中川一政 「裸の字」より
書家の書に対して、文人の書というものがある。
文人とは、辞書によると、文事に携わる人とある。
そして文人達が趣味として書いた絵は文人画、書いた書が文人の書。
文人の書といえば、僧侶では東大寺管長でいらした清水公照、良寛、仙崖、
画家では富岡鉄斎、中村不折、熊谷守一、棟方志功、中川一政、池大雅、
川合玉堂、文学者では、会津八一、武者小路実篤、河東碧梧桐、
民芸の河井寛次郎、北大路魯山人・・・などなど。。
私が書を始めたきっかけは、前にもご紹介したけど、中川一政氏の書。
上手いとか下手とか、そんなことを感じる前に、生身の人間の存在感と
ゆるぎない個性を感じて、作品を前にして鳥肌が立った。
書を始めてからも、やっぱりいいなぁって思うのは、文人の書が多く。。
会津八一の、なんでもない一筆に憧れ、中村不折の白湯のような、そして
河東碧梧桐の、どこかとぼけた温かみのある書に、何度もため息をつく
← 会津八一
「寂如春在花」 「式場益平宛」
写真左の大胆な一筆で描かれた梅の構図、さりげなく添えられた文字は
参りましたっ って感じ・・。
そしてこの宛名書きの、なんて自由なこと!
それでいて、「益」という字の左払いの最後まで気を抜かぬ緊張感、
繊細で闊達、清健で洒脱な線には唸るばかり。。
↑中村不折 ↑河東碧梧桐
結局は、人の心を打つのは、技術の巧拙ではなくて、その人の生き様だったり、
包み隠さずさらけ出した個性なのかもしれないですね
心を打つ作品というのは、どれだけ自分をさらけ出せたか・・ってことなのかな。
(ところで画像、勝手に載せてこれってNG? すみませ~ん )
書家の書に対して、文人の書というものがある。
文人とは、辞書によると、文事に携わる人とある。
そして文人達が趣味として書いた絵は文人画、書いた書が文人の書。
文人の書といえば、僧侶では東大寺管長でいらした清水公照、良寛、仙崖、
画家では富岡鉄斎、中村不折、熊谷守一、棟方志功、中川一政、池大雅、
川合玉堂、文学者では、会津八一、武者小路実篤、河東碧梧桐、
民芸の河井寛次郎、北大路魯山人・・・などなど。。
私が書を始めたきっかけは、前にもご紹介したけど、中川一政氏の書。
上手いとか下手とか、そんなことを感じる前に、生身の人間の存在感と
ゆるぎない個性を感じて、作品を前にして鳥肌が立った。
書を始めてからも、やっぱりいいなぁって思うのは、文人の書が多く。。
会津八一の、なんでもない一筆に憧れ、中村不折の白湯のような、そして
河東碧梧桐の、どこかとぼけた温かみのある書に、何度もため息をつく
← 会津八一
「寂如春在花」 「式場益平宛」
写真左の大胆な一筆で描かれた梅の構図、さりげなく添えられた文字は
参りましたっ って感じ・・。
そしてこの宛名書きの、なんて自由なこと!
それでいて、「益」という字の左払いの最後まで気を抜かぬ緊張感、
繊細で闊達、清健で洒脱な線には唸るばかり。。
↑中村不折 ↑河東碧梧桐
結局は、人の心を打つのは、技術の巧拙ではなくて、その人の生き様だったり、
包み隠さずさらけ出した個性なのかもしれないですね
心を打つ作品というのは、どれだけ自分をさらけ出せたか・・ってことなのかな。
(ところで画像、勝手に載せてこれってNG? すみませ~ん )