ間が空くと、すっかり話の続きはさて……(・ω・)?
と、すでに忘却気味のワタシだし。。。



そうそう。五日市郷土館を見学して、五日市憲法についてとても分かりやすく書かれた印刷物「郷土あれこれ」を幾つかひととおり読んだあと、憲法草案が発見された深沢家の土蔵がある深沢集落を目指して、山越えをすることにしたのでした(・Д・)ノ




で、郷土館からすぐ先の左手、裏山沿いに流れる小川のほとりで、ケヤキの大木の枝を手入れしている方に、

「ここから山には登れますか?」

と伺えば…。

「以前はここから金比羅さんに登れたけれど、今は歩く人もいなくなり、ただの山道ですよ」と。


う~ん、「金比羅さん」と「ただの山道」ねぇ。。。(・ω・)
まっ、なんとかなるだろ~よ。。。とそのまま上がってみることに。




里山風情の「ただの山道」。



急斜面で滑りやすいところには、一応ロープもついてる親切な「ただの山道」。。。




30分もしないうちに「ただの山道」は左手から続く尾根とぶつかります。




どうやらこのひとすじの道が、金比羅さん(金比羅山)へと続いているようです。

しかもここ、きちんとしたハイキングコースのようでして、意外にも何人かのハイカーとすれ違いました。



おまけにこんなしっかりした道標まで立ってます!
もちろんワタシには何処もかしこもチンプンカンプン…?






その先には立派なお宮とともに、立派なベンチ、おまけに立派なトイレまで建っていますよ。
とうとう金比羅山の金比羅さんに到着しました!ちなみに標高468m。
ヤッホーヤッホ~~\(^o^)/


…って、今日はワタシ金比羅さんの山登りにきたわけじゃないしっ。

というわけでまだまだ先の深沢を目指して、そこからしばらく尾根を辿っていくことにしましたよ。




山頂過ぎればいきなり今までの里山風景から一変。




登山道沿い右手に見えるいきなり険しいこの大岩はなんだろう…。




どうやら登れそうなので興味本意によじ登ってみると。。。



登った上には石仏が祀られていました。


その後…。



しばらく尾根をたどれば、やっと深沢へと繋がる尾根が右手に見えてきました!
その先いきなり舗装された道に一旦出てからまた山のなかに。「山の神」の表示方向に下りて行きます。







う~ん。。。やはりこの尾根も本当にキレイに整備されています。
どうやら、このあたり「あじさい山」と名がついた場所もあるらしい。

初めは、郷土館裏からの「ただの山道」だったはずが、そのあと意外なほどにとっても歩きやすいハイキング道へとつながり、なんとか無事に下りることができました。




そんなこんなと郷土館から山を登り、1時間半ほどでやっと目指す深沢に入ります。

で、道ゆく風景はというと。。。





















山奥とはいえさすが東京…。
なんだかここは予想外に「活きている田舎」なのでした。

そして、暫く歩き続けた先に、、、








深沢家の門が見えてきました。やっと東京都指定史跡でもある最終目的地に到着しました!



失礼します~。と門をくぐり敷地を回り込んだ先に、、、





ありました!
草むらのなかにポツンと建つ土蔵がひとつ。
ちなみに敷地見取図を見ると、この位置から土蔵手前まで母屋はあったようです。

この土蔵は平成になって綺麗に修復されたもの。
千葉卓三郎の時代から90年の時を経た昭和43年にたくさんの書籍とともにこの憲法草案が発見された当時は屋根も崩れてボロボロ状態だったそうです。




そして、左手の裏山には深沢家代々の墓地が見えました。


明治憲法制定とともに幻に終わった五日市憲法。
一民間人であった起草者千葉卓三郎は作成わずか2年の後、31才で亡くなったそうでして、またその7年後には、この大きな屋敷の跡取りで千葉の最大の支援者だった深沢権八も自由民権志し半ばの29才で亡くなり、この地に葬られました。



まさに夏草の…夢のあと


そんな風情がぴったりの締めくくりで、今回の五日市憲法ツアーはお仕舞いなのです(・ω・)



ちなみに本日約6時間のコースはこんな感じでしょうか。



まっ、とにかく五日市の深沢って処は、色んな意味でなかなか良いとこでした!














コメント
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