足利直義が吉野の後村上帝に上げた書状をめぐり二分した意見をまとめなければいけない立場にある北畠親房。漢と楚との長年に渡る合戦の故事が改めて反復される。
「沛公、項羽相共(あいとも)に、古(いにし)への楚王(そおう)の末に孫心(しん)と云ひし人の、民となりて羊を飼ひしを取り立てて、義帝(ぎてい)と号し、その御前(おんまえ)にして、先に咸陽(かんよう)に入りて、秦を滅(ほろ)ぼしたらん者、必ず天下に王たるべしと約諾(やくだく)して、東西に別れて攻(せ)め上(のぼ)る」(「太平記4・第二十八巻・九・P.349」岩波文庫 二〇一五年)
「史記・項羽本紀」にこうある。
(1)「楚の懐王の孫の心(しん)というものが、民間で人に雇われ、羊を飼っているのを探し出し、立てて楚の懐王とした」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.199』ちくま学芸文庫 一九九五年)
(2)「項羽が人をやって懐王のために忠誠を尽すむねを伝えると、懐王は『はじめの約束のようにせよ』と言ったので、懐王を尊んで義帝とした」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.215』ちくま学芸文庫 一九九五年)
さらに「太平記」は「史記」が書かれた時代すでに常套句となっている語句を含む箇所をそのまま引いている。
「大行(たいこう)は細謹(さいきん)を顧みず。大礼(たいれい)は必ずしも辞譲(じじょう)せず。今の如くんば、人は方(まさ)に刀俎(とうそ)たり。われは魚宍(ぎょにく)とならん。何ぞ辞する事をせんや」(「太平記4・第二十八巻・九・P.361~362」岩波文庫 二〇一五年)
「史記・項羽本紀」から樊噲(はんかい)の言葉。
「『大行は細謹を顧みず、大礼は小譲を辞せず』とか申します。いま相手は刀や俎(まないた)で、われらを魚肉にして食べようというのです。何の挨拶などいりましょうか」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.213』ちくま学芸文庫 一九九五年)
「鴻門の会見」で項羽と劉邦とが会った時、范増(はんぞう)は項荘(こうそう)に命じ、剣舞を披露する場面にまぎれて劉邦を刺し殺せと言っていた。が、劉邦の臣下・張良は項羽の叔父の項伯と親しかったため、項荘の剣から劉邦を守るため項伯もまた剣舞を披露して劉邦をかばった。
「荘が入って長寿を祝し、祝酒がおわると、『わが君と沛公とが酒宴せられるのに、陣中のこととて何の座興もないので、一さし剣舞をご覧に入れましょう』と言った。項羽が、『それがよい』と言ったので、項荘が剣を抜いて起って舞うと、項伯もまた剣を抜いて舞い、常に身をもって沛公をおおいかばい、荘は撃つ機会がなかった。その時、張良は起って軍門に行くと、樊噲(はんかい)に出会い、樊噲が、『今日の首尾はどうです』と聞くので、『非常に危急だ。いま項荘が剣を抜いて舞うているが、沛公を殺そうというのだ』と言った。噲は、『そりゃ大変、わたしが入って沛公と生死をともにしましょう』と言って剣を帯び盾をひっさげて軍門に入った。戟(げき)をたがえた衛士が、止めて入れさせないようにするので、樊噲は盾をそばだてて衛士を地につきたおし、中に入って帷(まく)を引き開け、西向きに突っ立って目をいからし項王をにらんだ。頭の髪の毛は直立し、まなじりは裂けているようであった」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.211~212』ちくま学芸文庫 一九九五年)
そういうわけで樊噲(はんかい)は、なぜ場を辞するための挨拶などわざわざする必要があるのか、と劉邦に言ったわけである。劉邦殺害の絶好の機会をみすみす逃したことで范増(はんぞう)は項羽にほとんど愛想を尽かす。
「豎子(じゅし)ともに謀(はか)るに足らず。項王の天下を奪はん者は、必ず沛公なるべし」(「太平記4・第二十八巻・九・P.363」岩波文庫 二〇一五年)
范増のこの予言的な言葉も「史記・項羽本紀」に見える。
「豎子(じゅし=荘を軽蔑して言い、暗に項羽をも指すのである)はともにはかるに足らない。項羽の天下を奪う者はかならず沛公だ」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.214』ちくま学芸文庫 一九九五年)
それにしても両者の戦いはただ単に長かったばかりでなく、そもそも大規模な軍事行動はどれほど互いが互いともに傷つき合い疲弊させられ合うかが語られる。
「楚漢久しく相支えて、未だ勝負を決せず。丁壮(ていそう)は軍旅(ぐんりょ)に苦しみ、老弱(ろうじゃく)は転漕(てんそう)に罷(つか)る」(「太平記4・第二十八巻・九・P.367」岩波文庫 二〇一五年)
「史記・項羽本紀」からの引用。
「楚・漢両軍は長らく対峙したままで決戦せず、丁壮(わかもの)は軍陣にあって苦しみ、老弱は軍糧の運漕(うんそう)につかれた」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.227』ちくま学芸文庫 一九九五年)
ところが漢籍や「平家物語」から引っ張ってきた有名なエピソードが繰り返し語られれば語られるほど、なお一層「太平記」の登場人物らはますますそれらを実践の場で華々しくコピーするとともにいよいよ増殖させてもいくのである。
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「沛公、項羽相共(あいとも)に、古(いにし)への楚王(そおう)の末に孫心(しん)と云ひし人の、民となりて羊を飼ひしを取り立てて、義帝(ぎてい)と号し、その御前(おんまえ)にして、先に咸陽(かんよう)に入りて、秦を滅(ほろ)ぼしたらん者、必ず天下に王たるべしと約諾(やくだく)して、東西に別れて攻(せ)め上(のぼ)る」(「太平記4・第二十八巻・九・P.349」岩波文庫 二〇一五年)
「史記・項羽本紀」にこうある。
(1)「楚の懐王の孫の心(しん)というものが、民間で人に雇われ、羊を飼っているのを探し出し、立てて楚の懐王とした」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.199』ちくま学芸文庫 一九九五年)
(2)「項羽が人をやって懐王のために忠誠を尽すむねを伝えると、懐王は『はじめの約束のようにせよ』と言ったので、懐王を尊んで義帝とした」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.215』ちくま学芸文庫 一九九五年)
さらに「太平記」は「史記」が書かれた時代すでに常套句となっている語句を含む箇所をそのまま引いている。
「大行(たいこう)は細謹(さいきん)を顧みず。大礼(たいれい)は必ずしも辞譲(じじょう)せず。今の如くんば、人は方(まさ)に刀俎(とうそ)たり。われは魚宍(ぎょにく)とならん。何ぞ辞する事をせんや」(「太平記4・第二十八巻・九・P.361~362」岩波文庫 二〇一五年)
「史記・項羽本紀」から樊噲(はんかい)の言葉。
「『大行は細謹を顧みず、大礼は小譲を辞せず』とか申します。いま相手は刀や俎(まないた)で、われらを魚肉にして食べようというのです。何の挨拶などいりましょうか」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.213』ちくま学芸文庫 一九九五年)
「鴻門の会見」で項羽と劉邦とが会った時、范増(はんぞう)は項荘(こうそう)に命じ、剣舞を披露する場面にまぎれて劉邦を刺し殺せと言っていた。が、劉邦の臣下・張良は項羽の叔父の項伯と親しかったため、項荘の剣から劉邦を守るため項伯もまた剣舞を披露して劉邦をかばった。
「荘が入って長寿を祝し、祝酒がおわると、『わが君と沛公とが酒宴せられるのに、陣中のこととて何の座興もないので、一さし剣舞をご覧に入れましょう』と言った。項羽が、『それがよい』と言ったので、項荘が剣を抜いて起って舞うと、項伯もまた剣を抜いて舞い、常に身をもって沛公をおおいかばい、荘は撃つ機会がなかった。その時、張良は起って軍門に行くと、樊噲(はんかい)に出会い、樊噲が、『今日の首尾はどうです』と聞くので、『非常に危急だ。いま項荘が剣を抜いて舞うているが、沛公を殺そうというのだ』と言った。噲は、『そりゃ大変、わたしが入って沛公と生死をともにしましょう』と言って剣を帯び盾をひっさげて軍門に入った。戟(げき)をたがえた衛士が、止めて入れさせないようにするので、樊噲は盾をそばだてて衛士を地につきたおし、中に入って帷(まく)を引き開け、西向きに突っ立って目をいからし項王をにらんだ。頭の髪の毛は直立し、まなじりは裂けているようであった」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.211~212』ちくま学芸文庫 一九九五年)
そういうわけで樊噲(はんかい)は、なぜ場を辞するための挨拶などわざわざする必要があるのか、と劉邦に言ったわけである。劉邦殺害の絶好の機会をみすみす逃したことで范増(はんぞう)は項羽にほとんど愛想を尽かす。
「豎子(じゅし)ともに謀(はか)るに足らず。項王の天下を奪はん者は、必ず沛公なるべし」(「太平記4・第二十八巻・九・P.363」岩波文庫 二〇一五年)
范増のこの予言的な言葉も「史記・項羽本紀」に見える。
「豎子(じゅし=荘を軽蔑して言い、暗に項羽をも指すのである)はともにはかるに足らない。項羽の天下を奪う者はかならず沛公だ」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.214』ちくま学芸文庫 一九九五年)
それにしても両者の戦いはただ単に長かったばかりでなく、そもそも大規模な軍事行動はどれほど互いが互いともに傷つき合い疲弊させられ合うかが語られる。
「楚漢久しく相支えて、未だ勝負を決せず。丁壮(ていそう)は軍旅(ぐんりょ)に苦しみ、老弱(ろうじゃく)は転漕(てんそう)に罷(つか)る」(「太平記4・第二十八巻・九・P.367」岩波文庫 二〇一五年)
「史記・項羽本紀」からの引用。
「楚・漢両軍は長らく対峙したままで決戦せず、丁壮(わかもの)は軍陣にあって苦しみ、老弱は軍糧の運漕(うんそう)につかれた」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.227』ちくま学芸文庫 一九九五年)
ところが漢籍や「平家物語」から引っ張ってきた有名なエピソードが繰り返し語られれば語られるほど、なお一層「太平記」の登場人物らはますますそれらを実践の場で華々しくコピーするとともにいよいよ増殖させてもいくのである。
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