昨日は仕事の後、母のいる老健へ。
食後のお薬タイムが終わると、それぞれ部屋へ移動したり、就寝までTVを見たり。
認知症のフロアだけど私は顔見知りみたいに
何人かが素敵な笑顔で迎えて下さり。
自宅の番地を言いながら帰る場所を探すおばあちゃんのために
個室の入口には紙の表札があって。
そのおばあちゃんが
「なんだか今日は死にたくなったんだよ、でも死ねないんだよ」と。
一緒にチョコレートでも食べませんかと聞くと
うん、と言ってくれたので母と3人で。
寂しい時は、私の母とおしゃべりして頂けないですか?と聞くと、
そんな迷惑はかけられないから・・・みんなに迷惑をかけるくらいなら
死んでしまったら楽になれるのにって思うんだよ、と、大粒の涙。
昨日は体を車椅子に預け、少し疲れた顔をしていた母の表情が、
急にシャキッとして身を乗り出して頷いていて。
泣ける場所がないんだよ、悪かったね、
親子で楽しい時間を邪魔して、とおばあちゃん。
二人をさすりながら、
昭和の女性は色々なことを耐えて、
自分より周りの人の心配ばかりしてきたんだろうなぁと。
今までたくさん頑張って来られたんだから、
甘えていいんじゃないですか、と言うと、
病院の電話交換手をしていたこと、実家も嫁ぎ先も農家で
つい最近まで野菜を作っていたことや、
家に一人でいるご主人の心配をしていたり。
認知症は何もわからないわけじゃなくて、心や感情は根っこにちゃんとあって。
先日亡くなられたお世話になった教授も認知症だったけれど、
奥様が亡くなられたと聞いた時、涙を流されたと。
あなた方親子に話を聞いて貰えたから、今日はもう死ななくてもいいわと
両手を合わせて下さった時、母は何か言葉をかけたそうに優しく微笑んでいました。
言葉にはできなくても母からも伝わる思いがありました。
人は、生命あるものは、
愛を求め、愛に救われ、愛を共有することができるんだなぁって、ふと

人生って、いといとし

