白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・南北朝期のアジテーション成立の背景

2021年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム
檄文になるとやおら奈良時代初期から平安時代初期にかけて大いに輸入された漢籍に載るステレオタイプな引用が連発される傾向について述べた。檄文。アジテーションである。日本ではすでに南北朝期頃までには非常に形式性の高いアジテーション様式が成立していた。そのための用語まで出揃っていたようだ。架空の「太平記」作者・児島高徳について述べたところで、少しばかり当時の時代背景、とりわけ社会風俗について触れておきたい。

「太平記」はただ単なる創作なのではなく「太平記」の作者とされてきた児島高徳こそ逆に「太平記」が創作したフィクションだと述べたところまで来たわけだが、翻って、ではそのような転倒現象を引き起こした社会風俗に触れておくことは無駄ではないと思われる。これまで見てきた巻の中にある箇所から。

「戸(へ)に三丁あれば一丁を抽(ぬき)んず」(「太平記2・第九巻・五・P.54」岩波文庫 二〇一四年)

「太平記」は何も合戦ばかりが連続する単純素朴な軍記物語ではない。合間々々に手を変え品を変え、幾つもの様々なエピソードが平行して語られる空間的共時性を有している。その「襞(ひだ)」の隙間からふと姿を覗かせ、また文章の側から読み手の側を逆に差し覗いてもいるエピソードがちらほら散見できる。社会風俗はそのような形態で語られる。今上げたのは、一軒の家に男性が三人いればそのうちの一人は確実に戦場行きになるという告発的一節。白居易「新豊折臂翁(新豊<しんぽう>の臂<うで>を折<お>りし翁<おう>)」からの引用。新豊(しんぽう)は今の中国陝西省新豊鎮。

「戸有三丁點一丁

(書き下し)戸(こ)に三丁(さんてい)有(あ)れば一丁(いってい)を点す

(現代語訳)一軒に三人の男がいれば一人は兵に取られる」(「新豊折臂翁」『白楽天詩選・上・P.144~149』岩波文庫 二〇一一年)

次に長期の徴兵になると気持ちが打ち沈むばかりで仕方がないと述べられる箇所。

「魂(たましい)浮かれ、骨定まらずして、天涯望郷(てんがいぼうきょう)の鬼とならんずらん」(「太平記2・第十五巻・十六・P.492」岩波文庫 二〇一四年)

これも白居易「新豊折臂翁」にある。

「身死魂飛骨不收 應作雲南望郷鬼 萬人塚上哭呦呦

(書き下し)身(み)死(し)し魂(こん)飛(と)びて骨(ほね)収(おさ)められず 応(まさ)に雲南(うんなん) 望郷(ぼうきょう)の鬼(き)と作(な)り 万人(ばんにん)塚上(ちょうじょう) 哭(こく)して呦呦(ゆうゆう)たるべし

(現代語訳)息は絶え魂さまよい葬られもせず、遥か雲南に望郷の霊となって、万人塚で慟哭しておったはず」(「新豊折臂翁」『白楽天詩選・上・P.146~150』岩波文庫 二〇一一年)

この「雲南」は今の中国雲南省姚安県一帯。「萬人塚」について白居易自身による注釈が付されている。

「〔雲南有萬人冢、即鮮于仲通・李宓曾覆軍之所也〕

(書き下し)〔雲南(うんなん)に万人塚(ばんにんちょう)有(あ)り、即(すなわ)ち鮮于仲通(せんうちゅうとう)・李宓(りひつ)の曾(かつ)て軍(ぐん)を覆(くつがえ)しし所(ところ)なり〕

(現代語訳)〔雲南には万人塚がある。それは鮮于仲通(せんうちゅうとう)・李宓(りひつ)の軍がかつて全滅した所である〕」(「新豊折臂翁」『白楽天詩選・上・P.147~151』岩波文庫 二〇一一年)

延暦寺へ臨幸したものの結果的に兵糧攻めに合い、仕方なく京へ戻り旧花山院邸に幽閉された後醍醐帝。延暦寺の軍事的指揮官・道場坊助注記猷覚(どうじょうぼうのじょちゅうきゆうかく)や新田方の本間孫四郎(ほんままごしろう)の斬首・処刑は免れなかったとはいえ、一方死罪は免除された公家・武家の人々の落胆はこう描かれている。

「住みこし跡に帰り給ひたれども、庭には秋の草繁(しげ)りて、通ひし路(みち)も露深く、閨(ねや)には夜の月のみ差し入りて、塵(ちり)打ち払ふ人もなし」(「太平記3・第十七巻・十七・P.187」岩波文庫 二〇一五年)

影響を受けたとか真似たとかいったレベルではもはやなく、「源氏物語」が書かれた頃すでに公家・武家の子弟育成のための教養書として習得・摂取されていた白居易の詩から。

「西宮南苑多秋草 宮葉満階紅不掃

(書き下し)西宮(せいきゅう) 南苑(なんえん) 秋草(しゅうそう)多(おお)く 宮葉(きゅうよう) 階(きざはし)に満(み)ちて 紅(くれない)掃(はら)わず

(現代語訳)西の御殿、南の御苑には秋草ばかりが生い茂る。きざはしに散り敷いた紅葉は掃き清められることもない」(「長恨歌」『白楽天詩選・上・P.67~68』岩波文庫 二〇一一年)

さらに身に付けておくべきとされていた詩歌・管弦の習得について。

「東宮(とうぐう)、一宮(いちのみや)は御琵琶(おんびわ)、洞院左衛門督実世(とういんさえもんのかみさねよ)は琴(こと)の役、義貞(よしさだ)は横笛(よこぶえ)、義助(よしすけ)は笙(しょう)の笛(ふえ)、維頼(これより)は打ち物にて、蘇合(そごう)の三帖(じょう)、万寿楽(まんじゅらく)の破(は)、繁絃(はんげん)急管(きゅうかん)の声、一唱三歎(いっしょうさんたん)の調子、融々洩々(ゆうゆうえいえい)として、正始(せいし)の音に叶(かな)ひしかば、天人もここに天下(あまくだ)り、龍神(りゅうじん)も納受する程なり」「太平記3・第十七巻・二十三・P.205」岩波文庫 二〇一五年)

(1)「一唱三歎(いっしょうさんたん)」について。白居易「五絃弾」から。

「一彈一唱再三歎

(書き下し)一弾(いちだん)一唱(いっしょう) 再三(さいさん)歎(たん)ず

(現代語訳)一たび奏で、一たび歌えば、二度三度と感嘆の声」(「五絃弾」『白楽天詩選・上・P.159~161』岩波文庫 二〇一一年)

(2)「融々洩々(ゆうゆうえいえい)」について。同じく白居易「五絃弾」から。

「融融曳曳

(書き下し)融融(ゆうゆう) 曳曳(えいえい)

(現代語訳)なごやかでのびやか」(「五絃弾」『白楽天詩選・上・P.159~162』岩波文庫 二〇一一年)

(3)「正始(せいし)の音」について。同じく白居易「五絃弾」に見える。

「正始之音其若何

(書き下し)正始(せいし)の音(おん)は其(そ)れ若何(いかん)

(現代語訳)始原の正しい音楽とはどんなものか」(「五絃弾」『白楽天詩選・上・P.159~161』岩波文庫 二〇一一年)

また、金ヶ崎城落城前の一宮(いちのみや)尊良親王が御息所(みやすどころ)を始めて知ったシーン。御息所は当時十七、八歳で気品があり優雅な女性。時雨(しぐれ)の雲間から差し入る月光に照らされながら一人で琵琶(びわ)を弾いていた。それがなかなかのテクニシャンでもある。

「節(ふし)珊瑚(さんご)を砕(くだ)く一両曲、氷玉盤(ぎょくばん)に落つ千万声(せんばんせい)」(「太平記3・第十八巻・十一・P.260」岩波文庫 二〇一五年)

白居易「五絃弾」にこうある。

「鐵撃珊瑚一兩曲 冰寫玉盤千萬聲

(書き下し)鉄(てつ)は珊瑚(さんご)を撃(う)つ 一両曲(いちりょうきょく) 氷(こおり)は玉盤(ぎょくばん)に写(そそ)ぐ 千万(せんまん)の声(こえ)

(現代語訳)珊瑚を鉄で一撃したような一曲、二曲。氷が玉盤に落ちるがごとき何千何万の音」(「五絃弾」『白楽天詩選・上・P.158~161』岩波文庫 二〇一一年)

一宮(いちのみや)尊良親王と御息所(みやすどころ)との恋愛関係は約十年ばかり続いた。そして一宮は自害、御息所は病死。

しかし戦況はますます酸鼻を極めていく。後醍醐帝が奈良吉野に皇居を置き、新田義貞はまた延暦寺に同盟を持ちかける。その文面を起草したのが児島高徳という謎の法師なのだが、以前に新田義貞が書いた奏上文より遥かに劇的な挑発用語がぞろぞろ出てくる。和漢混淆形式を取った本格的アジテーションの登場のように思える。

「死を善道(ぜんどう)に守る」(「太平記3・第二十巻・四・P.355」岩波文庫 二〇一五年)

何度も出てくる「論語」からの引用。

「子曰、篤信好学、守死善道、危邦不入、乱邦不居、天下有道則見、無道則隠、邦有道、貧且賤焉恥也、邦無道、富且貴焉恥也

(書き下し)子曰わく、篤(あつ)く信じて学を好み、死にいたるまで守りて道を善(よ)くす。危邦(きほう)には入らず、乱邦(らんぽう)には居らず。天下道あるときは則(すなわ)ち見(あら)われ、道なきときは則ち隠る。邦(くに)に道あるとき、貧しく且(か)つ賤(いや)しきは恥なり。邦に道なきとき、富み且つ貴きは恥なり。

(現代語訳)先生がいわれた。『かたい信念をもって学問を愛し、死にいたるまで守りつづけて道をほめたたえる。危機にのぞんだ国家に入国せず、内乱のある国家には長く滞在しない。天下に道義が行われる太平の世には、表にたって活動するが、道義が失われる乱世には裏に隠れる。道義が行なわれる国家において、貧乏で無名の生活をおくるのは不名誉なことである。道義が行なわれない国家において、財産をもち高位に上るのは不名誉なことである』」(「論語・第四巻・第八・泰伯篇・十三・P.223~224」中公文庫 一九七三年)

ともかく、同じ語句がステレオタイプ(常套句)として何度も繰り返し反復使用できるのはなぜか。ヴァレリーはいう。

「このことを証明するためには、あらゆる領域においてわれわれが真に知ることが、もしくは知ると信じることができるのは、われわれ自身で《観察》しうるものか、もしくは《制作》しうるものにほかならず、作品を産む精神の観察と、その作品の或る価値を産む精神の観察とを、同一の意識状態、同一の注意のなかに集めることは不可能であることを注意するだけで十分であります。この二つの機能を同時に観察することのできる眼は存在しません。生産者と消費者は本質的に分離された二つの組織であります。作品は生産者にとっては《終結》であり、消費者にとっては、人の望みうる限り相互に無関係たりうるさまざまの発展の《始原》であります」(ヴァレリー「詩学序説」『世界の名著66・アラン/ヴァレリー・P.476~477』中公バックス 一九八〇年)

もはや人間は自分で自分自身の言葉を常に裏切るほかなくなっていくのだろうか。

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