マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

青梅: 向井潤吉の描いた風景を探しに行く

2023-02-26 | 街歩き・歴史散歩

きっかけは先日出かけた世田谷美術館分館の向井潤吉アトリエ館で見た一枚の油絵。。


青梅の民家を描いた1976年制作の作品「爽緑の丘」。

展覧会チラシにもなっているわけですから、きっと有名な作品なんでしょうけど、ワタシの勝手なイメージでは向井潤吉って、真正面に捉えた古民家に青い空や高い山や印象的な木が一緒に描かれた作品が多い気がするんですよね。。

だからこそ、場所を特定する手がかりが周りに描かれることなく、深い緑だけにすっぽり囲まれている丘の先に傾きかけた、こちらの小さな茅葺きの家の景色は、逆に新鮮に映ったりするのかな…❓

チラシには青梅市栗平、、と場所名は書かれています👀
果たして47年前に描かれた景色が今も青梅の山奥に残っているんでしょうか。

そんなことを思ったら、なんだか探してみたくなってきました。


🐾

🐾


そんなわけで、青梅駅まで電車でやってきました。
なんだか、レトロな雰囲気が満載の駅でちょっとびっくり…🫢


青梅駅からは上成木行きの都バスに乗って、20分ほど先の赤仁田バス停で下車をします。

そのあとは、目の前に続く、こちらの栗平林道を入っていくわけです。
一応、事前に地理院地図で栗平集落の位置だけは確かめてきましたが、現在そこには数件ほどしか住民の方は住んでいないらしく、ちょっと心配ですね…💧

で、唯一場所の特定になりそうなヒントは展覧会のチラシのなかの作家の言葉👇

「勾配の強い森陰の道を登り切った狭い谷のはざまに四、五軒が散在して、物音一つしない静けさであった。その家と家の間の細い径を通り抜けたところに、こんな隠れ家のような家があった」

いまはこれだけが頼りなのです😓


薄暗い林道から途中外れて、栗平には急勾配の山道を進んでいきます。
しばらくすると道が開けて、作者が言うように数件の民家が見えてきました。

おそらくここが目指す栗平集落のようです。

意外にも周りでは山の竹を刈っていたり、手前の建物の庭では山作業をしている方がいらっしゃるんですねー。
そして、恐る恐る作業中の女性に展覧会のチラシの絵を見てもらいました。


「あー、〇〇さんのところにこの家、似てるわねー。あの家と家の間から上がった先に前は小さな茅葺きがあったわね。でもいまは取り壊されてないわよー」


と早速回答が返ってきました。



なんだか、、💧💧
着いた早々にいきなりゴールが見えてしまった感がありますが、、、

とりあえず、教えられた道…というよりも、どなたかのお宅の庭先を上がってみることにします。



確かに「家と家の間の細い径を通り抜ける」、、感じがしているぞっ。



向井潤吉も47年前にこの道をイーゼルを担いで上がっていったのでしょうか。。。😌



きつい斜面には黄色い花が咲いていますね。



どうやら、この花はここでしか見られない福寿草の野生種で青梅草というらしく、今が花の盛りということで、この花目当てのハイカーやトレランの方々がひっきりなしにワタシの横を通り過ぎていくんですねー。

偶然とはいえ、集落がもっとも賑わう時期に訪れたのはかなりラッキーだったようです。



その先は確かに開けています👀
果たしてここがモデルとなった場所なんでしょうか。



草むらのなかに建物の基礎や徳利が残っていますね…


とはいえ、早々に特定するのは覚束ない気がしたため、今度は大きな民家のすぐ下で畑仕事をしている女性にはなしを伺ってみると、、

「あら、向井潤吉の「爽緑の丘」は私も好きな絵なんですよー。この絵の場所はここからずーっと登っていった、どんつきの家で、その頃から誰も住んでなかったから、壊れかけていたようですけど、、むかし画家さんみたいな人が大きな道具を担いで何度かやってきたってはなしは聞いてますけどね。家はとっくになくなってます。最近は奥まで行ってないけど、多分そこまでの道はなくなっているんじゃないかな…」

と今度はかなり確かそうだっ😆

どうやら、向井画伯は先程の福寿草の道をひたすら上がっていった突き当たりの無人の小屋に心を惹かれたということのようですね❗️



ご親切にもその方はわざわざ林道から登り坂を回って、古民家のあった場所まで連れていってくれたのでした。

そして、向かった先はやけに明るく、広い敷地で、中央には私有地と書かれた札が立っています。
(地元の案内人はつかつかとなかに入っていますが…😅)

どうやら、ここが全くの更地なのは、林道と集落の分岐路に挟まれているために、道路整備でかなり平されたからのようです。


茅葺き家から福寿草の咲く場所への下りの経路は、使う人の居なくなったいまは見ての通りの藪だらけで、全く先には進めません。



現在の「爽緑の丘」から見下ろす風景を眺めてみます👀


地図を見て気がついたのは、ここは集落でも一番高い場所だということ。
つまり、向井画伯は林道がおそらくなかった時代に集落のはずれまで、急な径路を登り詰めていき、あの朽ちた家を偶然見つけたってわけですね❗️



改めて、半世紀前にこの作品を向井画伯が描いた場所は、、



このあたりからだったのではないでしょうか。。


家はもちろんのこと、玄関先から続く緑のなかの坂道も今は消えてしまいましたが、ここから見上げた背景の木々の深さだけはなんとなく変わっていないような気がしますよね。。

そんなわけで、今回の歴史散策はなかなかの探検に思いがけない結果がくっついてきたんじゃないかな、、と思っています。
帰りはバスがないため、駅までの山越えがなかなかキツかったのが唯一の難点でしたけどっ😆



コメント
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