白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・カフカはなぜヘーゲル弁証法としてのKを描いたか

2022年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム
縉紳館(しんしんかん)へ到着したK。城からエルランガーが来ていると聞いていたが本当に来ている。エルランガーはバルナバスが言っていたクラムの秘書の一人。早くも縉紳館の周囲を取り巻くように請願者の行列ができている。バルナバスが触れ廻ったわけではないのになぜか請願者たちはエルランガーの縉紳館訪問を知っている。謎だ。そしてこの謎は謎のまま通り過ぎていく。

Kは縉紳館の中へ入りフリーダがいるのを見つけていう。フリーダは依然として<嫉妬への意志>のままであり職場だけを縉紳館へ戻したようだ。また自分で口にするのはプライドが許さないのだろう、フリーダはオルガのことをオルガと呼ばない。Kはそれを察してオルガのことを「色の黒いほうの娘」と呼ぶ。さらにKの説明はオルガを擁護しているかのように聞こえる。もちろん擁護している。というのもオルガはバルナバスの姉でありバルナバスが城との繋がりをもっている以上、Kはオルガと完全に手を切ってしまうわけにはいかないからである。

「『なにもかも抜け目なく手を打ったものだね。ただ、きみは、一度ぼくのために酒場から出ていった人間だよ。だのに、もうすぐ結婚式をあげようというときになって、ここへまた舞いもどるのかい』。『結婚式なんかあるものですか』。『ぼくが裏切ったからというのかね』。フリーダはうなずいた。『ねえ、フリーダ、きみは裏切りだなどと言うが、このことは、まえにも何度も話しあったことで、きみもいつも最後には、まちがった邪推であることをみとめざるをえなかったじゃないか。それ以後、ぼくのほうにはなにも変ったことはない。なにもかもきれいなものだ。これまでもそうだったし、これからも変りようがないだろう。だから、きみのほうになにか変ったことがあったにちがいないし。だれかにそそのかされたか、なにかしてね。いずれにせよ、裏切ったとか、不誠実だったとかいうのは、いわれのない非難だよ。だって、あのふたりの娘ってなんだい。色の黒いほうの娘ーーーいや、こんなふうに逐一弁解しなくてはならないなんて、恥ずかしいくらいだよ。しかし、きみの要求だからね。とにかく、あの色の黒い娘は、おそらくきみにとってとおなじくらい、ぼくにとっても虫の好かない女だね。なんとかして離れておれるものなら、あの娘には近づきたくないものだ。もっとも、あの子のほうでも、それを助けてくれるがね。あの子ほどでしゃばらない、慎みぶかい人間はいないからね』」(カフカ「城・P.405~406」新潮文庫 一九七一年)

この辺りから「城」はまた趣きを変える。オルガの言葉に代わって再びフリーダの言葉がKに揺さぶりを掛けはじめる。フリーダもオルガも<娼婦・女中・姉妹>の系列に属している限り、いずれにしてもKの立場を変えてやることができる。これまでもKは二人の言葉によってその時その時で城との繋がりを維持することができてきたわけで、Kにとって「フリーダかオルガか」という問いは存在しない。或る時はフリーダであり別の時はオルガである。「変身」のグレーテが兄グレーゴルに接する時のように「城」でグレーテのようにKに接することができるのは或る時にはフリーダであり別の時にはオルガである。フリーダもオルガもグレーテのように<娼婦・女中・姉妹>の系列に属している限りで、Kにとって強度を移動させる。その場その場での<力>の移動でしかないものがKの目には自分にとって<重要性>の移動に見える。ただ単なる遠近法的錯覚でしかないといえばその通りだ。だがKにとってフリーダとオルガの立場は違っている。Kはフリーダと結婚すると約束した。言い換えれば、「Kはフリーダと結婚すると約束したを-持っている」。取り返しのつかない事情を持ってしまっている。しかしその公式手続きには城の機構の了解が必要だ。ところが結婚のための公式手続きはどのように進めていけばいいのか。

Kは意外と落ち着いて判断しながら進んでいく。だがいつも失敗する。ヘーゲル弁証法的に考えている限りそうなるほかない。一つの手続きが済めば次の手続きへ進むことができるというだけでなく、それらの手続きはどれも済ませるごとに上昇する段階を成していると信じている。またKをヘーゲル弁証法に忠実に進ませているのはほかでもない作者カフカである。カフカはKの行動様式をヘーゲル弁証法に縛り付けておくことで官僚主義的な城の機構がどれほど危険な罠なのかということを読者に告げ知らせている。さらにカフカの目に映った当時の官僚主義は高級官僚の世界にのみ見られた一現象だったわけではまるでない。むしろ民間企業の内部構造にも見られたし、ソ連のスターリニズムがそうであったし、カフカの死後にはナチス・ドイツとして出現した。そしてなおかつアメリカ型資本主義に対する批判はもう随分以前にアドルノやホルクハイマーが述べている。

「文化産業のモンタージュ的な性格、その製品の合成され隅々まで管理された製作様式は、大量生産をめざして、たんに映画スタジオの中だけでなく、大っぴらではないにしても、安っぽい伝記やルポルタージュ小説や流行歌を、糊と鋏ででっちあげる際にも使われており、前もって広告に順応するようになっている。つまり個々の要素は分解して取り替えのきくものとなり、意味連関から技術的に疎外されることによって、作品の外部の目的に手を貸すことになる。特殊効果やトリック、個々の部分をバラして何度でも使うやり方などは、昔から広告目的のため商品の展示に奉仕してきた。そして今日では、映画女優の大写し写真は、それぞれのモデルの名を売る広告になり、ヒットソングはそのメロディのコマーシャルになってしまった。経済的にはもちろん技術的にも、広告と文化産業は融合している。こちらでもあちらでも、数え切れない場所で同じものが現れる。そして同じ文化製品の機械的な反復は、すでに同じプロパガンダ・スローガンの機械的反復なのだ。ここでもあそこでも、効率という掟の下で、技術は心理技術に、人間を処理する手段になる。ここでもあそこでも、通用しているのは、目立ちはするが親しみやすく、さりげないが心に残り、玄人っぽいがシンプルでもある、という規準である。つまり、ぼんやりしているとか、なじみにくいとか思われるお客を圧倒することが問題なのだ」(ホルクハイマー=アドルノ「啓蒙の弁証法・4・文化産業・P.331~332」岩波文庫 二〇〇七年)

ところでフリーダは宿屋のお内儀(かみ)の言葉を引き合いに出している。

「『そうですわ』と、フリーダは、叫んだ。言葉が、彼女の意に反してとびだしてきたのである。Kは、彼女がこんなふうに考えかたを変えたのを見て、喜んだ。彼女は、自分が口に出そうとおもったのとはちがったことを言っているのだった。『あなたがあの娘を慎みぶかいとおっしゃるのは、勝手ですわ。あなたは、あらゆる女のなかでいちばん恥知らずのあの娘を慎みぶかいとおっしゃるのね。しかも、信じられないことだけど、正直にそう考えていらっしゃる。あなたが白っぱくれていらっしゃるのでないことは、わたしにもわかっているわ。橋屋のお内儀(かみ)も、あなたのことをこう言っていましたわ。<わたしは、あの人を好かないけれど、かといって見すててしまうこともできない。まだろくに歩けもしないのにとっとと先へ進みたがる小さな子供を見ると、たまらなくなってつい手を出さざるをえないものだわ>とね』」(カフカ「城・P.406」新潮文庫 一九七一年)

宿屋のお内儀(かみ)から見たK。それは「まだろくに歩けもしないのにとっとと先へ進みたがる小さな子供」に等しい。その意味でKが宿屋のお内儀のいう「子供」から脱することは決してない。「大人」の村民たちと同一化することもまたない。接近することはあるにしても。もし同一化するとすればその時点でKは自分で自分自身を<自己疎外>してしまうほかなくなる。自分を失うことと引き換えに始めて城の共同体の輪の中に入れてあげましょうというわけだ。ラカンはいう。

「鏡像段階というのは、精神分析がこの用語にあたえる全き意味で《同一化のひとつとして》理解するだけで十分です。すなわち、主体が或る像〔を自分のものとして〕引き受ける時みずからに生ずる変形ということで、ーーーそれがこの時相の作用として予定されていることは、精神分析における《イマーゴ》という古い用語の慣用によって十分に示されています。

この、自由に動くこともできなければ、栄養も人に頼っているような、まだ《口のきけない》状態にある小さな子供が、自分の鏡像をこおどりしながらそれとして引き受けるということは、《わたし》というものが原初的な形態へと急転換していくあの象徴的母体を範例的な状況のなかで明らかにするようにみえるのですが、その後になって初めて《わたし》は他者との同一化の弁証法のなかで自分を客観化したり、言語活動が《わたし》にその主体的機能を普遍性のなかでとりもどさせたりします。

重要な点は、この形態が《自我》という審級を、社会的に決定される以前から、単なる個人にとってはいつまでも還元できないような虚像の系列のなかへ位置づけるということであり、ーーーあるいはむしろそれは、主体が《わたし》として自分自身の現実との不調和を解消しなければならないための弁証法的総合がうまく成功していようとも、主体の生成に漸近的にしか合致しないのです。

このように、主体が幻影のなかでその能力を先取りするのは身体の全体的形態によってなのですが、この形態は《ゲシュタルト》としてのみ、すなわち、外在性においてのみ主体に与えられるものであって、そこではたしかにこの形態は構成されるものというより構成するものではありながら、とりわけこの形態は、主体が自分でそれを生気づけていると体験するところの騒々しい動きとは反対に、それを凝固させるような等身の浮彫りとしてまたそれを逆転させる対称性のもとであらわれるのです。したがって、この《ゲシュタルト》について言えば、そのプレグナンツは、たとえその運動様式が無視できるにしても、種に関連していると考えなければならないわけで、ーーーその出現のこれら二つの局面によってこのゲシュタルトは、《わたし》の精神的恒常性を象徴すると同時にそれがのちに自己疎外する運命をも予示するものです。さらにその《ゲシュタルト》はさまざまの対応をはらんでいますが、これによって、《わたし》は、いわば人間が彼を支配する幻影にみずからを投影する立像と一体化するわけであり、結局は、曖昧な関係のなかで世界がみずからを完成させようとする自動人形と一体化するわけなのです。

じじつ、《イマーゴ》についていえば、そのヴェールに覆われた顔がわれわれの日常経験や象徴的有効性の半影のなかで輪郭をあらわすのを見てとるというのはわれわれの特権ですし、ーーー個人的特徴であれさらには弱点とか対象的投影であれ、要するに《自己身体のイマーゴ》が幻覚や夢のなかで呈する鏡像的配置をわれわれが信用している以上、あるいは、鏡という装置の役割を心的現実、しかも異質なそれの現われる《分身》の出現に認めている以上、鏡像は可視的世界への戸口であるようにみえます。

鏡像段階の明らかにする空間的な騙取のなかに、人間の自然的現実が有機体として不十分であることの結果を認めさせますーーー。けれども自然とのこうした関係は人間では生体内部の或る種の裂開によって、つまり生まれてから数ヶ月の違和感の徴候と共働運動の不能があわらにする<原初的不調和>によって変化させられます。

《鏡像段階》はその内的進行が不十分さから先取りへと急転するドラマなのですがーーーこのドラマは空間的同一化の罠にとらえられた主体にとってはさまざまの幻像を道具立てに使い、これら幻像はばらばらに寸断された身体像から整形外科的とでも呼びたいその全体性の形態へとつぎつぎに現われ、ーーーそしてついに自己疎外する同一性という鎧をつけるにいたり、これは精神発達の全体に硬直した構造を押しつけることになります」(ラカン「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」『エクリ1・P.126~129』弘文堂 一九七二年)

さて。立憲民主党が選挙の総括報告を出した。今度の立憲の敗北は共産党との選挙協力に足を引っ張られた形になったからだという主旨。今さらと思われても仕方ないだろう。しかしこの「今さら」は二重の意味で受け止めなければならない。ちなみに滋賀県の現職知事は民主党出身の三日月大造(現チームしが)。二期目に当たる二〇一八年の知事選の時は自民・公明の推薦も受けて再選を果たした。ところが就任の際それまで慣例として行われていた各会派との合同写真撮影で、なぜか共産党会派との撮影現場にだけは現れなかった。あからさまに遅刻した。自公両党(安倍内閣)に目配せを送る格好になった。一方、立憲の支持基盤・連合はもはや労働組合ではなくどこからどう見ても御用組合でしかない。原発から大型公共工事まで手広く股にかけて各種利権を漁りまくりたがっている今の立憲民主党とどこがどう違うのかもはやさっぱり。そしてさらに三日月知事は共産党との選挙協力が災いしたと明言した立憲民主党代表の泉健太と同期当選組の仲間同士である。だからといって全面的に共産党を積極的に支持するのがよいと言いたいわけでもない。

何年か前、「新潮」だったか、雑誌の対談で東浩紀に聞かれて浅田彰がこう答えていた。日本共産党を支持する理由について。なるほど共産党の独善的体質には付いていけないけれども、他の政治政党に対する反対意見が実際にあるということを示すためにのみであっても共産党というものは必要だという主旨。このセンスというのは京都育ちでないと身に沁みてわからないものであるだけに神戸生まれとはいうものの少年時代からずっと京都で育った浅田は京都の地域性によく通じているなと腑に落ちたものだ。

日本共産党は取り立てて何もしなくていい。ただ他のどの政党の政治政策にも納得できない人々の受け皿でありさえすれば存在価値があるのであって、実際のところ、例えば西陣の職人たちのあいだでは今なお一方で天皇のことを「御所はん」と呼んで慣れ親しみながらもう一方で共産党に投票するのが当たり前だ。他の都道府県民から見れば「矛盾じゃないか」と言われそうだが京都では一つも「矛盾じゃない」のである。そうでなくては食べていけないからである。自民党や立憲民主党が三度三度のご飯を食べさせてくれるか?冗談じゃねーっての。という感じ。自民党支持者の中でも自民党が天皇を奉っている限りで支持するという人々が京都にはたくさんいる。とりわけ茶道・華道・能・和服・文学・歴史など伝統芸能で食べていく人々はそうだ。そういう立場の投票先は自民と共産とに分かれる。共産党の場合、ここ二年にわたるパンデミック禍によって見えてきたように、特に関西地区では保育所や幼稚園の切り盛りで目立った活躍が上げられる。かつての日本社会党の役割は終わった。部落解放同盟も裕福になるや自民党へ、さらには維新の会へと意味不明な支持層へ変わった。だが解放教育に終わりはない。差別はいつどこでどのように出現するかわからないからである。解放教育は日本の中で言葉の使用がどのような痛ましい破壊力を与えるかに関して大きな成果をもたらした。敵対していた共産党の側もだんだん言葉づかいに注意するようになり、そこへ東洋経済新聞社のように「こんなこと言ってたら顧客獲得どころかそもそも誰にも相手にされへんぞ」という内容のビジネスパーソン向けの「言葉遣いのいろは」本を出版するに及び、総合的に差別反対の機運は大筋で合意できる状況が全国のあちこちで発生してきた。

しかし滋賀県知事の話に戻ると「中学生いじめ自殺」問題で注目された上に、そのダメージがまだまだ県内のあちこちに残っていてまるで癒えていないにもかかわらず、<嫌がらせ>というほかない行為、特定政党との写真撮影拒否などという多数派による「いじめ行為」をやって見せるというのはよほど度胸があるのかそれともただ単なる馬鹿でしかないのか。少なくとも先見の明はないように思える。そのわけは先日の沖縄県名護市市長選の結果で出た。

国から金が出るからといってどんどん政権与党一色になれば、近いうちに日本政府に異論を述べることは不可能になる。この状態は中国へ変換された当時の香港と余りにもよく似ている。中国は気前良く香港へばんばん金を入れた。十年ほどでもう香港は北京の支配下に置かれたも同然だった。香港は豊かになった。しかし得たものも大きければ失ったものも大きかった。香港は中国型資本主義のもとで自由という目に見えない権利をほとんど棒に振ってしまう事態に陥った。香港民主化運動は今や売国行為と見なされるに及んでいる。沖縄もこのままの条件で事態が推移するとすれば日米同盟の桎梏のもとでありとあらゆる自由を失ってしまうだろう。そして再び沖縄は第一次世界大戦前後のように<からゆきさん>密集地として生き残っていくしか家庭〔家族〕存続の方法をなくしてしまうかもしれない。

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Blog21・首謀者のいないフリーダの誘惑/走り過ぎる使者の意味不明性

2022年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム
イェレミーアスはKの助手の一人である。Kがバルナバスの家で長々と話し込んでいる間にフリーダはイェレミーアスを誘惑し性的快楽に耽らせた。フリーダはオルガに対する嫉妬ゆえにイェレミーアスと寝ることでKの気持ちをオルガから自分の側へあっという間に転換させるのに成功した。だがフリーダの嫉妬はただ単に無邪気なだけの嫉妬とはまるで関係がない。フリーダの嫉妬はKを自分の居場所へ引き返させるための手段としての<嫉妬への意志>であり、作品「城」全体がここで欲望している事態はKをフリーダの居場所まで歩かせてくることにある。とかく一箇所に縛り付けられがちなKをいったんそこから引き離し、場所移動させるのがフリーダに与えられた機能だからだ。

一方イェレミーアスはフリーダが自分のものになったと勘違いする。その勢いでイェレミーアスは誰に頼まれたわけでもないのにバルナバスの家までやってきてフリーダはもはや自分と性的関係を結んだとKに告げてKをフリーダのもとに急がせる。イェレミーアスはKの助手であるばかりでなくさらにフリーダの「使い走り」の位置にまで引き下げられてしまったに過ぎないというのに。この関係はイェレミーアスがフリーダの「使い走り」として機能する限り延々続いていくのは読者の誰もが知っているわけだが。

ところでイェレミーアスとフリーダの関係が性的関係であっても二人の間に子どもが生まれることは決してない。イェレミーアスもアルトゥールもKの助手ではあるものの同時にKだけでなくフリーダたち村民たちの誰にとっても<子ども>の系列に属している。学校でKと女性教師ギーザとが対立的意見を交わしていた時、フリーダは二人の助手たちと他愛ない<ごっこ遊び>で時間潰しをしていた。また<子ども>を演じていないときは<監視人>でしかなく、実際に子供を生産する過程に編入されることは決してない。城の機構から派遣された助手たちは助手であると同時に<監視人>なのであって、労働力商品としての子供を作ってよいなどとは一言も命じられていない。むしろ労働力商品の生産ではなく労働力商品の<監視人>でありその範疇を出ることは許されていない。もとより城の機構は助手たちに向けてフリーダと性的関係を持っていけないとはひとことも言っていない。だが両者の間で何が生じても子供が産まれる余地はあらかじめ奪われている。フリーダは大人の女性なのだが、しかし助手たちの身体は大人のままでありながら生殖とは何の関係もない子供でしかない。

作品「城」で子供の生産は問題にならない。そうではなくて重要なのは、小学生の少年ハンスのような<子ども>の系列である。ハンスが話し始めると他の誰よりも大人びた理路整然たる説明を演じてみせる。ハンスの説明がなければKはバルナバス一家が置かれた窮状をオルガから聞かされたとしてもそれほど明確に内容を把握することはできなかったに違いない。そしてまたハンスのような<子ども>はフリーダやオルガ同様<動物>の系列にすんなり入っていくことができる。しかもフリーダやオルガが<動物>の系列に入るためにはまず先に<娼婦・女中・姉妹>の系列に属していなければならないが、<子ども>は<娼婦・女中・姉妹>の系列に属することなく、それ抜きにいきなり<動物>の系列、それも無限に延長可能な諸商品の系列のように種々雑多な動物へ変換される。

フリーダのところへ戻ろうと急いでいたK。後ろからバルナバスが追いかけてきた。姉のオルガはバルナバスと城との繋がりに全身全霊で賭けている。立場は異なるのだが、Kの場合はほとんど見切りをつけたかのように振る舞いながらもなおバルナバスと城との繋がりが自分にもたらす情報に賭けている。

「『測量師さん、測量師さん!』と、だれかが路地から呼ぶ声がした。バルナバスだった。彼は、息を切らしてやってきたが、忘れずにKのまえでお辞儀をした。『成功したんです』と、バルナバスは言った。『なにが成功したんだ』と、Kは、たずねた。『おれの請願をクラムに伝えてくれたかね』。『それは、だめでした。ずいぶん骨を折ったのですが、うまくやれませんでした。わたしはまえのほうにでしゃばって、呼ばれもしないのに一日中机のすぐそばに立っていました。一度などは、わたしのために光をさえぎられた書記に押しのけられたほどです。そして、これは禁じられていることなのですが、クラムが顔をあげるたびに、手をあげて自分のいることをしめしました。わたしは、いちばんおそくまで官房に残っていて、とうとうわたしと従僕たちとだけになってしまいました。うれしいことに、クラムがもう一度戻ってくるのが見えたのですが、わたしのために引返してきたのではありませんでした。ある本でなにかを急いで調べようとしただけのことで、すぐまた出ていってしまいました。わたしがいつまでも動かないものですから、しまいに従僕が箒(ほうき)で掃きださんばかりにして、わたしをドアの外に追いだしました。こうなにもかも申しあげるのは、あなたが二度とわたしの仕事ぶりに不満をお持ちにならないようにとおもってのことです』。『バルナバス』と、Kは言った。『きみがどんなに熱心でも、それがちっとも成果をあげないのだったら、おれにとってなんの役にたつだろうか』」(カフカ「城・P.394~395」新潮文庫 一九七一年)

Kは使者としてのバルナバスをほとんど見切っている。両者はすでに切断されているに等しい。社会的立場ときたらまるで異なっている。Kを一つのブロックとしてみれば、一方にバルナバス一家のブロックがある。両者は別々のブロックでしかない。ただしかし、Kのブロックとバルナバス一家のブロックとの近くには何一つないのか。あるとしても両者の<あいだ>を繋ぎ止める役割を果たしているわけではないだろう。それはそれとして短編「皇帝の使者」の一節にこうある。

「だが、そうはならない。使者はなんと空しくもがいていることだろう。王宮内奥の部屋でさえ、まだ抜けられない。決して抜け出ることはないだろう。もしかりに抜け出たとしても、それが何になるか。果てしのない階段を走り下りなくてはならない。たとえ下りおおせたとしても、それが何になるか。幾多の中庭を横切らなくてはならない。中庭の先には第二の王宮がとり巻いている。ふたたび階段があり、中庭がひろがる。それをすぎると、さらにまた王宮がある。このようにして何千年かが過ぎていく。かりに彼が最後の城門から走り出たとしてもーーーそんなことは決して、決してないであろうがーーー前方には大いなる帝都がひろがっている。世界の中心にして大いなる塵芥の都である。これを抜け出ることは決してない。しかもとっくに死者となった者の使いなのだ。しかし、きみは窓辺にすわり、夕べがくると、使者の到来を夢見ている」(カフカ「皇帝の使者」『カフカ寓話集・P.10』岩波文庫 一九九八年)

そこでたちまちKは「夕べがくると、使者の到来を夢見ている」Kへ変換される。「夕べ」とはいつのことを指していうのか。バルナバスが使者として登場するや否や出現する不特定な時間だ。永遠にやって来ないかもしれないが唐突に走りこんできたりもする。ゆえに油断がならない。バルナバスはいう。

「『でも、成果があったのです。わたしがわたしの官房ーーーええ、わたしの官房と呼んでいるんですーーーから出ますと、ずっと奥のほうの回廊からひとりの紳士がゆっくりこちらへやってくるのが見えるではありませんか。ほかにはもう人影もありませんでした。ずいぶんおそい時刻でしたからね。わたしは、その人を待つことに決めました。まだそこに残っているちょうどよい機会でした。わたしは、あなたによくない知らせをもって帰らなくてもよいように、ずっと残っていたかったのです。しかし、そうでなくても、その人を待っていただけの甲斐(かい)がありました。その人は、エルランガーだったのです。ご存じありませんか。クラムの第一秘書のひとりです。弱々しそうな、小柄な人で、すこしびっこを引いています。すぐにわたしだということをわかってくれました。抜群の記憶力とひろい世間知とで音にきこえた人なのです。ちょっと眉(まゆ)を寄せさえすれば、それだけでだれでも見わけてしまうのです。一度も会ったことがなく、どこかで聞いたか読んだかしただけの人たちでも見わけてしまうことがあります。たとえば、このわたしだって、それまで会ったことはまずなかったとおもいます。しかし、どんな相手でもすぐに見わけるのですが、まるで自信がなさそうに、初めにまずたずねてみるのです。それで、わたしにむかって、<バルナバスじゃないかね>と言いました。それから、<きみは、測量師を知っているね>とたずね、さらに言葉をつづけて、<ちょうどよかったよ。わたしは、これから縉紳館へ出かける。測量師にあそこへわたしを訪(たず)ねてきてもらいたいんだ。わたしの部屋は、十五号室だ。しかし、測量師は、すぐに来てくれなくてはならない。わたしは、あちらで二、三の相談ごとがあるだけで、朝の五時には城へ帰る。ぜひとも測量師と話をしたいことがあるのだ、と伝えてくれたまえ>と言うんです』」(カフカ「城・P.395~396」新潮文庫 一九七一年)

Kはバルナバスのいうとおり縉紳館(しんしんかん)へ向かう。フリーダが待っているところでもある。フリーダの誘惑はイェレミーアスを走らせKをバルナバスの家から縉紳館へ取って返すよう促した。後ろから追いかけてきたバルナバスの報告は縉紳館へ向かうKの足どりを手応えのあるものに変えた。だからといってフリーダやフリーダの愛人クラムが糸を引いているわけではまったくない。むしろどんな因果関係も絶対性を失った世界ーーーその種の謀略論などとてもではないが通じない世界ーーーが終点の見えない砂漠のように打ち広がっているばかりである。カフカは初期短編ですでにこう述べていた。

「夜、狭い通りを散歩中に、遠くに見えていた男がーーーというのは前が坂道で、明るい満月ときているーーーまっしぐらに走っているとしよう。たとえそれが弱々しげな、身なりのひどい男であっても、またそのうしろから何やらわめきながら走ってくる男がいたとしても、われわれはとどめたりはしない。走り過ぎるがままにさせるだろう。なぜなら、いまは夜なのだから。前方が上り坂で、そこに明るい月光がさしおちているのは、われわれのせいではない。それにその両名は、ふざけ半分に追いかけ合っているだけなのかもしれないのだから。ことによると二人して第三の男を追いかけているのかもしれないのだから。先の男は罪もないのに追われていて、背後の男が殺したがっているのかもしれず、とすると、こちらが巻き添えをくいかねないのだから。もしかすると双方ともまったく相手のことを知らず、それぞれがベッドへ急いでいるだけなのかもしれないのだから。もしかすると夢遊病者かもしれないのだから。もしかすると先の男が武器を持っているかもしれないのだから。それにそもそも、われわれは綿のように疲れていないだろうか」(カフカ「走り過ぎる者たち」『カフカ寓話集・P.79~80』岩波文庫 一九九八年)

リゾーム化した世界。それを言語化すればこのように記述できるだろう。ニーチェがいったようにありとあらゆる因果関係がどうにでも捏造可能な世界的繋がりを生じた瞬間、今のネット社会がそうであるように、偶然に満ちた世界の出現の必然性があかるみに出る。

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Blog21・オルガが語る「手紙の価値」の変動相場性

2022年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム
バルナバスがKに届けた手紙についてオルガの説明が入る。Kに対して手紙の重要性をことさら強調することはKにとって手紙に関する過大評価をもたらす。すると期待値が上昇するため結果的に手紙の価値は低いものだったとKを落胆させバルナバスに対する疑惑を深めさせることになってしまう。バルナバスはKを騙したとさえ思われかねない事態を招いたに違いない。

「『たとえばですよ、わたしどもに毛頭そういうつもりがなくても、あなたに近づいていくと、フリーダと対立してしまって、そのことであなたの感情を傷つけるかもしれません。そうならないようにするには、どうしたらよいのでしょうか。バルナバスがおとどけした手紙のことになりますが、わたしには、それがあなたの手に渡るまえに、くわしく読んでおきました。もちろん、バルナバスは、読んでいません。使者にはそういうことが許されないのです。この手紙は、最初見たところ、古びたものですし、さして重要なものでないとおもわれたのですが、あなたに村長のところへ行くようにと指示してありますので、重要なものだということがわかりました。ところで、わたしたちは、この手紙のことであなたにたいしてどういう態度をとればよかったのでしょうか。わたしたちがこの手紙の重要さを強調すれば、あきらかに重要でないものを過大に評価し、手紙をとどけるだけが役目のくせにわざとあなたに嘘(うそ)を教え、自分たちの利益ばかり追求して、あなたのことはないがしろにした、と疑いの眼で見られたことでしょう。それどころか、そのことによって、あの手紙が価値の低いものだとあなたに思いこませ、こころならずもあなたをだますようなことになったかもしれません』」(カフカ「城・P.381」新潮文庫 一九七一年)

ところが逆に余計な先入観をもたせたまいと慎重の上にも慎重を期してただ単に手紙をKに届けるだけに限ったとしよう。しかし届けるだけといっても手紙一つをめぐってバルナバスたちは右往左往している。Kが城から招聘された測量師だという話だけでも村中を騒がせるに十分条件を満たしているというのに、手紙がその価値を変えずにありのまま移動するということが可能だろうか。むしろ村民たちは明日にでも自分たちの命運が激変してしまうのではといわんばかりの言動でごった返している。そんな状況の中に埋め込まれた手紙はそもそも始めから純粋無垢な内容のままではいられない。

「『他方、わたしたちがこの手紙にたいした価値をあたえなくても、おなじように疑われたことでしょう。と言いますのは、それならそんなつまらない手紙をとどけるような仕事になぜ汲々(きゅうきゅう)としているのか、なぜ言葉と行動が矛盾したようなことをしているのか、なぜこの手紙の受取人であるあなただけでなく、手紙を託した差出人までもあざむくのか、そもそも差出人が手紙を託したのは、受取人にわざわざ要(い)らぬ説明なんかして、手紙の価値を下げてもらうためではなかったはずだ、ということになってしまうからです。そして、この両極端の中道を歩むこと、つまり、手紙を正しく判断することは、まったく不可能なのです。手紙は、たえずその価値を自分で変えるものです。それがきっかけで、こちらはいろいろと思案をかさねるわけですが、これには際限がありません。思案をどこで打切るかは、偶然によってきまるだけです。したがって、そこから出てきた意見も、偶然のものでしかありません』」(カフカ「城・P.381~382」新潮文庫 一九七一年)

文面は同じでも「手紙は、たえずその価値を自分で変える」とオルガはいう。ではなぜそういうことが生じるのか。読み手によって受け取る意味が異なるという他愛無い事情ではまるでない。第一次世界大戦と第二次世界大戦との<あいだ>には異次元の断層が横たわっている。ヴァレリーは「《精神》-価値」と呼んで次のように論じている。手紙は言語で構成されているが、言語の<価値>はその言語が置かれた社会的位置によって変動する。人間の「《精神》-価値」もまたそうだ。「欲望する諸機械」としての世界の全運動の中で全運動とともにその<価値>を変えていくほかない。

「私の話の骨子は、我々の眼前で我々の生活の諸価値が低下し、暴落してしまったことについてである。そしてこの《価値》という言葉で、私は物質的な価値と精神的な価値を、同じ表現の中、同じ記号の下に包括したのである。私は《価値》という言葉を使った。私の関心はまさにそれである。諸氏の注意を引きたい最も重要な点である。

今日、我々は(ニーチェの卓抜な表現を援用すれば)、真に巨大な価値の転換期に遭遇している。そしてこの講演を『精神の自由』と銘打ったことで、私は、今、物質的価値と同じ運命をたどっているように見える主要な価値の一つを俎上に載せたのである。かくして私は《価値》と言い、《精神》と銘打たれた価値が、《石油》、《小麦》あるいは《金》の価値と同様に存在することを指摘した。私は《価値》と言った、なぜなら、そこには評価、重要度の判断が存在し、《精神》という価値に対して人が支払う用意のある対価もまた存在するからである。この価値(株)に投資することも可能である。そして、株式市場で人々が言うように、価値(株価)の変動を《追跡する》こともできる。私には分からない相場で値動きを観察することもできる。相場とはその価値についての世間一般の意見である。毎日新聞の株式欄一杯に書かれている相場を見れば、その価値が他の価値とあちこちで競合していることが見て取れる。ということは競合する価値があるということだ。それは例えば《政治力》である。政治力は必ずしも精神-価値や《社会保障》株や《国家組織》株と調和しない。これらの諸価値はすべて上がったり、下がったりして、人間事象の一大市場を構成する。そうした事象の中で、憐れなる《精神》-価値は下がる一方である。

《精神》-価値の推移を観察すると、すべての価値と同様、その価値にかけた信頼度によって、人間が二種類に分けられる。この価値にすべてをかける人々がいる、彼らの持てる希望、人生・心・信念の一切をかけるのである。この価値にはあまり期待しない人々もいる。彼らにとって、投資として大きな関心の対象にはならず、価値の変動に対してもほとんど関心がない。さらにはこの価値にはまったく関心を示さない人々もいる。彼らはこの価値に大事なお金をかけることはない。そして、はっきり言えば、この価値をできるかぎり低下させようとする人々もいるのである。私が株式取引所の用語を借りて話していることはお分かりだろう。精神的な事象に関して使うのは奇妙に思われるかもしれない。しかし、他によりよい言葉がないし、多分、この種の関係を表現するのに、捜しても他に適当な言葉はなさそうである。というのは、精神の経済も物質の経済も、人がそれを考えるとき、単純な《価値評価》のせめぎあいとして考えるのが最も分かり易いからである。かくして、私はしばしば、とくにそうしようと思ったわけではまったくないのに、精神生活とその現象および経済生活とその現象の間に類似性が見て取れることに感銘を受けるのであった。

一度その類似性に気づくと、それをとことん追求しないではいられなくなる。経済生活・精神生活のいずれにおいても、すぐに見て取れることは、ともに同じ《生産》と《消費》という概念が見出されることである。精神生活における生産者とは作家、芸術家、哲学者、学者といった人々であり、消費者とは読者、聴取者、観客である。さきほど話題にした価値という概念も、同じく、欠かせないものとして、経済・精神双方の生活に見出される。さらに、交換の概念、需要と供給の概念も同様である。こうしたことは単純であり、簡単に説明がつく。以上の概念は内的世界の市場(そこでは各精神が他の諸々の精神と競合し、交渉し、あるいは、和解する)においても、物質的利害の世界においても、意味を持つものである。さらには、二つの世界のどちら側からも、労働と資本という考え方が有効である。《文明とは一つの資本である》。その増大のために数世紀にわたる努力が必要なのは、ある種の資本を増大させるのと同様で、複利法で増資していくのである。

こうした類似性は考えると意外に思われるかもしれない。しかし類似性はごく自然なものである。私としてはほとんどそこにある種の同一性を見ることにやぶさかではない。理由はこうである。最初に、すでに述べた通り、そこには有機的に同型のものが生産と受容という名の下に介入していること、ーーー生産と受容は交換と切り離せない関係にあるが、そればかりではなく、あらゆる社会的なものはすべからく多くの個人の間で取り結ぶ関係から、生き・考える(多少なりとも考える)人々が織り成す広大なシステム内で起こる出来事から結果するものだからである。システム内部の各人は互いに連繋していると同時に、対立してもいる、ーーー個人としては唯一無二の存在であっても、多数の中にあっては識別されず、あたかも存在しないかのごとくである。そこが肝心な点である。個人は実践的にも、精神的にも、観察され、実証される。一方には個があり、他方には個別化されない数量と事物がある。したがって、こうした関係性の一般的な形は、精神に対する製品の生産、交換、消費にせよ、物質生活における製品の生産、交換、消費にせよ、大差はないのである。

大差がなくて当然ではないだろうか?ーーー同じ問題が見出されるのだから。《個人と個別化されない個人の集合》、集合の中の個人同士は直接的あるいは間接的な関係にある。間接的な関係にあるほうが普通だろう、なぜなら、大抵の場合、経済的にも、精神的にも、我々が外部の圧力を感じるのは間接的な形においてであり、またその反対には、我々が我々の外的行為の影響を不特定多数の聴衆や観衆に及ぼす場合も同様である。

かくして、ある種の二重関係が確立される。一方に交換があり、他方に欲求の多様性、人間の多様性があるとき、個人の特殊性、伝達不能な好悪の感情とか、個々の人間が持っているノーハウとか、技能とか、才能とか、個人的なイデオロギーとかが一つの市場で対立するとき、そうした個人的な価値の対立による競争が流動的均衡を作り出すのである。それはある瞬間の《諸価値》が、その瞬間だけに有効なものとして作り出す均衡である。ある商品が今日、ある時間内で、ある価格で取引されるように、そしてその商品は突然の価格変動に曝されたり、あるいは、緩慢ではあるが持続的な変動に委ねられたりするのと同様に、好みや教条、様式や理想等に関する諸価値も変動する。ただ精神の経済は定義するのがより困難な現象を我々に提示する。というのは精神経済の現象は一般に計測不能であり、器官や特別に作られた制度などで確認できないからである」(ヴァレリー「精神の自由」『精神の危機・P.224~230』岩波文庫 二〇一〇年)

手紙の文面は同じでもそれが変動相場性とともに移動していく限り、手紙の<価値>は延々と引き延ばされていく過程の内部に組み込まれており、その外部を持たず、言語の<価値=意味>もまた変動しないわけにはいかない。ニーチェのいうように絶対的司祭的基準はもはや死んだ。カフカの時代にはすでに世俗的変動相場制が司祭の仮面を付けて何食わぬ顔で貨幣ならびに言語の<価値>をあれこれ取り換えてわんさと儲けて歩いていたというわけだ。しかしまたフーコーが追求した監視社会も現存しており、今や<パノプティコン>様式を採用した監視社会と<マーケティング、データバンク、変動相場制>によって知らないうちに時事刻々と遂行強化されていく管理社会とが手に手を取りあい、健気なほど貧困な思考停止状態に陥りつつ人間の<諸断片>化をいっそう加速させている。

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Blog21・<掟の解釈>が掟化された世界を語るオルガ

2022年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム
オルガは<娼婦・女中・姉妹>の系列に属している。妹・アマーリアの拒否に代わって姉・オルガが城の役人たちにアマーリアの身体と等価性を持つ性的関係を提供できる理由はオルガ自身がこの系列に属している限りで始めて両者の<置き換え>が可能になるからである。アマーリアとオルガとの<置き換え>が成立し続けている限りバルナバス一家は城との繋がりを維持していくことができる。

そして二年以上経つとオルガは「お城から村へお見えになったほとんどすべての人たちの従僕を知っています」ということになってきた。しかし従僕たちは変容する。「わたしが知っているのは、村にいるときの従僕にすぎません」。「あの人たちは、お城ではまったく別人になってしまって、もうだれのことも見わけがつかない」。しかし役人たちが村でどんな暴力的権力を振りかざしているとしても城の中でもまるで同じだとは全然限らない。常識以前として、村での振る舞いと職場での態度が同じ役人など世界中どこをどう探しても見あたらないように。どれだけの役人がいてどれだけの従僕がいるのか。そんなことは村民の誰一人として知らない。「馬小屋」の中で役人たちの相手をするオルガは「お城で会えるときを楽しみにしている、などと調子のいいことを何百回も」言われているが「そういう約束があの人たちにとってなんの意味ももっていないということ」をも熟知している。その上で「いちばん大事なのは、そういうことではありません」とオルガはいう。

「『それでも、わたしが縉紳館で手に入れることができたものは、お城とのある種のつながりです。わたしが自分のしたことを後悔していないと申しあげても、どうか軽蔑なさらないでください。たぶんあなたは、たいしたつながりもあったもんだ、と考えていらっしゃるでしょう。お考えのとおり、たいしたつながりではありません。わたしは、いまではたくさんの従僕たち、この二年間にお城から村へお見えになったほとんどすべての人たちの従僕を知っています。いつかわたしがお城へ出かけていくようなことがあったとしても、知らないところへ迷いこんだというようなことにはならないでしょう。もちろん、わたしが知っているのは、村にいるときの従僕にすぎません。あの人たちは、お城ではまったく別人になってしまって、もうだれのことも見わけがつかないでしょう。村でつきあった相手となると、なおさらそうにちがいありません。馬小屋のなかでは、お城で会えるときを楽しみにしている、などと調子のいいことを何百回も言っていたくせにね。おまけに、わたしは、そういう約束があの人たちにとってなんの意味ももっていないということをとっくに経験ずみでした。けれども、いちばん大事なのは、そういうことではありません』」(カフカ「城・P.367~368」新潮文庫 一九七一年)

オルガが役人たちの言葉について「そういう約束があの人たちにとってなんの意味ももっていない」といっているのは、役人たちが約束を守るか守らないかということではもはやない。オルガは知っている。たとえどんな「約束」がなされたたとしてもそれは延々と引き延ばされる「柵(さく)」の中へ無意味同然の問いを投げ入れるに等しいということを。オルガは城の機構の<可動性>について、弟・バルナバスの諦観に満ちた行動を通し、もうとうの間に気づいていた。

「『確かに、彼は、官房にはいっていきます。でも、これらの官房は、ほんとうのお城でしょうか。官房がお城の一部だとしても、バルナバスが出入りを許されている部屋がそうでしょうか。彼は、いろんな部屋に出入りしています。けれども、それは、官房全体の一部分にすぎないのです。そこから先は柵(さく)がしてあり、柵のむこうには、さらにべつの部屋があるのです。それより先へすすむことは、べつに禁じられているわけではありません。しかし、バルナバスがすでに自分の上役たちを見つけ、仕事の話が終り、もう出ていけと言われたら、それより先へいくことはできないのです。おまけに、お城ではたえず監視を受けています。すくなくとも、そう信じられています。また、たとえ先へすすんでいっても、そこに職務上の仕事がなく、たんなる闖入者(ちんちゅうしゃ)でしかないとしたら、なんの役にたつのでしょうか。あなたは、この柵を一定の境界線だとお考えになってはいけませんわ。バルナバスも、いくどもわたしにそう言ってきかせるのです。柵は、彼が出入りする部屋のなかにもあるんです。ですから、彼が通り越していく柵もあるわけです。それらの柵は、彼がまだ通り越したことのない柵と外見上ちっとも異ならないのです。ですから、この新しい柵のむこうにはバルナバスがいままでいた部屋とは本質的にちがった官房があるのだと、頭からきめてかかるわけにもいかないのです。ただ、いまも申しあげました、気持のめいったときには、ついそう思いこんでしまいますの。そうなると、疑念は、ずんずんひろがっていって、どうにも防ぎとめられなくなってしまいます。バルナバスは、お役人と話をし、使いの用件を言いつかってきます。でも、それは、どういうお役人でしょうか、どういう用件でしょうか。彼は、目下のところ、自分でも言っているように、クラムのもとに配置され、クラムから個人的に指令を受けてきます。ところで、これは、たいへんなことなのですよ。高級従僕でさえも、そこまではさせてもらえないでしょう。ほとんど身にあまる重責と言ってよいくらいです。ところが、それが心配の種なのです。考えてもごらんなさい。直接クラムのところに配属されていて、彼とじかに口をきくことができるーーーでも、ほんとうにそうなのでしょうか。ええ、まあ、ほんとうにそうかもしれません。しかし、ではバルナバスは、お城でクラムという名前でよばれている役人がほんとうにクラムなのかということを、なぜ疑っているのでしょうか』」(カフカ「城・P.291~292」新潮文庫 一九七一年)

ではバルナバス一家にとっていったい何が問題なのか。城とのつながりにのみ意義があると主張しているわけではない。城とのつながりはもちろんだが、その繋がりを持っている限りで将来的に出現するかもしれない或る種の出来事に「期待をかけているのです」とオルガはいう。

「『わたしは、従僕たちを通じてお城とつながりがあるだけでなく、たぶんつぎのような可能性もあるかもしれないし、また、それに期待をかけているのです。つまりね、わたしとわたしのすることを上から見ていらっしゃる人がいてーーーいうまでもなく、あの大勢の従僕たちを監督するのは、お役所の仕事のなかでもきわめて重要な、苦心の多い部分ですわーーーとにかく、わたしをそうして見ていてくださる人は、おそらくわたしのことをほかの人たちよりもやさしく判断してくださるだろうし、また、わたしが細々ながらも自分の家族のために戦い、父の苦労や努力を受けついでいることもわかってくださるだろう。わたしが期待をかけているつながりというのは、こういうことなのです。そんなふうに見てくださっていると、わたしが従僕たちからお金を受けとって、家計の足しにしているということも許してくださるかもしれません』」(カフカ「城・P.368」新潮文庫 一九七一年)

誰かわからないが「わたしとわたしのすることを上から見ていらっしゃる人がいてーーーいうまでもなく、あの大勢の従僕たちを監督するのは、お役所の仕事のなかでもきわめて重要な、苦心の多い部分ですわーーーとにかく、わたしをそうして見ていてくださる人は、おそらくわたしのことをほかの人たちよりもやさしく判断してくださるだろう」と。常に監視されているというわけだ。監視されている限りでもしかしたら「わたしのことをほかの人たちよりもやさしく判断してくださる」かもしれない可能性があるからだと。読者からすればそんなことあり得ないと考えるかもしれない。しかし社会の実際はどうだろう。自ら権力者層の性奴隷になることで自分が属する組織や業界の上位に取り立てられ安全地帯へ捕獲された人間は性別に関係なく数えきれないのではなかろうか。とすると権力意志の問題が浮上する。だがどんな組織にも<掟>がある。ところがこの<掟>というものが「くせもの」であって、カフカは別のところでこう書いている。

「掟自体がとてつもなく古く、何世紀にもわたっていろいろ解釈されてきたので、すでに解釈自体が掟になっている」(カフカ「掟の問題」『カフカ寓話集・P.70』岩波文庫 一九九八年)

<掟>の「解釈自体が掟になっている」登場人物が城の村には大量にいる。村長、宿屋のお内儀、教師、ハンス少年、ブルンスウィック、オルガの父母など。オルガもまた権力意志を隠すわけではない。カフカはいう。

「掟に対する信仰をもって貴族を非難すれば、すぐさま全民衆の支持が得られるだろうが、しかしながら、だれひとり貴族を非難する勇気をもたないのだから、この種の政党はあり得ない。こういった危うい一点にわれわれは生きている。ちなみにある作家がつぎのように要約したーーーわれわれに課せられた唯一目に見える歴然とした掟は貴族であり、それをわれわれみずからが、しゃにむに奪いとりたがっている」(カフカ「掟の問題」『カフカ寓話集・P.73』岩波文庫 一九九八年)

おそろしく古くからすでに貴族だった人々。それはどのように到来したか。ニーチェはいう。

「彼らは運命のように、理由も理性も遠慮も口実もなしにやって来る。電光のようにそこに来ている。余りに恐ろしく、余りに突然で、余りに説得的で、余りに『異様』なので、全く憎いと思うことさえできないほどである。彼らの仕事は本能的な形式創造、形式打刻である。それは存在するかぎりの最も無意的な、最も無意識的な芸術家である。ーーー要するに、彼らの出現する所にはある新しいものが、《生きた》支配形態が成立する。そしてこの支配形態のうちでは、諸部分や諸機能はそれぞれ限局されつつしかも関係づけられており、また全体に関して『意味』を孕(はら)んでいないものには決して場所を与えられない」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・十七・P.101~102」岩波文庫 一九四〇年)

またしても絶望的だというほかない。善悪の基準などとっくの昔に破棄されているからだ。しかしさらにオルガはKに向けて様々な出来事や事情について話をつづける。オルガはKに対してどのような機能を演じているのか。フリーダとは違った方法で城の機構についてKを学ばせつつ安全に通過させ逃走させてやる機能を演じている。

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Blog21・債務者としてのバルナバス一家/オルガの家畜化

2022年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム
ソルティーニの手紙に対するアマーリアの拒否によって発生したバルナバス一家絶滅の危機。一家の父がやっていた靴職人の仕事との関わりを切断してしまった村民たち。しかしその時はまだ一家と城との良好な繋がりが回復されることになれば以前と同じ境遇に戻されるだろうという希望があった。この希望は一家の中にのみあっただけではなく村中にあった。しかしどこからどう見ても回復の機会はないと見るに立ち至った時、村中が一家に向けて決定的態度を下す。オルガはいう。「つまり、わたしたちをあらゆる集団からしめだしてしまったのです」。

「『人びとはわたしたちが手紙の事件からなんとかして抜けだす力をもっていないことに気づき、非常にだらしがないとおもったのです。よくは知らなかったにせよ、わたしたちの運命の困難さをあの人たちが低く考えていたわけではありません。自分たちだってこの試練をわたしたちよりもりっぱに乗りきることはできなかっただろうということは、百も承知していました。しかし、それだけにいっそう、わたしたちときっぱり縁を切ることが必要だったのです。もしわたしたちがこの運命を首尾よく切りぬけていたら、それ相応にわたしたちを尊敬してくれたでしょうが、わたしたちが切りぬけることができなかったものですから、これまではただかりそめにやっていたことを、こんどは断乎としてやりはじめたのです。つまり、わたしたちをあらゆる集団からしめだしてしまったのです』」(カフカ「城・P.351~352」新潮文庫 一九七一年)

バルナバス一家でさえ回復不可能な事態が発生した。とすれば他の村民の誰も不可能なことに違いない。この際、「きっぱり縁を切ることが必要だ」と村中の人々は考え実行した。だからといってオルガは村民たちを責めようとしない。諦めているわけではなくむしろそういうものだと受け止めている。この絶望性にもかかわらず危機を脱しようとオルガの父はありとあらゆる手段を講じる。しかしどれも徒労に終わる。文庫本で十頁ほどに及ぶ記述は、父の努力がすべて無意味化し、遂に廃人同様の状態に陥るまでの経過について描かれている。城の機構に触れる案件である以上、一度降りかかった火の粉を振り落とすことは絶望的だ。しかし絶望が深ければ深いほどありとあらゆる希望を繋ぎ止め回復させようとする父の努力をまったくの無駄だと口に出して宣告することは誰にもできない。言い換えれば、一家の父がベッドから起きることもままならないようになるまで全力で生きた時期はこの時が最初で最後である。父はただ単なる一人の靴職人として平穏無事に生涯を終えるのではなく、他の村民だと味わうことができそうにない、充実した異例の一時期を送ることができたとも言える。狂信的宗教者でもない限り自ら進んで過労死したり廃人化したりするほど仕事に打ち込む人間はほとんどいない。けれども第一次世界大戦と第二次世界大戦とのあいだの時期、そのような不可解な人間がしばしば出現するようになったことは確かだ。あり余り散乱するそれら増殖するばかりの<力>は第二次世界大戦によってすべてが消費されるまで世界中のあちこちで出現と増殖と再発と再増殖とを繰り返した。

オルガは正攻法ともいえる父の失敗を見て他の方法はないものかと考えた。というより、考えるまでもなく村中のそこらへんにいつでも転がっている方法があった。拒否したアマーリアの態度が「罪」に当たるなら、その逆にアマーリアに代わって姉のオルガが城の役人たちの性奴隷になればいい。アマーリアの拒否が「罪」だというのならその「罪」と等価関係を取り結ぶことができる代償行為も可能なはずだとオルガは思う。ニーチェはいう。

「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫 一九四〇年)

アマーリアは「犯罪者」としてすでに債務者の位置に縛りつけられている。この債務は城の機構全体に対する債務であり城の機構全体が債権者の位置を占めている。従ってこう言える。

「犯罪者は何よりもまず『破壊者』であり、これまで関与してきた共同生活のあらゆる財産や快適に関して言えば、《全体に対する》契約や言質の破棄者である。犯罪者は、単に自己のあらかじめ受け取った便益や前借を返済しないばかりか、債権者に喰ってかかりさえもする債務者である。それゆえに彼は、その後は当然これらの財産や便益をことごとく喪失するのみならずーーーむしろ今や《それらの財産がいかに重要なものであったか》を思い知らされる。被害者たる債権者、すなわち共同体の怒りは、犯罪者を再び法の保護外の野蛮な追放の状態へ突き戻し、そういう状態からの従来の保護を解く。つまり共同体は犯罪者を除斥するーーーそして今やあらゆる種類の敵意は彼の上に注がれてよいことになる」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・九・P.81~82」岩波文庫 一九四〇年)

そこで村民たちは「わたしたちをあらゆる集団からしめだしてしまった」。全体と部分の関係は前にヘーゲルから引用した。

「《全体》はそれぞれの自立的な存立をもつところの反省した統一である。けれども、このような統一の存立は同様にまた、その統一によって反発される。全体は否定的統一として自己自身への否定的な関係である。そのために、この統一は自己を外化〔疎外〕する。則ち、その統一は自己の《存立》を自己の対立者である多様な直接性、則ち《部分》の中にもつ。《故に全体は部分から成立する》。従って全体は部分を欠いてはあり得ない。その意味で、全体は全体的な相関であり、自立的な全体性である。しかし、またまさに同一の理由で、全体は単に一個の相関者にすぎない。なぜなら、それを全体者たらしめるところのものは、むしろそれの《他者》、則ち部分だからである。つまり全体は、その存立を自己自身の中にもたず、却ってこれをその他者の中にもつのである。同様に、部分もまた全体的な相関である。部分は反省した自立性〔全体〕に《対立する》ところの直接的な自立性であって、全体の中に成立するのではなくて、向自的に〔単独に〕存在する。しかし、それは更にまた、この全体を自己の契機としてもっている。即ち全体が部分の関係を形成する。全体がなければ部分は存在しない」(ヘーゲル「大論理学・第二巻・第二篇・第三章・A全体と部分との相関・P.188」岩波書店 一九六〇年)

ところでオルガは役人たちの言動の特徴についてよく知っている。フリーダの感情の変化についても観察済みだ。そうすると次の文章がオルガから語られるのはもはや必然的である。

「『彼らも、自分の値打ちをよく知っていて、掟(おきて)のもとで出所進退をするお城では、静かに、上品にかまえています。これは、何度も確かめたことですから、まちがいありません。この村へやってきても、従僕たちのあいだにその名残(なご)りがかすかにみとめられることがあります。もっとも、名残りにすぎませんけれども。普通は、お城の掟が村ではあの人たちにとって完全に通用しないとわかっていますから、まったく人が変ったようになります。もはや掟ではなく、飽くことを知らぬ衝動に支配された、乱暴で手に負えない烏合(うごう)の衆になってしまうのです。彼らの破廉恥さかげんは、とどまるところを知りません。村にとってなによりもありがたいことに、あの人たちは、許可がなければ縉紳館から出ていけないのです。けれども、縉紳館では、なんとかして彼らと仲よくやっていこうとしなくてはなりません。フリーダは、それに手を焼きました。それで、従僕たちをおとなしくさせるのにわたしを使えるということは、フリーダにとって願ったり叶(なか)ったりだったわけです。こうして、わたしは、二年以上もまえから、すくなくとも週に二度は従僕たちといっしょに馬小屋で夜をすごします』」(カフカ「城・P.366~367」新潮文庫 一九七一年)

役人たちの性的生贄の機能を演じるようになってから、もう二年以上になるという。しかしなぜ「馬小屋」なのか。そしてまた役人たちの言動はなぜ「飽くことを知らぬ衝動に支配された、乱暴で手に負えない」ものなのか。人間の動物化と動物の人間化というテーマ系が見えてくる。カフカはその傾向について短編小説の手法を用いてどんどん描いている。三箇所ばかり引こう。

(1)「半分は猫、半分は羊という変なやつだ。父からゆずられた。変な具合になりだしたのはゆずり受けてからのことであって、以前は猫というよりもむしろ羊だった。今はちょうど半分半分といったところだ。頭と爪は猫、胴と大きさは羊である。両方の特徴を受けついで、目はたけだけしく光っている。毛なみはしなやかだし、やわらかい。忍び歩きも跳びはねるのもお手のものだ。陽当たりのいい窓辺で寝そべっているときは、背中を丸めてのどを鳴らしているが、野原に出るとしゃにむに駆け出して、つかまえるのに難儀する。強そうな猫と出くわすと逃げだすくせに、おとなしそうな小羊には襲いかかる。月の夜に屋根の庇(ひさし)をのそのそ歩くのが大好きだ。ろくにニャオとも鳴けないし、ネズミには尻ごみする。鶏小屋のそばで辛抱強く待ち伏せしても、首尾よく獲物をしとめたことなど一度もない」(カフカ「雑種」『カフカ短編集・P.46』岩波文庫 一九八七年)

(2)「猫の分と羊の分と、まるで別個の胸さわぎを覚えるらしい。いくらなんでも二匹分は多すぎるーーーかたわらの肘掛椅子にとびのると、私の肩に前足をのせ、耳もとに鼻づらをすりよせてくる。そっと打ち明けている具合であって、実際そのつもりらしく、つづいて私の顔をのぞきこみ、こちらの反応をたしかめようとする」(カフカ「雑種」『カフカ短編集・P.48』岩波文庫 一九八七年)

(3)「大きな尾をもった獣である。何メートルもの狐のような尻尾であって、いちどそいつをつかみたいと思うのだが、どうにもつかめない。獣はいつも動いていて、尻尾をたえず打ち振っている。からだはカンガルーのようだが、顔は平板な、楕円形の人間の顔とそっくり。無表情だが、牙を隠したり剥き出すときに表情があらわれる。ときおりそんな気がするのだが、この獣は私を襲いたいのではなかろうか。そうでなくては、私が尻尾に手をのばすと、どうしてやにわに引き上げたうえ、ふたたびグラッと下げて誘いかけ、ついでまたピンと打ち振ったりするのか、その理由がわからない」(カフカ「獣」『カフカ寓話集・P.66』岩波文庫 一九九八年)

(1)でカフカはそれまでのくっきりした区別が無効になり新しいけれども大変あいまいな区別が出現しつつあることを告げている。絶対的基準の消滅。(3)では<獣性>と<誘惑>とは接近した別々のものではなくもはや重なり合っているという事情があかるみに出される。だが最も関心を引くのは(2)に違いない。外見はなるほど一つに見えてはいてもその人格面は多数であって捉えどころがないと述べている点。ニーチェは次のように言っているが。

「どうして、私たちが私たちのより弱い傾向性を犠牲にして私たちのより強い傾向性を満足させるということが起こるのか?それ自体では、もし私たちが一つの統一であるとすれば、こうした分裂はありえないことだろう。事実上は私たちは一つの多元性なのであって、《この多元性が一つの統一を妄想したのだ》。『実体』、『同等性』、『持続』というおのれの強制形式をもってする欺瞞手段としての知性ーーーこの知性がまず多元性を忘れようとしたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一一六・P.86」ちくま学芸文庫 一九九四年)

人格の多元性、多数性、多様性、ーーー言い方は様々ある。そもそも人間は幾つもの存在形式へ自分で自分自身を変換することができる。その意味で昨日まで盗賊だった一人の人間が翌日からボランティアになることも可能である。嫌味ではなく、ただマスコミが取り上げないから部分的にしか知られていないというだけのことで、実際にそういう人々は結構いる。

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