ルネッサンスになると、人間はカメレオンのように変幻自在、「自由」になりました。しかし、それは恵みの始めであると同時に、呪いの始めでもありました。
Young Man Luther 『青年ルター』p192の第2パラグラフから。
人生という人間劇場は、ユマニスト学派によれば、特別な資質の力でによって、それぞれ職域が決まっています。その職域は、天与の技量に従って恵まれます。それは、画家でも、彫刻家でも、天文学者でも、内科医でも、政治家でも変わりません。レオナルドにとって、その天与の技量とは、訓練された意識的な目であり、「どう見るかを知ること」ですが、それは「自然な視点」なんですね。その「自然な視点」においては、我々の半球に対するイメージは、あらゆる天体のイメージに入り込み、一緒に流布します。…2つのイメージは混じり合い、一緒になって、入り込み混じり合います」。「これらは奇跡です、…すでに失われた形が小さな空間の中で1つになり、それが、さらに形を作り出し、さらに形を構成します」。ミケランジェロは、手の中に、創造の中心を見出しました。その手は、知性に導かれて、「たくさんの大理石で囲まれた概念を自由にすることができます」。
ユマニストの目も手も、今までの眼に見える形の中に閉じ込められていたものを解放し、自由にしました。良い時代です。