白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・速度としてのフリーダ/城の機構を根底から揺るがすアマーリア

2022年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム
アマーリアの拒否によって一家が陥った窮状。靴職人の父の下請け職人・ブルンスウィックが取引を辞退した。父の顧客たちはこぞって一家の倉庫に押しかけ修繕のためにあずけていた長靴や靴の製作のためにあずけておいた革を探し出して未払い分の勘定をすっかり清算して持ち帰ってしまった。もはや関わりたくないと態度で表明した。

「『村の人たちだって、自分たちがしでかしたことで弱っていたのですもの。村でも声望ある一家が突然村八分にされてしまうと、だれでも損害をこうむるものです。村の人たちは、わたしどもと手を切ったとき、ただ自分の義務をはたしているにすぎないとおもっていたのです。わたしたちだって、もしその立場に置かれたら、おなじように考えたことでしょう。事実、あの人たちは、どういうことが問題になっているのかを正確には知らなかったのです。使者が紙きれを手にいっぱいもって縉紳館(しんしんかん)へ帰ってきたというだけのことなのです。フリーダは、使者が出ていき、また帰ってくるところを見かけ、使者とふた言か三言ほど話をしました。そして、自分が聞き知ったことをすぐ村じゅうに知らせたのです。けれども、これもまた、わたしどもにたいする敵意からではなく、義務だと思ってしたまでのことです。ほかの人だって、同じような場合には義務とおもったことでしょう。それで、人びとは、さっきも申しましたように、事件全体がまるくおさまれば、大喜びしたことでしょう。わたしたちが不意に出かけていって、事件はもう片づいたと言ってやるか、たとえば、これはある誤解にすぎなくて、その後すっかり氷解したとか、確かに過失があったのだが、すでに行為によって償われたとか、あるいは、これだけでも十分だったとおもうのですが、わたしどもがお城にもっているコネのおかげで首尾よく事件をもみ消すことができたとか言ってやれば、みなさんは、きっとわたしたちを腕をひろげて迎えてくれ、接吻(せっぷん)やら抱擁やらで、お祭りさわぎになったことでしょう。わたし自身も、そういう例を二、三度見ていますもの。しかし、そういう報告でさえも、不必要だったかもしれません。わたしたちがぶらりと出かけていって、こちらからすすんで昔ながらの交際を復活し、ただ手紙の一件だけは、おくびにも出さないようにしさえすれば、それで十分だったかもしれません。みなさんは、この事件を口にすることを喜んで断念してくださったことでしょう。不安ということもあったでしょうが、特にこの事件が厄介だったがために、わたしどもから離れていかれたのですから。つまり、この事件についてはなにも聞きたくない、なにも言わず、考えず、絶対にかかわりあわないですましたい、とおもわれただけなのです。フリーダがこの事件をふれまわったのも、それを楽しみの種にするためではなく、自分をもふくめてみんなをこの事件から守ってやり、用心ぶかく離れていなくてはならないような出来事が起ったということを村の人たちに注意してあげるためだったのですわ。その際、敬遠されたのは、わたしたちの一家ではなく、事件そのものだけであり、わたしたちにしても、事件の渦中にいたがために敬遠されただけのことです。ですから、わたしたちが家から出ていき、過ぎたことにはふれず、どういうやりかたによってであれ、もうこの問題は片づいたのだということを自分たちの態度によってしめしさえすれば、また、一般の人たちのほうでお、どういうふうな問題であったにせよ、この事件はもう二度と話題にのぼらないだろうと確信してくれさえしたら、それでもよかったかもしれません。わたしたちは、どこへ行っても昔どおりのあたたかい親切心を見いだしたことでしょう。わたしどもが事件を完全に忘れ去れないでいても、みなさんは、それを理解し、わたしたちがすっかり忘れてしまうように助けてくださったことでしょう。ところが、わたしたちは、そういうことはなにもしないで、家にとじこもったきりでいたのです』」(カフカ「城・P.347~348」新潮文庫 一九七一年)

しかし村民がどうしてそれを知ったのか。情報が一挙に村中を駆け巡ったからだ。情報伝達者はフリーダだがオルガのいうようにフリーダはオルガに対抗するとかバルナバス一家を破滅させようと意図してそう動いたわけではまるでない。その上でこう言えるだろう。時としてフリーダは<稲妻>であると。オルガはいう。「自分が聞き知ったことをすぐ村じゅうに知らせた」と。稲妻<のように>ではなく稲妻<として>。<娼婦・女中・姉妹>の系列に位置する女性の一人・フリーダは連絡装置として申し分ない。まるでネット情報のような速度で移動する。ニーチェはいう。

「あたかも一般人が稲妻をその閃きから引き離し、閃きを稲妻と呼ばれる一つの主体の《作用》と考え、活動と考えるのと同じく、民衆道徳もまた強さを強さの現われから分離して、《自由に》強さを現わしたり現わさなかったりする無記な基体が強者の背後に存在しでもするかのように考えるのだ。しかしそういう基体はどこにも存在しない。作用・活動・生成の背後には何らの『存在』もない。『作用者』とは、単に想像によって作用に附け加えられたものにすぎないーーー作用が一切なのだ。実際を言えば、一般人は稲妻をして閃めかしめるが、これは作用を重複させるのだ。それは作用=作用とも言うべきものであって、同一の事象をまず原因として立て、次にもう一度それの結果として立てるのだ。自然科学者たちは、『力は動かす、力は原因になる』などと言うが、これもより勝れた言い表わしではない。ーーーあらゆる彼らの冷静さ、感情からの自由にも拘らず、現今の科学全体はなお言語の誘惑に引きずられており、『主体』という魔の取り換え児の迷信から脱却していない」(ニーチェ「道徳の系譜・第一論文・一三・P.47~48」岩波文庫 一九四〇年)

また速度はいつでも武器になり得る。ドゥルーズ=ガタリはいう。

「武器と道具が、運動や速度と結ぶ関係は『傾向として』(近似的に)同じではないということである。武器と速度の次のような相互補足関係を強調したこともまたポール・ヴィリリオの本質的な貢献の一つであるーーーすなわち、武器が速度を発明する、あるいは速度の発見が武器を発明するということである(武器の投射的性格はこれに由来する)」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・下・十二・遊牧論あるいは戦争機械・P.99」河出文庫 二〇一〇年)

だからといって武器は速ければ速いほど高性能だとはまったく限らない。速度は速かったり遅かったりする。遅いものであっても、もっと遅いものから見れば速いものである。さらに。

「武器は空から落ちてくるわけではないから、当然、生産、移動、消費や抵抗を前提にしている。しかし武器のこの側面は、武器と道具に共通の次元に属するもので、武器の特殊性にはまだ関係していない。武器の特殊性が現われてくるのは、ただ、力がそれ自体において把握され、数と運動と時空のみに関係づけられるとき、あるいは、《速度が移動に付け加わるとき》である。このようなものとして武器は、たとえ労働の諸条件を満たしていると見なされても具体的に<労働>モデルではなく、<自由活動>モデルに関係づけられる。要するに、力の観点からは、道具は<重力と移動>、<重量と高度>のシステムに、武器は<速度と《永久運動体》>のシステムに結びついている(速度それ自身が『武器のシステム』であると言えるのは、こういう意味である)」(ドゥルーズ=ガタリ「千のプラトー・下・十二・遊牧論あるいは戦争機械・P.104~105」河出文庫 二〇一〇年)

フリーダはオルガのいうようにそれを「義務だと思ってしたまでのことです。ほかの人だって、同じような場合には義務とおもった」に違いない。そして実のところ事態を好転させる機会は何度もあったし方法には事欠かなかった。では一体何が今なお問題になっているのか。アマーリアは家の中にすっかり「家にとじこもったきり」だからである。オルガでもバルナバスでも誰でも構わないが一家の誰かが村民の一人でもつかまえて挨拶の一つも交わせば事態は好転していたに違いない。ただし「手紙」の一件には決して触れないという暗黙の掟のもとで。けれどもそうした働きかけをアマーリア自身が拒否している以上、家族の誰一人として勝手に動くことはできない。今の言葉でいうと「ひきこもり・自閉症」に陥ったアマーリアの意向を無視して家族がアマーリア本人に無断で動くことはできない。もし勝手に動けばアマーリアはそれこそ自殺するか一生誰とも話すことはないだろう。城の役人であるソルティーニの性奴隷になることを拒否したことで城の機構全体がアマーリアを「ひきこもり・自閉症」に追いやったというのは現代の精神医療の経験があれば言えることなのだが、第一次世界大戦と第二次世界大戦のあいだの時期にはそのような医学的発展は望むべくもなかった。ともあれソルティーニの「手紙」を拒否したことでアマーリアは妹であるにもかかわらず姉のオルガ以上に一家の中の重要人物と化すのである。オルガはアマーリアの苦悩をこう言語化している。

「『アマーリアは、苦悩を担っただけではなく、それを洞察(どうさつ)する頭脳ももっていました。わたしたちは、結果だけしか見えませんでしたが、あの子は、原因も見ぬいていました。わたしたちは、どんなにつまらぬ策であろうとも、なんらかの解決策が見つかるだろうという希望をもっていましたが、あの子は、これで万事が決定されてしまったのだということを知っていました。わたしたちは、ひそひそと相談ばかりしていましたが、あの子は、ただ沈黙しているだけでした。アマーリアは、あのころもいまも真実に面とむかって立ち、この人生を生き、耐えてきたのです。わたしたちがどんなに苦しいといったって、あの子にくらべたら、はるかにらくだったのです』」(カフカ「城・P.350~351」新潮文庫 一九七一年)

城の機構が押しつけるオイディプス三角形型家庭〔家族〕の形態を「ひきこもり・自閉症」という形で座礁させたアマーリア。城はずっと以前から村中に蔓延する「欲望する生産」を<管理するため>オイディプス三角形型家庭〔家族〕へと置き換える作業に没頭していた。

「家庭は欲望の生産の中に導入されて、最も幼いころから欲望のおきかえを⦅つまり信じられないような欲望の抑圧を⦆操作することになる。家庭は、社会的生産によって、抑圧に派遣されるのである。ところで、家庭がこうして欲望の登録の中にすべりこむことができるのは、先にみたように、この登録が行われる器官なき身体が既に自分自身において欲望する生産に対する《根源的な抑圧》を行使しているからである。この根源的な抑圧を利用してこれに《いわゆる二次的な抑圧》を重ねることが、家庭の仕事なのである。この二次的な抑圧は、家庭に委托されているのだとも、あるいは家庭がこの抑圧に派遣されているのだともいってもいい。(精神分析は、この一次、二次の二つの抑圧の間の相違をいみじくも指摘したが、しかしこの相違の有効範囲とこの両抑圧の体制の区別を示すには至っていない)。したがって、いわゆる抑圧は、実在する欲望する生産を抑圧することに満足せず、この抑圧されたものに、みかけのおきかえられたイマージュを与えて、家庭的登録をもって欲望の登録の代りとしてしまうことになる。欲望する生産の集合が、周知のオイディプス的形象をとることになるのは、この欲望する生産が家庭的に翻訳されている場合でしかないのだ。つまり、<背信の翻訳>の場合でしかない」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第二章・P.151~152」河出書房新社 一九八六年)

ヘーゲルは全体があるためには部分なしにはあり得ず、部分は全体にとって《他者》であり、全体の存立は部分としての《他者》に根拠をもつといっている。

「《全体》はそれぞれの自立的な存立をもつところの反省した統一である。けれども、このような統一の存立は同様にまた、その統一によって反発される。全体は否定的統一として自己自身への否定的な関係である。そのために、この統一は自己を外化〔疎外〕する。則ち、その統一は自己の《存立》を自己の対立者である多様な直接性、則ち《部分》の中にもつ。《故に全体は部分から成立する》。従って全体は部分を欠いてはあり得ない。その意味で、全体は全体的な相関であり、自立的な全体性である。しかし、またまさに同一の理由で、全体は単に一個の相関者にすぎない。なぜなら、それを全体者たらしめるところのものは、むしろそれの《他者》、則ち部分だからである。つまり全体は、その存立を自己自身の中にもたず、却ってこれをその他者の中にもつのである。同様に、部分もまた全体的な相関である。部分は反省した自立性〔全体〕に《対立する》ところの直接的な自立性であって、全体の中に成立するのではなくて、向自的に〔単独に〕存在する。しかし、それは更にまた、この全体を自己の契機としてもっている。即ち全体が部分の関係を形成する。全体がなければ部分は存在しない」(ヘーゲル「大論理学・第二巻・第二篇・第三章・A全体と部分との相関・P.188」岩波書店 一九六〇年)

城の機構全体にとってフリーダもアマーリアもオルガもバルナバスも二人の助手も村長も宿屋のお内儀も、さらに彼らが暮らす村の土や草木の一つずつも、どれをとっても全体に関わりそれなしでは全体も成立しない「《他者》、則ち部分」として欠かせないのである。

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Blog21・オルガが語る「掟の手続/手続上の掟」

2022年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム
フリーダはクラムの愛人である。クラムの要求に応じていつもで体を与える<娼婦>である。その点でフリーダは村人から笑われる。しかしこの笑いはどこに源泉を持つのか。フリーダに対する根深い<嫉妬>がそれに当たる。フリーダは娼婦であるにもかかわらず城の機構の重要部門に位置するクラムといともたやすく接触することができる。他の村民にはとてもではないが不可能な導線の役割を演じることができる。それが村民たちの<嫉妬>の感情を嫌が上にも増殖させる。村民はフリーダに対して底知れぬルサンチマン(劣等感・復讐感情)を抱いている。ニーチェがいうように。

「道徳上の奴隷一揆が始まるのは、《怨恨(ルサンチマン)》そのものが創造的になり、価値を生み出すようになった時である。ここに《怨恨=反感》というのは、本来の《反作用=反動》、すなわち行動上の反動が禁じられているので、単に想像上の復讐によってのみその埋め合わせをつけるような徒輩の《怨恨》である。すべての高貴な道徳はそれ自身に向かう高らかな自己肯定から生ずるが、奴隷道徳は『外のもの』『他のもの』、『自分とは異なるもの』を頭から否定する。そして《この》否定こそ奴隷道徳の創造的行為なのだ。評価を定める眼差しがこのように逆立ちしていることーーーすなわち、自分自身に向かい合うよりもむしろ、つねに外へと向かうこの《必然的な》方向ーーーこれこそはまさしく《怨恨》の本性である。奴隷道徳が成立するためには、常にまず一つの対立、一つの外界を必要とする。生理学的に言えば、奴隷道徳は一般に、動き、行動を起こすための外的刺激を必要とする。ーーーだから奴隷道徳の行動は根本的に反動である」(ニーチェ「道徳の系譜・第一論文・十・P.36~37」岩波文庫 一九四〇年)

ところが一方のアマーリアの場合、フリーダとは逆に城の役人ソルティーニの露骨な性的要求を拒否したため城との繋がりはバルナバスが城の使者を務めている点に限られてくる。しかしバルナバスが演じるほかない城と村とを架橋する使者という機能はあまりにも頼りない職務でしかない。以前引用した。

「『なるほど』と、Kは言った。『バルナバスは、命令をもらうまでに、長いあいだ待たされるんですね。それは、わからないことでもありませんよ。どうやら当地には掃いて捨てるほど使用人がいるようですからね。だれもが毎日仕事をもらえるとはかぎらない。あんたがたがそのことで不平をこぼすのは、筋ちがいというものです。おそらく、だれだってそうなんでしょうから。しかし、最後には、バルナバスだって、仕事がもらえる。これまでにも、ぼくに手紙を二通もってきてくれましたからね』。『わたしたちが泣きことをいうのは、まちがっているかもしれません。わたしの場合は、特にそうですわ。すべてのことを話に聞いて知っているだけですし、女ですから、バルナバスのようによく理解することもできません。それに、バルナバスにしたって、まだ隠していることがいろいろあるんですもの。だけど、つぎには、手紙がどういうものか、たとえば、あなたあての手紙がどういうものか、それをお話ししましょう。バルナバスは、こうした手紙を直接クラムから受けとるのではなく、書記からもらうのです。いつでもいいんですが、ある任意の日の任意の時間にーーーだから、この勤めも、一見らくなように見えますが、とても疲れるんです。と言いますのは、バルナバスは、たえず注意をくばっていなくてはならないからですわ。とにかく、ある日のある時間に書記が、バルナバスのことを思いだしてくれて、彼に合図をします。これは、全然クラムが指定したのではないようです。彼は、静かに本に首をつっこんでいるだけです。ときおり、といっても、ふだんでもちょっしゅうしていることなんですが、たまたまバルナバスが行ったときに、クラムが鼻眼鏡をふいていることがあります。そういうときには、あるいはバルナバスの姿を眼にとめてくれるかもしれません。もっとも、クラムが眼鏡をかけずにものが見えるとしての話ですが、バルナバスは、それを疑っています。クラムは、そういうとき、眼をほとんどとじているのです。まるで眠っているようで、夢のなかで眼鏡をふいているとしか見えないそうです。そうこうしているうちに、書記は、机の下に置いてあるたくさんの書類や手紙類のなかから、あなたあての手紙をさがしだします。ですから、それは、そのとき書いたばかりの手紙ではないんです。むしろ、封筒の状態から判断すると、非常に古い手紙で、長いこと机の下に放置されていたのです。けれども、それが古い手紙であるのなら、なぜバルナバスをこんなに長いあいだ待たせておいたのでしょう。そして、おそらくあなたをも。そして、最後には、手紙をも、だって、そんな手紙なんか、いまじゃ反故(ほご)同然なんですもの。しかも、そのおかげで、バルナバスは、けしからん、のろまな使者だという評判をたてられてしまうんです。書記のほうは、もちろん、平気なもので、バルナバスに手紙を渡すと、<クラムからKにあててだ>というだけです。これだけで、バルナバスは退出です。さて、それから、バルナバスは、家へ帰ってきます。息を切らせて、やっとのことで手に入れた手紙をシャツの下の肌身(はだみ)に巻きつけて帰ってくるのです』」(カフカ「城・P.299~300」新潮文庫 一九七一年)

古すぎる手紙。「反故(ほご)同然」の手紙。にもかかわらず、もしそれを宛先(Kからクラム、クラムからK、その他さまざま)に届けなければバルナバスは今後いったいどうなるかわかったものではない。「反故(ほご)同然」の手紙であっても何かほんの僅かの問い合わせをきっかけとして今すぐ照会しなければ許されない手紙へと価値移動するような事例なら掃いて捨てるほど幾らでもある。

このようにバルナバスの職務は伸び縮みするため「信用」という点で村民たちから見れば脆過ぎるものでしかない。そこで結局のところ体を与えてでもクラムの要求に応じたフリーダより、ソルティーニの要求を拒否して一家を底知れぬ不安定状態に陥れてしまったアマーリアは村民たちから嫉妬すらされず、ただ単なる嘲笑に晒される待遇に甘んじることになった。嫉妬すらされず「軽蔑されるだけ」。オルガはいう。

「『フリーダを笑った者でさえ、意地わるでそうしたか、でなければ、フリーダをねたんでいるのです。とにかく、笑われるだけですみます。ところが、アマーリアは、あの子と血のつながりのない相手からは、軽蔑されるだけなのです。ですから、あなたがおっしゃるように、根本的にちがったケースですが、それでもやはり似たケースでもあるんですわ』」(カフカ「城・P.326」新潮文庫 一九七一年)

Kの問いに答える形でオルガはさらに説明を続ける。しばらくしてオルガはこういう。

「『ほんとうのところ、お役人たちと女性たちとの関係は判断するのがひどくむずかしいのです』」(カフカ「城・P.328~329」新潮文庫 一九七一年)

両者の因果関係はいつもすでに接続されたり切断されたり別のものへと再接続されたりを繰り返しているため、絶対的因果関係を決定することはもはやできないということだ。ニーチェから二箇所。

(1)「ある事物の発生の原因と、それの終極的功用、それの実際的使用、およびそれの目的体系への編入とは、《天と地ほど》隔絶している。現に存在するもの、何らかの仕方で発生したものは、それよりも優勢な力によって幾たびとなく新しい目標を与えられ、新しい場所を指定され、新しい功用へ作り変えられ、向け変えられる。有機界におけるすべての発生は、一つの《圧服》であり、《支配》である。そしてあらゆる圧服や支配は、さらに一つの新解釈であり、一つの修整であって、そこではこれまでの『意識』や『目的』は必然に曖昧になり、もしくはまったく解消してしまわなければならない。ある生理的器官(乃至はまたある法律制度、ある社会的風習、ある政治的慣習、ある芸術上の形式または宗教的儀礼の形式)のもつ《功用》をいかによく理解していても、それはいまだその発生に関する理解をもっていることにはならない。こう言えば、旧套に馴れた人々の耳には随分と聞きづらく不快に響くかもしれない、ーーーというのは、古来人々は、ある事物、ある形式、ある制度の顕著な目的または功用は、またその発生の根拠をも含んでいる、例えば、眼は見る《ために》作られ、手は摑む《ために》作られた、と信じてきたからだ。そして同様に人々は、刑罰もまた罰する《ために》発明されたものだと思っている。しかしすべての目的、すべての功用は、力への意志があるより小さい力を有する者を支配し、そして自ら一つの機能の意義を後者の上に打刻したということの《標証》にすぎない。従ってある『事物』、ある器官、ある慣習の全歴史も、同様の理由によって、絶えず改新された解釈や修整の継続的な標徴の連鎖でありうるわけであって、それの諸多の原因は相互に連関する必要がなく、むしろ時々単に偶然的に継起し交替するだけである。してみれば、ある事物、ある慣習、ある器官の『発展』とは、決して一つの目標に向かう《進歩》ではなく、まして論理的な、そして最短の、最小の力と負担とで達せられる《進歩》ではなお更ない。ーーーむしろ、事物乃至は器官の上に起こる多少とも深行的な、多少とも相互に独立的な圧服過程の連続であり、同時にこの圧服に対してその度ごとに試みられる反抗であり、弁護と反動を目的とする思考的な形式変化であり、更に旨く行った反対活動の成果でもある。形式も固定したものでないが、『意味』はなお一層固定したものでない」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・十二・P.88~90」岩波文庫 一九四〇年)

(2)「わたしの頭上の空よ、おまえ、清らかなもの、高いものよ。わたしにとっておまえの清らかさとは、そこになんらの永遠的な理性蜘蛛(りせいぐも)とその蜘蛛の巣がないということなのだ。ーーーまたおまえがわたしにとって神的な偶然が踊る踊り場であるということ、神的な骰子(さい)と神的な骰子遊びをする者にとっての神的な卓であるということなのだ」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・日の出前・P.264」中公文庫 一九七三年)

因果関係の絶対性はもはや消え失せた。言葉を置き換えれば「神は死んだ」。だからといって因果関係という概念もまた絶滅してしまったのかといえばまるで違う。死んだ「神」にとって代わって官僚機構の<部分としての司法制度>が因果関係を作り上げたり解体したり結び直したり別の要因と繋ぎ合わせたりしている。人間の権力意志というものは自分に危険が及ばないよう自ら進んで危険極まりない場所へ入って緻密な操作を機敏に行う。そのためには自分よりも上位に位置する社会的権力者層の言動とその意向についていつも敏感な嗅覚を維持しておかなければならない。その結果、以前なら官僚機構の中でたまたま自分より下位に属する職員の一人や二人が行方不明になったり自殺死体で発見されたりするのは「仕方がない」ということで済まされてきた。ところが驚くべき電気通信網・ネット社会の激変に伴って、いつどこでどのような意図的操作がどの程度行われたか、ほとんどすべてといっていいほど特定可能になってきた。どんな国家のどんな権力者も永遠に不死身でいることはもはや不可能になった。

さて、城の機構と村の女性との関係についてオルガはいう。女性は生まれた時すでに、あらかじめ決定された状況の中へ放り込まれるような仕方で生まれてくるほかないと。

「『アマーリアにはたずねることができないのです。あの子は、ただソルティーニを袖にしただけで、それ以上のことはなにも知らないのです。自分がソルティーニを愛しているのか、愛していないのかということさえ、知らないのです。けれども、わたしたちは、知っていますーーー女性というものは、お役人にいったんこちらを向かれたら、相手を愛さざるをえなくなってしまうのです。それどころか、どんなに否定しようとおもったって、そのまえからすでにお役人を愛してしまっているのです』」(カフカ「城・P.329」新潮文庫 一九七一年)

村の女性たちはいつもすでにあらかじめ決定された自分自身を「持ってしまっている」。ドゥルーズはフィッツジェラルドのアルコール依存について述べているが、城の村の女性が置かれた立場と変わるところはない。二箇所引こう。

(1)「アルコール飲みは、この硬直が隠匿する柔らかさを愛するのと同様に、自分を捕える硬直も愛するのである。一方の時期が他方の時期の中にあり、現在がこれほど固くなり硬直するのは、破裂しそうな柔らかな点を占拠するためにほかならない。同時的な二つの時期は、奇妙な仕方で複合される。すなわち、アルコール飲みは、半過去や未来を生きるのではなく、《複合過去》しか持たないのである。ただし極めて特殊な複合過去である。アルコール飲みは、酔いを材料にして、想像的な過去を複合する。まるで、柔らかな過去分詞が、固い助動詞現在形に結合しに来たかのように。私は愛してしまったを-持っている、私は行なってしまったを-持っている、私は見てしまったを-持っている(j’ai-aimé, j’ai-fait, j’ai-vu)。これが、二つの時期の交接を表現し、アルコール飲みが躁的な全-能性を享受しながら一方の時期を他方の時期の《中で》経験するやり方を表現する。ここにおいて、複合過去は隔たりや完遂をまったく表現していない。現在の時期は、動詞・持つの時期であるが、すべての存在者は、『過去』として、《同時的な》別の時期の中に、分有の時期、分詞の固定の時期の中にある。それにしても、この締め付け、現在が別の時期を包囲し占拠し締め付けるこの方式は、ほとんど堪え難い何とも奇妙な緊張である。現在は、柔らかな中心・溶岩・液状ガラス・粘性ガラスの周囲で、円形の水晶や花崗岩になる」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・第22セリー・P.275~276」河出文庫 二〇〇七年)

(2)「さらに別のものになるために、緊張は解けてしまう。というのは、当然にも、複合過去は『私は飲んでしまったを-持っている』に到るからである。現在の時期は、もはやアルコールの効果の時期ではなくなり、アルコールの効果の効果の時期になる。そして、今や、この別の時期が、近い過去(私が飲んでいた時期)を無差別に含んでしまう。また、この近い過去が隠匿する想像的同一化のシステムと、多かれ少なかれ遠ざかった素面の過去のリアルな要素も含んでしまう。それによって、現在の硬化はまったく意味を変える。すなわち、現在は、固い現在としては、影響力を失って色褪せ、何ものも締め付けず、別の時期のすべての相を等しく遠ざける。まるで、近くの過去、しかしまた、近くの過去で構成された同一化の過去、そして最期に、〔その構成の〕材料を提供していた素面の過去、これらすべてが、羽ばたいて逃げ去り、等しくなったかのようである。これらすべての過去との距離を維持しているのが、全般的に拡大する色褪せた現在、増大する砂漠の中で改めて硬直する新たな現在である。複合過去の一次効果は、唯一の複合過去『私は飲んでしまったを-持っている』の二次効果で置き換えられる。この助動詞現在形は、一切の分詞と一切の分有からの無限の距離を表現するだけである。現在の硬化(私は持っている)と、過去(私は飲んでしまった)の逃走の効果には、今や関連性があることになる。であったことを持っている(has been)においてすべては頂点に達する。過去の逃走の効果、あらゆる意味での対象喪失が、アルコリスムの抑鬱的な面を構成する。そして、この逃走の効果が、たぶん、フィッツジェラルドの作品の最大の力になっているものであり、フィッツジェラルドが最も深く表現したものである」(ドゥルーズ「意味の論理学・上・第22セリー・P.276~277」河出文庫 二〇〇七年)

掟(おきて)というものの過酷さは実際に相手を愛しているかいないかなどまるで問題にしない点に顕著である。城の村の女性たちは幼少期を過ぎて意識が明確になるにつれ、「私は愛してしまったを-持っている」ということで<なければならない>状況に包囲されていることに直面せざるを得ない。それをアマーリアは「拒否したを-持っている」バルナバス一家。Kの常識からすればアマーリアの側こそ「正しい」。しかし城に属する村民の常識は違っている。むしろ「正しいか正しくないか」は城の機構が決めることだからである。そしてまた城の機構は一度決めた決定にもかかわらず、もう明日には逆方向へ転倒させているかもしれない。今の日本の裁判機構のようだ。立場の弱い市民層から見て手続上は「最高裁判所」だが、内部でやることなすことは「最低裁判所」だと揶揄してみても今さら始まらない。というのもカフカが「城」で描いたように「柵」はいつも<可動的>だからだ。無いに等しい。けれども「柵」抜きに裁判上の手続きを進めることは原告にとっても被告にとってもできない。

だがしかし<子ども>の系列が城の機構に属する村中をいつもうろちょろしていることを忘れるわけにはいかない。二人の助手がそうだし、小学校生・ハンスもまたそうだ。ハンスはKに向かって理路整然と話をする。時として村長よりも明確に説明する。しかし必要最低限と思われる話をし終えるやたちまち子どもに返ってフリーダや助手たちと他愛ない<ごっこ遊び>に打ち込んでいる。「子供か大人か」ではなく<子ども>の系列があり同時に<おとな>の系列があり、どちらの代表者でもない限りでハンスや二人の助手は両方を往来できる資格を与えられているというべきだろう。この<非定住民>的性格は<娼婦・女中・姉妹>が持つ<非定住民>的性格とはまた別種の非定住民性として考えられなくてはならない。その意味で<子ども>の系列はもっと遥かに遠い射程を持つといえそうだ。

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Blog21・オルガの説明が語る<置き換え>とスターリニズムの蔓延

2022年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム
オルガの説明にこんな言葉が差し挟まれている。

「『お役人たちは、たいてい代理しあっています。だから、ひとりひとりの役人の管轄事項がよくつかめないんです』」(カフカ「城・P.313」新潮文庫 一九七一年)

城の役人たちは一つの職務を<代理>しあうことができる。一つの職務について、或る役人を別の役人に置き換えることはたいてい可能である。そうオルガは語る。しかしオルガは「だから、ひとりひとりの役人の管轄事項がよくつかめない」と思い込んでいる。ところが一つのポストについて他の役人でも置き換え可能なのは、そうすることで「管轄事項がよくつかめない」状態に陥るというわけではなく、逆に「管轄事項がよくつかめない」他の役人でも置き換え可能な程度の職務内容ばかりだらだら揃っているからである。しかしなぜ置き換え可能になったのか。あらかじめ前提条件が出来上がっていなくてはならない。言い換えれば、どの役人も<人間>であるという条件が前提されていなくてはならない。それはどのように達成されたのか。ニーチェはいう。

「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.64」岩波文庫 一九四〇年)

ニーチェが「算定しうべきものに《された》」というのは資本主義国家であろうとなかろうと、ソ連、中国、日本、アメリカ、いずれの国家であっても同様に、もともと自然に存在していた土地であれ人間自身であれ、辺りかまわず「数値化しうべきものに《された》」ということを意味している。数値化されなければそもそも労働力の価値も価格も算出することができない。自然の景観を見るためになぜ入場料や拝観料がいるのか。入場料や拝観料という規定はその土地の景観が自然にできたものであってもすぐさま人間社会の基準で計測され「数値化」された上でその維持管理が図られている限りで必要不可欠な価値物として貨幣に換算された価格である。基準の導入と現場の「数値化」がなされていないところはもはやどこにもない。世界中どこでも不動産として交換可能である。公共的維持管理がほとんど図られていない放置状態の場所でも公的調査を済ませていない土地はなく、従って所有権が成立しており、ゆえにいつどこの誰であれ買い手が現れることはできるし、また領土問題に差し障りのない限りその土地は実際に買われていく。要するに「数値化すること」は「均質化すること」だ。

例えば、いったん「人間」として承認されるや<人間>としては「均質である」とされるがゆえに或る女性と別の女性、さらには第三、第四の女性たちを並べ立てて比較し大騒ぎする「ミスコン」も始めて可能となった。いっとき「女性アナウンサーの登竜門」と言われた「ミスコン」。ニーチェに言わせれば「洗練されて元の意味が覆い隠されてしまった人身売買」に過ぎないと嘲笑うだろう。<真理>とは何かについてニーチェがこう述べたように。

「真理とは、錯覚なのであって、ただひとがそれの錯覚であることを忘れてしまったような錯覚である。それは、使い古されて感覚的に力がなくなってしまったような隠喩なのである。それは、肖像が消えてしまってもはや貨幣としてでなく今や金属として見なされるようになってしまったところの貨幣なのである」(ニーチェ「哲学者の書・哲学者に関する著作のための準備草案・P.354」ちくま学芸文庫 一九九四年)

またフロイトが或る人間を<正気>とし別の人間を<狂気>として「分割する」ことができたのはなぜか。両者ともにあらかじめ<人間>としては「均質である」とされていたからである。フーコーはいう。

「十九世紀の精神医学全体が実際にフロイトという一点へ集中する。彼こそ、医師-病人の組み合せの現実をまじめに受けいれた最初の人であり、その現実から自分の視線と研究とをそらせないことに同意し、その現実を多少とも他の医学的認識と釣合いを保っている一つの精神医学理論のなかに隠そうと努めなかった最初の人、この現実のもたらす結論をきわめて厳密にたどってきた最初の人である。フロイトは、保護院の他のすべての構造の欺瞞を解いた。すなわち、例の沈黙と視線をなくしてしまい、自分自身の光景をうつす鏡のなかでの、狂気じたいによる狂気の認識をやめさせ、有罪宣告をおこなう審判を中止させた。だがそのかわりに、医学的人間をつつむ構造を充分に活用して、その人間の魔術師としての力を増加し、その全能の力にほとんど神のごとき地位をあたえた。この医学的人間のうえに、つまり、完全な現存であるのに不在という形をとって、病人のかげで、そして病人のうえに目をつかむようにしているこの唯一の現存のうえに彼が移しかえたのは、狂人保護院の集団生活のなかにばらばらに区分けされてきた、すべての力であった。彼はそれらを、絶対的な<視線>、純粋でいつも表に出さぬ<沈黙>、言語活動にまで達しない審判によって罰し償う<審判者>に化した。彼はそうした力を鏡、そこでは狂気がほとんど不動の動きのなかで自分に夢中となり、そして自分から離れる鏡と化した。ピネルとテュークが監禁のなかで模様替えしてしまったすべての構造を、フロイトは医師のほうへ移動させたのである。彼ら《解放者たち》が実は病人を疎外してきた保護院の生活から、フロイトは病人を解きはなった。とはいっても、この生活のなかにあった根本的なものから解きはなったのではない。彼はその生活のさまざまの力を集めなおし、それらを最大限に緊張させて、医師の手のなかで結びあわせた。彼は精神分析という状況をつくりだしたのであり、そこでは天才的な一種の短絡的手段によって、錯乱(=疎外)がその解消になるのである。なぜなら、医師において、それは主体となるのだから」(フーコー「狂気の歴史・第三部・第四章・P.530」新潮社 一九七五年)

このようなのっぴきならない事情を「ミスコン」に相当するものとしてそのイデオロギーを引き直してみる操作はいともたやすい。女性としては同じでもグランプリは「正気」であり準ミスは「やや狂気」でありその他おおぜいは正気を失いかけて「もはや狂気に等しい」ということになるだろう。そして審査に関わったすべての関係者は参加者の「錯乱(=疎外)」につけこんでこっそり<主体>の位置を占めていると十分言うことができる。参加者が<主体>を奪われている限りで市場価格は参加者の身体を離れて乱高下する。一度グランプリや準ミスになってしまうとそれが履歴に登録される。登録されるやその履歴は参加者の<身体を離れて>世界中で売りに出される。しかも売りに出されているのは<本人の身体>である。自分の身体は自分から乖離してもはや商品として貨幣換算されていくばかりだ。しかし参加者自身は自ら<主体的に>参加していると思い込んで疑うということを知らない。その程度で大学生になってしまえる事情が今の日本の教育水準の救いようのない低さと甘さとを自己暴露して余すところがない。

明治近代日本が極貧だった頃に大量発生した<からゆきさん>や一九八〇年代バブル期に東南アジアで大量発生した<ジャパゆきさん>は貧困ゆえに生じてきたあからさまな人身売買だった。ところが今の日本の「ミスコン」は貧困ゆえに開催しなくてはならない必要不可欠な行事なのだろうか。疑問でしかない。これまで何度も指摘されてきたわけだが、にもかかわらずなぜ主に東京に集中するブランド化した私立大学では日本政府の私学助成金を受け取っておきながら、さらに変われる機会が何度もありながらすっかり変わっておかなかったのだろうか。理事会も教授会もともに腐り切っているかのようだ。

さてオルガは、或る日に村で恒例行事があった時、妹のアマーリアが城の役人・ソルティーニの呼び出しに応じなかった経緯について語る。手紙によるソルティーニの要求はすぐ縉紳館(しんしんかん)へ来るようにというもの。アマーリアの体はすでにソルティーニのものになったとソルティーニ自身が書いたも同然であり、その手紙がどれほど出し抜けに思えてもソルティーニの要求をむげに断ることはオルガも含めて一家の破滅を意味する。だがオルガの弟バルナバスは城の機構への出入りが許されている。余計にバルナバスは一家のために慎重に振る舞うよう強いられる。バルナバスは自分の周囲のどれ一つ取っても過剰なほど疑い深い目を向けずにはいられない。一家と城とを繋ぐ家の一員として、Kとクラムとの関係も考えられ得る限り良好な状態に保っておかなくてはならない。何重にも拘束された精神状態のまま村八分になった一家を支えるほかない。村八分になったのはアマーリアが城の役人・ソルティーニの性奴隷になることを断ったからだ。アマーリアにすればもっともな態度に思える。しかしソルティーニが城の役人である以上、アマーリアが取った態度は村全体から見れば途方もない思い上がりでしかなく軽蔑に値するというわけだ。

「『ええ、それをまだ申しあげていませんでしたわね。手紙は、ソルティーニから来たもので、ざくろ石のネックレスをしていた娘さんにというあて名になっていました。わたしは、その内容をいまそっくり申しあげることはできませんわ。要するに、縉紳館(しんしんかん)にいる自分のところに来るようにという要求で、それも、すぐに来てもらいたい、自分は半時間後にはここを出ていかなくてはならないのだから、というものです。文面は、おそろしく下品な表現がしてあって、わたしは、それまでにこんな言葉を耳にしたこともなく、前後関係からこういうことなのだろうと半分ぐらい推量するのが、関の山でした。アマーリアを知らない人がこの手紙だけを読んだら、こんな手紙を男からもらうような娘は、よしんば男に手をふれられていないとしても、ふしだら娘だと考えてしまうにちがいないでしょう。それに、これは、愛の手紙というようなものではありませんでした。女性をうれしがらせるような言葉は、どこにも書いてないのです。むしろソルティーニは、アマーリアを見てこころをとらえられ、仕事ができなくなってしまったので、あきらかにそのことに腹にすえかねたにちがいありません。わたしたちは、あとでこの手紙を解釈して、ソルティーニはたぶんすぐにお城へ帰るつもりでいたのだけど、アマーリアのことがあったので村に残ることにした、ところが、夜になってもアマーリアのことを忘れ去ることができなかったので、翌朝腹だちまぎれにこの手紙を書いたのだろう、と考えることにしました。こんな手紙をもらったら、どんなに冷血なひとだって、最初は憤慨するにちがいないでしょうが、アマーリア以外の女性なら、やがてその意地わるい、おどすような調子が心配になって、怖ろしいという気持のほうがたぶん優勢になったにちがいありません。けれども、アマーリアの場合は、いつまでも憤慨したままでした。あの子は、自分のためにせよ、ほかの人たちのためにせよ、不安や心配というものを知らないのです。やがてわたしは、まだベッドにもぐりこんで、尻(しり)切れとんぼになっている手紙の結びの文句ーーー<だから、すぐに来てもらいたい。さもないとーーー!>という文句を何度もくりかえしていました。そのあいだ、アマーリアのほうは、窓ぎわの長椅子にすわったまま、まだまだ使者が来るのを待っていて、来ればどの使者だって最初の使者とおなじ目にあわせてやるぞといわんばかりに、外をながめつづけていました』」(カフカ「城・P.320~321」新潮文庫 一九七一年)

手紙の文章についてオルガが少しばかり述べている。「<だから、すぐに来てもらいたい。さもないとーーー!>」。そう聞かされたKはそれこそ役人のやり方なんだと非難する。けれどもオルガにしてみればKの言葉はまるでむなしい。なぜだろうか。カフカはソ連の内部を知らない。だが官僚制というものがどういうものかは嫌というほど熟知していた。ボヘミアの労働者傷害保健協会が職場だったカフカは労働現場で事故が起きた際に様々なチェック項目を逐一査定していく。自分自身の身体がその身体のままで一つの官僚制度を代表していた。今の日本でも保険会社と契約する際や事故が発生した際には「何これ?」と首をひねらざるを得ないような煩雑この上ない質問事項が幾重にも打ち重なっている。さらに規定が実にしばしばころころとよく変わる。言語と金銭とを取り扱う機関の規定が自惚れきった政治家の言葉のようにめまぐるしく移り変わっていいものだろうか。「民間の官僚化と官僚の民間化」の実態について、日本政府はまるで知らないか知っていてもそんなものだろうという程度にしか映って見えていないのかもしれない。だがそれぞれにごく普通の暮らしを営んでいる市民の目にはあたかも戦国時代末期の生存競争のような下品な方法があちこち往来している光景に直面している。そして問題の「<だから、すぐに来てもらいたい。さもないとーーー!>」。カントはいう。

「何びとかが彼の情欲について、『もし私の愛する対象とこれを手に入れる機会とが現われでもしたら、そのとき私は自分の情欲を制止し兼ねるであろう』と揚言しているとする。しかし彼がこのような機会に出会った当の家の前に絞首台が立てられていて、彼が情欲を遂げ次第、すぐさまこの台の上にくくりつけられるとしたら、それでも彼は自分の情欲を抑制しないだろうか。これに対して彼がなんと答えるかを推知するには、長考を要しないであろう。しかしこんどは彼にこう問うてみよう、ーーーもし彼の臣事する君主が、偽りの口実のもとに殺害しようとする一人の誠忠の士を罪に陥れるために彼に偽証を要求し、もし彼がこの要求を容れなければ直ちに死刑に処すると威嚇した場合に、彼は自分の生命に対する愛着の念がいかに強くあろうとも、よくこの愛に打ち克つことができるか、と。彼が実際にこのことを為すか否かは、彼とても恐らく確言することをあえてし得ないだろう、しかしこのことが彼に可能であるということは、躊躇なく認めるに違いない。すなわち彼は、或ることを為すべきであると意識するが故に、そのことを為し得ると判断するのである、そして道徳的法則がなかったならば、ついに知らず仕舞であったところの自由を、みずからのうちに認識するのである」(カント「実践理性批判・第一部・第一篇・第一章・第六節・P.71~72」岩波文庫 一九七九年)

カントの立論についてラカンは次のように述べる。第一の命題はカントがいかに「お人好し」かを証明することになってしまっている点でほほえましいといえるが、第二の命題は政治がらみであるがゆえにただならぬ問題系と接続されており極めて今日的な意義を持っている。とりわけ日本で。

「彼の例証が二つの寓話からなることを思い出してください。最初の寓話は、欲望している婦人と不法に情交を結ぶなら出口で処刑されてしまう男の話です。『不法に』ということを強調しておくことは無駄ではありません。見たところ最も単純な細部がここで罠の役割を果しているからです。第二の寓話は、専制君主の宮廷で生活している男が、ある人が命を落とすことになる偽証をするか、偽証を拒んで自分が処刑されるか、という二者択一の立場におかれるというものです。

これについてカントは、カント先生は、全く無邪気に、彼の無邪気な手管でもって、最初の話には、良識のある人ならば誰でも否と答えると言います。誰も美女と一夜を過すために自分の命を賭けたりはしない、なぜならこれは美女を賭けた決闘ではなく、絞首刑にされるのだから。カントにとって、これはあたりまえのことです。

後のケースでは別です。偽証から得られる快楽とか、偽証の拒絶によって課せられる刑罰の残酷さとはまったく別に、主体がここで立ち止まり、思案することは確実であり、偽証するぐらいなら主体がいわゆる至上命令の名のもとに死を受容することも考えられる、とカントは言います。実際、他人の財産(善)、生命、名誉の侵害が、普遍的な規則になるや、人間の世界すべては混乱と悪のうちに投げ込まれるだろう、と彼は言うのです。

ここで立ち止まってこれを批判することはできないでしょうか。

最初の寓話がハッとされられるのは、女性との一夜がパラドキシカルにも、被るべき罰と天秤にかけられ、この刑罰と釣り合う快楽として提示されているからです。快楽にはプラスの快楽とマイナスの快楽があります。最悪の例は挙げませんが、カントは『負量の概念』において、名誉の戦死をとげた息子の死を伝えられたスパルタ人の母親の感情について語っていて、そこで一門の栄誉という快楽から息子の死という苦痛を差し引くという算術計算を行っています。なかなか可愛いものです。しかしながら、見方を変えれば、女性との一夜を、快楽という項目から享楽という項目へと、つまり死の受容を含意する享楽へとーーーしかもこのため昇華は必要ありませんーーー移行させれば、この寓話は成立しなくなります。

言いかえますと、享楽が悪であるというだけで事態の局面は全く変り、道徳的法則の意味が完全に変えられるのです。お解りでしょう。道徳的法則がここで何らかの役割を果たしているとしたら、道徳的法則がこの享楽の支えとなり、罪が、聖パウロが並外れた罪人と呼ぶものになることの支えとなるからです。これをカントはここで見落としているのです。

もう一つ見落としがあります。その論理には、ここだけの話ですが、微細な誤謬があり、これを誤認してはなりません。後者の話は前者とは少し異なった条件で提示されています。第一の場合は、快楽『と』刑罰をひとまとめにして、やるか、やらぬか、が問題です。だから人は危険には身をさらさず享楽を断念するわけです。第二の場合は快楽か『それとも』刑罰かどちらかです。これを強調しておくのは重要です。というのは、この選択は『ましてやafortiori』という効果を宿命的に付加し、問題の真の射程という点で皆さんを罠にかけるからです。

問題は何でしょう。普遍的規則の言表に則れば私が、私の同胞という限りでの他者の権利を侵害することなのでしょうか。それとも、偽証それ自体がいけないことなのでしょうか。

ちょっと例を変えて見るとどうなるでしょう。次のような場合の証言について考えてみましょう。国家の安全保障を侵害するという活動のかどで、私の隣人、私の兄弟を告発するよう命令されたとすると、私の良心はどうなるでしょう。これだけで普遍的規則に置かれたアクセントをずらすことになるでしょう。

さて、善の法則は悪においてのみ悪によってのみあるとさしあたり主張している私は、この証言をすべきでしょうか。

この<法>によって、隣人の享楽が、こういう証言において私の義務の意味が動揺し揺れ動く要の点となります。私は真理という私の義務へ向かうべきでしょうか。義務は私の享楽の本来的な場を、たとえその場が空であれ、保護します。それとも私は嘘に甘んじるべきでしょうか。嘘は、私の享楽という原則を善と入れ代えさせ、私に時によって相手によって言を左右にすることを命じます。つまり、私はたじろいで隣人を裏切り同胞を生かすか、それとも私は、私の同胞を守るという口実で自分の享楽を諦めるか、いずれかということになります」(ラカン「精神分析の倫理・下・14・隣人愛・P.36~38」岩波書店 二〇〇二年)

オルガの口から漏れた手紙の文面「さもないと」。ラカンがカントの命題の中に見出した第二の場合とそっくりそのままであるにもかかわらず今さら誰一人驚かない。少なくとも日本では「驚くということ」を余りにも忘れ去り過ぎてしまっているように思える。不思議なことだ。例えば或る職場で、はっきり発語されてはいなくても、慣例上、一人の国家公務員に向けて上司が「さもないと」、という意味の圧力をかけた場合、次に続く言葉の意味は「《ましてや》」どんなおぞましい事態が待ち受けているか、というスターリニズムが一挙に満開になるようなケースである。この種の問題の問題性には大企業か中小企業か官公庁かなどまるで関係がない。「《ましてや》」を意味する空気が漂った瞬間、すでにその場はスターリンの高笑いに支配されているのと何ら違わないからである。なお、中国の人権問題は何もウイグル自治区だけに限った話ではない。一つ一つ慎重に解決していけばいくほど今度はアメリカの人権侵害が大きく目立ってくる。ロシアも日本も北朝鮮も。

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Blog21・使者バルナバスの不安と手紙〔書類・公文書〕の価値変化

2022年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム
オルガの説明を延々と長引かせている原因は城の機構が複雑過ぎるからではない。オルガの説明は城の機構に関する説明の部分にはなっていても説明を延々と長引かせる原因にはなり得ない。にもかかわらずオルガの話をうんざりするほど長大なものへと長引かせてしまうのはオルガに対するKの態度から到来する。次の箇所はクラム宛のKの手紙とK宛のクラムの手紙がなぜ時間的にも内容面でも倒錯したものへ変換されるのかについて、オルガが語るシーン。

「『なるほど』と、Kは言った。『バルナバスは、命令をもらうまでに、長いあいだ待たされるんですね。それは、わからないことでもありませんよ。どうやら当地には掃いて捨てるほど使用人がいるようですからね。だれもが毎日仕事をもらえるとはかぎらない。あんたがたがそのことで不平をこぼすのは、筋ちがいというものです。おそらく、だれだってそうなんでしょうから。しかし、最後には、バルナバスだって、仕事がもらえる。これまでにも、ぼくに手紙を二通もってきてくれましたからね』。『わたしたちが泣きことをいうのは、まちがっているかもしれません。わたしの場合は、特にそうですわ。すべてのことを話に聞いて知っているだけですし、女ですから、バルナバスのようによく理解することもできません。それに、バルナバスにしたって、まだ隠していることがいろいろあるんですもの。だけど、つぎには、手紙がどういうものか、たとえば、あなたあての手紙がどういうものか、それをお話ししましょう。バルナバスは、こうした手紙を直接クラムから受けとるのではなく、書記からもらうのです。いつでもいいんですが、ある任意の日の任意の時間にーーーだから、この勤めも、一見らくなように見えますが、とても疲れるんです。と言いますのは、バルナバスは、たえず注意をくばっていなくてはならないからですわ。とにかく、ある日のある時間に書記が、バルナバスのことを思いだしてくれて、彼に合図をします。これは、全然クラムが指定したのではないようです。彼は、静かに本に首をつっこんでいるだけです。ときおり、といっても、ふだんでもちょっしゅうしていることなんですが、たまたまバルナバスが行ったときに、クラムが鼻眼鏡をふいていることがあります。そういうときには、あるいはバルナバスの姿を眼にとめてくれるかもしれません。もっとも、クラムが眼鏡をかけずにものが見えるとしての話ですが、バルナバスは、それを疑っています。クラムは、そういうとき、眼をほとんどとじているのです。まるで眠っているようで、夢のなかで眼鏡をふいているとしか見えないそうです。そうこうしているうちに、書記は、机の下に置いてあるたくさんの書類や手紙類のなかから、あなたあての手紙をさがしだします。ですから、それは、そのとき書いたばかりの手紙ではないんです。むしろ、封筒の状態から判断すると、非常に古い手紙で、長いこと机の下に放置されていたのです。けれども、それが古い手紙であるのなら、なぜバルナバスをこんなに長いあいだ待たせておいたのでしょう。そして、おそらくあなたをも。そして、最後には、手紙をも、だって、そんな手紙なんか、いまじゃ反故(ほご)同然なんですもの。しかも、そのおかげで、バルナバスは、けしからん、のろまな使者だという評判をたてられてしまうんです。書記のほうは、もちろん、平気なもので、バルナバスに手紙を渡すと、<クラムからKにあててだ>というだけです。これだけで、バルナバスは退出です。さて、それから、バルナバスは、家へ帰ってきます。息を切らせて、やっとのことで手に入れた手紙をシャツの下の肌身(はだみ)に巻きつけて帰ってくるのです』」(カフカ「城・P.299~300」新潮文庫 一九七一年)

Kとクラムとの<あいだ>に入って両者の連絡役を演じることができるのはバルナバスが城の機構の部分機械として認められているからである。それ以外のことはバルナバス自身にも理解できない。理解できないことがさらなる疑惑の念をバルナバスに抱かせることになってしまっている。さらにオルガがすでに付け加えて述べたように、「しかし、ではバルナバスは、お城でクラムという名前でよばれている役人がほんとうにクラムなのかということを、なぜ疑っているのでしょうか」、という疑惑がバルナバス一家全体に重々しくのしかかっている。その点はわきまえた上でKは差し当たり手紙〔書類・公文書〕が城の内部でどのように取り扱われているかをよりいっそう追求する。オルガは説明を再開する。ところがこれまたオルガの話を延々と長引かせる方向へ働くばかりで一向に埒が明かない。

「『で、手紙のほうは、どうなってしまうんですか』。『手紙のことですか。しばらくしてから、もちろん、そのあいだに何日か、何週間かすぎてしまっていることもありますが、わたしがうるさいほどせめたてると、バルナバスは、やっぱり手紙をとりあげて、とどけに出かけます。こういう走り使いのような仕事のことだけなら、あの子は、わたしの言うとおりになるんです。つまりね、わたしは、彼が話してくれたことの最初の印象さえ消してしまったら、また落着きをとりもどせるのですが、あの子は、たぶんわたしよりも事情をよく知っているせいでしょうが、それができないのです。そういうときは、こんなことでも幾度も言ってやれるのです。<いったい、あんたは、どんなことをのぞんでいるの、バルナバス。どんな人生を、どんな目標を夢みているの。わたしたちを、このわたしをも見すてなくてはならないほどの高い望みをいだいてでもいるの。わたしたちを見すてることがあんたの目標なの。そうおもわざるをえないじゃないの。だって、そうとでも考えなかったら、あんたがこれまでになしとげてきたことになぜひどく不満をいだいているのか、わけがわからないんですもの。まわりを見てごらんなさい。わたしたちの隣人のなかであんたほど偉くなった人がいるかしら。もちろん、あの人たちとわたしたちとでは、境遇がちがいます。あの人たちは、生活をもっと高いところへ引きあげていこうとするなんの理由ももっていません。でも、他人とくらべてみるまでもなく、あんたは万事が文句なしにうまくいっていることぐらいはわかるじゃありませんか。障害もあるでしょう。疑わしいことや失望することもあるでしょう。だけど、わたしたちがとっくに知っているように、それは、棚(たな)からぼた餅(もち)は落ちてこないということにすぎないのよ。どんなにつまらぬものでも、あんたがひとつひとつ自分で戦いとっていかなくてはならないということよ。それは、あんたが誇りを高くする理由にこそなれ、へこたれてしまう理由にはならないわ。それに、あんたは、わたしたちのためにも戦ってくれているのでしょ。それは、あんたにとってまるで意味のないことかしら。それは、あんたに新しい力を鼓吹してくれないの。わたしは、あんたのような弟をもって、とても幸福だし、ほとんど自惚(うぬぼれ)を感じているほどなんだけど、このことも、あんたになんの安心感もあたえないの。ほんとうに、あんたがお城でなしとげたことには幻滅なんか感じないけれど、わたしがあんたにどれだけのことをしてあげられたかということを考えると、あんたにがっかりさせられてしまうわ。あんたは、お城に行くことができるし、いつでも官房に出入りし、一日じゅうクラムとおなじ部屋ですごし、公式にみとめられた使者であり、官服だって要求できるし、重要な書面も配達させてもらえる。あんたは、それだけの人間であり、それだけの信用を受けているのよ。そのあたんがお城から戻ってくると、幸福のあまり泣きながらわたしと抱きあうどころか、わたしの顔を見るなり、すべての力がなくなったみたいで、あらゆることを疑いだす。あんたのこころを惹(ひ)くのは、靴つくりの仕事だけで、わたしたちの未来を保証してくれるはずの手紙も、うっちゃらかしたままにしておくのね>と、わたしは、あの子にこんなふうに言ってやるのです。こんなことを何日かくりかえしていると、そのうちにため息まじりに手紙をとりあげて、とどけに出かけていきますわ』」(カフカ「城・P.301~302」新潮文庫 一九七一年)

これだから官僚制度は破滅的なのだというべきだろうか。とすれば今の日本の官僚制度はカフカ作品の登場人物たちが語っている以上に破滅的だ。つい最近、財務省近畿財務局の職員が自殺し訴訟が起きるという事態が発生した。だがマスコミ報道を見ている限り、ほとんど何もかもがうやむやなまま闇の奥深くへ葬り去られてしまった印象が拭いきれない。現在、日本の国家公務員の総数は約五十八万人。官僚の民間化と民間の官僚化とが手を携えて加速的に進められていく現状だとますます闇は奥深く底はいよいよ無いに等しくなってくるに違いない。日本社会の中で自殺へ追い込まれた職員はこれら諸関係の所産にほかならない以上、職員を自殺へ追いやった責任は、日本の有権者すべてに渡ってすでに分かち持たれているということを忘れてはならないだろう。

ソ連の場合、持ち堪えきれず崩壊することで内部の闇の深刻さがどれほどのものだったか、ようやくあかるみに出された経緯がある。日本はどうか。将来を悲観することなくもっと前向きな<未来志向>で「官僚の民間化と民間の官僚化」が今後何を出現させるかという問題に取り組むのがよりよいのではと思われる。そしてなおかつ、そこにもし深淵が横たわっているなら深淵をもっとずっと奥深くじっくり覗き込み検証することが大切だろう。ニーチェはいう。

「怪物と戦う者は、自分もまた怪物とならないように用心するがよい。そして、君が長く深淵を覗(のぞ)き込むならば、深淵もまた君を覗き込む」(ニーチェ「善悪の彼岸・一四六・P.120」岩波文庫 一九七〇年)

ところでしかし手紙〔書類・公文書〕はどんな行方をたどるのか。カフカは別のところでこう書いている。

「だが、そうはならない。使者はなんと空しくもがいていることだろう。王宮内奥の部屋でさえ、まだ抜けられない。決して抜け出ることはないだろう。もしかりに抜け出たとしても、それが何になるか。果てしのない階段を走り下りなくてはならない。たとえ下りおおせたとしても、それが何になるか。幾多の中庭を横切らなくてはならない。中庭の先には第二の王宮がとり巻いている。ふたたび階段があり、中庭がひろがる。それをすぎると、さらにまた王宮がある。このようにして何千年かが過ぎていく。かりに彼が最後の城門から走り出たとしてもーーーそんなことは決して、決してないであろうがーーー前方には大いなる帝都がひろがっている。世界の中心にして大いなる塵芥の都である。これを抜け出ることは決してない。しかもとっくに死者となった者の使いなのだ。しかし、きみは窓辺にすわり、夕べがくると、使者の到来を夢見ている」(カフカ「皇帝の使者」『カフカ寓話集・P.10』岩波文庫 一九九八年)

短編「万里の長城」の中に同じ文章が組み込まれている。どちらが先でどちらが後かという問題は問題にならない。なぜならカフカが読者に向けて語っているのは「官僚制度・ファシズム・資本主義」と、いずれの場合にしてもどんな個人も漏れなくこれら三つの機構の一つか二つか三つとも同時にか、それらの部分としてあらかじめ組み込まれるほかないということだからである。さらに実際、破格的な速度で実現したネット社会の世界化は、諸個人を「官僚制度・ファシズム・資本主義」すべてが織りなす複合体の部分としての機能を演じるよう変換することに成功した。その動きに伴い言語のシニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)とが常に乖離しているように、一人の人間がずっと一つの職業に就いているのではなくむしろ乖離しており、いつどんな時でも別の職業へ移動するケースを頻繁に発生させるようになってきた。この動きは同時に家庭〔家族〕形態の多様性をさらに拡大する方向へも作用するしますます大きく作用している。血縁関係という絶対主義的結びつきは加速的に姿を消し、血縁関係はどんどん乖離し、逆に血縁かどうかを問題としない無限に多様な形態の家庭〔家族〕を出現させる。これらはすべて同時に進行していく。資本主義の欲望は政治家・財界人・高級官僚たちが口にするより遥かに異次元のレベルで、もっとずっと「善悪の彼岸」を目指す<未来志向>であるほかない。

カフカ「皇帝の使者」から引用したが、「万里の長城」では次のフレーズが続いている。

「このように民衆は絶望と希望のいりまじったまなざしでもって皇帝を見つめている」(カフカ「万里の長城」『カフカ短編集・P.249』岩波文庫 一九八七年)

しかし世界にはもはや全世界の頂点に位置する「皇帝」などどこにもいない。「思想・信仰の自由」の枠内に限り存在するとしても。とすると民衆の「絶望と希望のいりまじったまなざし」が「見つめている」のは一体何なのか。よくわからない。しかし民衆はただひたすら、まったくの絶望ではなくまったくの希望でもない「民主主義<のような>もの」をぼんやり探しているばかりの「宙ぶらりん」状態をさまよっており、今後ますますさまよい続けるほかまるで何一つ見出せなくなっていく。

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Blog21・可動的な官僚制/官僚主義的資本主義/責任者の不在と偏在する責任

2022年01月17日 | 日記・エッセイ・コラム
バルナバスの姉・オルガはバルナバスが出入りを許されている城の官房の様子について語る。一つの部屋ともう一つの部屋とを仕切る「柵(さく)」がある。一つの部屋の中にも柵があるという。柵は無数にあるらしい。諸手続について越えて行かねばならない柵はどれほどあるのか。越えてはいけない柵はどれほどあるのか。さっぱりわからない。従って柵は常に<可動的>である。諸商品の無限の系列のように延々どこまでも引き延ばすことができる。決済はいつどのような方法でなされるのか。誰も知らない。

「『確かに、彼は、官房にはいっていきます。でも、これらの官房は、ほんとうのお城でしょうか。官房がお城の一部だとしても、バルナバスが出入りを許されている部屋がそうでしょうか。彼は、いろんな部屋に出入りしています。けれども、それは、官房全体の一部分にすぎないのです。そこから先は柵(さく)がしてあり、柵のむこうには、さらにべつの部屋があるのです。それより先へすすむことは、べつに禁じられているわけではありません。しかし、バルナバスがすでに自分の上役たちを見つけ、仕事の話が終り、もう出ていけと言われたら、それより先へいくことはできないのです。おまけに、お城ではたえず監視を受けています。すくなくとも、そう信じられています。また、たとえ先へすすんでいっても、そこに職務上の仕事がなく、たんなる闖入者(ちんちゅうしゃ)でしかないとしたら、なんの役にたつのでしょうか。あなたは、この柵を一定の境界線だとお考えになってはいけませんわ。バルナバスも、いくどもわたしにそう言ってきかせるのです。柵は、彼が出入りする部屋のなかにもあるんです。ですから、彼が通り越していく柵もあるわけです。それらの柵は、彼がまだ通り越したことのない柵と外見上ちっとも異ならないのです。ですから、この新しい柵のむこうにはバルナバスがいままでいた部屋とは本質的にちがった官房があるのだと、頭からきめてかかるわけにもいかないのです。ただ、いまも申しあげました、気持のめいったときには、ついそう思いこんでしまいますの。そうなると、疑念は、ずんずんひろがっていって、どうにも防ぎとめられなくなってしまいます。バルナバスは、お役人と話をし、使いの用件を言いつかってきます。でも、それは、どういうお役人でしょうか、どういう用件でしょうか。彼は、目下のところ、自分でも言っているように、クラムのもとに配置され、クラムから個人的に指令を受けてきます。ところで、これは、たいへんなことなのですよ。高級従僕でさえも、そこまではさせてもらえないでしょう。ほとんど身にあまる重責と言ってよいくらいです。ところが、それが心配の種なのです。考えてもごらんなさい。直接クラムのところに配属されていて、彼とじかに口をきくことができるーーーでも、ほんとうにそうなのでしょうか。ええ、まあ、ほんとうにそうかもしれません。しかし、ではバルナバスは、お城でクラムという名前でよばれている役人がほんとうにクラムなのかということを、なぜ疑っているのでしょうか』」(カフカ「城・P.291~292」新潮文庫 一九七一年)

城の内部はそうなっている。バルナバスから話を聞かされていた姉のオルガはそう語る。Kにとっては絶望的な事情だ。永遠の未決状態に叩き込まれる可能性の内部に陥ったことになる。しかしKは諦めるわけにはいかないし、むしろ事情の深刻さについて村人たちよりも軽く考えている。ソ連ができてしばらく経った頃、その官僚主義的機構について事態を軽く見ていた人々がいた一方で、とてもではないが高級官僚に会って公的手続を済ませるのがどれほど困難か絶望の淵に立たされた多くのソ連国民がいた。例えば「クレムリン」という言葉は誰もが知っている。しかしその内部がどのようになっているのか国民にすらはっきりわからないという事態が判明した。いつどこで誰が何をどのように決定しているのかさっぱりわからないと。

またこの事情は「反クレムリン」陣営にも当てはめて考えることができた。諸大国政府が大型公共事業を発注する際、様々な民間企業が事業を請け負うわけだが「いじめ自殺・過労死」など何か問題が発覚した時、その意志決定箇所について追求していくと政府の最高責任者がすでにそれに該当するのかそれとも一次下請けなのか二次下請けなのか三次下請けなのか、あるいはまだもっとずっと下請け企業とその関係機関があり、責任の在り処とそれぞれの現場において決定権を持っている箇所はあっても唯一の決定権者は誰なのかさっぱりわからないという事態が山のように出現した。延々と引き延すことができる<可動的>な柵があるのと少しも違わない。「クレムリン」にせよ「反クレムリン」にせよ、見た目こそまったく違って見えてはいてもそこに属する国民にとってはいずれにしても本当に自分たちの選んだ国家機構が自分達のために動いているのかどうかまるではっきりしないという状態のはざまで戸惑いを隠せない人々が世界中に溢れ返った。両者は対立しつつ、しかしまるで双子の兄弟のように似ていた。オルガは続ける。

「『あなたにこんなことをお話しするのは、自分の胸を軽くし、あなたのこころを重たくするためではありません。あなたがバルナバスのことをおたずねになり、アマーリアがわたしにご説明するように言いつけたからにほかなりません。それに、くわしいことを知っていらっしゃるほうがあなたのためにもなるとおもうからです。さらに、バルナバスのためでもあるのです。あなたが彼にあまり大きな期待をおかけになり、彼があなたをがっかりさせ、さらにあなたの失望ぶりを見てバルナバスがまた苦しむ、というようなことになっては困るからですわ。あの子は、とても感じやすいんで。たとえば、昨夜も一睡もしませんでした。それは、あなたが昨晩あの子に不満の色を見せられたためなんです。あなたは、バルナバスのような使者しかもっていないなんて、なんとも困ったことだ、とおっしゃったそうですね。この言葉が、あの子を眠れなくさせてしまったのです。あなた自身は、あの子がどんなに胸のなかが煮えくりかえる思いをしていたかを、さほどお気づきでなかったでしょう。お城の使者は、どこまでも自制しなくてはならないのです。しかし、これは、あの子にとってらくなことではありません。相手があなたであっても、そうです。あなたのおつもりでは、けっしてあの子に過大なことは要求していらっしゃらないでしょう。あなたは、最初から使者の仕事というものについてきまった考えをもっていらっして、それを基準にしてご自分の要求をはかっていらっしゃるのですもの。けれども、お城では、使者の仕事をもっとべつなふうに理解しているのです。それをあなたのお考えと折りあわせるなんてことは、できるものではありませんーーーたとえバルナバスが自分の仕事に粉骨砕身しましてもね(残念ながら、ときどきそんな覚悟をきめているんじゃないかとおもえることがあるんですよ)。自分のやっていることがほんとうに使者の仕事だろうかという疑問さえなかったら、だれから文句をつけられようと、ただ言うなりになっておればすむことで、つべこべ反論する筋合いじゃないんです。もちろん、あの子としては、あなたにたいしてはそんな疑問を口にするわけにはいきません。もしそんなことをしたら、あの子にとっては、自分の生活を破壊してしまうことになりますし、自分がまだ従っているとおもっている掟(おきて)をめちゃめちゃに踏みにじったことになってしまうでしょう。わたしにたいしてさえ、率直には話してくれないんです。あの子の疑惑を訊きだそうとおもったら、さんざん甘やかしたり、キスをしてやったりしなくてはなりません。その場合でさえも、その疑惑が疑惑であることをどうしてもみとめようとしません。あの子の血のなかに、どこかアマーリアと似たところがあるのですわ。また、わたしは彼に信用されているたったひとりの人間なのですけれど、そのわたしにもなにもかも話してくれるわけではありません。しかし、クラムのことは、おりにふれて話しあいますわ。わたしは、まだクラムを見たことがありませんの。ご存じのように、フリーダは、わたしをあまり好いていません。それで、クラムを見る機会をあたえてくれなかったのです。でも、もちろん、彼の外貌は、村じゅうに知れわたっています。なかには、彼を直接見た人もいますし、噂(うわさ)だけなら、だれでも聞いています。そして、そうした目撃談や噂、それに、事実を捏造(ねつぞう)しようとする下心もいくらかくわわって、いつしかクラム像がつくりあげられてしまいました。このクラム像は、たぶん本物とだいたいのところは合致しているでしょう。しかし、あくまでだいたいにすぎないのです。その他の点は、よく変るのです。といっても、クラムのほんとうの姿がよく変るほどは変らないでしょうが。クラムは、村にやってくるときと、村から出ていくときとでは、まるでちがって見えるそうです。ビールを飲むまえと飲んでからとではちがうし、目ざめているときと眠っているときとでもちがい、ひとりきりのときとだれかと話をしているときとでもちがう。また、そのことから推して知るべしですが、お城にいるときは、がらりと別人のように見えるということです。村のなかにおいてさえ、彼に関するいろんな報告にはかなり大きな食い違いがあります。背たけから物腰や態度、ふとり具合、ひげの形にいたるまで、それぞれ食いちがっています。ただ服装に関してだけは、さいわい、その報告も一致しています。いつもおなじ服装で、裾(すそ)の長い黒い上着を着ているというのです。ところで、言うまでもないことですが、こんなにいろいろな食い違いがあるのは、べつにクラムが魔術を使っているからではなく、しごく当りまえのことなのです。つまり、彼を見た人の、そのときの瞬間的な気分や、興奮の程度や、期待あるいは絶望の無数の度合いなどによって、食い違いが生じるのです。おまけに、クラムを見たといっても、たいていは一瞬間ほどしか見られないのです。いまお話したことはすべて、バルナバスからよく聞かされたことをそのままお伝えしているのです。個人的に直接この問題にかかわりのない人なら、だいたいこれで安心がいくはずです。でも、わたしたちの場合は、そういうわけにはいきません。とくにバルナバスにとっては、自分が話をしている相手がほんとうにクラムであるのか、そうでないのかということは、死活にかかわる問題ですわ』」(カフカ「城・P.292~295」新潮文庫 一九七一年)

城の機構との繋がりだけが生活の拠り所となっているバルナバスの家にすれば、城で絶対的存在とされているクラムが「ほんとうにクラムであるのか、そうでないのかということは、死活にかかわる問題」になるほかない。もしクラムに関する「疑惑が疑惑であること」を認めるとするとバルナバスは「ほんとうの」クラムと接触しているわけでは決してないか、接触しているとしても少なくともそれはまるで無意味だと認めることになってしまう。とすると、これまでバルナバスがやってきたすべての行動の根拠は根こそぎ失われる。しかし城の機構の<掟>に従っている限りバルナバス一家が破滅することはない。宿屋のお内儀もフリーダも助手たちも同様に<疑わない>態度を保持している以上、破滅に追い込まれるような事態はやって来ない。

ところがしかし世界がグローバル資本主義になると状況はずいぶん変わった。血の繋がりがあるかないかに関係なく、多様な形態で構成される家庭〔家族〕のあり方が大々的に出現し承認されるようになってきた。シングルあり、親が再婚して血縁でない子供たちあり、同性愛家庭〔家族〕あり、子供なし犬猫あり、ーーーというふうに家庭〔家族〕の形態は諸商品の無限の系列のようにどんどん発生している。ニーチェはいう。

「さまざまな困難が途方もなく増大してしまっているような生涯というものがある、思想家の生涯がそれである。ここでは、その生涯について何かが物語られた場合には、ひとは、注意深く、耳を傾けざるを得ない、というのは、それを聞いただけで幸福と力が溢れて来、しかも後に来たる者の生活に光が照射されるような、そうした《生の諸々の可能性》について、ここでは語られるのを聞き取り得るからである、ここでは、一切のものが、極めて発明的で、熟慮に充ち、大胆で、絶望的で、しかも充ち溢れる希望で一杯であり、あたかもいわば最も偉大なる世界周航者の旅路に似た観があって、また実際に、生の最も辺鄙なかつ最も危険の多い領域の周航と、同じような趣きをもったものだからである。このような生涯において驚嘆すべきことは、異なった方向に向かって突き進む二つの敵対的な衝動が、ここでは、いわば《一つの》軛(くびき)の下で進むように強制されているという事柄のうちにある。つまり、認識を欲する者は、人間生活が成り立っている地盤というものを、何度でも繰り返し離れ去って、不確実なるものの中へと冒険的に突き進んで行かねばならないし、また、生を欲する衝動の方は、その上に立脚できるほぼ確実な立場というものを求めて、何度でも繰り返し探索してゆかねばならない」(ニーチェ「哲学者の書・哲学者に関する著作のための準備草案・P.404~405」ちくま学芸文庫 一九九四年)

この箇所で「人間生活が成り立っている地盤」とはなんのことか。もはや血縁関係を重視する絶対的必要性は消え失せている。いつもすでに多様な形態を持つ家庭〔家族〕が大量に湧き起こってきており、むしろそれらなしにどんな社会活動もうまく作動することができなくなっている。さらにそもそもグローバル資本主義自身、人間の諸活動を必要としてはいても特に血縁関係を廃棄せよとは言わないが逆に重視せよと言ったこともまた一度もない。

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