エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

10段組み体操とディズニーランドから見えてくる、私どもの日常 改訂版

2015-10-11 14:27:08 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
ヒュポメノー
  ヒュポメノー。初めての人もあるかもしれませんが、これはもともとギリシャ語です。υπομεν&...
 

 加藤周一さんが、「熱烈な愛国者の多くは、隣人を愛せないから、その代わりに国を愛するのである」と言ったことがあります。やっぱり頭脳明晰な人の言葉は見事ですね。アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちの言動を見ると、まさにこれですよね。

 私は、今晩は、加藤周一さんの、この言葉をヒントに、日本人の日々の生活を考えます。この言葉に擬えて申し上げれば、次のようになります。

 「日本人の多くは、日々の生活を充実させることができないから、その代わりに、イベントを盛り上げようにするのである」

 学校の運動会で、高さ7メートルにもなる10段組み体操をして、毎年けが人を出してるそうですね。今年の運動会でもまた、骨折者を出した中学の校長が、「完成したときの喜びは、代えがたいものがありました。そこで、怪我に対する認識が甘くなっていたと反省しています」と、臆面もなく言ってましたね。この校長に呆れましたね。毎年けが人を出しても、10段組み体操をやる意味って、何でしょうか? 「何にも代えがたい喜び」って本当なのかなぁ?

 昔、中学生の母親の心理面接をしていた時に、次のような話をしてくれたことを印象深く覚えていて、時々人にも話しています。そのお話は、おおよそ次のようなものでしたね。

 その日は朝から、子どもをディズニーランドに連れて行ったそうです。お休みの日のディズニーランドですから、きっと混んでいたはずです。ですから、お母さんも気合を入れてディズニーランドに子どもを連れて行ったようです。人気のアトラクションでは、何時間も並んで、いくつかのアトラクションを楽しんだのでしょう。首都高も、中央道も、混んでましたでしょうね。やっと夕方、自宅にたどり着いて、ホッと一息。それで夕食まで時間があったのかもしれません。天気もきっと良かったんでしょう。自宅前の道で、「バトミントンをやろう」ということになって、親子がひと時、バトミントンのやり取りを楽しんだ。夜、子どもに「今日一番楽しかったことは?」と訊いたそうです。するとその中学生は何と答えたと思いますか。「夕方バトミントンをしたこと」と答えたそうですよ。そのお母さんは「せっかく苦労して、ディズニーランドに連れてったのに、…」と言ったことは、もちろんですね。

 この2つのエヒソードから、私どもは何を考えますか?

 学校でも、家庭でも、大人はとっても忙しい。子どもときちんと向き合って、心と心を響かせ合うような時間を持つことをしてない。ですから、私に言わせれば、毎日の生活ではできないことを、半ば無意識的に、「罪滅ぼし的に」イベントでやろう、ということになりやすい。ですから、イベントはできるだけ盛り上げよう、ということになりがちだ、ということです。

 10段組み体操も、ディズニーランドも、それは日常生活が貧困だ、ということのシンボルだと、私は考えますね。ですから、先の文章は、次にようになります。

 「日本人の多くは、日々の関わりが貧困だから、その代わりに、イベントを盛り上げようとするのである」

 残念ですね。


 

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「生きてていいんだよ」という励まし

2015-10-11 09:33:00 | アイデンティティの根源

        天空からの恵み 励まし…

 

            

 修道院に入るのは、逃げ道だったみたい。父親から逃げたかったしね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.233の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルターは、エラスムスのギリシア語聖書からドイツ語に翻訳し出しました。この翻訳が、ルターとドイツ民族にとって、最高の文学作品になりましたよね。多面的な人格のすべての側面と、豊かな話し言葉のあらゆる源が結び付いて、極少数の人の為の詩ではなくて、ドイツ民族の暮らしに「生きてていいんだよ」という励ましをもたらすものとして、言葉を作り出したのです。

 

 

 

 

 

 日常語で、外国語の本を翻訳するのは、実感や気持ちのこもったものにしたいからなんですね。みすず版を読んでも、エリクソンの著作は難しいし、分かったら、少しは頭がよくなったような錯覚を覚えますけれども、それが役に立つこともないでしょう。しかし、エリクソンはそんなことを願って書いてないことは、原書を読めば火を見るよりも明らかですからね。

 ですから、私は、日常のいのち言葉で、エリクソンの本を訳してんです。「生きてていいんだよ」という励ましを、エリクソンの力を借りて、皆さんにお届けしたいからです。

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エリクソンの預言 : 人様のために生きるのか? ウソとゴマカシで結局、自己中で生きるのか? の分かれ道

2015-10-11 08:37:41 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p.81の第2パラグラフ、9行目途中から。

 

 

 

 

 

このような信念体系は、同様に、ひとりびとりが発達する上で、なくてはならないものになります。それは、ひとりびとりの人品(この人品は「物腰やら、立ち居振る舞いやら、倫理的態度やら、理想やらを、具体的に働かせます」)が、日常生活の中でその年齢ならではで、その舞台に相応しい、いろんな「礼拝」を通して、人から人へと以心伝心するものなんですね(G)。こういった礼拝が、「人類皆兄弟」といった指針(天にも昇る圧倒的な悦びであるヌミノースのある指針から、哲学的指針まで)を新たにしていく時に、発展する原動力を得ることになります。自我と人品が実際に生き生きとしたやり取りを失ったら、この礼拝も、役立たずで、ウソとゴマカシだらけのお役所仕事(「組織が一番」から「法の精神に反した、形ばかりのルールの運用」)にバラバラにされることになります(H)。自我と人品は一緒に発達するものですから、個人が心の病気になることと、社会にウソとゴマカシが蔓延ることは、密接に関係してんですね。

 

 

 

 

 

 ここはエリクソンが日本社会の現状を預言してますよね。

 日本の社会に、心の病がこれだけ多いのと、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちから、東電、東芝、朝日新聞、東大、理化学研究所、西武学園、等、いろんな組織でウソとゴマカシだらけであることは、密接に関係してんですね。

 それは日々の生活で、礼拝、すなわち、個人や組織を超越する価値を大事にしながら、心と心が響き合う関係が死んでるからです。

 

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