生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

主題と変奏と演奏と変題[賛辞か茶化しか嫌悪か]:想像[独創]と模倣

2012年08月12日 15時39分51秒 | 美術/絵画
2012年8月12日-8
主題と変奏と演奏と変題[賛辞か茶化しか嫌悪か]:想像[独創(?)]と模倣


  「カバー (cover) とは、ポピュラー音楽の分野では、過去に他のアーティスト(演奏家・歌手など)が録音した曲を演奏・歌唱して発表することである。 元は代役を意味する言葉であった。〔略〕
 ひとつぐらい美術の世界がポピュラー音楽やマスコミから盗み返しても良いのではないのか? 」
http://cas.or.jp/2012/cover/index.html

 
 主題[本物?]と変奏または変装。
 主題と変相、さらには変題へ。換骨奪胎。『権威』や(人口に膾炙しているという)有名性をちゃっかりと借りてしまう[『ブランド』企業の盗み口。少し変形して自分の知的財産にする。]。
 
 主題?〈変形〉?変形主題
 〈変形〉の仕方には様々な種類と程度がある。
 演奏そのもの[特定時空での]。
  演奏[解釈または時空的具体化]は批評的行為か?
   検討事例:変則的ショパン。ジャズの即興演奏は? わざと[意図を]外すこと。

 例。荒井由美によるという歌曲の歌唱[演奏](CD)。それよりもしっとりとした情感が(一部の人には)感じられる??の歌唱(CD)。

 模倣計算 simulative calculation。架空『実験』。偽装。


創発と下向因果連関

2012年08月11日 01時01分11秒 | 生物哲学
2012年8月11日-2
創発と下向因果連関

鍵語:創発、下向因果連関、淘汰的システム、ドナルド キャンベル Donald Campbell。

 下記に、Blitz, D. "Emergent Evolution" (1992) の「(c) Supervenience and Downward Causation : Donald Campbell and Roger Sperry」の一部を訳出する。

******* はじまり

 それからCampbellは、創発と下向因果連関という二つの原理を加えた。それらは、彼が純粋な還元主義に同意しないことを印すものである。創発は有機的準位 organic level で作動し、それは無機物には還元され得ないと、彼は考える。すなわち、『生物進化は、宇宙の諸区分を曲がりくねりつつ探査するなかで、淘汰的な諸システムとして作動しながら、諸法則に出会う。そのような諸法則は、物理学と無機化学の諸法則によって記述されることはないし、また、物理学と有機化学の現在の近似的結果を将来置き換えたものによって記述されることもないだろう。』(1974: 180)。〔略〕 
下向因果連関は一つの制約的要因であり、より低い準位の現象の広がり prevalence と分布に影響する。すなわち、『自然淘汰が編制のより高い準位で生と死を通じて作動するところでは、その高準位の淘汰的システムの諸法則は、より低い準位の事象〔出来事〕と物質の分布を部分的に決定する。』(1974: 180)。そのように定式化されたので、下向因果連関は、生物学的システムにだけ適用された。
 Campbellの付随性 supervenience という創発主義的概念は、『付随性と法則律的通約不可能性 Supervenience and Nomological Incomensurability』(1978)と『心理的付随性 Psychological Supervenience』といった記事におけるJaegwon Kimによる用語のきわめて異なった使い方とは混同されてはならない。〔略〕 Kimの理論では、付随する性質とは通常は心的な性質であって、通常は物理的な性質である付随される性質とともに変異する。付随されるまたはより下の準位の質は、付随するまたはより高い準位の性質を統御するのであるが、それは創発的というよりは付帯現象的 epiphenomenal と記述されるほうが良かっただろう。

[Blitz 1992: 160-161。試訳 20120811。]

******* おわり/


創発と還元主義

2012年08月11日 00時00分56秒 | 生物哲学
2012年8月11日-1
創発と還元主義

鍵語:創発、還元主義、構成的還元主義、説明的還元主義、理論還元主義、エルンスト マイア Ernst Mayr。

 下記に、Blitz, D. "Emergent Evolution" (1992) の「(d) The Autonomy of Biology: Ernst Mayr」の一部を訳出する。

******* はじまり

 Mayrは自身の生物学の哲学では創発を採用したけれども、還元主義のいくつかの形態には反対しなかった。『生物学思想の成長 Growth of BIological Thought』(1982)では、構成的還元主義 constitutive reductionism、説明的還元主義、そして理論還元主義を三つの明確な型として彼は考察した。有機体〔生物体〕の構成要素は物質的であり、無機的化合物の構成要素と同じ本性だと、構成的還元主義は主張した。Mayrはこの型の還元主義を受け入れ、その、有機物と無機物との間の区別は、物質の問題ではなくてむしろ編制 organization の問題だという見解を受け入れた。
 説明的還元主義は、生物学的存在者は、その基本的構成要素(有機体の場合には高分子)に分析されない限りは理解できないと主張した。Mayrは、或る主要な場合で、つまり、CrickとWatsonの遺伝子をその基礎であるDNAへと分析するという場合で、このアプローチ〔接近〕が成功であったと認めた。しかし、Mayrは『生物学のすべては分子生物学である』(1982: 60)というもっと進んだ主張は退けた。より高い準位のシステムは自律的単位であるという事実、そして或る程度それなりに、より低い準位のシステムからは独立しているという事実を、それは無視しているからであった。そのうえ、説明的還元主義は、進化の歴史的次元を十分に考慮することはしない。そのことは、説明的還元主義の生物における適用への二番目の制限である。
 Mayrは、最初の二つの型の還元主義にはいくらかの信用を与えたのに対して、生物学は物理的および化学的諸理論の特殊な事例だと示すことができるという『理論還元主義的』主張は退けた。
[Blitz 1992: 162-163。試訳 20120810。]

******* おわり/


官邸前などの金曜デモ

2012年08月10日 00時06分20秒 | 生命生物生活哲学
2012年8月10日-1
官邸前などの金曜デモ


 人事案反対!田中はやめろ!~官邸前金曜デモの勢いは止まらず
  「アピールで千葉の女性は「原発は事故がなくても放射能を垂れ流す危険なもの。〔略〕」
http://www.labornetjp.org/news/2012/0803shasin

 「原子力ムラ」の中心人物・田中俊一氏が規制委員長候補に――政府案に再考求める声広がる
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=2340

 「細野出て来い」 原子力規制委員会人事に怒り渦巻く
  「 原子力規制委員会は環境省の外局である。細野環境相は同委員会人事に絶大な影響力を持つ。怒りの矛先は、細野環境相にも向けられた。
 〔略〕
 この日は環境省のみならず、経産省、文科省、財務省前にも市民が集い抗議の声を挙げた。」
http://tanakaryusaku.jp/2012/08/0004821



パブリックコメントに「原発0%」を表明しよう

2012年08月09日 22時11分04秒 | 生命生物生活哲学
2012年8月9日-4
パブリックコメントに「原発0%」を表明しよう

 原発は即時停止して、短期的には節電と火力発電や太陽光発電(と、あれば短期に実現できる技術革新)などで、安全で安心な生活を実現しよう。
 内閣官房国家戦略室のエネルギー・環境会議では、「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する御意見の募集(パブリックコメント)、2012年8月12日まで受け付けている。
 2030年時点までに原発0%という選択肢を選び、さらに原発の即時停止という意見を書こう。
 
 「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する御意見の募集(パブリックコメント)
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?ANKEN_TYPE=1&OBJCD=100095
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=095120900&Mode=0
https://form.cao.go.jp/aec/opinion-0027.html

 パブコメの書き方
https://publiccomment.wordpress.com/2012/06/20/howto/
 
 
 再稼働反対な貴方へ 国が意見を募集していますので送りましょう...
http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/blog/staff/blog/41225/

 エネルギーに関してのパブリックコメントに「再稼働反対」を表明しよう~☆
  「こそ~~っと行われているパブコメ募集は、政府が本気でパブコメを求めている等と到底考えられず、行政手続法の存在と「既成事実」を作る手段だとしか思われないのだ。パブコメが一握りの利権集団に牛耳られない為にも、政府にパブリックコメントを送ろう~。「再稼働反対~」と。」
http://blog.goo.ne.jp/hita-no/e/9d5234c63a5b557ab245f28dc5c21bd9

  「※7月19日追記※
こちらのパブリックコメントの締切は、8/12までに延長されました!」
http://ameblo.jp/momokohime7/entry-11300567680.html
 
 再稼働反対意見公募に応募を!!
http://blogs.yahoo.co.jp/tukinoasa/62988302.html

 脱原発のためにあなたが最初にできること。「“先生”政治」に終わりを告げる
http://www.magazine9.jp/kaeru/120711/



感性術、感性美

2012年08月09日 21時44分00秒 | 美術/絵画
2012年8月9日-3
感性術、感性美

 fine artの訳語として美術という語ができたらしい(たとえば、多木浩二・藤枝晃雄 2007.9 編『日本近現代美術史事典』)。fineは美しいとか優れたという意味があるので、美しい術、または、優れた芸術、である。
  aetheticsは美学と訳されることが多いが、本来は感性の学である。
 感性とは、 辞書によれば、感受性または感覚的能力である。_Homo sapiens_に属する生物体、つまり人、の感覚は、触覚、嗅覚、味覚、聴覚、そして視覚に分類される。すると、感性の術とか、感性にもとづいて製作される物体というのも有り、だろう。どのような物が美しいかは人によって受け取り様態や基準や定義さえもが異なるから、感性の種類と程度で分類すれば、より射程の大きい、つまり適用領域の広い理論ができるかもしれない。醜を狙ったあるいは結果として醜な作品をも扱える。
 美術は、視覚芸術だとされることが多い。そうだとして、では、聴覚術または聴覚作品との関係、たとえば同時に作品演奏または作品展示した場合の効果はどうなるだろうか?
 →純粋芸術と総合芸術。




環境省の違法行為

2012年08月09日 15時28分55秒 | 生命生物生活哲学
2012年8月9日-2
環境省の違法行為


 武田邦彦氏:「瓦礫」と「村八分」:国の違法行為強要

  「国の規制は、格別の注意を払わずに持ち出せる瓦礫は1キログラム100ベクレル以下である。それに対して2011年10月に環境省が示した持ち出し基準は240から280ベクレル以下(環境省廃棄物対策課)である。
 〔略〕
 福島原発から漏れた放射性物質は80京ベクレル(政府)から100京ベクレル(東電)であり、これは日本中に拡散したら日本国土に誰も住めなくなる量である。だから、事故前より瓦礫などで放射性物質が拡散するのをできるだけ防ぐのが政府の役割であり、違法基準を強要するということは考えられない。
 〔略〕
(平成24年8月8日)
                              武田邦彦」
http://takedanet.com/2012/08/post_152d.html