エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

やりすぎになりやすいルター

2015-10-26 08:52:40 | アイデンティティの根源

 

 

 ルターは、気が付いたら、大嫌いな父親みたいでした。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.236の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルターは、ルターの家族にとってもやりすぎでした。1人の義理の兄弟は、ルターに「『過剰な負担を求める預言者』にでもなりたいのかね」と尋ね、ルターを「臆病者」と難じました。しかし、この非難は見当はずれでした。ルターが小作農らに反対する小冊子を書いたのは、まさに、小作農たちが、道路工事の蒸気ローラーのように、ルターに迫っていた時でしたし、ルターが諸侯たちにおもねることを拒否したのは、ルターが諸侯を一番必要にしている時でした。

 

 

 

 

 

 ルターは素直に見えません。反抗的ですね。苦しい時に、その苦しみが増すような行動を自らするのですからね。友人たちや親せきも困惑したでしょうね。義理の兄弟が「やり過ぎ」といったのも、当然です。

 

 

 

 

 

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天才フロイト誕生

2015-10-26 08:21:13 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
信頼こそ、民主主義の基
  「人間らしいヴィジョン」をはっきり自覚するためには、弛まぬ努力と、内省と観察が是非とも必要ですね。 p113第2パラグラフ。  ...
 

 

 

 確かな≪私≫は、「≪私≫という感じ」を育てること。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p86の第2パラグラフ、11行目途中から。

 

 

 

 

 

というのも、無意識を意識できるようになるには、じかに意識の真ん中で意識するしか方法がありませんからね。さらには、意識は、進歩と歴史を通して、大事な状態になったのは、意識が合理的な方法に直面して、無意識を自分自身が否定していることに気付かざるを得なくなったり、無意識を否定したがために至ったいろんな結果を学ばなければいけなかったりする時ですよね。それにもかかわらず、この根源的な意識は、フロイトにとっては、大事な人間らしい事実の1つに思われはしましたし、フロイトは、当然と見なしはしたのだけれども、しばらくの間は、内省してみることを、傲慢にも拒絶していたことでした。

 

 

 

 

 

 フロイトでさえ、最初は無意識の驚くべき事実、それを知る根源的な意識に、戸惑い、受け入れがたいと感じたようですね。仕方ありません。しかし、そういう気持ちに整理を付けて、無意識を内省し、客観的に取り扱おうとした点が、天才フロイトを作ったとも言えるでしょうね。

 この時が、天才フロイト誕生です。

 

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マインドフルネスの効果

2015-10-26 03:30:48 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 愛着障害を癒す治療法には、ヨガを用いたマインドフルネスや、バイオフィードバック療法もあります。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.209の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 静かに呼吸する方法を学んだり、身体をユッタリさせたままにするようにしたりするのは、痛々しくて、怖々しい、いろんな思い出を思い出している場合でさえ、そうすることは、回復するためになくてはならない方法です。意識して、ゆっくりと、深い呼吸をすれば、副交感神経が過覚醒を止めてくれることに気付きます(5章で説明予定)。呼吸に意識を集中すればするほど、効果があります。特に、息を吐きおわってから、再び息を吸うまでの少しの間に、息に意識を集中する場合は、効果があります。息をつづけながら、自分の肺臓から出たり入ったりする、動く空気を意識する時、気付くことは、空気が、身体を養ったり、イキイキ・ピチピチして、物事に積極的に関わるのに必要なエネルギーを、身体に漲らせたりする時に果たす、酸素の役割でしょう。16章を読んでいただければ、この単純な訓練が体全体に効果があることが分かることでしょう。

 

 

 

 

 

 ここを読めば、マインドフルネスの効果が、どのようにあるかが具体的に分かりますね。

 でも、これは呼吸を意識する訓練をすれば、それでいい、というものでは必ずしもない、と私は感じますね。ティク・ナット・ハーンさんと訓練するのか、マインドフルネスのことを体感的に知らない人と訓練するのか、では、雲泥の差があると、私は感じてます。

 

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タッチの根源性: 育ちも癒しもタッチから

2015-10-26 02:39:30 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
1人の時間 ソリチュード
  愛着障害の子どものケア。感情的な対応と正しいことを強要する対応が禁忌。望ましいのは、穏やかな対応と、内省的な対応。最近の小学校は、愛着障害の子どもだらけ。夏休...
 

 

 

 先日、子どもたちと遊んでいると、タッチを求められることが多いことを記しました(日本の貧困の根本原因)。今晩も、タッチを考えます。

「ホントに多くの子どもが寂しい思いを抱えながら、暮らしているのが痛いほど分かります。どこの小学校に行っても、そうですからね。昼休みなどに校庭で遊んでますでしょ。すると、どこの小学校でも、「おじさん、おんぶして」「抱っこして」…。それが次から次でしょ。タッチ、スキンシップが全く足りてません。何故でしょうか? 昔は定時退勤が当たり前だった、市役所の職員でさえも、今は残業残業でしょ。民間企業はもっと残業してますでしょ。すると、お父さん、あ母さんは、なかなかお家に帰れません。それも、子どもが赤ちゃんの時からですからね。子どもはずっと寂しい思いをして生きてきたことになりませんか? 」

 実際にすごいんですよ。私がしゃがんだ状態で、子どもを一人抱っこしてますでしょ。すると、次から次へと、重なるようにオンブをしてもらおうと背中に覆いかぶさってくるんですからね。震災トラウマが関係していると思いますか? 関係ないですね。 むしろ、赤ちゃんの頃から抱っこされたり、おんぶされたり、キスされたり、手を握ってもらったりする経験が絶対的に足りてないからですね。それが、発達トラウマになってるから、本能的に、自ずから、自分の足りないところを遊びの中で補おうとしているのだと、強く感じますからね。臨床家が感じること、すなわち、「≪私≫という感じ」が捉えた感じは、とても大事で、当てになりますしね。

 考えてみれば、人間の最初の絆であるアタッチメント attachmentは、タッチ touchがなければ、成り立ちません。これは、実際に発達面から考えても、言語学的に考えても、あるいは、神学的に考えても、そうだということです。

 まず、赤ちゃんがお母さんのアタッチメントを育み、根源的信頼感を身に着けていくためには、お母さんから繰り返しタッチされなけりゃあ、無理でしょ。オッパイを貰う時、オシメを取り換えてもらう時、あやしてもらう時…、お母さんが赤ちゃんにタッチしないで、するなんてこと、出来ませんでしょ。 むしろ、そんなことができたら、それはマンガです。お母さんが赤ちゃんにタッチせずに、オッパイを上げる図をイメージして見たら、わかります。赤ちゃんがお母さんと離れて、向き合って、目と目で触れ合う、アイコンタクトの前には、かならず、直接的で、温もりが伝わるタッチがなければなりませんよね。

 それから、言葉の上でもね。アタッチメント attachmetは、タッチ touch 入りです。タッチ tachという語根は、タッチ touchという意味だからです。アタッチメント以外ですと、デタッチメント detachment 「関わらないこと」「離れること」があります。

 それから、神学。

 以前、このブログで翻訳した「ガリラヤの言い伝えは、「≪私≫という感じ」」に、「マルコによる福音書」第5章29-34節が出てきます(触れるのは、信頼の証拠)。ここは「長血の女」と言われるところです。全財産をつぎ込んでも、自分の婦人科の病が治らなかった女性です。医者に騙されたのかもしれませんね。でも、この女性は一心に、必死な思いで、恐る恐る、イエスの衣服に触れます。タッチですね。すると、そのタッチを通して、イエスから、その女性に、virtue ヴァーチュー 「人格的な力」が伝わったそうです。すると、たちまちその、ダラダラと陰部から流れていた血が止まった、と言います。その女性も、劇的に自分の病が癒されて、ビックリするは、嬉しいは、恐ろしいは…という感じだったことでしょう。

 タッチ、それは人間にとって、なくてはならないもの、人の体も心も育てるもの、人の体も心もいやすもの。

 

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