エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

骨身に沁みた体験は、沁み出しやすい

2015-10-25 06:40:57 | アイデンティティの根源

 

 

 ルターは、現実に引きずられ過ぎて、信頼の言葉とは違う態度に出てしまいました。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.236の8行目途中から。

 

 

 

 

 

 

ルターは、命がけで小作人たちの暴動を鎮圧するものには、天国での報いがあると、約束しました。かつては繰り返し打たれて、今では親の言うことを聴かない、この息子が言った言葉には、裏も表も出ています。「反乱は、議論して答えを出す価値もありません。反乱は、その答えを受け止めたりなどしないからです。こういった連中へは、鼻血が出るほど殴ってやりゃそれでいい」という訳です。ハンスが、残りの手に負えない小作人たちを打つて、自分の息子から、引き離したみたいでしょ。

 

 

 

 

 

 自分に反抗する小作人たちを前にしてルターが言ったことは、かつて自分をさんざん打って、大嫌いになったはずの父親ハンスが、言いそうな言葉でした。子どもの頃の体験が、意識的な努力をせせら笑うかのように、骨身に沁みていることの何よりの証拠でしょう。

 私どもは、恨み辛みが募った体験を克服するためには、深い再体験をすることが何より大事なことですね。

 

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確かな私

2015-10-25 05:51:13 | エリクソンの発達臨床心理

 

 日頃あまり意識しないだろう「≪私≫という感じ」は、「私」の中心であるばかりではなくて、イキイキ・ピチピチ生きる上で不可欠ですから、いくら強調していも、強調し足りませんね。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p86の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ここで私どもは、知的関心の中にある不思議な盲点に出くわしますね。この≪私≫は、傲慢な響きのある、生き方であったり、人格論であったり、言葉であったりしますが、辞書の中にも、心理の教科書の中にも見つかりません。フロイトは、もともと、ドイツ語の同義語の Ichを使ったことは、慣例上、ego エゴと翻訳されます(エリクソン、1981)。それと同時に、ichは、≪私≫ I という意味があることも明らかです。フロイト(1923)は、このIchを、「あらゆる意識が頼っている経験の「直接性」と「確実性」」のこととしたことも、明らかです(太字にしたのは、エリクソン)。これは、単純に2つの意味がある、ということではなくて、とっても大事な考え方の輸入です。

 

 

 

 

 フロイトのよれば、「私」は、経験したことが自明で確実であると言います。私が確かにあると思えなかったら、それはかなり重たい精神疾患です。そうでなければ、「私」くらい自明で、確実なものはありません。エリクソンに言わせれば、私は自明で確実なものだ、とすることが、大事な輸入品だ、という訳です。

 

 

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ヨガとバイオフィードバック療法

2015-10-25 04:41:42 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.209の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 アメリカ国立衛生研究所の研究で、私の同僚と私が示したことは、10週間ヨガをすれば、薬物療法でも他の治療法でも効果がなかったクライアントのPTSD症状が、ハッキリと良くなる、ということでした(ヨガについては、16章で議論する予定です)。ニューロフィードバック療法はまた、19章で話題にしますが、過覚醒やら、感覚遮断のために、何かに集中したり、優先順位を付けたりすることができない、子ども達にも大人らにも顕著な効果があります。

 

 

 

 

 

 アメリカは非常に多様ですから、ひどい話もそれゃヒドイですけれども、愛着障害の子どもに対する治療法も、いろいろあんですね。マインドフルネスやバイオフィードバック療法も、その一つらしい。日本はその点、動きが遅いですね。

 

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主権者教育の基本の「き」

2015-10-25 04:04:16 | エリクソンの発達臨床心理

 
愛着障害の子どもたち
 愛着障害の子どもたち。このブログでも何回かご紹介しています。先日初めての小学校に伺いまして、愛着障害の子どものことを、壊れたテープのように、また繰り返してきました。そうすると...
 

 

 なんで、スウェーデンは、こんなに主権者教育、民主主義が徹底してんでしょうか?宮本みち子さんさんの、先の文書(http://www.akaruisenkyo.or.jp/wp/wp-content/uploads/2012/08/swe.pdf)にも、そこまでは書いてない。

 もちろん、 こどもも、制度やルールを変更して良い、と教えられているからですし、現実に制度やルールを変更できるからです。子どもにも「主権」という名の「最高権」がある、ということを認めているからでもあるでしょう。でも、それだけではない、と私は感じています。

 もうかれこれ、20年前以上前に、デンマークとスウェーデンで、主として知的障害のある子どもと大人の教育と福祉の現場で研修したときのことを思い出しますね。道には、花が繰り返し植え替えられている、仕事を辞める人が、「失業保険が給与の9割ずっと保障される」と言う、、小学校から大学まで「ただです」とも聞くし、重度の知的障害があり、ことばを話せない人にも、1時間毎日、その日のスケジュールを説明しているし…。「この国は、知的障害の福祉だけが、『〈民主化が〉進んでいる』んじゃないんだなぁ」と強く感じましたね。じゃぁなぜなのかなぁ、こんなにいろんな生活部面で、「≪民主化≫が進んでいるは?」

 あれから20年以上。私も、いろいろな人の話も伺い、いろんな本を読み、北欧以外にも、いくつかの国や地域を訪ねて、そこの市井の人と話し合う機会に恵まれて、私なりの考えを進めてまいりました。それで一つの結論に達したわけですね。それは、いくら時間がかかっても「話し合い」が進めば進むほど、すなわち、多数派の意見を押し通すよりも、いろんな少数意見をできるだけ取り入れた意思決定をした方が、より「人間として正しい」ことになる、と信頼しているからだ、ということです。。もちろん、これは「最終回答」ではありません。いわば、暫定的結論です。これ以上がきっとあることでしょう。でもね、その答えだって、今私が至った結論を含むものになるはずです。

 物事を進める時に、ルールや規則を「既製品」として使うのではなくて、出来るだけ関係するいろんな立場の人が話し合いを重ねることで、使いやすいルールや規則にしながら、使うことが、何にも増して大事になる訳ですね。

 

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