縉紳館(しんしんかん)へ到着したK。城からエルランガーが来ていると聞いていたが本当に来ている。エルランガーはバルナバスが言っていたクラムの秘書の一人。早くも縉紳館の周囲を取り巻くように請願者の行列ができている。バルナバスが触れ廻ったわけではないのになぜか請願者たちはエルランガーの縉紳館訪問を知っている。謎だ。そしてこの謎は謎のまま通り過ぎていく。
Kは縉紳館の中へ入りフリーダがいるのを見つけていう。フリーダは依然として<嫉妬への意志>のままであり職場だけを縉紳館へ戻したようだ。また自分で口にするのはプライドが許さないのだろう、フリーダはオルガのことをオルガと呼ばない。Kはそれを察してオルガのことを「色の黒いほうの娘」と呼ぶ。さらにKの説明はオルガを擁護しているかのように聞こえる。もちろん擁護している。というのもオルガはバルナバスの姉でありバルナバスが城との繋がりをもっている以上、Kはオルガと完全に手を切ってしまうわけにはいかないからである。
「『なにもかも抜け目なく手を打ったものだね。ただ、きみは、一度ぼくのために酒場から出ていった人間だよ。だのに、もうすぐ結婚式をあげようというときになって、ここへまた舞いもどるのかい』。『結婚式なんかあるものですか』。『ぼくが裏切ったからというのかね』。フリーダはうなずいた。『ねえ、フリーダ、きみは裏切りだなどと言うが、このことは、まえにも何度も話しあったことで、きみもいつも最後には、まちがった邪推であることをみとめざるをえなかったじゃないか。それ以後、ぼくのほうにはなにも変ったことはない。なにもかもきれいなものだ。これまでもそうだったし、これからも変りようがないだろう。だから、きみのほうになにか変ったことがあったにちがいないし。だれかにそそのかされたか、なにかしてね。いずれにせよ、裏切ったとか、不誠実だったとかいうのは、いわれのない非難だよ。だって、あのふたりの娘ってなんだい。色の黒いほうの娘ーーーいや、こんなふうに逐一弁解しなくてはならないなんて、恥ずかしいくらいだよ。しかし、きみの要求だからね。とにかく、あの色の黒い娘は、おそらくきみにとってとおなじくらい、ぼくにとっても虫の好かない女だね。なんとかして離れておれるものなら、あの娘には近づきたくないものだ。もっとも、あの子のほうでも、それを助けてくれるがね。あの子ほどでしゃばらない、慎みぶかい人間はいないからね』」(カフカ「城・P.405~406」新潮文庫 一九七一年)
この辺りから「城」はまた趣きを変える。オルガの言葉に代わって再びフリーダの言葉がKに揺さぶりを掛けはじめる。フリーダもオルガも<娼婦・女中・姉妹>の系列に属している限り、いずれにしてもKの立場を変えてやることができる。これまでもKは二人の言葉によってその時その時で城との繋がりを維持することができてきたわけで、Kにとって「フリーダかオルガか」という問いは存在しない。或る時はフリーダであり別の時はオルガである。「変身」のグレーテが兄グレーゴルに接する時のように「城」でグレーテのようにKに接することができるのは或る時にはフリーダであり別の時にはオルガである。フリーダもオルガもグレーテのように<娼婦・女中・姉妹>の系列に属している限りで、Kにとって強度を移動させる。その場その場での<力>の移動でしかないものがKの目には自分にとって<重要性>の移動に見える。ただ単なる遠近法的錯覚でしかないといえばその通りだ。だがKにとってフリーダとオルガの立場は違っている。Kはフリーダと結婚すると約束した。言い換えれば、「Kはフリーダと結婚すると約束したを-持っている」。取り返しのつかない事情を持ってしまっている。しかしその公式手続きには城の機構の了解が必要だ。ところが結婚のための公式手続きはどのように進めていけばいいのか。
Kは意外と落ち着いて判断しながら進んでいく。だがいつも失敗する。ヘーゲル弁証法的に考えている限りそうなるほかない。一つの手続きが済めば次の手続きへ進むことができるというだけでなく、それらの手続きはどれも済ませるごとに上昇する段階を成していると信じている。またKをヘーゲル弁証法に忠実に進ませているのはほかでもない作者カフカである。カフカはKの行動様式をヘーゲル弁証法に縛り付けておくことで官僚主義的な城の機構がどれほど危険な罠なのかということを読者に告げ知らせている。さらにカフカの目に映った当時の官僚主義は高級官僚の世界にのみ見られた一現象だったわけではまるでない。むしろ民間企業の内部構造にも見られたし、ソ連のスターリニズムがそうであったし、カフカの死後にはナチス・ドイツとして出現した。そしてなおかつアメリカ型資本主義に対する批判はもう随分以前にアドルノやホルクハイマーが述べている。
「文化産業のモンタージュ的な性格、その製品の合成され隅々まで管理された製作様式は、大量生産をめざして、たんに映画スタジオの中だけでなく、大っぴらではないにしても、安っぽい伝記やルポルタージュ小説や流行歌を、糊と鋏ででっちあげる際にも使われており、前もって広告に順応するようになっている。つまり個々の要素は分解して取り替えのきくものとなり、意味連関から技術的に疎外されることによって、作品の外部の目的に手を貸すことになる。特殊効果やトリック、個々の部分をバラして何度でも使うやり方などは、昔から広告目的のため商品の展示に奉仕してきた。そして今日では、映画女優の大写し写真は、それぞれのモデルの名を売る広告になり、ヒットソングはそのメロディのコマーシャルになってしまった。経済的にはもちろん技術的にも、広告と文化産業は融合している。こちらでもあちらでも、数え切れない場所で同じものが現れる。そして同じ文化製品の機械的な反復は、すでに同じプロパガンダ・スローガンの機械的反復なのだ。ここでもあそこでも、効率という掟の下で、技術は心理技術に、人間を処理する手段になる。ここでもあそこでも、通用しているのは、目立ちはするが親しみやすく、さりげないが心に残り、玄人っぽいがシンプルでもある、という規準である。つまり、ぼんやりしているとか、なじみにくいとか思われるお客を圧倒することが問題なのだ」(ホルクハイマー=アドルノ「啓蒙の弁証法・4・文化産業・P.331~332」岩波文庫 二〇〇七年)
ところでフリーダは宿屋のお内儀(かみ)の言葉を引き合いに出している。
「『そうですわ』と、フリーダは、叫んだ。言葉が、彼女の意に反してとびだしてきたのである。Kは、彼女がこんなふうに考えかたを変えたのを見て、喜んだ。彼女は、自分が口に出そうとおもったのとはちがったことを言っているのだった。『あなたがあの娘を慎みぶかいとおっしゃるのは、勝手ですわ。あなたは、あらゆる女のなかでいちばん恥知らずのあの娘を慎みぶかいとおっしゃるのね。しかも、信じられないことだけど、正直にそう考えていらっしゃる。あなたが白っぱくれていらっしゃるのでないことは、わたしにもわかっているわ。橋屋のお内儀(かみ)も、あなたのことをこう言っていましたわ。<わたしは、あの人を好かないけれど、かといって見すててしまうこともできない。まだろくに歩けもしないのにとっとと先へ進みたがる小さな子供を見ると、たまらなくなってつい手を出さざるをえないものだわ>とね』」(カフカ「城・P.406」新潮文庫 一九七一年)
宿屋のお内儀(かみ)から見たK。それは「まだろくに歩けもしないのにとっとと先へ進みたがる小さな子供」に等しい。その意味でKが宿屋のお内儀のいう「子供」から脱することは決してない。「大人」の村民たちと同一化することもまたない。接近することはあるにしても。もし同一化するとすればその時点でKは自分で自分自身を<自己疎外>してしまうほかなくなる。自分を失うことと引き換えに始めて城の共同体の輪の中に入れてあげましょうというわけだ。ラカンはいう。
「鏡像段階というのは、精神分析がこの用語にあたえる全き意味で《同一化のひとつとして》理解するだけで十分です。すなわち、主体が或る像〔を自分のものとして〕引き受ける時みずからに生ずる変形ということで、ーーーそれがこの時相の作用として予定されていることは、精神分析における《イマーゴ》という古い用語の慣用によって十分に示されています。
この、自由に動くこともできなければ、栄養も人に頼っているような、まだ《口のきけない》状態にある小さな子供が、自分の鏡像をこおどりしながらそれとして引き受けるということは、《わたし》というものが原初的な形態へと急転換していくあの象徴的母体を範例的な状況のなかで明らかにするようにみえるのですが、その後になって初めて《わたし》は他者との同一化の弁証法のなかで自分を客観化したり、言語活動が《わたし》にその主体的機能を普遍性のなかでとりもどさせたりします。
重要な点は、この形態が《自我》という審級を、社会的に決定される以前から、単なる個人にとってはいつまでも還元できないような虚像の系列のなかへ位置づけるということであり、ーーーあるいはむしろそれは、主体が《わたし》として自分自身の現実との不調和を解消しなければならないための弁証法的総合がうまく成功していようとも、主体の生成に漸近的にしか合致しないのです。
このように、主体が幻影のなかでその能力を先取りするのは身体の全体的形態によってなのですが、この形態は《ゲシュタルト》としてのみ、すなわち、外在性においてのみ主体に与えられるものであって、そこではたしかにこの形態は構成されるものというより構成するものではありながら、とりわけこの形態は、主体が自分でそれを生気づけていると体験するところの騒々しい動きとは反対に、それを凝固させるような等身の浮彫りとしてまたそれを逆転させる対称性のもとであらわれるのです。したがって、この《ゲシュタルト》について言えば、そのプレグナンツは、たとえその運動様式が無視できるにしても、種に関連していると考えなければならないわけで、ーーーその出現のこれら二つの局面によってこのゲシュタルトは、《わたし》の精神的恒常性を象徴すると同時にそれがのちに自己疎外する運命をも予示するものです。さらにその《ゲシュタルト》はさまざまの対応をはらんでいますが、これによって、《わたし》は、いわば人間が彼を支配する幻影にみずからを投影する立像と一体化するわけであり、結局は、曖昧な関係のなかで世界がみずからを完成させようとする自動人形と一体化するわけなのです。
じじつ、《イマーゴ》についていえば、そのヴェールに覆われた顔がわれわれの日常経験や象徴的有効性の半影のなかで輪郭をあらわすのを見てとるというのはわれわれの特権ですし、ーーー個人的特徴であれさらには弱点とか対象的投影であれ、要するに《自己身体のイマーゴ》が幻覚や夢のなかで呈する鏡像的配置をわれわれが信用している以上、あるいは、鏡という装置の役割を心的現実、しかも異質なそれの現われる《分身》の出現に認めている以上、鏡像は可視的世界への戸口であるようにみえます。
鏡像段階の明らかにする空間的な騙取のなかに、人間の自然的現実が有機体として不十分であることの結果を認めさせますーーー。けれども自然とのこうした関係は人間では生体内部の或る種の裂開によって、つまり生まれてから数ヶ月の違和感の徴候と共働運動の不能があわらにする<原初的不調和>によって変化させられます。
《鏡像段階》はその内的進行が不十分さから先取りへと急転するドラマなのですがーーーこのドラマは空間的同一化の罠にとらえられた主体にとってはさまざまの幻像を道具立てに使い、これら幻像はばらばらに寸断された身体像から整形外科的とでも呼びたいその全体性の形態へとつぎつぎに現われ、ーーーそしてついに自己疎外する同一性という鎧をつけるにいたり、これは精神発達の全体に硬直した構造を押しつけることになります」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.126~129』弘文堂 一九七二年)
さて。立憲民主党が選挙の総括報告を出した。今度の立憲の敗北は共産党との選挙協力に足を引っ張られた形になったからだという主旨。今さらと思われても仕方ないだろう。しかしこの「今さら」は二重の意味で受け止めなければならない。ちなみに滋賀県の現職知事は民主党出身の三日月大造(現チームしが)。二期目に当たる二〇一八年の知事選の時は自民・公明の推薦も受けて再選を果たした。ところが就任の際それまで慣例として行われていた各会派との合同写真撮影で、なぜか共産党会派との撮影現場にだけは現れなかった。あからさまに遅刻した。自公両党(安倍内閣)に目配せを送る格好になった。一方、立憲の支持基盤・連合はもはや労働組合ではなくどこからどう見ても御用組合でしかない。原発から大型公共工事まで手広く股にかけて各種利権を漁りまくりたがっている今の立憲民主党とどこがどう違うのかもはやさっぱり。そしてさらに三日月知事は共産党との選挙協力が災いしたと明言した立憲民主党代表の泉健太と同期当選組の仲間同士である。だからといって全面的に共産党を積極的に支持するのがよいと言いたいわけでもない。
何年か前、「新潮」だったか、雑誌の対談で東浩紀に聞かれて浅田彰がこう答えていた。日本共産党を支持する理由について。なるほど共産党の独善的体質には付いていけないけれども、他の政治政党に対する反対意見が実際にあるということを示すためにのみであっても共産党というものは必要だという主旨。このセンスというのは京都育ちでないと身に沁みてわからないものであるだけに神戸生まれとはいうものの少年時代からずっと京都で育った浅田は京都の地域性によく通じているなと腑に落ちたものだ。
日本共産党は取り立てて何もしなくていい。ただ他のどの政党の政治政策にも納得できない人々の受け皿でありさえすれば存在価値があるのであって、実際のところ、例えば西陣の職人たちのあいだでは今なお一方で天皇のことを「御所はん」と呼んで慣れ親しみながらもう一方で共産党に投票するのが当たり前だ。他の都道府県民から見れば「矛盾じゃないか」と言われそうだが京都では一つも「矛盾じゃない」のである。そうでなくては食べていけないからである。自民党や立憲民主党が三度三度のご飯を食べさせてくれるか?冗談じゃねーっての。という感じ。自民党支持者の中でも自民党が天皇を奉っている限りで支持するという人々が京都にはたくさんいる。とりわけ茶道・華道・能・和服・文学・歴史など伝統芸能で食べていく人々はそうだ。そういう立場の投票先は自民と共産とに分かれる。共産党の場合、ここ二年にわたるパンデミック禍によって見えてきたように、特に関西地区では保育所や幼稚園の切り盛りで目立った活躍が上げられる。かつての日本社会党の役割は終わった。部落解放同盟も裕福になるや自民党へ、さらには維新の会へと意味不明な支持層へ変わった。だが解放教育に終わりはない。差別はいつどこでどのように出現するかわからないからである。解放教育は日本の中で言葉の使用がどのような痛ましい破壊力を与えるかに関して大きな成果をもたらした。敵対していた共産党の側もだんだん言葉づかいに注意するようになり、そこへ東洋経済新聞社のように「こんなこと言ってたら顧客獲得どころかそもそも誰にも相手にされへんぞ」という内容のビジネスパーソン向けの「言葉遣いのいろは」本を出版するに及び、総合的に差別反対の機運は大筋で合意できる状況が全国のあちこちで発生してきた。
しかし滋賀県知事の話に戻ると「中学生いじめ自殺」問題で注目された上に、そのダメージがまだまだ県内のあちこちに残っていてまるで癒えていないにもかかわらず、<嫌がらせ>というほかない行為、特定政党との写真撮影拒否などという多数派による「いじめ行為」をやって見せるというのはよほど度胸があるのかそれともただ単なる馬鹿でしかないのか。少なくとも先見の明はないように思える。そのわけは先日の沖縄県名護市市長選の結果で出た。
国から金が出るからといってどんどん政権与党一色になれば、近いうちに日本政府に異論を述べることは不可能になる。この状態は中国へ変換された当時の香港と余りにもよく似ている。中国は気前良く香港へばんばん金を入れた。十年ほどでもう香港は北京の支配下に置かれたも同然だった。香港は豊かになった。しかし得たものも大きければ失ったものも大きかった。香港は中国型資本主義のもとで自由という目に見えない権利をほとんど棒に振ってしまう事態に陥った。香港民主化運動は今や売国行為と見なされるに及んでいる。沖縄もこのままの条件で事態が推移するとすれば日米同盟の桎梏のもとでありとあらゆる自由を失ってしまうだろう。そして再び沖縄は第一次世界大戦前後のように<からゆきさん>密集地として生き残っていくしか家庭〔家族〕存続の方法をなくしてしまうかもしれない。
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Kは縉紳館の中へ入りフリーダがいるのを見つけていう。フリーダは依然として<嫉妬への意志>のままであり職場だけを縉紳館へ戻したようだ。また自分で口にするのはプライドが許さないのだろう、フリーダはオルガのことをオルガと呼ばない。Kはそれを察してオルガのことを「色の黒いほうの娘」と呼ぶ。さらにKの説明はオルガを擁護しているかのように聞こえる。もちろん擁護している。というのもオルガはバルナバスの姉でありバルナバスが城との繋がりをもっている以上、Kはオルガと完全に手を切ってしまうわけにはいかないからである。
「『なにもかも抜け目なく手を打ったものだね。ただ、きみは、一度ぼくのために酒場から出ていった人間だよ。だのに、もうすぐ結婚式をあげようというときになって、ここへまた舞いもどるのかい』。『結婚式なんかあるものですか』。『ぼくが裏切ったからというのかね』。フリーダはうなずいた。『ねえ、フリーダ、きみは裏切りだなどと言うが、このことは、まえにも何度も話しあったことで、きみもいつも最後には、まちがった邪推であることをみとめざるをえなかったじゃないか。それ以後、ぼくのほうにはなにも変ったことはない。なにもかもきれいなものだ。これまでもそうだったし、これからも変りようがないだろう。だから、きみのほうになにか変ったことがあったにちがいないし。だれかにそそのかされたか、なにかしてね。いずれにせよ、裏切ったとか、不誠実だったとかいうのは、いわれのない非難だよ。だって、あのふたりの娘ってなんだい。色の黒いほうの娘ーーーいや、こんなふうに逐一弁解しなくてはならないなんて、恥ずかしいくらいだよ。しかし、きみの要求だからね。とにかく、あの色の黒い娘は、おそらくきみにとってとおなじくらい、ぼくにとっても虫の好かない女だね。なんとかして離れておれるものなら、あの娘には近づきたくないものだ。もっとも、あの子のほうでも、それを助けてくれるがね。あの子ほどでしゃばらない、慎みぶかい人間はいないからね』」(カフカ「城・P.405~406」新潮文庫 一九七一年)
この辺りから「城」はまた趣きを変える。オルガの言葉に代わって再びフリーダの言葉がKに揺さぶりを掛けはじめる。フリーダもオルガも<娼婦・女中・姉妹>の系列に属している限り、いずれにしてもKの立場を変えてやることができる。これまでもKは二人の言葉によってその時その時で城との繋がりを維持することができてきたわけで、Kにとって「フリーダかオルガか」という問いは存在しない。或る時はフリーダであり別の時はオルガである。「変身」のグレーテが兄グレーゴルに接する時のように「城」でグレーテのようにKに接することができるのは或る時にはフリーダであり別の時にはオルガである。フリーダもオルガもグレーテのように<娼婦・女中・姉妹>の系列に属している限りで、Kにとって強度を移動させる。その場その場での<力>の移動でしかないものがKの目には自分にとって<重要性>の移動に見える。ただ単なる遠近法的錯覚でしかないといえばその通りだ。だがKにとってフリーダとオルガの立場は違っている。Kはフリーダと結婚すると約束した。言い換えれば、「Kはフリーダと結婚すると約束したを-持っている」。取り返しのつかない事情を持ってしまっている。しかしその公式手続きには城の機構の了解が必要だ。ところが結婚のための公式手続きはどのように進めていけばいいのか。
Kは意外と落ち着いて判断しながら進んでいく。だがいつも失敗する。ヘーゲル弁証法的に考えている限りそうなるほかない。一つの手続きが済めば次の手続きへ進むことができるというだけでなく、それらの手続きはどれも済ませるごとに上昇する段階を成していると信じている。またKをヘーゲル弁証法に忠実に進ませているのはほかでもない作者カフカである。カフカはKの行動様式をヘーゲル弁証法に縛り付けておくことで官僚主義的な城の機構がどれほど危険な罠なのかということを読者に告げ知らせている。さらにカフカの目に映った当時の官僚主義は高級官僚の世界にのみ見られた一現象だったわけではまるでない。むしろ民間企業の内部構造にも見られたし、ソ連のスターリニズムがそうであったし、カフカの死後にはナチス・ドイツとして出現した。そしてなおかつアメリカ型資本主義に対する批判はもう随分以前にアドルノやホルクハイマーが述べている。
「文化産業のモンタージュ的な性格、その製品の合成され隅々まで管理された製作様式は、大量生産をめざして、たんに映画スタジオの中だけでなく、大っぴらではないにしても、安っぽい伝記やルポルタージュ小説や流行歌を、糊と鋏ででっちあげる際にも使われており、前もって広告に順応するようになっている。つまり個々の要素は分解して取り替えのきくものとなり、意味連関から技術的に疎外されることによって、作品の外部の目的に手を貸すことになる。特殊効果やトリック、個々の部分をバラして何度でも使うやり方などは、昔から広告目的のため商品の展示に奉仕してきた。そして今日では、映画女優の大写し写真は、それぞれのモデルの名を売る広告になり、ヒットソングはそのメロディのコマーシャルになってしまった。経済的にはもちろん技術的にも、広告と文化産業は融合している。こちらでもあちらでも、数え切れない場所で同じものが現れる。そして同じ文化製品の機械的な反復は、すでに同じプロパガンダ・スローガンの機械的反復なのだ。ここでもあそこでも、効率という掟の下で、技術は心理技術に、人間を処理する手段になる。ここでもあそこでも、通用しているのは、目立ちはするが親しみやすく、さりげないが心に残り、玄人っぽいがシンプルでもある、という規準である。つまり、ぼんやりしているとか、なじみにくいとか思われるお客を圧倒することが問題なのだ」(ホルクハイマー=アドルノ「啓蒙の弁証法・4・文化産業・P.331~332」岩波文庫 二〇〇七年)
ところでフリーダは宿屋のお内儀(かみ)の言葉を引き合いに出している。
「『そうですわ』と、フリーダは、叫んだ。言葉が、彼女の意に反してとびだしてきたのである。Kは、彼女がこんなふうに考えかたを変えたのを見て、喜んだ。彼女は、自分が口に出そうとおもったのとはちがったことを言っているのだった。『あなたがあの娘を慎みぶかいとおっしゃるのは、勝手ですわ。あなたは、あらゆる女のなかでいちばん恥知らずのあの娘を慎みぶかいとおっしゃるのね。しかも、信じられないことだけど、正直にそう考えていらっしゃる。あなたが白っぱくれていらっしゃるのでないことは、わたしにもわかっているわ。橋屋のお内儀(かみ)も、あなたのことをこう言っていましたわ。<わたしは、あの人を好かないけれど、かといって見すててしまうこともできない。まだろくに歩けもしないのにとっとと先へ進みたがる小さな子供を見ると、たまらなくなってつい手を出さざるをえないものだわ>とね』」(カフカ「城・P.406」新潮文庫 一九七一年)
宿屋のお内儀(かみ)から見たK。それは「まだろくに歩けもしないのにとっとと先へ進みたがる小さな子供」に等しい。その意味でKが宿屋のお内儀のいう「子供」から脱することは決してない。「大人」の村民たちと同一化することもまたない。接近することはあるにしても。もし同一化するとすればその時点でKは自分で自分自身を<自己疎外>してしまうほかなくなる。自分を失うことと引き換えに始めて城の共同体の輪の中に入れてあげましょうというわけだ。ラカンはいう。
「鏡像段階というのは、精神分析がこの用語にあたえる全き意味で《同一化のひとつとして》理解するだけで十分です。すなわち、主体が或る像〔を自分のものとして〕引き受ける時みずからに生ずる変形ということで、ーーーそれがこの時相の作用として予定されていることは、精神分析における《イマーゴ》という古い用語の慣用によって十分に示されています。
この、自由に動くこともできなければ、栄養も人に頼っているような、まだ《口のきけない》状態にある小さな子供が、自分の鏡像をこおどりしながらそれとして引き受けるということは、《わたし》というものが原初的な形態へと急転換していくあの象徴的母体を範例的な状況のなかで明らかにするようにみえるのですが、その後になって初めて《わたし》は他者との同一化の弁証法のなかで自分を客観化したり、言語活動が《わたし》にその主体的機能を普遍性のなかでとりもどさせたりします。
重要な点は、この形態が《自我》という審級を、社会的に決定される以前から、単なる個人にとってはいつまでも還元できないような虚像の系列のなかへ位置づけるということであり、ーーーあるいはむしろそれは、主体が《わたし》として自分自身の現実との不調和を解消しなければならないための弁証法的総合がうまく成功していようとも、主体の生成に漸近的にしか合致しないのです。
このように、主体が幻影のなかでその能力を先取りするのは身体の全体的形態によってなのですが、この形態は《ゲシュタルト》としてのみ、すなわち、外在性においてのみ主体に与えられるものであって、そこではたしかにこの形態は構成されるものというより構成するものではありながら、とりわけこの形態は、主体が自分でそれを生気づけていると体験するところの騒々しい動きとは反対に、それを凝固させるような等身の浮彫りとしてまたそれを逆転させる対称性のもとであらわれるのです。したがって、この《ゲシュタルト》について言えば、そのプレグナンツは、たとえその運動様式が無視できるにしても、種に関連していると考えなければならないわけで、ーーーその出現のこれら二つの局面によってこのゲシュタルトは、《わたし》の精神的恒常性を象徴すると同時にそれがのちに自己疎外する運命をも予示するものです。さらにその《ゲシュタルト》はさまざまの対応をはらんでいますが、これによって、《わたし》は、いわば人間が彼を支配する幻影にみずからを投影する立像と一体化するわけであり、結局は、曖昧な関係のなかで世界がみずからを完成させようとする自動人形と一体化するわけなのです。
じじつ、《イマーゴ》についていえば、そのヴェールに覆われた顔がわれわれの日常経験や象徴的有効性の半影のなかで輪郭をあらわすのを見てとるというのはわれわれの特権ですし、ーーー個人的特徴であれさらには弱点とか対象的投影であれ、要するに《自己身体のイマーゴ》が幻覚や夢のなかで呈する鏡像的配置をわれわれが信用している以上、あるいは、鏡という装置の役割を心的現実、しかも異質なそれの現われる《分身》の出現に認めている以上、鏡像は可視的世界への戸口であるようにみえます。
鏡像段階の明らかにする空間的な騙取のなかに、人間の自然的現実が有機体として不十分であることの結果を認めさせますーーー。けれども自然とのこうした関係は人間では生体内部の或る種の裂開によって、つまり生まれてから数ヶ月の違和感の徴候と共働運動の不能があわらにする<原初的不調和>によって変化させられます。
《鏡像段階》はその内的進行が不十分さから先取りへと急転するドラマなのですがーーーこのドラマは空間的同一化の罠にとらえられた主体にとってはさまざまの幻像を道具立てに使い、これら幻像はばらばらに寸断された身体像から整形外科的とでも呼びたいその全体性の形態へとつぎつぎに現われ、ーーーそしてついに自己疎外する同一性という鎧をつけるにいたり、これは精神発達の全体に硬直した構造を押しつけることになります」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.126~129』弘文堂 一九七二年)
さて。立憲民主党が選挙の総括報告を出した。今度の立憲の敗北は共産党との選挙協力に足を引っ張られた形になったからだという主旨。今さらと思われても仕方ないだろう。しかしこの「今さら」は二重の意味で受け止めなければならない。ちなみに滋賀県の現職知事は民主党出身の三日月大造(現チームしが)。二期目に当たる二〇一八年の知事選の時は自民・公明の推薦も受けて再選を果たした。ところが就任の際それまで慣例として行われていた各会派との合同写真撮影で、なぜか共産党会派との撮影現場にだけは現れなかった。あからさまに遅刻した。自公両党(安倍内閣)に目配せを送る格好になった。一方、立憲の支持基盤・連合はもはや労働組合ではなくどこからどう見ても御用組合でしかない。原発から大型公共工事まで手広く股にかけて各種利権を漁りまくりたがっている今の立憲民主党とどこがどう違うのかもはやさっぱり。そしてさらに三日月知事は共産党との選挙協力が災いしたと明言した立憲民主党代表の泉健太と同期当選組の仲間同士である。だからといって全面的に共産党を積極的に支持するのがよいと言いたいわけでもない。
何年か前、「新潮」だったか、雑誌の対談で東浩紀に聞かれて浅田彰がこう答えていた。日本共産党を支持する理由について。なるほど共産党の独善的体質には付いていけないけれども、他の政治政党に対する反対意見が実際にあるということを示すためにのみであっても共産党というものは必要だという主旨。このセンスというのは京都育ちでないと身に沁みてわからないものであるだけに神戸生まれとはいうものの少年時代からずっと京都で育った浅田は京都の地域性によく通じているなと腑に落ちたものだ。
日本共産党は取り立てて何もしなくていい。ただ他のどの政党の政治政策にも納得できない人々の受け皿でありさえすれば存在価値があるのであって、実際のところ、例えば西陣の職人たちのあいだでは今なお一方で天皇のことを「御所はん」と呼んで慣れ親しみながらもう一方で共産党に投票するのが当たり前だ。他の都道府県民から見れば「矛盾じゃないか」と言われそうだが京都では一つも「矛盾じゃない」のである。そうでなくては食べていけないからである。自民党や立憲民主党が三度三度のご飯を食べさせてくれるか?冗談じゃねーっての。という感じ。自民党支持者の中でも自民党が天皇を奉っている限りで支持するという人々が京都にはたくさんいる。とりわけ茶道・華道・能・和服・文学・歴史など伝統芸能で食べていく人々はそうだ。そういう立場の投票先は自民と共産とに分かれる。共産党の場合、ここ二年にわたるパンデミック禍によって見えてきたように、特に関西地区では保育所や幼稚園の切り盛りで目立った活躍が上げられる。かつての日本社会党の役割は終わった。部落解放同盟も裕福になるや自民党へ、さらには維新の会へと意味不明な支持層へ変わった。だが解放教育に終わりはない。差別はいつどこでどのように出現するかわからないからである。解放教育は日本の中で言葉の使用がどのような痛ましい破壊力を与えるかに関して大きな成果をもたらした。敵対していた共産党の側もだんだん言葉づかいに注意するようになり、そこへ東洋経済新聞社のように「こんなこと言ってたら顧客獲得どころかそもそも誰にも相手にされへんぞ」という内容のビジネスパーソン向けの「言葉遣いのいろは」本を出版するに及び、総合的に差別反対の機運は大筋で合意できる状況が全国のあちこちで発生してきた。
しかし滋賀県知事の話に戻ると「中学生いじめ自殺」問題で注目された上に、そのダメージがまだまだ県内のあちこちに残っていてまるで癒えていないにもかかわらず、<嫌がらせ>というほかない行為、特定政党との写真撮影拒否などという多数派による「いじめ行為」をやって見せるというのはよほど度胸があるのかそれともただ単なる馬鹿でしかないのか。少なくとも先見の明はないように思える。そのわけは先日の沖縄県名護市市長選の結果で出た。
国から金が出るからといってどんどん政権与党一色になれば、近いうちに日本政府に異論を述べることは不可能になる。この状態は中国へ変換された当時の香港と余りにもよく似ている。中国は気前良く香港へばんばん金を入れた。十年ほどでもう香港は北京の支配下に置かれたも同然だった。香港は豊かになった。しかし得たものも大きければ失ったものも大きかった。香港は中国型資本主義のもとで自由という目に見えない権利をほとんど棒に振ってしまう事態に陥った。香港民主化運動は今や売国行為と見なされるに及んでいる。沖縄もこのままの条件で事態が推移するとすれば日米同盟の桎梏のもとでありとあらゆる自由を失ってしまうだろう。そして再び沖縄は第一次世界大戦前後のように<からゆきさん>密集地として生き残っていくしか家庭〔家族〕存続の方法をなくしてしまうかもしれない。
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