これまでぶらぶらと歩いては、世田谷や目黒に残る歴史のカケラを何度か探してきましたが、改めて思うのは、ワタシってなんだか訳もなく石が好きなんですよね。。
石といっても自然風化の奇岩を観るよりも、玄関を出れば至る所でお目にかかることのできるような境界標石みたいなものに惹かれるのですねー。
やっぱり木が境界標じゃ不安だし、、💧
その下をよく見ると、、👀
すぐ近くにあった池尻偕行社住宅との境界でも、電柱のうしろで隠れん坊している石を発見しました❗️
石といっても自然風化の奇岩を観るよりも、玄関を出れば至る所でお目にかかることのできるような境界標石みたいなものに惹かれるのですねー。
因みに写真の👆は、ウチの前の道路に埋まった境界石。おそらく砂利の入った雑なコンクリート作りは戦後あたりじゃないか、、と。
境界石って土地所有において、土地の境界を示す大切な設置標なのですが、おそらく、ほとんどのヒトはその存在にたいして気にも留めないでしょうね。
しかも、この境界標は石やプラスチックや金属じゃなくとも他のものでも構わないのだとか。。
それで思い出したむかし話をひとつ😲
会津の山奥で当時一人暮らしをしていた齢80を越えるワタシの祖母が、家の裏庭に立つ柿か栗?の木を勝手に邪魔だと切ってしまったことで、隣の家との間で訴訟にまで発展してしまい、祖母が敗訴したことがあるのです。
これは、切った木が隣の敷地との境界木だったことが裁判所で認められたからなんですねー。
そんなことなど全く知らなったおばあちゃんがなんだか可哀想なんですが、、。
やっぱり木が境界標じゃ不安だし、、💧
というわけで頑強な花崗岩で作られた標石もあるわけでして、これは、世田谷区代沢の陸軍獣医学校敷地跡に残る「陸軍省所(轄地)」と刻まれた境界石ですね❗️
ここには敷地のまわりに、合計3つも陸軍標石が残っているので、マニアには興味深い場所かもしれません。。
お次は、淡島通りを渡って世田谷区池尻へ。。👀
陸軍騎兵第一連隊跡地の石垣に沿って歩いています。
戦前は騎兵山と呼ばれた台地上にあった騎兵第一連隊の石垣は、昭和に入ってからの脆弱なコンクリートで作られた他の戦争遺構と比べて、花崗岩で造られた立派な城壁そのもの。
当時日清戦争に続いて、日露戦に突き進もうと国内気運が高潮するなかでの軍隊の威厳をこの積み上げられた御影石からも感じられますねー。
その下をよく見ると、、👀
崖下のゴミ捨て場の脇には、とっくに役目を終えた花崗岩の崩れた塊だけが放置されていました。
すぐ近くにあった池尻偕行社住宅との境界でも、電柱のうしろで隠れん坊している石を発見しました❗️
さすが、かつては軍の町だけあって、ちょっと探せば、道端には面白いものがいろいろありますな🤔
お次は淡島通りを目黒側へと移動してみたいと思います。
実は、個人の名前が刻まれた戦前の標石が、ふたつも仲良く並んでいる場所を、最近見つけちゃったのですっ😆
続く。。🐌