心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

文人の書の魅力

2008-02-29 | 書の話
                     中川一政 「裸の字」より



書家の書に対して、文人の書というものがある。
文人とは、辞書によると、文事に携わる人とある。
そして文人達が趣味として書いた絵は文人画、書いた書が文人の書。

文人の書といえば、僧侶では東大寺管長でいらした清水公照、良寛、仙崖、
画家では富岡鉄斎、中村不折、熊谷守一、棟方志功、中川一政、池大雅、
川合玉堂、文学者では、会津八一、武者小路実篤、河東碧梧桐、
民芸の河井寛次郎、北大路魯山人・・・などなど。。

私が書を始めたきっかけは、前にもご紹介したけど、中川一政氏の書。
上手いとか下手とか、そんなことを感じる前に、生身の人間の存在感と
ゆるぎない個性を感じて、作品を前にして鳥肌が立った。

書を始めてからも、やっぱりいいなぁって思うのは、文人の書が多く。。
会津八一の、なんでもない一筆に憧れ、中村不折の白湯のような、そして
河東碧梧桐の、どこかとぼけた温かみのある書に、何度もため息をつく 


    ← 会津八一 
 「寂如春在花」     「式場益平宛」


写真左の大胆な一筆で描かれた梅の構図、さりげなく添えられた文字は
参りましたっ  って感じ・・。

そしてこの宛名書きの、なんて自由なこと!
それでいて、「益」という字の左払いの最後まで気を抜かぬ緊張感、
繊細で闊達、清健で洒脱な線には唸るばかり。。


   
↑中村不折    ↑河東碧梧桐


結局は、人の心を打つのは、技術の巧拙ではなくて、その人の生き様だったり、
包み隠さずさらけ出した個性なのかもしれないですね 

心を打つ作品というのは、どれだけ自分をさらけ出せたか・・ってことなのかな。


(ところで画像、勝手に載せてこれってNG? すみませ~ん )

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書家の書はつまらない

2008-02-28 | 書の話
                  元・東大寺管長 故清水公照氏の作品
                 「文人画の技法・清水公照」 創元社より



「書家の書はつまらない」
書の世界を離れると、どこからともなく聞こえてくることば 

書家の書は「恥ずかしくない」ものをという意識が働いて、
その人らしさを消してしまってつまらないけれど、
文人の書は肩の力を抜いて書いているせいか、自由で視野も広く、
個性的なものが多い・・と。

書家は50代・60代で、やっと書家と名乗ることを許されるような所がある。
そして70代・80代でやっと個展を・・なんてもことも多々。
(もちろん皆さんがではないけれど)
どうせやるなら、ぱ~っと一花咲かせたいなんて思ってるから、
途中、小品やらの小さな展覧会はやろうとしない。

ほんとは恥をかかないと、自分を見つけられないのに・・って思う。

とっくに知っている、型にはまった自分しか見ていないまま、
囲いを作って、もったいぶって大事にしまっていても、
いざそれを開けた時には、何の感激もなくなっているってことに
なかなか気づこうとしない・・・ 

最近、思う。
「書は芸術」よりも「書は文化」が、私はしっくりくる。

うまく言えないけど・・
文化って、内なる自分を表現し、相手に伝えることだと思う。
だから文化は、今生きてる一人一人の人間模様、生き様だったりする。

どんな自分でもいいから、迷うことなく、かっこつけることなく、
その時の自分を表現できるようでありたいなぁ。

まだまだ裸になれず、呪縛の波間を彷徨ってるけれど・・・

写真は大好きな清水公照和尚の作品。
絵も字も自由で生き生きとしていて、伝わるものがあります。








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ことばの余韻と紙の余白

2008-02-27 | 山頭火・放哉・良寛
               草がすくっと生えているようなイメージで(半紙)



「ここにおちつき草萌ゆる」 山頭火の句。
絵手紙教室、前回の課題。

硬筆の文字は、楽に自然に書いているのに、筆を持つとどうも力が入るのか
直立不動で、紙一杯に頑張って書いてしまうみたい・・。

それでも回を重ねるごとに、苦労 のあとが見えて「お習字」に近かったものが
文字全体が絵のある世界になってきた・・かな。

 ←皆さんの作品

近代詩や俳句などを書く時は、まずそのことばの意味を感じ、
イメージすることが大事。

「ここにおちつき草萌ゆる」

そう歌った山頭火の気持ちはどんなだったのかな、あるいはこの歌から
自分だったらどんな風景を思い浮かべるか・・。
それをヒントにすると、作品にしやすくなります。

そして紙いっぱいに書いてしまうと、ことばの余韻がなくなってしまうので
白(余白)を攻めすぎないように・・。


    
  丘の上に草が生えてるイメージ        草が群れているイメージ


ひらがなも漢字も、一字一字に個性があるんです。
だから、それぞれに目立ったり、さりげなく控えていたりっていう個性を
大事にしてあげると、全体として生きてくるのかなって思います。

次回の教室も楽しみにしてま~す!

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糸巻きの灯り

2008-02-26 | つれづれ
       
               

2/22のブログ に登場した叔父のDNAの影響で、学生の頃から、
古民具が好きで、よく骨董屋さんや古道具屋さんに通っていました。

今住んでいる家の近くにも、変わり者のおじさんがいる古道具屋があって、
時々寄っては、気に入ったものがあると買ってしまいます。

この糸巻きは、本体と一緒に叔父がくれたもの。
それに買ってきた照明器具のパーツをつけて、和紙を巻いてみました。
文字はいろは歌の一部。


         
↑こんな形            ↑横にするとワイン置きにもgood! 


和紙を通した明かりの色は、あったかくて癒されます。

糸巻きは古道具屋などで、500円位~であります。
糸巻きがなくても、たとえば100金でも売っている籠に和紙を貼って、
照明のパーツをつけても作れます。

自分で作ったものが、ひとつづつ部屋に増えるだけで、なんとなく当たり前の
日常も楽しくなってくるもんです。

簡単なので、ひとつ作ってみてはいかがでせう 

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お礼状 ~巻物にして 

2008-02-25 | つれづれ
      

大きな作品を書いていると、失敗したり、適当な大きさに切ったりして
こんな細長い紙やら、不揃いの紙がたくさんできてしまうので、
捨てられずに、それはそれでストックしていて、手紙とかに利用してます。
(これは、幅7cm位、長さは1m位だったかな)

←紙紐で結んで巻紙に



絵手紙教室と書道教室、両方にいらしているEさんは、毎日の生活に
手仕事がたくさん。
洋服作りから、畑も作ってらして、その野菜や果物を、昔ながらの手作りで
羊羹やらオレンジピール、梅干、お豆の煮物、奈良漬、おはぎ・・・等々を
おやつにと持て来て下さるんです。

この時は、羊羹と金柑を焼酎とお砂糖で煮たものを頂きました。
これが、またなんとも素朴で美味しいのです。



教室の方々は、手仕事が好きな方も多くて、私の知らない日々の文化を
いっぱいご存じなので、いつも、是非皆さんの手料理や昔ながらの手仕事を
作品にして、ブログという形でも残したいです!ってお願いしてるのですが、
なかなか乗ってくれず・・・

私が聞き取って描きとめるならOKよって言うので、ちょっと真剣に
考えようかなって思ってます。
だって、日本の古き手仕事や、手作りのお料理が忘れられるのって
もったいないもの~ 


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ウルルンな旅~② ドイツのアウトバーンで

2008-02-24 | つれづれ
             ドイツ~ベルギーの旅日記(スケッチブック)



昨日の続き。。
この旅は、当時デュッセルドルフに住んでいた高校の同級生S宅に、
同じく同級生Nとしばしの居候。
そこを拠点に、私はベルギーに、友達はウィーンへと出かけた。

私のひとつ目の目的だった、ミュンヘンでの毎日書道展の海外巡回展には
3人で出かけた。
異国でもあり距離感のない私は、気軽に「車で行こう!」なんて言ったのだけど
実はかなりな距離だった。(その節はお世話になりました~ 

アウトバーンを走ると、当たり前だけど、右も左もベンツだらけ。
けれど驚いたことに、ベルリンの壁崩壊から2年が経っていたけど、
西側から東側へ向かう車は、ベンツやBMW、東側から西側へ向かう車は、
アウトバーンだというのに、小さな車に扉がないまま5人位乗ってたり。
すれ違いざまに、お互いが中指を立てて何かを叫んでいた。

その何年か前に、叔父とベルギーに行った時、ホームステイ先のムッシューには
絶対するな!と言われていたのに、二人でドイツまでヒッチハイクをした 

叔父は英語とフランス語は完璧だったけど、ドイツ語はほとんど喋れないのに
今思うと、あれこれ無謀な計画だったね。。

ドイツまでは、確か4台位乗り換えたかな。
印象に残っているのは、若い男の人で、ガンガンに立て揺れ系の音楽をかけて
一言も喋らず、アウトバーンの道端で「じゃ、ここまで」って降ろされて。

猛スピードで走る車を横目に、中央分離帯で叔父と二人、呑気にお弁当を広げて
食べていたら、パトカーがやって来た。

最初はすごい怖い顔で、ドイツ語でまくし立てられて「パスポート見せなさい!」
で、日本人だとわかると急に「君らは同士だ」って、握手を迫られ・・
(第二次世界大戦を一緒に戦ったっていう意味だったらしい)

「え~じゃあ高速を降りるまで、パトカーで乗せて行って!」と笑顔で頼んだけど、
「犯罪者以外は乗せるわけにはいかないので、なんとかヒッチハイクで行きなさい」

「そ・そんなぁ・・・・ 」

ま、なんとかなるさって、またお弁当を食べていたら、優しそうな老夫婦が車を
止めて、「どちらまで?」 ←ここが、ウルルンな話 

そんなこんなで、無事ドイツに着いたとさ。
確かその日は1泊して、またヒッチハイクでベルギーに帰りました 




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ウルルンな旅~① ベルギーの小さな町で 

2008-02-23 | つれづれ
                 毎日書いていた当時の日記(スケッチブック)    



母方の叔父はちょっと変わり者で、鉄道の設計会社に就職後、なぜか突然
単身イギリスに渡り、オックスフォード大学に留学。
英語をマスターしたからと、そこから何となくベルギーの小さな町に行き着き、
初めはフランス語もわからぬまま、10年以上住んでいたのかな。。

その叔父が一時帰国し、私が中学2年になる前の春休みに、一緒に連れて
行ってもらったことがある。
2週間位の滞在で、ことばは全くわからなかったけれど、叔父の友人宅を
毎日あちこち訪問して、たくさんの楽しい思い出がある。

その後、大学3年の夏休みに、また叔父と一緒にベルギーを訪れ。
そして‘91年、書の展覧会がミュンヘンであり、先生方と現地で合流したあと、
デュッセルドルフに住む同級生を訪ねた帰りに、電車に乗って一人で
ベルギーに向かった。

ドイツ語はちんぷんかんぷんだったので、切符も買えないまま電車に乗り、
車内での車掌さんにも、なぜか笑顔でOK!と言われ、ベルギーの懐かしい駅に
降りてからも、結局、無賃乗車で到着 

遠い記憶を辿りつつ、以前ホームスティをしていたムッシューの家までは
歩いて30分位。連絡もしてなかったので、びっくりするかなとドキドキしながら
玄関の呼び鈴を鳴らすと、中からムッシューが出てきて「まあ入りなさい」と。

つたないフランス語で話すうちに、「お~!もしかしてあなたは沙於里か?」
・・・って、わからないで私を招き入れてくれたの~ 

マダムは急いで親戚・友人に電話。 「沙於里が来た!」って。
昔と変わらない部屋で、昔と同じいつものメニューで、夕飯。その夜は一泊。

当時泊まっていた部屋に行くと、忘れていったヘッドフォンが、そのまま同じ
場所に置いてあって。
今度は忘れずにね!と言われたのに、やっぱり忘れてきちゃった。

突然の訪問にも、いやな顔ひとつ見せずに、おおげさなもてなしではなく、
いつものまんまで迎えて下さったことに、感激だった。

次の日、ムッシューは駅まで送って下さり、電車がホームに着くと、
私をギュっと抱きしめて、涙を流して下さった。

その様子を見ていた車掌さんは、発車の笛をくわえたまま、微笑みながら
目を閉じて何度も頷いていた。

人生で一番の、ウルルンな旅だった。







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自分の居場所

2008-02-22 | つれづれ
                  「山谷芳弘の世界」 路上社より



大学を卒業してすぐに就職した和紙の会社にいた時、S百貨店にあった
ショップでのイベントを企画したことがある。

どういう経緯だったのかは忘れてしまったけれど、当時、
青森県五所川原市に住む、山谷芳弘さんに絵だより展の開催をお願いした。

その折、山谷さんに実演のような形で、会場に来て頂いた時の印象は、
控えめで無口で、穏やかな方。

そして津軽の地で培われた絵は、もぞもぞっと素朴でありながら、
芯の強い生命力を感じ、そこに添えられたことばと文字からは、
ほのぼのとしたあったかいものを感じた。

その後、是非東京で益々のご活躍をと、何度かお願いしたけれど、
自分は津軽で活動していきたいときっぱりとおっしゃり、
72歳になられた今も、津軽で活動をされているご様子。

そんなところが、作品の魅力にもなっているのかもしれない。

あ~ ・・私の根っこってどこなんだろう・・・
あっちにもこっちにも居場所があるっていうのじゃなく、
ここにしかない、ここが私の場所だってところ・・

そこがどんな場所であっても、自分らしい場所・・
それを見つけられないと、次へ進めないような気がする。


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痛みはいつかやさしさに

2008-02-21 | 八木重吉
           
           

             みにくいものは
             てぢかにみえる
             うつくしいものは
             はるかにみえる
                 
                   (by 八木重吉)
    

             みにくいものも
             てぢかでみる
             うつくしいものも
             てぢかにみえてくる

                   (by 沙於里)



何年か前の春、増築に伴い、職場の大きな櫻の木が何本か切り倒された。
その様子は、毎日目の前で見ていた。

まだ花を咲かせている櫻もあった。
だんだん、外を見ることができなくなった。
何十年もかけて、今そこに佇む無抵抗な櫻に、胸が痛んだ。

まだ花をつけたままの枝は、ちょうど開催中だった、書の展覧会にも飾った。
職人さんに頼んで、切り倒された櫻の幹をふたつ、分けて頂いた。

そのひとつは、今も我が家のベランダで、
季節の花を頭にのせて、そこにいる。

痛みはいつか、やさしい気持ちに変えられる。
ひっそり佇む櫻の幹を見ていて、ふとそう思った。




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理屈はいちばん低い真理

2008-02-20 | 八木重吉
                 2/15のブログのいろは歌の部分(拡大)
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