前回記事に続き、散歩途中に楽して見られる陸軍境界石がまだあったことを思い出しました。
それがこちら👆
御影石のアタマが十字に刻まれていますね…👀
で、大正時代の古地図を見ると、この池尻から246号線を東側に越えた一帯は陸軍の駒沢練兵場で、境界石は練兵場のちょうど北西の角の民有地と個人墓所の境に設置されていたようです。
まずは右手が以前見つけた「田中」と刻まれた立派な境界石で、左側の小さなものが今回見つけた石。
それがこちら👆
世田谷区池尻の陸軍用地と刻まれた境界石は、墓地と隣接する専門学校の境で今もまるで現役のような存在を示しています。
御影石のアタマが十字に刻まれていますね…👀
十字の意味は敷地が四等分に分かれた場所だと示すため。
でも、ここはただの一本道だし。。🤔
で、大正時代の古地図を見ると、この池尻から246号線を東側に越えた一帯は陸軍の駒沢練兵場で、境界石は練兵場のちょうど北西の角の民有地と個人墓所の境に設置されていたようです。
当時、柵があったかは分かりませんが、広漠な場所だからこそ、ここには幾つもの標石を立てて(現在、他の標石は埋もれていて、上部だけ見ることができます)、当時は土地の区別を明確にしたかったのかもしれません。
…このように立派な御影石の「陸軍」標石だけでもなかなか珍しいものの、先日、目黒区の松見坂の住宅地の裏路地を散歩中に、個人名が刻まれた2つの境界標石が偶然並んでいることに気づいたのです。
まずは右手が以前見つけた「田中」と刻まれた立派な境界石で、左側の小さなものが今回見つけた石。
なんだか「西郷(家)」と読めるんですよね、、、。
しかし、昨今は個人情報やらなにやらあるため、慎重にやらなきゃいけません💧
ちょっと調べてみようかな…。
再び続く。。🐌