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Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(1/3)

2009年03月24日 07時54分35秒 | Weblog

『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』、1月に読了。木下昌明著 (木下さんのコラム)。影書房。199710月刊。『映画批評の冒険』(創樹社) に続く第2冊目の著書?

 素晴らしい評論集。あまりタイトルについて深く考えずに読み始めた後、日本人論であることに気付く。深い。特に、労働者の視点が著者の特徴か。

 黒澤批判 (pp.16-19p.100)
 「必要以上に自然の変形・歪曲」した人工的な美化に対する批判 (p.37)
 
共生に対置した資本主義システム、資本の論理批判 (p.47)

 「病気もの映画」批判 (p.62)。エイズと731部隊の関係。「かつての病者の隔離収容ではたした医学の非人間的体質・優生思想が、戦後五〇年たった日本の医療体制のなかに深く浸透していて、人間をモノのように扱っていることが理解できよう。この七三一部隊を生んだ戦前の非人道的な医学観がこんにちでも広く日本の医学界に浸透している・・・」(p.63)

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●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(2/3)

2009年03月24日 07時53分27秒 | Weblog

【木下昌明著、『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』
 「日本の「侵略性」をとらえるものの見かた」(p.101) が日本映画に欠落。大島渚監督 (p.111119) も例外でない。「・・・反戦的な映画で、主人公がアジアの人々に残虐行為を働いたとしても、それが上からの強制であり、主体的ではなかったとする内面のアリバイづくり (被害者意識) を描くことに費やされていた (橋本忍の『私は貝になりたい』(一九五九年) がその典型例)(p.187)。井筒監督が同様なことを指摘していた。

 「・・・小林よしのりが・・・強制連行はなかったとか、あれは商行為だったとかいう立場から毎号のように「ごーまんかまして」いる。・・・わたしはふきだしてしまった。これはむかし・・・江藤淳が転向を表明した手口の二番煎じだったからだ」(p.144)

 伊丹十三批判 (p.227)。「・・・そのあざとい商売根性が、わたしの頭のどこかに引っかかっていたせいもある。・・・企業への忠誠心・自己犠牲の精神が肯定的にえがきだされる。そこにわたしは嫌悪をおぼえる。・・・これこそ体制の論理にほかならない。また、この意識は、戦争中の滅私奉公の精神と根っこのところでつながっている、うさんくさいしろものである」。

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●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(3/3)

2009年03月24日 07時50分56秒 | Weblog
【木下昌明著、『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』
 フリーターの「自由」に対する鋭い洞察と、新自由主義下での今日の労働者・労働環境の状況への正確な予見 (pp.236-237)。「・・・実態はその逆である。・・・安い賃金で使用でき、時間単位で過密労働を課すことができ、そのうえいつでも不要になれば「自由」に首にすることができる対象・・・。企業は何の保障もしなくてすむ。・・・日本の資本主義は、このように働く人々から搾取して太るだけふとってきた」。

 山と川・海との連携。「連環する自然の体系」(p.267)。ダムの便益と、逆に、その建設による機能の破壊。「自然を破壊しなければ成り立たないこの社会のシステム (これを悪用する利権がらみの構造) のなかにその元凶がある・・・」(p.268)

 とにかく、教えられること多。非常に鋭い侵略戦争批判が随所に。
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