エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

子育てには本能的な知恵がある

2015-04-28 07:35:47 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「良い行い」は、姿勢や動きの正しさから生まれます。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p35の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 「原始的」な人々の子育て法をはじめて知ると、いくつも本能的な知恵があると結論付けざるを得なくなりますね。その子育ての知恵のある方法では、その「原始的」な人たちは前性器期の本能的な力を使いますが、それは、その子どもか何か強い願いを大切な方法で犠牲にすることによるばかりではありません。最も些細な日々の習慣から、支配的な技術が必要な技術まで、みんなとうまくやるだけじゃぁなくて、それを楽しむように子どもを助けることにもよります。

 

 

 

 

 原始的と言われるような人にさえ、その子育てのやり方を知るし、その社会の技術と習慣に関係するものがたくさん見つかります。

 

 

 

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心に響き、人を納得させるもの 改訂版

2015-04-28 06:59:37 | アイデンティティの根源

 

 仏教的に申し上げれば、ルターは不思議な縁でヴィッテンベルグに行くことになりました。

 Young Man Luther 『青年ルター』p196の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 マルティンの説教と教育の経歴が本格的に始まったのは、ヴィッテンベルグにおいてでしたが、それは死ぬまで途切れることはありませんでした。マルティンは、はじめ、仲間内の修道士たちにも説教をしましたし(選んでやった仕事です)、内輪の説教を聴きに来た市民にも説教しました。マルティンは、聖母マリア教会の牧師となりました。1人の教授として、マルティンは、上級コースに登録した修道士にも講義をしましたし、大学でも学生たちに講義をしました。自分の気持ちを公にせざるを得なかったために、マルティンが分かったことは、自分の声の経験には、豊かな広がりがあることでしたし、マルティンが得たものは、葛藤を抱く者の勇気でした。マルティンは、心に届く説教をするようになり、なるほどと思わせる講義をするようになって、2つの別々のやり方を編出しました。マルティンの説教は、場を盛り上げ、講義においては、マルティンは、1人の思想家として徐々に、体系的に育っていきました。

 

 

 

 

 マルティンは、説教も講義も次第にうまくなりました。それは「自分の声」に気付いて、それを自分の葛藤を経て表にする方法を学んだのでした。それは、心にも届くし、人の納得も得ることの出来るやり方でした。宗教改革者ルター誕生です。

 

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まど・みちおさんの場合 日々を不思議な ”窓” から見続けた人生

2015-04-28 04:03:08 | エリクソンの発達臨床心理

 

 今日は、まど・みちおさん。

 私は「マハトマ」とお呼びしています。文字通り、「偉大な魂」。しかも、まど・みちおさんは、「自分は『ちっぽけな存在』と肝に銘じて」います。当たり前の中に、小さいものの中に、ささやかなことの中にこそ、不思議と奇跡を日々発見して生きた人生。

 なんと素晴らしいんでしょうか。

 まど・みちおさんのことは、このブログで何回も取り上げてきましたね。でも、何度でも取り上げたい方なんですね。なぜなら、まどさんの「謙遜」を感じる心を、私自身に呼び覚ましたいからです。聖書と同じくらいに繰り返し立ち返りたい場所、それがまど・みちおさんの詩です。まどさんの詩は祈りです。でも、特定の宗教を信じている訳じゃぁ、ない。

 童謡「ぞうさん」、「やぎさんゆうびん」、「ふしぎなポケット」などを詠ったことにない日本人はいないんじゃぁないかしら。まど・みちおさんのお名前を知らない幼子でさえ、これらの童謡を口ずさんだことはあるはずでしょう。

 まどさんの詩を読んで、味わって、詩に表された真実さ、謙遜さを学びたいと願う。特に、傲慢な者、弱い立場の人を踏みにじる者、嘲る者を眼にした時に感じる怒りや裁きたい気持ちを治めたいときに、是非読みたい。自由でいたいからです。

 まど・みちおさん、1909年11月16日、山口県徳山町生まれ。ほぼ一年前の2014年2月28日東京稲城市の慶友病院で亡くなられました。104才でした。本名、石田道雄。詩人として自立するまで、まどさんもいろんな仕事をしていたらしい。戦前は、台湾総督府道路港湾課、戦後は工場の守衛、チャイルド社での雑誌編集者…。詩人として独立したとき50才。54年間、独立詩人として生き抜いたことになりますね。

 まどさんの詩は祈りだと言いましたね。詩は、旧約聖書の「詩編」の詩がそうであるように、もともと祈りだからです。でもそれだけじゃない。まどさんの詩を読んでると感じます。まどさんの詩には、「今日一日を生かしていただいたおかげで、こんな素晴らしい物事を見つけることができました。ありがとうございます。それを言葉にしましたので、神様にご報告いたします」という感じを感じます。最後にそんな詩を一遍。

     れんしゅう

 

  今日も死をみおくっている

  生まれては立ち去っていく今日の死を

  自転公転をつづけるこの地球上の

  すべての生き物が 生まれたばかりの

  今日の死を毎日見送りつづけている

  なぜなのだろう

  「今日」の「死」という

  とりかえしのつかない大事がまるで

  なんでもない「当たり前事」のように毎日

  毎日くりかえされるのは つまりそれは

  ボクらがボクらじしんの死をむかえる日に

  あわてふためかないようにとあの

  やさしい天がそのれんしゅうをつづけて

  くださっているのだと気づかぬバカは

  まあこのよにはいないだろうということか

 

 

 

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