新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

キリ番

2013-11-13 22:50:20 | MISIA

きのうの朝、いつものように東名高速港北PAに入っていったとき、クルマの積算距離メーターが、90,000kmを表示していることに気づきました。
どうかクルマを停めるまでこのままでありますようにソロソロとクルマを進め(速度が速かろうが遅かろうが、走行距離には変わりないのですけど…)、駐車スペースに停めたら、、、

131113_1_01

メーターの表示は「90,000km」のままでした
よかった、よかった

こちらで書いたように、「88,888km」を記録したのが10月29日で、「77,777km」6月27日でした。
「4ヶ月で1万km」のペースで、淡々と走行距離を積み重ねています。

この分ですと、来年3月初めには、「99,999km」に、そして続けざまに「100,000km」に達しそうです。
この時も、しっかりと写真に収められるシチュエーションだと良いのですが…

   

131113_1_02 これはきのうの記事の中で書くべきだったと思いますが、今夜は「MISIA 星空のライヴVII -15th Celebration-」能代公演でした。

今回のツアーでは、「生MISIAは初めての聴衆の比率が一番高いかもしれない能代公演、どんなライヴになったのでしょうかねぇ…
の日本海側は寒いけれど、湿度たっぷりなので、MISIAの喉には絶好のコンディションだったと思うのですが…

ちなみに私、能代市に行ったのは、もう数十年前に、親の知人の親戚の家(複雑)に出かけた1回きり(通過 or 乗り換えしただけなら数回あります)。
思い起こすと、実家にいた頃、秋田市より県内南部に出かける機会は結構あったと思いますが、男鹿半島より北には、ほんの数回しかありません…
ずっと小坂町には行ってみたいと思っているのですけど…

そして2年後…:2015/08/11 帰省ドライブ&観光の2日目は超満足 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末に向けての妄想

2013-11-12 23:19:50 | MISIA

11月も半ばになると、年末に向けて、年賀状の検討とか、帰省旅行のスケジュールづくりとか、いろいろ頭を巡らすものですが、その中の一つが、今年のNHK紅白歌合戦


いわゆる「歌謡曲とよばれるジャンルに興味の薄い私ですから、気になっているのはただ一点、MISIAが2年連続で紅白歌合戦に出場するかどうかです。


今年4月のMISIA星空のライヴVII -15th Celebration-仙台公演MISIA体長不良やら、大風による東北新幹線ダイヤの乱れなど、波瀾万丈仙台2daysでしたが(こちらに書いたように、私は初日のみの参加)、そのライヴでのMISIAのMCが記憶に残っています。
ずっとTVの歌番組に出演することがなかったMISIAが紅白歌合戦に出演することになった経緯について、「2012年に、東日本大震災の被災地に住むファンの方から『私は被災地にいるのでライヴに行けない。紅白歌合戦に出てくれたらTVで観られるのに』という話を聞いて、もし、お話が来れば紅白歌合戦に出演しようと思った」(大意)といったことを話していました。


そして、紅白歌合戦でのMISIAのパフォーマンスときたら…


度肝を抜かれた視聴者が多かったのではないでしょうか(私の感想はこちら
NHK紅白歌合戦の公式サイトでも、去年の「ヒストリー」のキャッチコピーは、


131111_1_02_2


77歳の初出場・美輪明宏熱唱!
MISIA アフリカから中継!


デス


やはり、去年の紅白は、初出場のこの二人に尽きると思います、私も…


こうした「NHKの振り返り」と、仙台でのMISIAの発言からすれば、MISIAが今年の紅白にも出演する可能性はかなり高いと思っています
そして、薄弱な根拠から「口パク疑惑」を持ち上げたネット上の「哀れむべき人々」すさんだ心清めるためにも、今年はNHKホールから歌声を響かせて欲しいと思っています


   


ここからは、妄想が疾走するのですが、もしMISIAが今年の紅白歌合戦に出演するとなれば、何を歌うのでしょうか?


去年の「Everything」「明日へ」は、特別出演という位置づけからして、極めて順当な選曲だったわけですが、今年は…
誰にも有無を言わせない「今年のヒット曲ない中で、私が一番期待しているのは、布袋さんが加わっての「Back In Love Again (feat. 布袋寅泰)」
もしも審査員に、「今年もっとも活躍した俳優枠」(あるかどうか知りません)で堺雅人さんが加わったら、この選曲はかなり有望だと思います。


一方、紅組司会者綾瀬はるかさん絡みでは、「逢いたくていま」「約束の翼」か…。どちらも好きな曲だぁ~


「今年の曲」とすれば、「HOLIDAY」「幸せをフォーエバー」なのだろうけれど、ちょいとインパクトに欠ける気がします。いっそのこと、「Daisy」の方が滲みる気がします。
そうそう、TICAD V開催の年だったということで、「MAWARE MAWARE(feat. Doudou N'Diaye Rose)」もあった Doudou N'Diaye Roseさん率いるドラム隊が生出演するってのはどう? でも、一般的に知られていないのが弱点か?


また、NHK絡みでは、朝ドラの主題歌だった「名前のない空を見上げて」なんかいいかも… 玉置浩二さんのバックコーラス付きなんて、贅沢ぅ~
でも、薬師丸ひろ子さんの出演が必至の状況からすれば、この企画はビミョーですな
去年の紅白なら「恋は終わらないずっと」の可能性もあったのだろうけれど、今年歌う理由に乏しい…
それよりも、コブクロとのマッチアップ「果てなく続くストーリー」の方がまだ理屈をつけやすい気がします。この曲の弱点(?)は、去年の紅白でMISIAが歌った2曲と同じ松本俊明さんの曲であること(松本さんは良い曲を書くなぁ…) 同じライターの曲が続くってのはねぇ…


これぞMISIA系では、「THE GLORY DAY」「忘れない日々」「地平線の向こう側へ」といった曲がよろしいかも。


と、ここで、思いつきました。薬師丸さん同様、出演必至キョンキョンのバックコーラスで「夢の底」
と、書いたものの、これは無いでしょ


と、どんどん妄想が広がります。


もっとも、MISIAが今年の紅白に出場しないとなると、土台から崩れるのですけど…


【追記】先週・先々週のMISIA星空のライヴVII -15th Celebration-東北シリーズのどこかの会場で、MISIA「今年の紅白には出ません」と語ったことを知って、かなりしぼんでいた私の妄想、きょうの紅白出場歌手の発表で完全に息の根を止められてしまいました


あ~あ…デス。 (2013/11/25 20:48)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬が来た…かも

2013-11-11 22:56:38 | 日記・エッセイ・コラム

私の故郷で「平年より2日、昨年より7日早い(秋田さきがけ)初雪が降ったというきょう、首都圏でも、午後3時頃を境に、一気に寒くなりました


関東では「木枯らし1号が吹いたそうで、帰り道の環八高井戸付近では、路上に枯葉が舞っていました。
そして、自宅に帰り着いたら寒いのなんのって…
今夜からパジャマ長袖のものにしようかなと思っています(実は、まだ半袖だったんです)。


「木枯らし1号関連のニュースを見ていたら、近畿地方では既に6日前に記録していたそうで、私としてはえっ です。

なんとなく関東よりも関西が暖かい気がして、当然、「木枯らし1号関東の方が早いと漠然と考えていたのですが、Wikipediaを見ると、基本的には先に関西の方で「木枯らし1号が吹いているようです。
知りませんでした
そういえば、例年、の開花も関東の方が早かったっけ…


   


この冷え込みで、つい3日前には「まだまだ…だった東京国立博物館(東博)の庭園(こちらの記事をご参照方)も、一気に紅葉が進んで、今週末には見頃になっているかもしれません。いや、再来週末くらいかな…


きょう届いた東博からのメルマガによれば、


いよいよ明日から、国宝 観楓図屏風狩野秀頼筆 室町~安土桃山時代・16c)を公開します。(11/12(火)~12/8(日) 本館2室国宝室)


だそうで、既に総合文化展では「秋物」が目につく中、少なくとも東博の館内「秋本番になっていそうです。


131111_1_01


う~む、、、どうしましょうか…

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひたすら東博を歩き回った一日(後編)

2013-11-10 10:39:11 | 美術館・博物館・アート

「ひたすら東博を歩き回った一日(前編)」にひきつづき、東京国立博物館(東博)の建物の外から話を始めます。


京都御所紫宸殿「左近の桜 右近の橘」ちなんだか、東博本館の前庭には、「左近の桜 右近のユリノキ」が鎮座しています。
ユリノキは現在も堂々とした姿を見せていますが、心配なのが「左近の桜」ことヨシノシダレです。


2010年4月には、


131110_1_01


こんもりと多くの花が地面に届くくらいに咲いていたのに、今年の春は、


131110_1_02


まだ早い時期とはいえ、花芽のついていない枝が目立っていて、樹勢の衰えが気になっていたのですが、そのヨシノシダレ、きのうは、このようになっていました。


131110_1_03


バッサバッサ剪定されていました
大手術を施したようです。


今後数年は、往時のような華やかな姿を拝見することができないのは必至ですが、どうか元気を取り戻して欲しいものです
絶対にこちらイヌツゲのようになって欲しくありません


131110_1_04 それにしても、どうしてこの「イヌツゲ」がこんな状態で植えられているのでしょうか?
完全に枯れているようにしか見えないのですが…


ところで、このイヌツゲ の近く(東洋館前)で、こんなを見つけました。


131110_1_05
実の見た目はブルーベリーのようですが、葉っぱの形はブルーベリーとは違うみたい…
ちょいと摘んで味見してみればよかったかもしれませんが、さすがにそこまでは…


「実」といえば、表慶館の南側では、カリン大きな実をつけていました。


131110_1_06


一方、本館脇のスイフヨウが見頃を迎えています。


131110_1_07


キレイですなぁ~


131110_1_08


「スイフヨウ(酔芙蓉)」の説明板には、「花は白色一日花で夕方には酔った人の顔のように赤く変わる」とありますが、こちらなんか、始めから赤いと思うのですが…


131110_1_09


   


以前、東博の入口(正門)を入ってすぐ右手に藤棚があって、その周辺が休憩コーナーになっていました。
喫煙可でしたので、私は自販機で買った飲み物を片手にベンチに腰掛けて一服することを慣例にしていました。眺めも良かったですし。


131110_1_10


ところが、私のお気に入りのスポットだったこの場所では、現在、整備工事が行われていて、囲いが巡らされています。


131110_1_11 来年春の完成を目指してリニューアルを図っているようです。
完成予想図を見ると、なんとなく京都国立博物館(京博)入口(南門)のようなイメージですな


それはともかく、この囲いのおかげで、上の写真に写っている朝鮮の石像(文官)酷い目にあっています
こんな具合…


131110_1_12 東博版「嘆きの壁」って感じでしょうか


リニューアル工事の竣工を一番心待ちにしているのは、このお二人かもしれません。


そろそろ、東博の館内のお話を書こうと思うのですが、その前に、本館正面のゴミ箱の写真を載せておきましょう。


131110_1_13 何かいる


一匹のカマキリが頭を下にゴミ箱の側面に佇んでいらっしゃいました。


131110_1_14 こんな場所で獲物を待っていても、目立ちすぎて、ハンティングには適さないと思うのですが…


   


ようやく特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」鑑賞のことを書きます。


131110_1_15 二度目の鑑賞となる今回のお目当ては、何といっても、前回観ることのできなかった洛中洛外図屏風「歴博甲本」「福岡市博本」「池田本」です。


前回(記事はこちら)に比べて、遙かに多い人出で、作品にへばりついて拝見することは叶いませんでしたが、今回も個性豊かな4作品(上記の3作品+全会期展示の「舟木本」)を楽しませていただきました


コンプできた7作品を、いつものように「お持ち帰りできるとすれば、どの作品を頂戴するか」という観点からふり返ると、かなり悩ましい


現実的には、6曲一双の屏風を頂戴しても、自宅で広げて観ることは絶対に不可能ですが(「腰屏風」という小ぶりな「福岡市博本」ならなんとかなりそう)、あくまでも妄想として(どこまでも妄想ですが…)検討すれば、最古らしく華やかさと同時に渋さも秘めた「歴博甲本」も捨てがたいところですが、最終的には、躍動感と生命感にあふれた「舟木本」繊細な筆致が際立つ「上杉本」一騎打ちになってしまいます。
一方、「歴博乙本」雲量が多すぎるし、「勝興寺本」「池田本」「置上げ」と呼ばれる技法で描かれた金雲のモコモコ感好みでないし、「福岡市博本」は「洛中洛外図」にしてはクローズアップ過ぎる点で、ちょっと…です。


そんなわけで、「舟木本」「上杉本」とは甲乙つけがたく、両方を鑑賞用のお屋敷付きで頂戴したいと存じます。到底叶わない妄想ではありますが…


   


ところで、特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」の開催を記念して、10月17日の一夜限りで、東洋館をスクリーンに「プロジェクションマッピング」が行われました。



ホントは前日16日も開催される予定だったのですが、伊豆大島を始め多くの被害をもたらした台風26号の影響で中止になってしまい、結果的に「一夜限り」のイベントになってしまった由。


131110_1_16 このプロジェクションマッピングが、その規模を縮小して再現されているのだそうです。


10月17日に行われた「洛中洛外図屏風 舟木本」3Dプロジェクションマッピング、大反響にお応えし、夜間開館限定で25分の1スケールで再現。


だそうで、表慶館1階には、その仕掛けがありました。


131110_1_17 実際のイベントと同様、東洋館(1/25模型)をスクリーンにして投影するようです。


凝ってますなぁ


とても惹かれる話なんですが、丸ノ内勤務だった頃ならいざ知らず、今の職場からは、金曜日の17:00~20:00東博に行くなんて、普通の勤務では無理です

先週の3連休なら行けたのですが、こんなイベントがあることを知ったのはきのうのこと


う~ん、、、残念だなぁ~悔しいなぁ~


普通の開館時間にもやってできない話ではないでしょうけれど、東博としては、レア感を打ち出して、夜間開館時の入場者を増やそうという魂胆(失礼)なのでしょう。


残されたチャンスは、11月15日、22日、29日の3回です。
興味を持たれた方はお見逃しなく


それにしても、残念だなぁ~悔しいなぁ~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひたすら東博を歩き回った一日(前編)

2013-11-09 21:51:07 | 美術館・博物館・アート

10月22日の記事「京都でも見ることができない京都。(後編)」で、


本気で、後期(11月6日~12月1日)にもう一度観に行こうかな とさえ思っています。


と書いた特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」を観に、東京国立博物館(東博)に行ってきました。


131109_1_01


紅葉が始まっています。
が、上野公園紅葉は、本番はこれからです。
東京文化会館前のいちょうはこんな具合ですし、


131109_1_02


上野動物園前のはこんな具合


131109_1_03


そして、恒例秋の公開が開催中の東博の庭園も、


131109_1_04


到底「見頃と呼べる状況にはありませんでした。
あと2週間は待つ必要がありそうです。


   


さて、二度目の特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」、前回、東京国立博物館パスポートを買い替えて観覧しましたので、今回はパスポートは使えません
そこで事前に購入していたのがこちら、


131109_1_05


リアル宝探しゲーム「ミステリアルミュージアム」付チケットというものです。


131109_1_06
これは、


東京国立博物館の敷地内を巡り、隠された秘宝を探し出すリアル宝探しゲームです。
難解な謎を解き明かす手がかりは、「重要文化財 洛中洛外図屏風 舟木本」。
この屏風絵から手がかりを得ることで【宝の在り処】を導き出すことができます。
見事、宝を探し出した参加者には、抽選で豪華賞品もご用意しております。


というイベントで、きょうの東博の構内では、このイベントのリーフレットを持った人たちが行き交ったり、群がったりしていて、知らない来場者は、「何してんの、この人たち?」といった風情でした。
私は、先月、東博に来て、無料券を使ってミュージアム・シアターを観ようと、東洋館地下1階にいったところ、このイベントの「ゲームキット受取場所」があって、初めてその存在を知った次第
恐らく、一般的には知られていないイベントだと思うのですが、それにしては、イベント参加者の多かったこと
「リアル宝探し」ファンが、ドッ東博にやって来たのかもしれません


で、私が「宝を探し出したか、、、といいますと、、、なんとか見つけることができました


不本意ながら「ヒントシートを使って…
これ、難しい


最初のステップはまったく問題なく、中盤のひっかけも難なくクリアして、終盤近くまでは、結構すんなりと進むことができたのですが、最後のところ(だと思っていた)で行き詰まりました
手がかりを求めて、どれほど東博の構内を歩き回ったことか…
心身共に疲れてしまって、完全にに突き当たってしましました


ついに、「ゲームキット受取場所」に戻って、屈辱ヒントシートをいただき、そこからはスポット最短距離で移動してゴールできました。


んで、「豪華賞品」はどうだったかといいますと、、、、抽選の結果、末等で、


131109_1_07 「タカラッシュ!カード」「京都―洛中洛外図と障壁画の美」割引券(100円引き)だけ…

このイベント参加に費やしたお金通常の観覧料+100円デス)、時間体力を考えれば、あまりにも報われていない気がしますけれど、ヒントシートに頼ってしまったことを考えれば、因果応報ということかもしれません


このイベントは、明日が最終日です(この記事を書き始めてから気がつきました 危ない)。


難しいけれど、なかなか楽しめますぞ


つづきでは、この日の特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」の様子ほかについて書く予定です。


つづき:2013/11/10 ひたすら東博を歩き回った一日(後編)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お城と温泉の四国旅行記(その16・最終回)

2013-11-08 23:00:14 | 旅行記

「お城と温泉の四国旅行記(その15)」のつづき、四国旅行記の最終回です。

私の旅行のパターンとして、目的地に着くと、観光案内所で観光地図を手に入れて、そして、ホテルでは割引券の類はないかとキョロキョロします。

131106_1_03 松山でも、松山駅構内にある観光案内所ガイドマップを手に入れて、重宝しました

そして、ホテルのロビーではこちらget

131106_1_01 愛媛県美術館で開催中だった「浮世絵の美 平木コレクション名品展」のフライヤーです。

フライヤーの右下が欠けていますねぇ。
ここにあったのが、、、

131106_1_02

 

この展覧会の割引券です

「本券ご持参の方は当日料金より100円割引」で、もともと1200円と、首都圏の感覚からは安い観覧料が、更に100円引き
「浮世絵の美 平木コレクション名品展」には、下調べの段階で「行ってみようと思っていましたから、いわゆる「渡りに船」ってヤツです

時にはアクシデントを引き起こしたりもしますが(こちらの記事をご参照方)、ハサミもセットされたアーミーナイフって役に立つんです

131106_1_04_2

   

そんないきさつがあった後、城山から「下山」した私は、「今回の四国旅行最後の観光スポット」にした愛媛県美術館へと向かいました。

131106_1_05

ガラスウォールに松山城が映っていますねぇ。

館内からは松山城がこんな風に見えました。

131106_1_07

ロビーからの眺めがこれほど良い美術館って、そうそう無いと思うのですが、いかがでしょうか?

   

さて、この展覧会「浮世絵の美 平木コレクション名品展」は、

実業家・平木信二氏の収集品に基づき、昭和47年(1972)に設立された平木浮世絵財団は、日本屈指の良質な浮世絵コレクションを所有することで国内外に知られています。第2次大戦以前、日本国内の三大浮世絵コレクションとして知られた「松方コレクション」が東京国立博物館に所蔵された一方、平木氏は「斎藤コレクション」「三原コレクション」を散逸の危機から救い、収集の礎としました。これらは、旧松方コレクションとともに、浮世絵版画としては唯一、重要文化財作品を含みます。
平木コレクションは、特定の時期や絵師に偏ることなく、浮世絵の歴史を体系的に通観できるよう形成されているのが大きな特徴です。本展は6,000点に及ぶコレクションの中から、重要文化財・重要美術品のみ計145点を厳選するというかつてない贅沢な内容です。鳥居派を中心とした錦絵誕生以前の初期の貴重な作品から、鈴木春信、喜多川歌麿、東洲斎写楽ら錦絵黄金期の巨匠たち、そして葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳ら幕末期のスター絵師まで網羅した、浮世絵の真髄を鑑賞する貴重な機会となるでしょう。

と、「これを見逃してなるものかと思わずにいられない触れ込みです。

んでもって、結論を書いてしまうと、私としては、ちょっと… な内容でした。

131106_1_08  お好み春信の作品がこれまで観たことがないほどたくさん展示されていて、ドキドキしながら思う存分楽しんだり、写楽の作品では雲母(きら)刷り華やかさに感嘆したりもしたのですが、途中からお腹いっぱい、ありていに言えば、飽きてしまいました

どうしてこうなったのか、よく判りません。
四国旅行も終盤にさしかかって、心身とも疲れていたからかもしれません。

せっかくの作品群が、私にはちょいともったいなかったかも…。

   

企画展浮世絵の美 平木コレクション名品展よりも、常設展の方が面白かったデス、私の場合…

常設展で、ある作品4年半ぶりに再会できました
こちらの記事で書いた「日本の美術館名品展」@東京都美術館で拝見して、同展の図録の表紙にもなったピエール・ボナール「アンドレ・ボナール嬢の肖像 画家の妹」です。

131106_1_09

「どうも、お久しぶりです…」アンドレ・ボナール嬢ワンコたちに、心の中で挨拶しました。

また、ミュシャ「メディア」も良かった…

縦2mを超える大画面の中で、わが子を殺害した直後のメディア(サラ・ベルナール)の見開かれた目の迫力ときたら…

131106_1_10
こんなポスターを目にしたら、「これを見逃してなるものかと思ってしまうこと必至ですよ…

ちなみに、現在、愛媛県美術館では、「ミュシャ展 パリの夢 モラヴィアの祈り」開催中です。

この展覧会のフライヤに(図録にも)使われている「夢想」、なんともかわいらしいですなぁ~

131106_1_12

   

そして、忘れちゃならないのは、松山出身の杉浦非水

杉浦非水は大正~昭和初期に活躍したグラフィックデザイナーで、代表作の一つ、東京の「地下鉄開通」(1927年)のポスターをご覧になったことのある方は多いのではないでしょうか。

131106_1_11 この時代大正~昭和初期「モダン」って、「永遠のモダン」ではなかろうかと思っています。

中途半端に前の流行は、結構かったりするものですが地下鉄のポスターにしても、三越のポスターにしても、杉浦さんの「モダンさ」は、誰がなんと言おうと、絶対にCool

こんな巡り会いのあることは、地方の美術館を訪れる楽しみの一つです。

131106_1_13

常設展にかなり満足した私、美術館の中庭で一服した後、預けた荷物を受け取るためにホテルに向かったのですが、途中、お堀で羽を休めるに注目

131106_1_14
この黒い鳥、調べると、カワウのようです。

こちらのブログでは、この鳥(カワウ)アップでご覧いただけます。

それにしても、カワウが休んでいる「板」は何なんでしょうか?
傾斜がつけられているのは、何かわけがあってのことなのでしょうけれど、まったく判りません。
もしかして、この「板」は、水鳥の休憩場所として作られたのでしょうか?

この「板」について事情を御存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただければ幸いです。

   

私は、ホテル近くのバス停「愛媛新聞社前」から空港リムジンバスに乗って空港に向かうつもりで、事前に時刻表をチェックして、バスの到着を待っていました。

131106_1_15

と、やってきたのは、松山空港行きの路線バス

松山空港松山市街から近く、リムジンバス路線バスとは所要時間ほとんど差はないし、途中で追い越しもないとのことでしたし、楽々と座れる状況でしたので、この路線バスに乗って空港に向かいました。

確か、運賃も、どちらも400円で同じだったはずですが、バスの運賃表示板に出ている運賃は、ずっと初乗り運賃の150円のまま
途中からジワジワと運賃が上がり始めましたが、携帯で見る現在位置空港の場所を見ると、このペースならばとても400円に到達するとは思えませんでした。
こりゃラッキーと思ったのですが、、、空港に近づくにつれて、運賃上昇率は上がっていき、結局、空港に着くと運賃400円と表示されていました…

そして、空港に着いたとき、乗客は私ひとりでした

これって、得したのか、損したのか…

と、まぁ、無事に空港に到着できて、マイレージ特典で予約していた便に乗れましたから、全然問題はありません

131106_1_16

こうして、2泊3日の四国旅行を終えたのでございました。
とっぴんぱらりのぷう です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東北ぅ~!

2013-11-04 23:11:36 | MISIA

きょうの午前中、洗濯機を回しながら、昨夜予約録画していたNHKスペシャル「至高のバイオリン ストラディヴァリウスの謎」を観ていました。


史上最高の弦楽器とされる「ストラディヴァリウス」。17世紀イタリアの天才職人アントニオ・ストラディヴァリが製作したバイオリンで、約600挺が現存する。1挺の値段はいまや数億円。現代最高の名手たちから今なお愛され続けている。しかし、その美しい音の秘密はヴェールに包まれたままだ。世界中の職人や科学者がなんとかその謎を解き明かそうとしのぎを削っているが、今もってその答えを見つけた者はいない・・・。
いったいストラディヴァリは楽器にどんな魔法をかけたのだろうか。自身もストラディヴァリウスを弾くニューヨーク在住のバイオリニスト・五明カレンさんとともに、“至高の楽器”に取り憑かれた世界中の演奏家・職人・科学者たちの300年にわたる伝説と挑戦を追う。


131104_2_02 というもので、いかにもNスペらしい、多角的かつ丁寧に作られた番組で、非常に興味深く見入っておりました。


ストラディヴァリウスの響きを最も楽しんでいるのは聴衆ではなく演奏者本人であること、ストラディヴァリが生きていた頃の木材(スプルース)が小氷期を経てより年輪の詰まったものであったこと、数多くの職人や科学者の努力をもってしてもストラディヴァリウスが300年もの長きにわたって「至高の楽器であり続けていることなどなど、見応えのある番組でした
以前、こちらの記事で、


精巧な模造品をつくるということは、オリジナルを分析して、同じ材料を集めて、当時と同じ手法で再現するということ。以前もこのブログで書いたと思いますが、技術は着実に進化するとしても、技能と感性は「その人」一代限りです。


と書きましたが、改めてその思いを強くしました。


そうそう、メトロポリタン美術館ストラディヴァリウスを含む楽器のコレクションまで持っていたことをこの番組で初めて知りました
まったくもって、「恐るべしメトロポリタン美術館です


131104_2_01 番組では、メトロポリタン美術館以外にもストラディヴァリウスを収蔵する博物館が登場しましたが、展示ケースの中にたたずむバイオリンたちを見て、のだめカンタービレ桜ちゃん(TVドラマ版では元ダルビッシュ夫人サエコ(現・紗栄子)が演じていましたっけ…)のお父さんを思い出しました。


楽器は弾かれてナンボですよねぇ~。


この弁でいえば、茶道具なんぞも、保有・展示されるだけでなく、お茶会で使われることを制作者も茶道具自体も望んでいるのではなかろうかと思ったりして…


このように、想像の羽根を広げながら楽しんでいた「至高のバイオリン ストラディヴァリウスの謎」だったのですが、結構感動的な場面で、「ニュース速報」のテロップが…


そのニュースとは、、、


131104_2_03


プロ野球 楽天が初の日本一
日本シリーズで巨人を破る


というもの。
これって、TV番組にテロップを入れて速報するべきニュースですか?
注意喚起のチャイムを入れなかっただけマシかもしれませんけれど、日本シリーズに興味を持っている人は、他のチャンネル生中継を観ているか(私はこのパターン)、テレビ放送のない地域ではラジオに耳を傾けていたでしょうから、NHKスペシャルを観ていた人の圧倒的多数にとっては邪魔以外の何ものでもなかったと思います。


かなりムッとした私は、「至高のバイオリン ストラディヴァリウスの謎」再放送(11/07[木] 00:40-01:40@NHK総合)を録画予約しました


   


と、私の気分を害した「楽天が初の日本一」というニュース速報ですが、楽天が讀賣を破って日本一になったことは、大きな喜びでした


131104_2_04


なんてったって私は元仙台市民、いやいや、生まれも育ちも東北生粋の東北人ですから


「楽天」という企業グループに対しては、こちらこちらで書いたように胡散臭さを感じている私ではありますが、東北楽天ゴールデンイーグルス日本一には心底喜んでいます


   


ところで、TVニュースでは「東北のチームとして初の日本一」と報じていました。
確かに東北のプロ野球チームとしては初めての日本一北海道をフランチャイズとする北海道日本ハムファイターズには先を越されましたけど…


そういえば、高校野球も、「優勝旗が白河の関を越えるのはいつか?」「東北で初の高校野球日本一はどの高校か?」なんて、長らく期待と落胆を繰り返していたところ、あれ と一気に優勝旗を津軽海峡を越えて北海道に、しかも2年連続で持っていってしまったのは、田中“マー君”将大投手がいた駒大苫小牧高校でしたっけ…


   


話を今年の日本シリーズに戻すと、なかなか面白いシリーズでした


中でも、ラジオ⇒TVハシゴ観戦(聴戦)した、星野監督「今日ほど、しびれたゲームはないね」と語った第5戦の熱闘は、久しぶりに野球を楽しめたと思っています。


私、シリーズMVP則本投手に違いない と思っていたのですが、結局なにもなし
これは解せないゾ


   


東北絡みとしては、今夜から「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration-」東北・北海道シリーズが始まりました。
青森(今夜)⇒帯広(11/6)⇒札幌(11/8)⇒能代(11/13)⇒郡山(11/15)⇒水沢(11/20)と、6都市を巡ります。


このうち、能代水沢「奥州市」という市名は酷いと思う…)は初MISIA郡山98年10月以来15年振り
参加される方には思う存分、生MISIAをお楽しみいただきたいものです
つくづく能代公演に行けないのが残念です…

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お城と温泉の四国旅行記(その15)

2013-11-04 10:10:11 | 旅行記

「お城と温泉の四国旅行記(その14)」のつづきです。

現在、松山の市街地から松山城の本丸を目指す登城道は4つあります。
この4つの登城道は、明治末期の地図を見ても、しっかりと描かれています。

131104_1_01

城山の北西から登る道が古町口登城道、東からの道が東雲口登城道、南西から登る2つの道の北側が黒門口登城道で、南側が県庁裏登城道です。
この4つの登場道のうち、県庁裏登城道「大正の終わり頃」に作られた道で、東雲口登城道「その15」で書いたように「築城当時、瓦・木材・及び石材等の資材を運搬するために作られた道」で、古町口登城道二ノ丸史跡庭園近くで見かけた説明板によれば、「言わば裏道であり、大正の初めころに広げた道です」ということで、残った黒門口登城道公式の登城道ということになります。

131104_1_02 もっとも、黒門口登城道にしても、

黒門口登城道は、慶長年間(1600年頃)に建造された二之丸から本丸への通路であったといわれています。しかし、明治17年堀之内が兵営となり閉鎖されてしまいました。それ以来人の通ることもなく、道は荒廃し、雑草、雑木が自ずとおおい茂って林になってしまいました。
それが、昭和44年の春に改修を完了して、再び登城道として私たちの前に現れました。

という経緯を辿っています。

黒門口登城道は4つの登城道で一番距離が短い、ということは、一番坂道がキツいわけで、2週間前に酷い風邪に苦しんだ身としてはちょいと不安でしたが、江戸時代の松山藩の皆さんの気分を味わいたくて、登ってみました。

131104_1_03 お城の中とは思えない山道で、暑からず寒からずの良い季節でよかった…と思いながら、ふと、江戸時代にはお殿様はどうやってこの道を登ったのだろうかと考えました。

トレーニングを兼ねて歩いた? 馬に乗って登った? はたまた駕籠に乗って登った?
こんな急坂を駕籠で登るのは、担ぐ方も大変だし、乗る方も楽ではなかったでしょうナ。

ところで、登城道の序盤にこんな立て札がありました。

131104_1_04 城山の樹木についての説明なんですが、

標高132mの城山は、松山市街の中央に位置してどこからも眺めることのできる、松山市の象徴である。
加藤嘉明は慶長7(1602)年築城を始めたころははげやまであったが、その後アカマツが植林されて山一面を覆い松の山になったと伝えられている。
(以下略)

今ではが美しい城山が、400年前は「はげやま」だった、言い換えれば、人の手で緑の美しい城山をつくったとは、驚きです。

それはさておき、写真のタイムスタンプを見ると、二之丸史跡庭園四足門の写真(逆光がキツい…)が「13:24」で、

131104_1_05

つづら折りの道をヒーヒー言いながら登り、

131104_1_06

おぉ終点が近い と盛り上がりつつ、

131104_1_07

大手門跡付近の案内板の写真のタイムスタンプは「13:33」でした。

131104_1_08

あれ? 10分かかっていない
もっと長い時間歩いていた気がするんですが…。
やはり、楽しい時間はあっという間に過ぎるし、難行・苦行は時計の針の進みが遅くなるんですな…

   

さて、長者ヶ平六実庵で一息入れた後、さっそく「下山」です。

131104_1_09帰り道は県庁裏登城道

黒門口登城道に比べて、道幅が広くて、しかも、傾斜が緩い。途中、ベビーカーを押して登るお母さんを見たくらいです。

更に県庁裏登城道には、松山城名物の一つ、「登り石垣」を間近に見ることができるという特典があります。

131104_1_10 説明板によれば、

登り石垣は、山腹を登るように築造された石垣のことです。松山城では、山頂の本丸と山麓の二之丸との間にある大きな空間への寄手(よりて:攻めてきた敵の兵士や軍勢)の侵入を防ぐため、それらをつなぐように南北2本一対の登り石垣が設けられています。地形にあわせ、出隅、入隅、鎬隅が巧みに組み合わされています。
登り石垣上には、渡塀や二重櫓が備えられていました、北登り石垣は、明治時代以降に破壊され、ごく一部しか残っていませんが、南登石垣は、ほぼ完全に残っており、総延長は230m以上に及びます。登り石垣は、洲本城、彦根城などにも見られますが、松山城のものが全国で最大規模を誇ります。

だそうで、その登り石垣の一部がこちら。

131104_1_11

もう1枚。

131104_1_12

大変な工数をかけて造った登り石垣でしょうけれど、役に立ったのでしょうか?
もっとも、性格上、役に立つ場面が生じなかった方が、お城や藩士たちにとっては幸せなことでしょうけれど…

こうして、二之丸まで降りてきました。

131104_1_13

   

ところで、この「県庁口登城道」、その名のとおり愛媛県庁のすぐ裏を通っているのですが、愛媛県庁(本館)はかなり印象的な建物でした。

131104_1_14

県のHPによれば、

愛媛県庁本館は、愛媛県誕生後4代目の庁舎として、昭和4年に竣工(完成)しました。
その特徴は、中央にドームを配した左右対称の構えで、空から見ると鳥が翼を広げた形で、どっしりした中にも優しさと美しさが感じ られるデザインです。アーチや装飾が多く取り入れられ、格調高い雰囲気を出しています。
知事が執務する庁舎としては全国で3番目に古く、国会議事堂(昭和11年竣工)より古い建物です。

だとか。

聖徳記念絵画館(1926年竣工)を連想する風情ですが、ひたすら陰鬱なムード聖徳記念絵画館と違って、こちらは威厳だけでなく、華やかさを併せ持っています。

131104_1_15

ということで、次は今回の四国旅行最後の観光スポット愛媛県美術館です。

つづき:2013/11/08 お城と温泉の四国旅行記(その16・最終回)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お城と温泉の四国旅行記(その14)

2013-11-03 13:58:25 | 旅行記

「お城と温泉の四国旅行記(その13)」のつづきは、道後温泉と同様に2日連続となる松山城の探訪記です。


前日、松山城大天守まで登るにあたっては、「その9」「その10」で書いたように、往復ともリフトを使ったわけですが、リフトとロープウェイの終点、長者ヶ平から本丸に向かう途中、リフトとロープウェイのルートと絡み合うのが東雲登城道で、「築城当時、瓦・木材・及び石材等の資材を運搬するために作られた道」だとか。
つまり、お殿様や家臣が日常生活・執務していた二之丸・三之丸から本丸に登るのは別のルートだったということ。
その公式登城ルートを登ってみようじゃないかという次第です。


   


その前に、「二之丸史跡庭園」を訪れてみました。


131103_1_01


二之丸・本丸への入口となる黒門跡を通り、


131103_1_02


栂門跡を通り、


131103_1_03


槻門跡を抜けると、二之丸の建物が間近に見えてきます。


131103_1_04


この付近の石垣の石積みが見事です。


131103_1_05


道はここで本丸に向かう道二之丸に向かう道に分かれますが、とりあえずは右に曲がり、「二之丸史跡庭園」へ向かいました。


ここで当日のルート城山公園案内図の上にマッピングしてみましょう。
赤い線往路青い線復路です。


131103_1_06


さて、多門をくぐると二之丸


131103_1_07


入園料100円をお支払いし、


131103_1_08


まずは多門櫓内の展示室を見物しました。
私、このサイズのジオラマに目がないんです


131103_1_10


私が通ってきた多門櫓は上の写真の右端に切れている部分で、その左上の白い部分奥御殿跡、左半分が表御殿跡だそうです。写真の左上の「田の字」が二之丸の最重要スポット「大書院」ですか?
ということは、多門勝手口みたいなもので、二ノ丸の正門は画面左側の真ん中に見える門(四足門)ということになりますな。


131103_1_17


ということで、奥御殿跡から散策してみましょう。


と、、、、


131103_1_11


何ですか? この浄水場のような眺め


一方、表御殿跡には、様々な柑橘類が植えられています


131103_1_12


カラマンダリンとか、


131103_1_13 レモンとか、そしてもちろん伊予柑


131103_1_14


この池(プール)とか柑橘類とか、何を示しているかといいますと、のリーフレットによれば、こんな意味がありました。


二之丸史跡庭園は、松山城二之丸跡の敷地約1.6haを史跡庭園として整備したもので、平成4年5月に開園しました。
庭園内部は古い絵図や発掘調査に基づいて、二之丸邸の間取りを遺構の上に表現したもので、部屋の間取りの中に各種の柑橘や四季折々の草花を植えた「表御殿跡柑橘・草花園」と、部屋の間取りの中を水が流れる流水園と大きく分かれています。


ということで、通路が廊下跡池や植物が植わっている場所が部屋の跡というわけです。

ひとつのアイデアではあるでしょうけれど、往時の姿を偲ぶのはかなり難しい


131103_1_15


それでも、表御殿跡に残る大井戸壮観でした
いやいや、壮観どころではなく、井戸と呼ぶには常識外のデカさ


131103_1_16


説明板によれば、


昭和59年より発掘調査が行われ、大井戸が発見されました。井戸の東半分が床下になり、その上を囲炉裏で火をおこしていた「焚火之間」が覆っており、井戸の石段を上ったところにある一段低いところが、床下通路跡です。火災の際には、木桶で水を汲み上げ、それぞれの階段から通路を経て迅速に火災現場に運搬するという、松山城二之丸御殿の消火システムはこの時期においては、全国的にも例を見ない「優れもの」であったようです。
一日に一寸水が湧くと言われていますが、現在は基礎の木組みを見せやすくするため、ある程度の量を保つよう自動排水しています。


と、日常生活用というよりは、防火水槽の役割を果たしていたようです。
ちなみに二之丸御殿は、


明治時代になって一時期、二之丸邸は藩庁・県庁として使われましたが、明治5年(1872年)に火災により焼失し、二之丸邸は270年余りにわたるその歴史の幕を閉じました。


だそうで、明治の火災では役立たなかったんですねぇ…


ということで、二ノ丸史跡庭園を後にして、黒門登城道から本丸を目指します。


つづき:2013/11/04 お城と温泉の四国旅行記(その15)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お城と温泉の四国旅行記(その13)

2013-11-02 22:39:09 | 旅行記

「お城と温泉の四国旅行記(その12)」ではなんとなく四国旅行3日目(2013年10月14日)に突入してしまいましたが、ここからは正式に旅行最終日(3日目)のお話です。


まず、いつもの「行程」から。


ホテル⇒西堀端電停路面電車道後温泉駅⇒徒歩道後温泉本館⇒徒歩道後温泉駅路面電車県庁前電停⇒徒歩城山公園堀之内地区二之丸史跡庭園⇒徒歩(黒門口登城道長者ヶ平⇒徒歩(県庁口登城道)⇒愛媛県美術館⇒徒歩⇒ホテル愛媛新聞社前バス停路線バス松山空港⇒飛行機羽田空港リムジンバスさいたま新都心さいたま新都心駅京浜東北線南浦和駅武蔵野線最寄り駅⇒徒歩自宅


十数時間ぶり道後温泉駅電車を降りますと、駅前がなにやら華やいでいます


131102_1_01


絣の着物を着た子どもたち坊ちゃん列車の前でポーズ


131102_1_02


何のイベントなんでしょうか?


この後、この子どもたちはアーケード街(道後ハイカラ通り)をパレードして(私は別のルートだったので想像です)、道後温泉本館の前にも現れました(この時、私は地元TV局インタビューを受けてしまったのですが、その映像が実際に放映されたかどうか不明)。


131102_1_03 道後温泉駅前の観光案内所で入手したフライヤーによれば、


131102_1_04a


「『のぼさんとあそぼ秋祭り』誕生祭」というイベントの「ちびっこ“のぼさん”わいわいパレード」というものでした。


「のぼさん」「まぼさん」ではないって誰?かも知れませんが、俳人・正岡子規の愛称です。子規(本名:常規)の幼名:升(のぼる)から、そう呼ばれていたようで、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」でも「のぼさん」連発でしたっけ…


それはそうと、フライヤーには、


慶応3(1867)年9月17日(新暦10月14日)は正岡子規さんの誕生日です。
146回目の誕生日を子規博で一緒にお祝いしませんか。


と書かれています。

そう、これは、子規の誕生日をお祝いするお祭りだったのです(そもそも「誕生祭」なんだし…)。


131102_1_05 前日に偶然見た「正岡子規誕生邸跡」の石碑の説明板には、「その8」で書いたように、


近代文学史上に大きな足跡を残した正岡子規は、慶応3(1867)年9月17日、この地に生まれ、東京根岸で35年の生涯を閉じた。子規の本名は常規(つねのり)であるが、近親者は生涯を通じて「のぼさん」と呼んだ。


と書かれていて、「慶応3(1867)年9月17日」は旧暦だろうし、新暦だと何月何日になるのだろうか? なんて考えていたのですが、まさか、誕生日当日に松山に来ていて、その記念行事に遭遇することになるとは思いもよりませんでした


我ながら「持ってるなぁ」デス、ほんと…


   


一気に時間を飛ばして、2日連続の温泉ほっこほこになった私が次の目的地 松山城に向けて電車に乗り込むと、駅のプラットフォームには大勢の人がいるというのに、私を待っていたかのように停車していた電車に乗って来る人は多くありません。
なぜ? と思っていると、後ろからこんな列車がやって来ました


131102_1_06
坊っちゃん列車
ぁ~


なるほど、皆さん、坊っちゃん列車に乗ろうとしていたんですな…

私も乗り換えようかと思いましたが、こちらの電車の発車時刻が近そうでしたし、坊っちゃん列車に乗ってしまえば機関車が見えなくなるわけで、このまま普通の電車で市街に向かうことにしました。

決して運賃をケチった(普通の電車:150円、坊っちゃん列車:300円)わけではございませんので、誤解されませんよう…


ところで、電車の中にも俳句ポストがありました(用箋が欠…)。


131102_1_07 この俳句ポスト、正式には「松山市観光俳句ポスト」という公設のもので、松山市内には路面電車28両を含む93ヶ所に設置されている由(10月23日現在)。加えて、愛媛県外でも子規・「坂の上の雲」・松山ゆかり11ヶ所熊本城法隆寺界隈、明治村大和ミュージアム鶴ヶ城など)、そして海外(ベルギー・ブリュッセル)にも設置されているのだとか。
首都圏では、子規庵新宿歴史博物館漱石公園道草庵記念館「三笠」にあるそうですが、私としてはこちらで書いた上野公園「正岡子規記念球場」にも設置したら良いのではなかろうかと思います。


さて、私は県庁前電停で下車して後続の坊っちゃん列車を見送り、


131102_1_08


城山公園堀之内地区に歩を進めました。


131102_1_09


かつては「藩主が住んでいた御殿をはじめ、会所、勘定所、小普請所、米蔵、厩などの藩政施設のほか、約60名の家臣たちの屋敷」が立ち並んでいたといいますが、現在は美術館図書館市民会館NHK松山放送局が南側に立っている他は、広々とした芝生が広がっています。


ここから見上げる松山城の二ノ丸と本丸が、大変よござんした


131102_1_10


この後、二之丸史跡庭園を経て、再び本丸の手前を目指すことになるのですが、それは稿を改めます。


つづき:2013/11/03 お城と温泉の四国旅行記(その14)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする