エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

実感主義のルターの聖書

2015-10-12 09:47:08 | アイデンティティの根源

 

 ルターが、話し言葉であるドイツ語で翻訳したのはバイブルが本当に実感を持って読むことができるようになるためです。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.233の8行目途中から。

 

 

 

 

 

ニーチェが言ってます。「ドイツ語の散文の傑作は、ドイツで最も偉大な伝道者の傑作です。それ以来、聖書が、最高のドイツ語の本です。ルターが翻訳した聖書に比べたら、その他のほとんどすべての本は、「文学」です。つまり、「文学」とは、ドイツで育ったものでもなければ、ルターの聖書がそうなったみたいに、ドイツ人の心になったものでもなければ、現在でもドイツ人の心ではないものです。」と。ヤーコプ・グリム(訳注:グリム童話を集めた1人)は、ドイツ文学を始めた学者ですが、彼が言ってることは、ドイツ文学の開花は、ルターの業績を無視しては、存在しなかったということです。グリムは「ほとんど奇跡的なほどの純度と、深い影響力の故に、ルターのドイツ語は、新しいドイツ語の核にもなりましたし、その根っこにもなりました。ドイツ語を育てたと言われる人、ドイツ語を若返らせ、詩の花を咲かせたと言われた人も、ルターには及びません」ということです。

 

 

 

 

 ルターは、かつては不信の塊でしたが、信頼を回復してから翻訳した聖書の言葉は、人々の心を攫むことができました。それは、ルターが自分のイメージを話し言葉にした聖書の話し言葉が、人々の心のイメージを話し言葉にするものでもあったからです。

 しかし、考えてみれば、聖書の、少なくとも新約聖書の言葉は、コイネと呼ばれた、当時の話し言葉のギリシア語だったのですから、はじめから、人々のイメージ、実感を大事にしたのが、聖書だった、といえそうです。聖書の、実感主義が原点です。

 

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今どきのニッポン

2015-10-12 07:08:57 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 今の日本に心の病が多いことと、今の日本に、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちを代表選手に、東電、東芝、朝日新聞などの一部上場企業から、西武学園などの私立の学校まで、ウソとゴマカシだらけなのは、イコールだということです。何故でしょうか?

 人の心には、高橋三郎先生の様な真実   が必要不可欠だからです。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p.81の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 このように、新しい人間はひとりびとり、社会秩序(宇宙の秩序から、論理や科学技術の秩序を経て、価値の秩序まで、)にあるいろんな指針の論理や力を受け止め、身に付けるようになります(F)。そして、うまくいけば、その社会秩序を次世代に伝えます。すべてこういったことは、とにかく、発達や回復にとってはなくてはならない、生まれつきのポテンシャルの1つだと考えなくてはなりません。それがたとえ、日々の臨床を経験したり、一般的に観察したりすけば、私どもは、個人の中には未解決の危機を示す症状だったり、真実の関係を生きる礼拝がバラバラになった社会病理に出くわすことになっても、ですね。

 

 

 

 

 

 礼拝とは、眼に見えない存在を大事にしつつ、真実の関係を生きる、ということですね。それがないと、個人は心の病となり、社会は社会病理に苦しむことになります。

 まさに今どきの日本のことですね。

 

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腑に落ちるとトラウマ

2015-10-12 04:31:09 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
自分自身を失ったら・・・。
  トマスによる福音書では、見失った羊は、一番デカい羊。それは「本当の自分」だから。 p353第3パラグラフ。   ...
 

 以前、本田哲郎さんの本物の信頼について、このブログでも書いたことがありました(本田哲郎司祭は、なぜ 「日曜ごとに教会に来なくていいんだよ」 と言うのか?他)。その中で

「どこまでも大事なのは、最も大事なのは、「お互いに大事にしあう」ことだけ。しかし、また、その行動を選択する際の目印、行動原理が大事ですね。それは、本田哲郎司祭によれば、ギリシア語の σπλαγχνιζομαι スプランクニツォマイ、「はらわたを突き動かされる」ということです。これは英語にすると、com-passion 普通は「同情」とか「憐れみ」とかと、訳されてしまいます。でも、これはもともとは、「passion(十字架の)苦しみを com共にする」、という意味であることを忘れてはいけませんね。これは、本田哲郎司祭の言葉を借りれば、「人の苦しみを『ほっとけない』と思う気持ちだ」と言います。」
と書きました。エリクソンの言葉で言えば、これはautonomy オートノミー 「自分の感じを自分が法則(自分がどう生きるかということの指針)としてもいい感じ」ですね。これがとても大事です。

 でも、この「はらわたを突き動かさらる」とは、日本語の「腑に落ちない」に近い。もちろん、「はらわたを継ぎ動かされる」の方が、行動に結びつきやすい。だけれども、「腑に落ちない」を大事にしていくことは、内省を経て、行動に繋がることがあるはず。

 上の写真は、ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』のハードカヴァー版のカヴァーの表紙裏の写真です。そのp.97-100に Agency : owning your life 「生かされている実感 : 本当の自分を生きること」という節があります。この中に、この「腑に落ちる」の「腑」が出てきます。ヴァン・デ・コーク教授によれば、この「腑」が感じることは、人が「安全・安心」を感じる時のサインになる、と言います。ところが、発達トラウマ障害の人は、この「腑」が感じることが上手く出来ない、という訳ですね。発達トラウマ障害の人は、「安全・安心」のためになくてはならない「腑」で感じることを、不快に感じてしまうからです。ですから、「腑」で感じることを遮断してしまうか、もしくは、それを感じるとパニック発作を起こす、と言います。発達トラウマ障害の人は、本当に危険なものを見分けることができない状態になっている訳です。

 エリクソンのライフ・サイクルから言っても、発達トラウマ障害(DTD)の人は、最初の発達危機の信頼で、躓いていますから、「腑」で感じることが出来なくて、当たり前ですが、自分の感じを遮断したり、あるいは、自分の感じにパニックになっているのが、発達トラウマの人だ、と知ってることは、支援する者には大事な視点です。発達トラウマの人は、心身症、身体表現性障害になることが多いということも、知ってると良いですね。

 

 

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