エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

闇の中に光がある ?

2015-10-05 08:52:51 | アイデンティティの根源

 

 

 ルターは偉大な改革者にして、偉大な反動者でした。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.231の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 新しい神聖ローマ帝国皇帝は、弱冠21歳にして、いろんな出来事に心乱されていましたが、自分を確かにされる感じを再度確かにしました。「我こそは、長らくクリスチャンを信じている家系の神聖ローマ帝国皇帝なるぞ。…1000年も続くキリスト教に反抗する修道士1人が、悪いに決まってる…。奴は村八分だ」となります。実際、皇帝はその修道士ルターを村八分にします。しかし、ザクセン選帝侯は、ルターを拉致して、ヴィッテンベルグに匿います。そこは、(ルターが聖書をドイツ語に翻訳した)アイゼナッハや(ルターが若い頃信仰に目覚めた下宿先の)コッタ家から1マイルほどのところでした。

 

 

 

 

 

 ルターは村八分に会えば、惨めです。しかし、その惨めな思いをする果てに、ドイツ語で聖書を翻訳して、本当の信頼を確立する使命を果たすことができました。

 人生万事、塞翁が馬 ?

 闇の中に光がある ?

 

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新しい時間感覚

2015-10-05 07:56:43 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 ケアは単に世話することではありません。やり取りの中でする世話は、本気になれば、心からの誠実さで、心から真実に、相手と向かい合う関わりになるからですね。エリクソンがケアというときには、そういう意味の真実なケアをいう訳ですね。形ばかりのケアのことは、ケアとは呼ばないのです。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p79の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 それから徐々に、強さが強まりつつ、新しい時間感覚が、後戻りできない、自分を確かにさせる感じに伴って、現れます。自分がそうなろうと思った存在に次第になるにつれて、自分がそれまでのかくあった存在に、自覚的になろうとするわけですね。リフトン(1970)は、一人の人が生き残るってどういうこと? について、非常にハッキリと示してくれましたが、大人になった人が分からなくちゃいけないのは(エディプスが、父と知らずに殺してしまったライウスがしたように)、何かを産み育てる者は、その人が生み育てた相手をこの世に残して先に死ぬ、ということです。こういったことすべては、それほど意識してやっていることではありません。反対に、やり取りの中で次世代を育む舞台は、やり取りの中で何かを生み出すことができない感じに脅かされずに済む状態でいる限り、自分が死すべき存在であることを、すっかり忘れていることが良いことみたいに感じることが、当たり前になりがちです。

 

 

 

 

 

 死を考えないことは、一見良さそうに思いがちです。現代のように自分の死を忘れてしまうことが当たり前になる時、メメント・モリ 「(自分の)死を覚えておきなさい」と言う叡智とは逆をやることになりがちですね。

 しかし、今の日本で、殺人事件が、毎日起こり、報道されている時代になったのは、何故なんでしょうか? 

 自分を確かにすることが進むにつれて手に入れる新しい時間感覚は、必ず自分の死をも展望に入れる時間感覚になるはずですね。

 

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