GWピークの日、ふと思い立って出かけた尾根は誰にも会わないマイナー路となりました。
ただし、高尾駅までの電車やバスは相当賑わっていましたけど💧
まずは6年ぶりにやって来たここから👀
国分寺跡、、、みたいな風景ですが、こちらは、戦国時代のお殿様の居館、八王子城址の御主殿跡地なのです。
前回は修復工事のため、敷地は作業シートに覆われて殺風景だったものの、今はどんな建物がどんな風にどのあたりに建っていて、、と詳細な説明書きがあり、それを読んでいるとかなり時間がたってしまいました。。🐌
ここからは以前、城山頂上へとつながるお殿様の秘密の抜け道「殿の道」を歩いたことがあったので、その取っ付きの藪を覗くと、史跡保存のためこの先の通行は遠慮してほしい、、といった旨の看板が立っていました。
また、タケノコ採りを禁じるためにロープが幾つか張られた箇所があったりと、広い山ならではの所有者同士の様々な事情があるようでして、6年も経つと、山歩きもいろいろなコンプライアンスが生じてくるようですね。
お殿様のお宅、御主殿から大手門へと繋がる道に架かる立派な橋を渡ってみる🐾
看板に古道と書いてある大手道もぶらぶらしてみる🐾
そのあとは、まわりをぶらぶらぶらぶら、、🐾🐾🐾
はるか400年以上も昔に埋もれてしまったお城が、裏も表もなくなったように明るくキレイな公園に新生してしまうと、一体私は山登りに来たのか、史蹟見学がしたかったのか❓
それとも自然のなかの公園を散策したかったのか❓❓と、なんだかこのまま帰ってもいいような気分になってきます。
そこで、再び大きな橋の方に戻っていくことに。。
看板の古地図を何気に読む👀
そこにはお殿様の御主殿から橋を渡って、左に行けば大手門が。右手を登り詰めると八王子城の外郭に当たる太鼓曲輪尾根が描かれています。
そうか太鼓曲輪、、、💡
行く先は決まりました❗️
大手道に並行する太鼓曲輪尾根も、かれこれ6年前に尾根の取り付きから登って以来なので、ずいぶん変わっているのでしょうか。。
以前は大手門からアクセスが可能だったはずですが、いまはその経路も見当たらないため、尾根下の小さな橋の際から、それらしき小路を見つけて、尾根に乗ってみることにしました。
あちらこちらにテープの案内があるため、わかりやすい経絡です。
しばらく登ると尾根に乗りました。
ここまでくると自然がいっぱい👏
結構、正解だったかもっ‼️
最近は来る人が多いのかな。。
前よりもかなりテープが増えていますね👀
まもなく、第2堀切が現れました。
6年ぶりのせいか、薬研堀の底が埋もれて底上げしているような気がします。
その先の第三堀切にも到着。
たしかこの堀切直下が御主殿だったはずですね。。
見下ろすと、さっきまで当てなくぶらぶらしていた御主殿の門が、木の合間から明るく見えています。
ここ第3堀切は、おそらく10メートル以上の深さがあるため、携帯カメラに収まらず、、💧
堀切の西側面だけを、とりあえず撮ってみることにしました。
この堀切が太鼓曲輪尾根上で最大なのは、直下の御主殿を守り固める意図からだと思いますが、切り出された石を堀切の石塁としてばかりでなく、御主殿の造営資材として、谷側からすぐさま運び下ろせるという利便性があったのかもしれません。
次の第4堀切も昨今の台風の影響なのか、ますます荒れていますね。。
まぁ、どの堀切も底はとにかく歩きにくい💧
そのわけは、折れた枝木とともに、中世の人らの手で割られた様々なかたちの石材が、至るところに転がっているからなんですね❗️
そう考えるとここすごいな。。。🤔
堀切の急な斜面を上がった場所にも、みごとな直角に割られた石が残っています。
仕事が出来る現場監督がお殿様の時代にはいたんでしょうね。。
幅広くかなり歩きやすい第5堀切は、尾根で一番に標高が高いところに造られています👀
で今回、ここで気づいたことがありました。
それは、第2、第3、第4堀切は、J字型に西側面(尾根の登坂を遮るように)が敵の襲来に備えて、高く造営されているのに対して、この第5は逆なんですね〜。
つまり、東側がかなり高い。
てことは、、この最後の第5堀切に限って言えば、敵の襲来を山側からと想定していたからなのかな。。と。
歩き深めて、いろんなことが考えられる太鼓曲輪尾根はやはり奥が深いですね。。
なかなか身体も使うが、アタマも同じくらいに使うような尾根はないと思います🤔
帰りの電車では、いきなりヒョウが降ってきて、電車に激しく当たっていました💦
山で遭わずによかった。。