高千穂峡についてはH25.7.10付けで既に紹介しているが、今回は高千穂峡を最初に訪れたときの記録となる
中年男3人による旅であるが暗黙の了解で年齢の若い者が運転手となる
私は中間に位置するので後部座席で周囲の風景を見ながらのんびりしていたが、カーナビ以上に細かな指令や運転技術を語る長老の言葉を聞き、いらいらしている運転手をみているうちに目的地近くの駐車場に着いた
名勝 高千穂峡
数年前、初めて宮崎県に来たときに宮崎市内からタクシーで行ってくれと言ったら、遠すぎて行けないと拒否されたあごがれの場所である
「ボートに乗って船上から滝を撮る」目的で来たのだが、数日前の台風で船着場が破壊されていた(右側に船着場がある)
ボートに乗るなら「御塩井駐車場」が便利、「高千穂峡ガイドマップ」をもらうこともできる
月形・日形
「玉垂れの滝」の上にある半月の岩形を月形・日形いう。 弟の素盞嗚尊の乱暴に嘆き悲しんだ天照大神は、天岩屋に隠れたが、八百万の神々の謀り事により、再びこの世に戻る。 素盞嗚尊は、神々の裁きを受け、所払いとお詫びの証を造ることになった
尊は、天照大神を日の光る太陽として日形を彫り、自分の光は月の光の半分もないと、懺悔の印として三日月の穴を彫り、その後、高天原を去り、出雲に行ったと伝えられている
江戸末期の記録には、月形・日形の絵図も残されていたようだが、現在は日形は崩壊し、月形のみが残っている
真名井の滝
高千穂峡の代表的な名所である「真名井の滝」
遊歩道を歩いてすぐの所にある。雑誌の写真では見たことがあるがやはり美しい
遊歩道からの風景
この写真の上には、仙人の屏風岩とよばれる高さ70mの岩がそびえ立つ
槍飛び橋からの風景
高千穂峡(五ヶ瀬川)の中で最も川幅の狭いところ
天正19年(1591年)高千穂・三田井家が県の領主に三田井城を攻められ、落城。城を脱出した家来達はここまで逃げのびて来た
橋がないので槍の柄を突いて渡った
「手前の岩に槍を突いた者は無事飛び渡ることが出来たが、向こう側に突いた者は川の中に転落した」と伝えられており、ここを「槍飛び」と言うようになった
神硯の岩
上から見ると硯の形をしている
高千穂神社、神主田尻隠岐守は高千穂を訪れた高山彦九朗と別れの時、次の詠をおくった
みすずりの 岩とやいわれむ 神代より 伝へしことの 杤ぬ也けり
甌穴(おうけつ)周辺の風景
神橋(しんばし)
大正時代は木橋・昭和22年に石橋となった
高千穂の景観に溶け込んでいる
神橋からの風景
遊歩道の終点(起点にもなる)が神橋なので、同じ道を通り駐車場に戻ることに
御橋からボート乗り場方向を見る
同じく御橋から「真名井の滝」(まったく違った顔をみせる)
定番の風景 御橋が小さく写っている
この後、熊本市内のホテルに向かい、夜は専門店での「馬肉づくし」の夕食。大のつくほど満腹・満足であった。
撮影 平成24年9月30日
中年男3人による旅であるが暗黙の了解で年齢の若い者が運転手となる
私は中間に位置するので後部座席で周囲の風景を見ながらのんびりしていたが、カーナビ以上に細かな指令や運転技術を語る長老の言葉を聞き、いらいらしている運転手をみているうちに目的地近くの駐車場に着いた
名勝 高千穂峡
数年前、初めて宮崎県に来たときに宮崎市内からタクシーで行ってくれと言ったら、遠すぎて行けないと拒否されたあごがれの場所である
「ボートに乗って船上から滝を撮る」目的で来たのだが、数日前の台風で船着場が破壊されていた(右側に船着場がある)
ボートに乗るなら「御塩井駐車場」が便利、「高千穂峡ガイドマップ」をもらうこともできる
月形・日形
「玉垂れの滝」の上にある半月の岩形を月形・日形いう。 弟の素盞嗚尊の乱暴に嘆き悲しんだ天照大神は、天岩屋に隠れたが、八百万の神々の謀り事により、再びこの世に戻る。 素盞嗚尊は、神々の裁きを受け、所払いとお詫びの証を造ることになった
尊は、天照大神を日の光る太陽として日形を彫り、自分の光は月の光の半分もないと、懺悔の印として三日月の穴を彫り、その後、高天原を去り、出雲に行ったと伝えられている
江戸末期の記録には、月形・日形の絵図も残されていたようだが、現在は日形は崩壊し、月形のみが残っている
真名井の滝
高千穂峡の代表的な名所である「真名井の滝」
遊歩道を歩いてすぐの所にある。雑誌の写真では見たことがあるがやはり美しい
遊歩道からの風景
この写真の上には、仙人の屏風岩とよばれる高さ70mの岩がそびえ立つ
槍飛び橋からの風景
高千穂峡(五ヶ瀬川)の中で最も川幅の狭いところ
天正19年(1591年)高千穂・三田井家が県の領主に三田井城を攻められ、落城。城を脱出した家来達はここまで逃げのびて来た
橋がないので槍の柄を突いて渡った
「手前の岩に槍を突いた者は無事飛び渡ることが出来たが、向こう側に突いた者は川の中に転落した」と伝えられており、ここを「槍飛び」と言うようになった
神硯の岩
上から見ると硯の形をしている
高千穂神社、神主田尻隠岐守は高千穂を訪れた高山彦九朗と別れの時、次の詠をおくった
みすずりの 岩とやいわれむ 神代より 伝へしことの 杤ぬ也けり
甌穴(おうけつ)周辺の風景
神橋(しんばし)
大正時代は木橋・昭和22年に石橋となった
高千穂の景観に溶け込んでいる
神橋からの風景
遊歩道の終点(起点にもなる)が神橋なので、同じ道を通り駐車場に戻ることに
御橋からボート乗り場方向を見る
同じく御橋から「真名井の滝」(まったく違った顔をみせる)
定番の風景 御橋が小さく写っている
この後、熊本市内のホテルに向かい、夜は専門店での「馬肉づくし」の夕食。大のつくほど満腹・満足であった。
撮影 平成24年9月30日
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