台風一過の朝顔
アメリカ人のトラウマは、アメリカ人の生き方が「拡大」を前提としている以上、拡大が止まった時と拡大してもまとめきれない時がトラウマになるようです。いわば右肩上がりの経済を前提していた生き方が、右肩上がりのできないでいる、今の日本がトラウマになる(かもしれない)のと同様です。
時間と共に、自主独立のアメリカ人は、科学技術のノウハウと世界市場のモデルにもなりました。「メイド・イン・アメリカ」のものを輸出することは、夢を提供しているように思われました。その夢は、実用の神の節理によって計画もされた(誰がそれを疑えるでしょうか? いいえ誰も疑えません)、いっそう圧倒的な物質的確証と共に提供されました。自由な企業心と無謀な拡大は、つけ込まれたと感じたり、仲間はずれにされたと感じたり、汚された田舎に追いやられたと感じる人たちに対して、謝る必要がありませんでした。また、新たな帝国主義だと受け取られることもないのは、アメリカのノウハウが広まっているところならどこででも、1つの新しい、自分を確かにするバカでっかい道(スーパー・アイデンティティ[スーパー・マーケットが「あちら側の人(共産圏の人)」さえ羨む、自分を確かにするバカでっかい道(スーパー・アイデンティティ)にピッタリの象徴になりました])が一括取引の中に生じる時なのです。
アメリカは、物質的な圧倒的な力という感じでしょう。なんでも豊富にそろい、しかも、安いスーパー・マーケットが、その力の象徴であるのもうなずけます。それが、拡大を旨とする、自分を確かにする道(スーパー・アイデンティティ)にピッタリの象徴ということには、気付きませんでしたね。でも、「スーパー・アイデンティティ」というと、スーパー・マーケットの商品が安いように、安っぽく聞こえるのはなぜなんでしょう?またここでいう「一括取引」とは何なのでしょう?