心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

自分の人生との出会いを探して

2009-05-31 | つれづれ
                        クレヨン (はがき)



誰かが言ってた。

「人生とは自分を楽しませるためにある」と。

もうだめだ・・と思ったら、人生つまらくなって先へ進めなくなっちゃう。
つまらないから進めないんじゃなくて
きっと、だめだ・・って思うから進めなくなるわけで 

どんなにつまらないことも大変なことも
面白くしてしまう底抜けの明るさを持てたら
その過程とか努力とかも結構楽しいんだな、きっと。

そういう時は、ど根性の努力なんてものはなくて
自然と体も心も動いているわけで。

そんな人生の楽しみ方に出会えたら 

そう・・自分の人生とも「出会い」なのさね、たぶん。
自分を楽しませることができる人生でありたいなぁ。。。


そうそう、父の畑 でできた初茄子。

写真に写っていた茄子さん、昨日焼き茄子にして頂きました。
実は私、茄子が大好き。むぉ~となりながら、有難く♪

最近かなり体力に自信をなくし、その連鎖で気力も萎えていたように見えた父も
畑という、自分を楽しませるものを見つけたお蔭で?
なんだかちょっとだけ生き生きしてきたような 

これから夏に向けて、茄子も枝豆もトマトも・・と収穫も増えると
益々みんなで元気になりそうです 



           シソは我が家のベランダ菜園から



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行雲流水となぐさめつつ?

2009-05-30 | つれづれ
                「行雲流水」(こううんりゅうすい) (半紙)



私が住んでるこのあたりは、平地で遮るものがないために強風が吹く地域らしい
地名に「原」がつく位だからねと永年の住民のYさんに伺い、なるほど~と納得。

うちのベランダはお隣のマンションとの間にあって、まさに風の通り道なもんだから
普段から風通しはよく、でもちょっと風の強い日など、恐ろしいような声が空を舞う。

この前ベランダに干していたジーンズが2本、行方不明になって近所を探すも見つからず
ダメもとで階下の方に伺ったら、あ、家のベランダに落ちてたわよと。

へぇ。。まあ、なんともお上手な着地だこと。。
そういえば、引越してきた頃干していたお布団が、なぜかやっぱり階下のベランダに。
その時はまだ階下は無人、不動産屋さんに連絡して取ってもらったっけ。

・・・な~んて思っていたら、ふと、あれ?もう1本お気に入りのジーンズがないぞ。。
一体いつから・・?  もしや・・・? と思いつつ今更聞けず 

今日はなんとか雨もやんで太陽がちらほら 
でも雲の流れはかなり早い 
雲さん雲さん、そんなに急いでどちらまで?

ま、生きてれば、急ぐ日もあるさね。
ま、お気をつけて~ 

最近とみにボケてきた自分に、マジでやばいって思う日々だけど
行雲流水・・なすがまま、そうなぐさめつつ?今日も元気に 



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麻生さんと鳩山さん どっちがどっち? 

2009-05-29 | つれづれ
                      「柔剛」 (はがき)



通常国会の審議をネットでも中継、さかのぼってビデオライブラリでも見ることが
できるって知ってます?
こちらから→衆議院インターネット審議中継&ビデオライブラリ

ニュースでかいつまんで見た27日の党首会談はなかなか興味深く、
最初から見たかったな~って思って検索したら、わぉ・・あった~って

改めて聞いてみると、いろんなものが見えてきて 


老子の思想に「柔弱」というのがあり。

フツウは「強いものが勝ち、弱いものが負ける」という資本社会の常識みたいなのがあって
殊に今の日本は、勝ち組・負け組みなんて言葉もできちゃったり。

でも老子は、本当の意味での「強さ」「勝つこと」は、他人に勝つことではなく
「自分に勝つこと」だと教えてくれる。

そして「自分に勝つ」には、本来柔らかで弱い命を生かそうとする智慧を持ち、
力づくではなく、柔らかな強さで向き合うことが大切だと。

つまりは「柔能く剛を制す」ってことかな 

大辞林(辞書)によると、柔能く剛を制すとは、しなやかなものがその柔軟性によって
かえって強く固いものを制する。転じて、弱いものがかえって強いものに勝つことのたとえと。

「柔弱」は弱々しいことではなく、しなやかな強さなんだ・・と思う 


はてさて、麻生さんと鳩山さん、どちらが「柔」でどちらが「剛」なのかしらん 






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なんとなく展覧会情報

2009-05-28 | つれづれ



ここんとこ、ちょっとお疲れ気味。。
ブログの更新も遅れとります。

ぼ~っとしてるので、今日は筆を持つ気にならず、なんとなく展覧会情報ってことで


6月7日(日)まで東京国立博物館で開催中の顔真卿(がんしんけい)とその周辺展。

顔真卿は王義之にも匹敵されるとされる中国の書家で、力強さと穏やかさを持った
そして、堂々としたスケールの大きさは魅力的
いつか書いてみたいと思いながら、ため息まじりに眺めてばかり。


顔真卿行草書には三稿と言われる「祭姪文稿」「祭伯父文稿(さいはくふぶんこう)」
「争坐位文稿(そうざいぶんこう)」の名品があり、それらも陳列されているよう。

国立博物館では6月7日まで阿修羅展も開催中!


教室ではちょうどお勉強中の顔真卿。
今週末は雨模様のようなので、行楽日和ではなさそうなので
お出かけになってみてはいかがでせう 










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楽画喜会は 楽しく画いて喜ぶ会なり~

2009-05-27 | つれづれ
                           (半紙) 



昨日の絵手紙教室でのお題・・「自由闊達」を書いてみる。

「自由」は、ことばの意味の割には、どちらも四角に囲まれていてなかなか遊べないけど
「闊達」は、どちらも絵になりやすいような。

ことばの意味を心に置きながら、遊んでみる。
「達」のしんにょうは思いっきり腕を使って、大きくタクトを振るように・・。



「このことば、教室のみんなにぴったりね」と、どなたかがおっしゃる。
「ほんとですね~ 

絵手紙教室の名前は、楽画喜会(らくがきかい)。

始めた頃、私があれこれ考えて、閃いた(・・って大げさなことでもないけどね)名前。
楽しく画いて喜ぶ会。 でもって、音的にはらくがきかい(落書き会)。
なかなかいいネーミングでしょ? なんちゃって~

楽画喜会は・・
それぞれが歩んで来られた人生には、苦しかったこと、切なかったこと、楽しかったこと、
うれしかったこと・・振り返るといろんなことがあったなぁって
懐かしく思い出せる時間と、語り合える仲間でいられたらいいなぁって、最近思う。

もちろんこれからもまだまだ、日々いろんなことがあるわけで、
さりげなくお互いにどこかで関わっていけたらステキだな・・って思う

イヤなことがあっても、教室のみんなに会えたら「自由闊達」になれるような
そんな楽画喜会でありたいなぁ 

皆さま
こんな私ではございますが、これからもどうぞよろしくお願いしますです



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楽しや絵手紙教室

2009-05-26 | つれづれ
                       (半紙1/2)



今日は午前中絵手紙教室があり。
お題は・・「自由闊達」と「なんの草ともなく咲いているふるさと」by山頭火

それぞれにふるさとの風景を思い描かれていて、一足先にふるさとの夏を感じ
話も弾み。。



自由闊達の四文字は、なかなか遊べないのよね~とおっしゃるのでひとつ提案をしてみる。

たとえば、文字それぞれに温度差を与えてみるとか。
それぞれに音楽を当てはめてみるとか、色のイメージを持たせてみるとか。

たとえば、自由はシャンソン風に、闊達はタンゴ風に書いてみる・・とかね。
何気ないことだけど、「闊達」ってことばの背景にタンゴのような情熱のようなものを
感じてるってことなわけで。

そう、つまり、ことばの意味を感じつつそれを表現しようとすると
イメージも湧きやすいような。

だからといって、できたものが正解でもないわけで、
色々やってみるのが楽しいし、発見にもつながるような


でもって、今日もまたEさんが皆さんに・・と、先日のツタンカーメンの豆で炊いた
豆ご飯を一人一人に(11人分!)タッパに入れて箸までつけて持ってきて下さり

その上家庭菜園で栽培した白瓜でつけた奈良漬まで~

Eさ~ん ご馳走さまでした~



そのEさん、いつも何にでも感激されるお方で、お茶の伊右衛門におまけでついていたシールを
アレンジして葉書に印刷、これも皆さんにお土産に下さって

いつも刺激を頂きっぱなしです 

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書を音楽に例えたら

2009-05-25 | 木簡

                    木簡集字千字文一節(半紙×2種)



教室で何名かが取り組んでいる、集漢簡千字文。
いろんな木簡から寄せ集めて千字文にしたもので、面白い文字がたくさんある。
右はフツウに?臨書、左は筆を変えて軽妙に書いてみたつもり。

 ←原本


木簡は何度書いても、想像力をかきたてられる。

たとえば書を、色に、香りに・・例えたら。
たとえば、書を音楽に例えたら。

そんなことを時々考える。
・・というより、どこからともなく聞こえてくる 

かっこつけないで、それぞれの書き手の個性がそのまま滲み出ている木簡は、
生き生きとした生身の体温を感じ、生きてる存在感に溢れ、情熱的。

どんな個性でもいい、そのままでいいんだよって
その姿をさらして伝えてくれているような 

今日の木簡を眺めていて、聞こえてきた曲はGipsy Kingsの Djobi Djoba


ジョビ ジョバ ジョビ ジョバ ってフレーズが耳から離れなくなる~。
ジョビ ジョバ なんとかなんとか ゲロンパって聞こえる~。
~日ごと 夜ごと 君を好きになるって意味みたい。

ギターの高揚していくリズムと、ジョビ ジョバって繰り返されることばは
わたし的には、今日の木簡のテーマソング 

そんな風に感じられたら、もっともっと書が楽しくなると思いませぬかえ?





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My Garden

2009-05-24 | 植物・畑・公園
                     トケイソウ (時計草)     


今うちの小さなベランダガーデンも、それなりに緑と花に囲まれてます。

2年前、職場のY姉さんに苗を頂いたトケイソウに、今年初めて花が咲き。
ほんの10cm位だったのに、ぐんぐん生長。

それにしても不思議なお姿。
なんともゲイジュツ的。 自然はホント神秘的 


このままブ~ンって空に飛んで行きそう。


左:紫陽花 右:月見草とランタナ



チェリーセージ


ビオラ

まだまだこれから、ヤマカカシ・キャットテール、メドーセージ・アメジストセージ・
ホトトギス・月下美人・・と、楽しい季節です。

休日はのんびり 
今日のブログはこんな感じで 





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畑さん。父の元気の素になってね。

2009-05-23 | 植物・畑・公園
           


横着者(よく言えば暢気)の父が、市の市民農園オーナー募集に応募して
めでたく当選、この4月から3年間限定で畑を借りた。

気まぐれではあるけれど、春から秋頃までは庭での土いじりもする父。
それでも慢性的な運動不足がたたって、このところ体力の衰えを痛感したらしく
どこまで続くやら・・という私や母の思いをよそに、一人で結構頑張っているようで


畑は素人、でもお仲間との情報交換や、毎週末にはいろいろとご指導下さる方が
いらっしゃるとかで、見よう見まねで畑らしくなってきた。

茄子、ピーマン、トマト、カボチャ、わけぎ、ししとう、シソ、大根、枝豆、
ブロッコリーにキャベツ・・

「夏に枝豆がなったら、一緒にビールで食べような」

うんうんって笑顔で言いながら、密かに胸がきゅんってなってた
そんな・・なんでもない日常を、もっともっと大事にしたいなぁって思ったから。

近いようでなかなか時間がな~いって言って行けないけれど、
時間を作って一緒に土いじりがしたいなって思った

ちち~。
近々一緒に畑に入ろっ
新しい苗を持って行くからね


畑さん。
父の元気の素になってね。

畑さん。
父と私の笑顔の素になってね。


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答えが先なのではなく

2009-05-22 | 書の話
                      「乃孫乍且」  (半紙)



教室でTさんが取り組んでおられるので、久々に金文の臨書。
最初はちゃんと形臨、そして筆を変えて違う表情にしたらこんな感じ・・とか意臨する。
(形臨:文字をなるべく忠実に真似て書くこと 意臨:書き手の意を汲み表現すること)

金文は左右対称、直線的、デザイン的な印象だけど、羊毛のやわらかい筆を使って
もっと自由に表現することだってできる。

「乃」は半紙全体の空気を吸い込むように包み込むように
「孫」は「子」が「糸」を連れているような表情に
「乍」は「乃」の空間をより広く感じるように縦長にして
「且」は逆に墨量もやや多めにして太っちょにして安定感を持たせ

(ちなみに「且」と「乍」の間の□は雅印を捺す位置の目安)


書はもちろん、線や空間のゲイジュツでもあるけれど
そこに思想がなければ何も響いてこないって思う。

文字そのものに意味を持つ「書」というものは、ある意味それが弱点になることもあるような。
たとえば、ゲイジュツとして全体を捉えて欲しいのに、人はつい・・すぐ聞きたがる。

「これ、なんて書いてあるんですか?」

ゲイジュツに確信犯の答えなんかいらないのであ~る
まず答えや結果を求めるから、その先の発見や感激に出会えないわけで 

そして、人と人の関係もまた似ているような
この人はこうに違いないとか、自分の価値観の中に当てはめずにいられないのが常らしく。


私は・・人の、そして人と人の可能性も無限であると信じたいな。
いつも心はニュートラルに 

答えが先なのではなく、永遠に答えのない答えを
寄り道しながら、口笛を吹きながら探し続ける人生でありたいなって思う



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