心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

花開いて萬人集まる 

2008-04-30 | つれづれ
                        


この国の政治家の脳みそは、一体どうなっているんだろう 
水戸黄門が諸国行脚した頃と、何も変わっていないっ 
今は黄門様も金さんも、大岡越前も仕置き人もいないから、更に困る

ニュースや国会討論会を聞いていると、後期高齢者医療保険の問題
ひとつとっても人ごとではなく、考えると不安は募るばかり 

一体、国という生き物は何なんだろう・・。
愛国心云々を言っているのではなくて。

今の日本という国、問題は山積み。。
いつの時代もそうだったとしても、また無気力になりそうって思って
本をめくっていたら、こんなことばを見つけた。

「花開萬人集」
花が咲いて、たくさんの人が集まってきた。

そんな政治を。そんな国を。そんな社会を 

諦めないで、いつか花が咲くのを信じたい・・です。
でもただ待つんじゃなくて。。
こんな私にもできることあるかなぁ。

花開いて萬人集まる。 ステキなことば 

・・・でも、神様仏様お天道様。 時々くじけても許してね 

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あぁ このまま

2008-04-29 | 
                    カラスノエンドウ(はがき)



     鳥がちゅぴちゅぴ
     太陽がぽっぽっ
     雲がゆうらりゆうらり
          
     風が流れる

     猫がくんくん
     薫る風を追いかけ
     私を誘う

     あぁ このまま
     このまま 
     時間よ 止まれ



昭和の時代、今日4月29日は天皇誕生日。
そしてつい最近まではみどりの日、今は(いつから?)昭和の日と言うらしい。

野草天ぷらの会でも食した、カラスノエンドウ 。

そう、和尚さんが笛にして遊んでた、あの植物  

名前の由来は、完全に熟すと黒い鞘になるからという説と、
スズメノエンドウと比較して大きいからという説があるらしいです。
自宅周辺も散歩をすると、結構生えていました。

春になるとみーにゃは外に出たがり、リードをつけて散歩に出ます。

 ←駐車場の塀の上がお気に入り

道行く知らない人に「猫は自由にしてあげなさい。リードなんて  」って
怒られたこともあるけれど、前に飼っていた猫の子供が車に轢かれて
天国へ召されたことがあったので、親馬鹿の私です 

それに、この辺も野良猫さんが5匹位いて、ご近所の猫が苦手なお宅から、
飼い猫は放し飼い禁止令の書面がポストに入っていたので。。

でも、犬みたいに歩いてはくれず、自宅から20~30mがテリトリーで、
3歩進んでは座り込んで15分とか、みーにゃの行きたいまま、したいままに
つきあってます。

その時間は、私もぼ~っと何も考えず、みーにゃと同じとこ見てたり、
結構癒しの時間です 


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書を通して伝えたいこと

2008-04-28 | 蘭秀会書展


先日の展覧会に、Aタウンズの美人記者さんが取材に来て下さいまして。
その折、体験教室の「石に文字を書く」を実際に体験され、そのときの様子を
とっておき体験というコーナーでご紹介下さったので載せちゃいます

今年の~石に文字を書くは、意外に好評で、書を身近に感じてもらえたのかなと
ちょっとうれしいです 

私の伝えたいことは、もちろん書を学ぶことの奥深さ、楽しさ、
そして書を通して感じる感激や興奮だったり、人とのつながりだったり。

でもその前に、たとえば書は堅苦しくて難しいもの、古くさい・・っていう
固定概念だったり、イメージを崩したいって思うわけです 

とにかく始めてみたら、きっといろんな発見や出会いがありますよ~って
ことを伝えたいわけです。

私は大学1.2年の頃は、中学時代とうって変わって根暗の沙於里と
言われていて  人間って不思議なもので、まわりにそう
言われると、そうしていなきゃいけないような気になってくる。
そして、そんな自分を演じているうちに、抜け出せなくなってしまって

でもある出会いをきっかけに、自分の殻を破れたっていうか、解放されたんです。
それは、あなたはあなたのままでいいんだよっていう、ものすごい広い世界へ
導いてくれたというか、居心地のいい安心感を与えてくれました。

人は、なんでも答えを見つけたがるし、先に答えがありきで、
物事を判断しているところがあるような・・。

それはお互いに、もったいないって思う。
もっと別な出会いや発見もたくさんあるかもしれないのに。

そのことに気づかせてもらえたので、今度は私が誰かに伝えたいって思っています。
そう・・書を通して。。。




リクエストがあったので、先日の展覧会のときの皆さんの作品を
別枠(↓)で一挙公開します。 ご覧頂ければ幸いです。


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蘭秀会展 作品展示室 

2008-04-28 | 蘭秀会書展
4/10~4/13まで開催していた蘭秀会展の作品をご紹介します 

それぞれに個性のある作品と、隣同士の作品との響きあいも
楽しんで頂ければ幸いです。









   

  

    

    








 

    



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野草天ぷらの会

2008-04-27 | つれづれ
   


昨日は、4/6のブログ でご紹介した常福寺ライブの打ち上げとのことで
野草天ぷらの会に参加。

お寺の竹薮にはにょきにょきっと竹の子がたくさん。
玄関には、既に掘った竹の子が。


 


小雨が降る中、ご住職さまと男性2名、私の4人で、お寺の前に広がる田んぼのあたりに
まずは野草採りに。
ご住職さまは実によく野草をご存じなので、伺ったら、生まれたときからこの地に住まわれ
小さい頃からこの辺りで遊ばれていたそう。

子供の頃やったんですよとおっしゃって、小さな豆の鞘を摘んで中身を出すと、
口にくわえて、鳥の声のような音を出しながら歩き出された。


      
  ↑さてどちらがご住職?         ↑今や人気の芝桜の道を見てUターン


豆の笛を吹きながら歩かれる後姿を見ていたら、ご住職さまの子供の頃の姿が
浮かんできて、背中が少年のように見えてきた。

 ←戻るとすぐ、種類別に仕分けをして、洗って。


雪ノ下、のかんぞう、山椒、こごみ、どくだみ、ヨモギ、藤の花、あけびの芽の先っぽ、
山吹の花、つつじの花、レンゲ、ハルジオン、バラの葉、芹、柿の葉、タラの芽、
ウドの葉、蕗。
少ないかなと思ったけど、かなりな量。

ぼちぼち人も集まってきて、今回もS氏が腕をふるって、かつおのたたきと刺身を調理。

 ←S氏による初がつおのたたき


↓そしていつも手際よく食材を無駄なく調理されるNさんの、かつおの頭をだしにした
おすまし。しょうがとねぎもいれて臭みをとる。

 

 ←各自小麦粉と水でころもを作って揚げる


ちょうど前日に、神奈川県内で野草を食べた御夫婦が、毒のあるものを食べて
亡くなったというニュースが流れたばかりだったので、なんとなく知らない草は
食指が伸びない方もいた様だれど、結構、食べました・・私 
父からも何度もメールで、野草食べて死ぬなよ。生きてるか?って連絡があったのに 
   
奥様曰く、「住職はよくその辺の草を採ってきては、食べてるから免疫があるけど、
皆さんは危ないかもよ~」

するとどなたかが、まずはご住職に毒見をして頂いてからにしようとか 
これからを生き残るには、草も食べられないと生きていけないかもしれないから
今日はその練習だね  な~んて呑気に。

いやはや、ほんと。
え?これも食べられるの?っていう草花ばかりで、驚いた。

もしかして?人家の庭先にある白い藤の花を、ちょっと頂き。。
とってもいい香りだけど、ん~これを食べるの?とちょっと半信半疑だったけど、
天ぷらにしたら、香りよくほのかに甘くて、なかなか美味しかった。

いいなぁ 
私もこんな風に、その土地に根づき、自然や季節を感じながら、
人の輪の中で生活がしたいなぁ。

日常流れている時間とは、早さも質も違うひと時に、今日も癒されて帰宅しましたとさ。

しあわせな気持ちになれる時間を、ありがとうございます 

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私ってどんな匂い?

2008-04-26 | つれづれ
   


   写真には2つのゆき方がある。
   それは観察することから出発するものと
   みえないもののなかに潜む真実を
   みえるものとして創造する方法だ。

   いい写真は、見えるだけではない。
   匂うのだ。音が聞こえるのだ。語りかけてくるのだ。
   見つめるうちにそうなってくる。


色彩の魔術師といわれた写真家、エルンスト・ハース  のことば。
(クリックでHPに。是非、見てみて~  )

たぶん書も絵も、詩も音楽も演劇・・・も、「2つのゆき方」がある。
そして、人は見えているだけが全てではないわけで。
隠していても、匂うし、漂う。

時々、教養ってなんだろうって思う 
高学歴だからといって、教養があるとは限らない。
つまり学問・知識=教養ではなくて、はたまた裕福=教養でもない。

教養って、どんなときも、さりげなく人を思いやれること、だと思う。

相手が年下であれ、立場の違いがあっても、ごく自然に礼儀と敬意を
持って接することのできる人は、ステキだ 

見えてない潜んだ自分を探して、自分が自分を信じられたならば
人は、他人にもやさしくなれるような気がする。

自分はどんな匂いがするのか、どんな音がするのか。。

他人と比べて満足しているうちは、きっとごちゃ混ぜの匂いだったり
雑音だったりするのかもしれない。

ステキな人って、どんな匂いで、どんな音がするんだろうなぁ。
やっぱりいい匂いで、澄んだ音なのかな 
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本能解放のすすめ

2008-04-25 | つれづれ
                     「悟りはいつ開く」(はがき)



確か幼稚園か小学校低学年の頃。
広島の親戚の家の庭に池があって、鯉を飼っていた。

何を思ったのか自分でも理解できないけれど、2つ年の離れた妹に
「絶対落ちないから背中を押してみて」と頼んで、
いとも簡単に池に落ちたことがある。

しかも1度ではなく、3度位。 押す妹もどうかと思うけどそこは子供。

大人になって訪ねたら、意外にも小さな池で驚いたけれど、
溺れそうになって慌てている自分と、迫ってくる鯉のたくさんの大きな口は、
今もはっきりと覚えている。

なんであんなことを言ったのか・・
ブログを書きながら、長年見つからなかったひとつの可能性を見つけた!

当時、鯉に餌をあげるのが楽しくてたまらなかった。
大きな口を開ける姿にドキドキワクワクして、指をパクってされるたびに
体に電流が走って、うれしくてそこらじゅうを走り回ってた 

そうか。。
鯉と一緒に泳ぎたい → でも池に飛び込むなんて →
誰かに押してもらったら → できるかも  ?

そんなことでも考えたのかな。
いまだに謎は解けないけれど、本能に呼ばれた行動だったのでせう。

あるとき、和尚さんが酔った勢い?でおっしゃっておられた。
「悟りなんて開くもんじゃありませんよ。だって、悟りを開いたら美人がいても
美人って思っちゃいけないんですよ、そんな人生つまらないじゃないですか」

本能を閉じ込めようとするから、どこかでねじれてしまうってことも。
もちろん他人に迷惑をかけない節度の中での、本能の解放をオススメします

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遊べよ子供たち 子供らしく

2008-04-24 | つれづれ
                     (はがき 割り箸に墨で)



甥っ子がこの春、中学1年生になった。
ついこの間まで、弾む声と屈託のない笑顔を見せていたのに、
久々に会ったら、声変わりをしていて驚いた。

Sちゃんって呼んだら、ちゃんって呼ぶのはやめてくれ・・だって
あ~あ。。大人になっちゃうんだね。。。

私が中1の頃はどんなだったかなと、ふと。
実は結構おてんばで、中2までは時々、職員室の前で立たされたりしていた

調理実習室の掃除当番のとき、冷蔵庫にあった杏仁豆腐を投げ合いっこしたり。
水道の水をホースでかけっこして水浸しにして、流しを詰まらせてしまったり。

廊下にママレモンと水をまいて、掃除にかこつけてモップを持って
端から端までスケートをしたり。
これはめちゃくちゃ楽しくて、外が暗くなるまでやってたっけ。

掃除道具入れに男子と押し込まれて、箱ごとゴロゴロ回転させられたり。
冬は石油ストーブの上にあった、アルミのやかんの底についたススを、
両手にべったりつけて、顔につけあいっこのおいかけっこしたり。

今の時代は、こんなことしたら、どんなことになるのかな。。
いじめだ~って問題になったり?

先生に怒られたことも含めて、楽しかった~っていう記憶しかなくて、
そんな時間を過ごせたことに感謝 
そんな時代に過ごせたことに感謝 

時代は違うけれど、さすがに大人になったらできないんだから、
遊べよ子供たち・・子供らしく




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感受したものを隠さずに

2008-04-23 | 書の話
                  龍門造像記 節臨 (半紙大 和紙)



臨書は古典ありきで、その書き手との「対話」が魅力。
臨書とは、古典や手本を見ながら書くこと。(節臨は一節を臨書したこと)
絵でいうところのデッサンかな・・。

臨書は、逆に一切のことから解放されて、自由に生きられる場所が
そこにあるという、無限の創造の世界が広がっている。

臨書は、技術だけでは表現できないものだと思う。

古典の書の、点画の位置や長さ、角度をいくら研究して同じに書けても
それは、マニュアル通りに注文を繰り返す、どこぞやの店員さんと同じで
感激も体温も感じない。

ソツなく書かれたものには、ふ~んって思うだけで、きっと震えない 

古典と向き合ったとき、どんなものでもいい、心の底からの感動の
リズムを発見できなければ、本物の臨書にはならない。

感受する、そして感じたものを、包み隠さずさらけ出せたとき、
「個性」が見つかるのかもしれないですね。

それはたぶん、書だけに限らず、人との関わりも同じ。

今の若い世代(20代位?)は、争いたくないから、
人と深く関わることを避けるらしいです 

でも人に興味がないから、自分も見つけられないんじゃないかな。。
人は人の中にいて初めて、自分を知るんだと思うから 

臨書をしていて、ふとそんなことを考えた。
かく言う私も、まだまだ、隠しているのかもしれないけれど。。
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今日の「風」

2008-04-22 | つれづれ
                        「風」 (半紙1/2)
            


先週の土曜日、鎌倉での結婚式に向かうため、久々に江ノ電に乗った。
藤沢から京浜東北線で大船経由鎌倉が早くて安いのだけど、
なんとなく海が見たいなぁって思って。



駅はほとんど無人。途中路面電車になる。


ラッキーなことに、最後尾の海側の窓に対して横向きに座る席に座れた。
民家ギリギリの所をゆっくり走る江ノ電は、なかなか風情があって気持ちいい 

線路沿いの感じの良さそうな鰻屋さんや、甘味処もあったりして。
今度改めて訪ねてみたいな。。

なんだか久々にのんびり感を満喫 

藤沢から鵠沼→江ノ島を過ぎ、鎌倉高校前駅では目の前に湘南の海が広がる。
サザンの歌で有名な稲村ガ崎、極楽寺、長谷を過ぎ35分位で到着。

海を見たのは6年ぶり位かなぁ。
やっぱり海は広いな大きいな 

民家にも海風よけの松が聳え立っていて、電車の窓は閉まっているのに、
その景色からは、海の匂いがして、さまざまな音が聞こえてきた。

風が松の木の横を吹き抜けていく。
波の音。きらめく音。揺れる音。流れる音。きしむ音。

感じられる空気のすべてが、やわらかく、きらきら。
たまには、のんびり電車の旅もいいもんですね。

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