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●『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』読了(1/2)

2009年10月03日 22時48分49秒 | Weblog


それでもドキュメンタリーは嘘をつく』、10月に読了。森達也著。角川文庫。2008年9月刊。既読のドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社、2005年3月刊)と内容的に差はないとは思ったものの、購入。

 全ては主観の産物である。「・・・映像を撮るという行為がいかに主観的な作業であるかを(言い換えれば「公正中立不偏不党という概念がいかに絵空事であるかを)実感した僕は、やっとドキュメンタリーの豊かさに覚醒できた」(p.42)。

 NHK改悪問題。「報道局と重役会とのあいだのこの捩れは、およそ四十年後に起きるNHKのETV「裁かれた戦時性暴力」改変問題における現場と上層部との乖離構造に似て、外部からの圧力に屈したがゆえのちぐはぐさを明瞭に示している」(p.53)。

 随所に佐藤真さんと土本典昭さんの名が。「その土本は、今はもういない。・・・肺がんのために逝去した。/そして・・・ドキュメンタリー映画監督であり、僕とは数少ない同世代の作り手だった佐藤真が、様々な悩みや惑いを抱えながら、・・・高層団地から地上へと飛び降りた」(p.316)。

 Youtubeでも見れる。「・・・「初めてキャメラに記録された転び公妨」とよく称されるシーン・・・自作自演の域を超え、・・・逮捕して、さらに傷害罪まで付加するという手順だった。その意味ではより悪質で、まさしくやりたい放題だ。/至近距離で(しかも白昼の衆人環視の前で)キャメラを回す僕の存在に気づきながら、警察がこの無軌道な行為に及んだことの意味は重要だ。警察と信者との押し問答が続くあいだ、「やれやれ!」とか「殺してしまえ!」などの怒号が周囲の群衆から絶え間なく発されていて、信者が路上に押し倒されたときには歓声や拍手まで湧いた。・・・警官は、メディア(つまり至近距離でキャメラを回していた僕だ)はこれを放送はしないと甘く見たのだろう。不当な逮捕など信者たちの日常には頻繁に起きていたことがここから類推される。日本社会におけるオウムは、徹頭徹尾でならばならなかったのだ」(p.85)。うすら寒い光景。森さんの名前を口にしたり、『A』を見ることさへ汚らわしいとばかりに、オウム事件で著名な、とあるジャーナリスト(p.215)も、警察や環視衆人と同様な意識しか持てない恐ろしい現状・・・。

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●『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』読了(2/2)

2009年10月03日 22時43分45秒 | Weblog

【森達也著、それでもドキュメンタリーは嘘をつく
 うすら寒い光景は続く。「イラクで日本人・・・武装集団に拘束されたとき、自業自得との世論が湧きあがったときには、ここまできたかと僕は嘆息した。・・・自己責任・・・遭難の報せに「自己責任だから」との理由でこれを放置する事態など考えられない。でも結局、政府は何もしなかった何もしないどころか、米軍に救助を依頼するという愚行まで犯そうとした。彼らが解放された理由は、実際に彼らがイラクでやってきたことを武装集団が認知したからだ。その意味では彼らの存在は、サマーワに引きこもった自衛隊などよりもよほどイラクに貢献しているし、対日感情を和らげる大きな要素になっている。/大手メディアの記者・・・は、ヨルダンなど安全な場所に滞在しながらフリージャーナリストからの情報や映像を待っている。・・・それがいざ事が起きたときに、自己責任と声を揃える無自覚さにつくづく呆れた。・・・/・・・とその家族は、ついに最後まで「助けてくれ」と言わなかった。この国は言わせなかった。恐ろしい国だ。つくづく思う。を見殺しにしたのは僕たち一人ひとりだ」(pp.130-131)。

 。覚悟。自覚。「鬼畜の所業だと思う。今この原稿を書きながらも、撮影時の記憶が甦って叫びだしたくなる。できることなら、その場でキャメラを構えてぬけぬけと撮影している自分の胸倉を掴んで、「お前にどんな権利があるというのだ」と殴り倒したくなる。/・・・/僕らが覚悟すべきは責任をとることではない、責任をとれないことを覚悟すべきなのだ」(p.219)。

 今回、再読してみて、最も印象に残った章は、「第11章 セルフ・ドキュメントという通過点」(p.221)。

 無意味。すべては主観的。恣意的。「フィクションとノンフィクションの挟間を探したとことで意味などない。だって僕らの実生活だって常に、この挟間を行きつ戻りつしているのだから。/・・・演技(嘘)で、どちらかが真実なのだと・・・そんなことで悩む時間があるのなら、他にやるべきことはいくらでもあるはずだ。結論はひとつ。どちらも虚であり実でもある」(pp.114-115)。「・・・局のプロデュサーに「そんな恣意的なドキュメンタリーはありえないでしょう」と真顔で言われ、「恣意的ではないドキュメンタリーなど意味があるのですか」と思わず聞き返したことがある」(p.136)。

 解説は、ドキュメンタリー作品『Little Birds:イラク戦火の家族たち』(p.138)の監督の綿井健陽さん。
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