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喜多方発・・・蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等。

喜多方発・古里語りの会、発表会。

2010-02-11 18:12:01 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

建国記念の日、曇りがちでしたが、夕方からまた雪が降っています。家の前が白くなりました。毎日同じような天候が続いています。

本日は第3回・きたかた古里語りの会・発表会です。行って聞いてきました。
会場の喜多方プラザ小ホールは一杯の聴衆でした。楽しみにしている人々がこれだけ大勢いると言う事です。悪天候のなか足元の悪い中を本当にご苦労様です。私も街なかを通らずに行ったので、本日は祝日ですから街なかの人出も気になるところですがどうだったのでしょうか。

出演はきたかた古里語りの会有志です。本日は15人のかたりべです。
主催は・喜多方市民活動サポートネットワークです。

かたりべの皆さんが会津弁で喜多方に伝わる民話・昔話を演じます。今回はこどもさんの参加がありました。幼稚園児・小学生・中学生です、それぞれ皆さん立派に演じています。

最初の話が・瓜生岩子物語・でした、これは民話ではありませんが、喜多方昔話伝承館の仲川千代子さんのかたりべです。素晴らしい話でした、ぜひ皆さんにもこうゆう話を聞いてもらいたい物語りです。限られた時間で岩子物語を仕上げてあり感動ものでした。涙して聞いていた方が大勢いました。

瓜生岩子はいつも書いてますが、喜多方出身で町を代表する偉人の一人です。江戸時代文政12年(1829)熱塩温泉の母の実家山形屋で生まれました。家は喜多方の旧小田付村の油屋利左衛門です。9歳で父と死別、そして家が焼けます。母の実家の山形屋に帰り瓜生姓を名乗るようになります、17歳で佐瀬茂助と結婚、呉服屋を開き、1男3女に恵まれます。34歳で夫
茂助が労咳で亡くなります。翌年に母も亡くなります。
岩子は嘆き悲しみ、母の菩提寺である熱塩温泉の示現寺の和尚様に「いっそ尼にありたい」とその心境をつたえると、和尚様は「世の中にはお前以上に不幸せな人は大勢いる、お前もこれからの全てをもっと不幸な人のためにささげなさい」と諭されます。そして社会活動に身を挺します。68歳のとき社会慈善家としてその功績を認められ女性として初めて藍綬褒章を授与されます、69歳で岩子は福島で過労の為に病臥し明治30年4月19日に没します。
日本のナイチンゲールと称えられる女性です。

本日の画像は瓜生岩子を語っていただいた語り部の仲川千代子さんです。会場は明かりを落として語り部の席だけを薄明かりにして画像に見るように座って語ります。カメラの写りはどうしても暗くなります。