エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

夜明け:悪い良心からの解放 改訂版

2015-04-14 07:01:11 | アイデンティティの根源

 ルネサンス期は、人間性を解放したまでは良かったのですが、振り子が触れすぎる危険が常にありました。

 Young Man Luther 『青年ルター』p193の6行目から。

 

 

 

 

 

ローマカトリック教会は、マルティンの時代、身体からの自由を約束する際に、悪い外向けの良心の絶対的な力に付け入る傾向がありました。その良心が悪いのは、それが、罪の意識に基づいていたからでしたし、その良心が外向けなのは、道徳の根拠と、その結果としての反抗に気付くことにしからならない、懲罰的な働きによって定義され、繰り返し定義されたからです。ルネッサンスのおかげで、人は自分の悪い良心からの一時の休みを得て、多様な活動ができる力を得るほどの自由を自我に得たのでした。

 

 

 

 

 

 悪い良心ほど、一人の人や社会に害毒を撒き散らすものはありません。ルネッサンスは、人類をその悪い良心から解放するチャンスを与えた、という意味では、とっても素敵です。

 当時の人は、夜明けを実感したことでしょう。

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エピジャネシスの概略図の良さ

2015-04-14 06:09:05 | エリクソンの発達臨床心理

 

 エピジャネシスの表は、うまくできている。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p29の9行目から。

 

 

 

 

 

 結局、それぞれの部位が一番優生になり、(対角線上の)それぞれの段階である種の永続的な解決策を見出す時、それはさらなる発達(2Ⅲ)も期待できるでしょう。それは、続いて優勢な部位(3Ⅲ)が優勢になるようになりました。特に、それは、全体が調和(1Ⅲ、2Ⅲ、3Ⅲ)する中で起こったのでした。この表が、前性器期と心理社会的な発達にとってどういう意味があったのか、次に説明してみましょう。

 

 

 

 

 一番優生になる段階の前後でも、それぞれの部位ははったつすることも、この表は示しているんですね。対角線上に来た時が、しかし、最も優勢な発達をする時期になります。

 

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希望を語る時

2015-04-14 00:49:05 | エリクソンの発達臨床心理

 

 これは、今から92年前、内村鑑三が、関東大震災直後に、新宿柏木(南新宿)の自宅の玄関に貼ったと言います。その文は

「今は悲惨を語る時ではありません。希望を語る時であります。」

これは、立教大学の月本昭雄先生が、東日本大震災直後から、読売新聞の連載していた「いにしえとの対話」で紹介されていた文書です。さすがは内村鑑三、さすがは月本昭雄先生だと感じましたね。

 内村鑑三は、関東大震災があった9月1日は、軽井沢にいたそうです。当時、地震のため、電車も新宿までは走っていませんでした。軽井沢から埼玉県川口まで電車で来て、そこから、柏木まで、62才の内村鑑三は足を引きずり歩いたようですね。荒川を超えるその道は、グーグルで調べると、3時間以上掛かります。当時は舗装した道も今ほどないはずですから、もっと時間がかかったでしょう。

 その道々、壊れた家々を目撃したはずです。なくなって人も見たかもしれません。朝鮮人虐殺の話も聴いたかもしれません。

 それにもかかわらず、内村が「希望を語る時」と語ったのはなぜでしょうか?

 それは明治維新以来「富国強兵」で進んできましたね。教科書でも習います。その中で人々はどうなったのか?「強い者勝ち」。その陰で弱い立場の人が泣かされていることを知っていました。それは日清戦争後に内村が書いた「やもめの除夜」でハッキリ分かります。戦死した夫の妻が除夜を寂しく過ごしているのに対して、戦勝を祝う軍人が酒を飲んで大声で騒いでいる。内村は、やもめの声を聴こうとします。

 また、東日本震災後の今の日本と同様、関東大震災後の日本でも、数多くの「追悼会」があったらしい。内村も、女子学院で行われた追悼会に招かれて、話をしたらしい。追悼会といえば、生き残った我々が、不幸にも亡くなった人を慰める、という形になりますよね。でも内村は真逆でした。死者たちは生き残った者の生き方を問うている、いや、導いている、と内村は見るんですね。

 それは、酒を飲んで大声で騒ぐ類の「強さ」ではなくて、人の弱さに寄り添う優しさと=で繋がっている、本物の強さでしょう。

 東日本大震災後の私どもも、単にアメリカ軍と一緒に、外国に人殺しに行くような国づくり、「列強」「大国」を目指すのは今すぐ止めましょうよ。弱い立場の様々な人にも、人間らしい暮らしを保証するような、本物の文化国家、社会民主主義の社会づくり、オランダやデンマークのような「小国」にしたいものですね。

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