神明谷戸の最奥から小野路城への経路が見当たりません。
途中、どこかで見落としたようです。。
で、尾根を目指して斜面を上がっていくことにしたものの、あたり一面が蜘蛛の巣だらけで、ネバネバ地獄に陥りました💧💧
尾根道に乗って、やれやれ。。😓
クヌギやコナラの目立つ自然林を、ピーク目指してひと登りしていきます。
道がはっきりしてくるとともに、あたりも開けてきました。
経路の部分がすこし高くなっていて、周りとのわずかな高低差もたしかにお城の曲輪の様相を思わせますが、ふかい下草と執拗な蜘蛛の巣と攻撃的なヤブ蚊のおかげで、踏み入る気にもならず、、。
そんなわけで、やけに今も守りの固い(笑)要塞を突き進んでいくと、ポツンと小さなお社が建つ、小広い場所に着きました。
ここが山のピークでしょう。。
まわりを見ると、北側はスッパリと切れていて、したには経路が回っています。
その境の土塁らしきものには石祠が取り残されたように建っています。
おそらく主郭の北側の切り崩しは、主要な往還が交わる小野路宿を見張る役割を果たしていたのかもしれません。
ここでひと休みついでに、ちょっとばかり小野路城を検索すると、、お城の築造は鎌倉幕府成立より少し前で、東京都内では最古に当たる貴重な中世期の山城遺構なんだとか👀
そして、小野路城の別名は、結道(ゆいどう)城。
下車したバス停名はそこから来ていたってわけなのね、、🤔
ゆい とはかつての八王子近辺の呼び名だったことから、両地を結ぶ道が地名の由来なのかもしれません。
因みに私のなかで #八王子 といえば、何度か太鼓曲輪尾根を歩き回った八王子城なのですが、実はこの小野路城も、戦国期は八王子城を築いた小田原北条氏の支配下にあったことも、今回調べて始めて分かっちゃいました。
しかし、ここ、、ヤブ蚊が多い。。。😅
ひとまず退散です💦
かつてはお城の虎口らしきお宮の鳥居から、すべりやすい急斜面を降りていくと、その先斜面は落ち着いて、広い場所になっているようです。
下草でわかりにくいですが、ゆるい斜面は段々状になっていて、たしかに曲輪のようですね❗️
しばらく南方向へと踏み跡に沿って進んでいくと、左手にいかにも堀切らしき形状の箇所を発見しました。
が、ここも蜘蛛の巣に囲まれて近寄れず。おまけに、ブーンってオオスズメバチも飛んでったぞっ💦
一応、地理院地図で確認すると、ちょうど尾根の左右が狭くなるポイントに当たるため、間違いなくここが堀切だと確信しました。
我ながらこれ見て、堀切と気づくとは、わたしゃ何処に行こうとしてるやら。。😆
一応、地理院地図で確認すると、ちょうど尾根の左右が狭くなるポイントに当たるため、間違いなくここが堀切だと確信しました。
我ながらこれ見て、堀切と気づくとは、わたしゃ何処に行こうとしてるやら。。😆
鎌倉道のような風情に変わりました。。
そろそろお城の外郭を越えるあたりでしょうか。
ここまで降りてくると山里の風情に場面は移って、舗装された明るい交差路に出てきました。
でもこのあたりは切通しもあって、なかなか絵になる景色です。。
傍らの説明板には、乗越八幡跡と書かれています👀
一段上がった箇所には道祖神と朽ちたふたつの五輪塔も残ってますね。
尾根を跨いだ箇所を乗っ越しと呼ぶことから、おそらく相模側から小野路を結んだ古い街道の脇道だったのではないでしょうか。。
説明板には八幡さまは裏手の薪小屋のあるあたりに昔はあったようです。
どうやらそのむかしは古墳らしき塚もあったらしいので、ここが古代信仰の場からはじまり、後世に続いたとも考えられます。
そんな乗っ越しを小野路の方へ下っていくことにしました🐾
手入れされた道端には彼岸花が咲いています。
今回の山では、大きなクヌギの木をあちこちで見ることができました。
クヌギは、里山の自然力を測るためのバロメーター。
たくさん見られるのは良いことです。。😌
麓のお寺までとうとう降りてきました。
いま歩いてきた小野路城の山並みが遠くに見えています。
小野路宿の高台に鎮座する小野神社。ここもかなりの由来有り気だぞっ😆
旅の終わりはバスを待ちながらのひと休みを。。。🍹
前回、工事中だった小野路の宿場はずいぶん広い街並みになり、もとは名主屋敷だった場所にはステキなカフェが出来ています。
思えば、初めてここにブラリと来たのが30年前、、、あの頃ここは人影もなく、うす暗くて道幅の狭い集落だったような😑
なんとも明るい町になったもんだっ❗️