マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

渋谷 見えない宇田川とその源流をたどる

2022-11-22 | 街歩き・歴史散歩
多摩川を見渡す場所から都会に越してきて十余年。。
ウチの近くに川はないと思っていたところ、偶然、昭和の頃の古地図を見て、まわりは川や用水路だらけで、蛇行する川ではよく氾濫も起きていた❗️、、なんてことを知りました。
つまり、全てが暗渠化されていたんですね…。

それをきっかけにヒマが出来ると都会のなかの見えない川とそれにまつわる歴史のカケラ探しがなかなか楽しいことに気付いたのです。

で、今回の暗渠探検は散歩を兼ねて渋谷の外れのいまでは渋谷繁華街に町の名前だけが残る宇田川に注目してみました。


まずは宇田川の豆知識👀📖
渋谷川の支流。
むかしは、今の代々木公園からNHKに沿って流れる豊富な水量を利用した稲作が営まれていた。
その水の深さでときには人が溺死するくらいの底なし田んぼだったとも。
因みに湧水地という場所柄、低い水温のせいでお米の味はあまりよくなかったらしい。。

また、地理的には川の源頭部にあたる幾つかの谷戸(代々木上原や大山、西原、幡ヶ谷あたり)からの湧水が代々木上原周辺で宇田川の様相を呈して、代々木八幡からの支流と合流。
その流れが渋谷駅の宮下パークあたりで渋谷川にバトンタッチ🏁❗️

そんなところでしょうか。。


これは大正末期の代々木上原あたりの古地図です👀

曲がりくねった等高線の集まりはまるで山の地図を見ているようですねっ。
これじゃ、谷を詰めれば水が出てくるのも妙に納得です。

そんな地図とにらめっこした結果、今回の宇田川散策は代々木上原周辺の3ヶ所の谷間あたりから湧き出る水の流れに焦点を当てて源頭を探ってみることにしました。
目指すのはこちらの3ヶ所。。

三角橋
大山園
徳川山

ではひとまずスタート。。。🐌


先ずは三角橋を昭和初期の古地図から見ていきます👀

三角橋交差点は渋谷区と世田谷区との区境ですが、どうやら周辺には水源地が2ヶ所あることがわかりました。ひとつめは小田急 東北沢駅の北側のガード下あたりで、ここはすでに川は失われていて砂利取場になっているようです。

そして、もう一つは三角橋北側の湧水池(地図③)
池を端とした流れは地図にはっきりと描かれているので、今も水路跡のヒントが何処で見つかればラッキーですよね❗️


🐾

🐾



三角橋交差点にやってきました👀

ここは暗渠となった三田用水の三角橋跡あたり。。
傍の大きなケヤキの根元に目を向けると、石を穿った跡の残る大谷石が護岸の役目を失った今でもこの木を支えています。
この三田用水の石はまわりにも幾つか残っているので、三角橋の道路拡張工事が進む前に是非探してみて下さいね。


そんな三角橋で宇田川という社名の材木屋さんを発見しましたっ😳

もしかして川と関わりがあるのかな❓❓、、と調べてみると、どうやら社長さんのお名前のようでしたが、宇田川の源頭に同名の会社があるなんて、偶然にしては凄いですよね。。


三角橋の都道420号線から北へと道が下がっています。
水源池はこの坂を突き当ったマンションと邸宅との境に見えるあの木のあたりでしょうか。。

玉川用水やこの都道に沿って流れていた三田用水は、安全確実に江戸の町まで水を通せるようにひたすら標高の高い場所を選んで水路は造られています。
それを分水嶺に例えると、三角橋から確かにこうして地形が下がっているわけですから、むかしのひとの土地を見る才知はすごいですよね。。


古地図①📸
坂を降りた先をフェンス越しに見てみる👀

側溝の先に湧水池はあったと思われますが、敷地境界を真っ直ぐに2本並んだヒトんちの側溝があまりに立派すぎて、ワタシはそっちに見入っちゃいましたっ😆


古地図②📸
側溝から東側に移動して、マンションの敷地に沿って歩いて見る👀

少し道が左に傾いているのは、側溝を源頭部ととらえると、ここが東と西に迫り上がったV字の深い谷だったからなんですねー。


で、マンションのエントランス側に回ってみると、喚起を促す危険💦な急坂が谷底へと続いています。
水源池からの水路(青矢印)は坂を下ったあの奥ですね❗️


古地図③📸
今度は反対側の西側の谷へと移動してみました👀

建物の敷地境界を下った先を池からの水路は右から左へと(南から北)続いていたはずですが、いまは暗渠になっているのでしょうか。。


で、、肝心な宇田川のはじまりとなる池はいったい何処にあった❓もしくはあるのでしょうか🤔

…おそらくヒントはこちらの広大な邸宅(大樹荘)の東側の庭にあるはずですが、見ての通り確認など出来るはずもありませんでした💧
しかし、、なんでしょうね。
この邸宅は❓❓


代わりに水源池近くの窪地に古い井戸を見つけました👀
昔は湧水に恵まれたこの井戸で日々の暮らしが営まれていたのかもしれませんね。。


そんな三角橋周辺の2ヶ所の湧水地からの流れはこの上原中学校の南東角あたりで合流したようです。



その流れは、昭和初期の地図には現在の中学校東側の街路樹に沿うように、北側に向かって描かれています。

街路樹の落ち葉に隠れた量水器にもこの学校の歴史の古さが感じられますね。。


水路はこの先、井の頭通りを越えて、代々木上原の駅へと続きますが、なんだかこの交差点って不自然に盛り上がっているように見えませんか❓

で調べてみると、当初の井の頭通りは貯水池の水を世田谷区の和田堀給水所まで通した送水管の上に造られたために高さが生じ、その後、渋谷まで道路が新設された際も地表レベルはそのままに保たれていたからなんですね❗️
もちろん新設道路には送水管は埋まっていません。


はなしは戻り、水路は代々木上原駅のガードを抜けて、矢印先の小さな駅前公園に向かっています👀



実はこの西原児童公園あたりで、今まで追ってきた三角橋からの流れと、これから見に行く2箇所の源頭地(大山園と徳川山)からの流れは集まって、代々木八幡方向へと続いた結果、宇田川は誕生するんですねー❗️



そんな宇田川誕生の記念になりそうなこの公園も、残念ながら川は暗渠化されて、歴史と共に厚いコンクリートの蓋のなかに入れられてしまいました。。
公園の階段に残る橋のような遺構はそんな昭和の中頃に作られたもののようですね。


次回は、宇田川源頭部の残り2ヶ所、大山園と徳川山周辺を歩いてみます。。。🐌
コメント
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